法教育シンポジウム―未来を拓く法教育inせんだい―①

 2010年1月30日(土)13:30~17:00、仙台市青年文化センターで法務省主催、文部科学省・最高裁判所・日本弁護士連合会共催による「法教育シンポジウム―未来を拓く法教育inせんだい―」が開催されました。基調講演、小学校授業実践報告、パネルディスカッションの3部からなるシンポジウムで、特にビデオを使った実践報告は新鮮でした。まず、基調講演と実践報告の模様をお伝えします。

1 基調講演(13:35~14:00)

「法教育と市民教育―共通点と相違点―」
           大村敦志(東京大学法学部教授)

〈はじめに〉
 法教育とは何かという声を聞きますが、それは法とは何かということと関わっています。法教育と憲法教育の関係、法教育と道徳の違いは明らかにされていますが、法教育と市民教育との関係については、法と「市民であること」の関係が明らかにされていません。そこでまず、言葉の意味から考えます。

〈「市民であること」の意味〉
 ある本には「市民を育てる」とは、公的な議論への参加、紛争の平和的解決への意思、各人の自己実現の可能性を養うこととあります。フランスの小学校教育では、個人の尊厳が基本的価値とされつつ、丁寧な態度や公共道徳が強調されます。それは学校の中で子どもが直面する問題を通して行なわれ、学校の延長線上に社会を位置づけています。

〈「市民の法(民法)」の意味〉
 フランスでも「市民の法」は大学教育で教えられますが、「市民の権利」の意味は日本より広く、参政権以外のすべての権利・自由を意味します。私生活の尊重や無罪推定なども民法の範囲です。民法典は「市民社会の構成原理」なのです。

〈法教育と市民教育の関係-共通点〉
 フランスの法教育は市民教育と置き換えられます。市民教育は「市民であることを学ぶ」もので、中学では議論の仕方を主とします。即ち他人の言うことを聞く、自分の主張の論拠を挙げる、異なる意見を尊重することです。高校では現在の制度を批判することを学びます。方法は歴史を調べる・外国との比較、実際の運用状況を知ることを重視し、それは日本の法学研究方法と同じです。つまり方法面でも市民教育と法教育を区別する理由は乏しいのです。市民教育から法学教育への連続性が確保されていることが重要です。

〈法教育と市民教育の関係-相違点〉
 法と他の規範との違いは、「国家による強制を伴うか否か」「判定者(裁判官)が存在するか否か」です。このことが市民教育としての法教育(広い意味での法教育)と、固有の教育としての法教育(狭い意味での法教育)を区別します。
 フランスでは法は人々が行動する際のルールであり、司法も市民感覚の延長線上にあるのです。

2 実践報告(14:05~15:10)

「学校現場における法教育実践報告」
          荒明 聖(宮城教育大学附属小学校教頭)
全校児童 24学級 850名
研究テーマ 「初等教育における法意識の育成を目指して」
          ―小学校低学年からの法意識を育む実践事例の探求と創造―
目的 教育基本法にあるように、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うことです。 

〈研究の特色〉
グローバルな視点での教育実践(法教育=社会科教育を脱する視点)で、既存のカリキュラムを生かした実践構築が最も重要と考えます。3歳から15歳までの一貫した考え方ができないかも視野に置き、幼稚園から中学校までの先生方と連携を密にしています。今日はその取り組みの中から試行授業と研究協議会を報告します。

〈研究の領域〉
低学年:生活科
中~高学年:社会科、総合的な学習の時間
全校:道徳および特別活動

〈まず4年2組授業後の検討会から〉VTR
授業:道徳「情報化社会を生きる~情報の受け手・送り手として」
    (法教育推進協議会作成の「きめきめ王国」の情報のきまりを利用)
参観者の意見1:
  「面白い授業でリアリティーがありました。ただ、道徳の授業としてはどうなのでしょう。内容も途中ですり替わっているような気がします。情報モラル(順法)なのか、法の価値や判断力なのか、思いやりについてなのか、難しいところです。」
参観者の意見2:
  「王様がきまりを決めることについて、子ども達の判断を二者択一にしなかった理由は何でしょうか。」
回答:「確かにまだ研究が足りない点があり、これからの課題としたいと思います。王様も子ども達の意見によって、これからもっと考えてしまうというオープンエンドになっています。」

〈4年2組の授業風景〉VTRと解説から
①導入
先生が子ども達に天気予報をどうやって知っているかを聞くところが導入です。テレビ、新聞、インターネット、ラジオ、ウィーという答えもありました。身近な天気予報という日常生活場面からの導入は、実感と仲間達との共有可能性を伴っています。子ども達は日頃、いろいろな情報をいろいろな手段で知ることができるようです。

②きめきめ王国の王様登場
 先生が皆の視線を教室の入り口へ促すと、白いピエロの仮面をつけた王様が登場しました。白いマントを着て金色の冠を被っています。子ども達は大騒ぎです。すると王様は、きめきめ王国の情報の決まりを厳かに語り始めました。(担任は書いたものを貼る。)

 テレビ 
  チャンネルは1つだけで、放送していいのは私が許可したものだけ。
  天気予報、国や警察が発表したニュースはいいけど、自分で取材したものやインタビューしたものはダメ。
 スポーツの結果はいい。私が許可したマンガなどもいい。コマーシャルも同じ。
 
 新聞
  1種類だけで、載せていい記事はテレビと一緒。
 
 インターネット
  私が許可したものだけを流せる。

 

③子ども達の反応
 子ども達は情報に何か制限があることを感じたようです。
意見1:「テレビも新聞もインターネットも同じ内容なら、どれかひとつだけあればいい。」
意見2:「でも、新聞はすぐに知ることができないので、テレビがいいと思う。」
意見3:「テレビはいつでも見られるわけではないから、新聞もあるほうが便利です。」
意見4:「何でも見られないなんて嫌だ。」
 子ども達の声を聞いて、王様の態度が最初の高飛車な感じから考え込むような様子に変わってきました。

④みんなの国ではどうか
 そこで先生が「みんなの国ではどうなるのがいいか」考えさせました。
意見1:「何でも知ることができるのがいい。」
意見2:「いや、気持ち悪いものとか知らない方がいいものもあるから、何でもというのはよくない。」
先生:「さあ、今からみんなのこの間の算数のテストの点を発表します。」
みんな:「ええー!」「絶対ダメー!」の声が口々に。
先生:「と言ったら、みんな困るよね。こういうことはどうかな?」
意見3:「いいものはいい、悪いものはダメと分ければいいと思います。」
意見4:「プライバシーとかあると思います。」
 みんなの国ではどうしたらいいかを各々ワークシートに記入します。

⑤王様退場
 王様は悩みながら去って行き、授業は終了しました。

〈会場から授業についての質問〉
質問1:低学年はどう指導していますか?
→回答:机に向かってではなく、外で活動しながらということをしています。例えば砂場で遊ぶとき、安全面の配慮からどういったマナーや心構えが考えられるかとか、交通安全教室など、機会を捉えて法意識を持たせるというところから始めたいと考えます。

意見1:子ども達のワークシートをもっと読んでください。
→回答:「情報が限られるのはよくないと思う。」「相手のことを考えて情報を分ける。」などがありました。

質問2:法教育の分野はどう考えられますか?
→回答:まず教員が「法教育」という言葉を知りませんでした。「法意識」の芽生えからスタートし、子どもの発達に合わせ体系化したいと思います。

質問3:道徳の授業でしたが、ねらいは「ルールを守る」ことだったのか、「周りとの協調関係」だったのでしょうか?
→回答:「守る」か「協調」か、価値判断が不明確なままの授業でした。もっと突き詰めて研究したいと思います。

ここまでの取材から

 授業風景はVTRで見た範囲ですが、王様が登場したことで子ども達が架空の「きめきめ王国」の中へ簡単に入っていけたように感じられます。「あれ、教頭先生だ。」とか「誰がやっているんだろう。」というような声は聞こえませんでした。単にきまりを紙に書いて貼り付けるより、ずっと自分達の身近に感じられ、その後の話し合いも王様に直接ものを言う感覚で、真剣に考えられたのではないでしょうか。4年生という学年だから有効で、高学年では又違った反応になるのかもしれませんが、法律の専門家を呼ばなくても、チームティーチングの良さを生かした授業になっていたと思います。

 その②(パネルディスカッション編)に続く

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