日本法社会学会2011 ミニシンポジウム「法教育」をどうするか その1

 2011年5月7日(土)9:30~12:30、日本法社会学会の2011年度学術大会(会場は東京大学本郷キャンパス)でミニシンポジウム「「法教育」をどうするか―その限界・効果・機能―」が開催されました。「法教育の諸問題をとらえ、その限界・効果・機能を考えつつ、法教育の行く末について議論する」(企画趣旨より)という興味深い企画です。レポートその1では、学校現場の先生方の報告を中心にお伝えします。(当日のプリントより適宜引用させていただきます。)

コーディネーター:久保山力也先生(青山学院大学)

1 報告

(1)吉田俊弘先生 (筑波大学附属駒場中高等学校/早稲田大学)

「学校における法教育の現状と課題―教育現場の実践から」

〈法教育の内容について〉

 法教育研究会の教材作成部会に参加し、いわゆる法教育の4領域(ルールづくり、私法、憲法、司法)に関わりました。これは試案として提示したものであり、批判をいただいてよりよいものにしていくことが望ましいと思うのですが、教育現場への影響力が大きかったようです。福井大学の橋本康弘先生は3領域の考え方を示しておられます。「法の価値・法原則」「法的見方・考え方」「法システムに参画する」という3つの領域です。
 新学習指導要領のなかでは、初等・中等教育の「法教育」のポイントは、「法やきまりの意義の理解」や「物事の決定の仕方」が主になっています。高校でも「法や規範の意義」がポイントになっていますが、今まであまりなかったものとして「市場経済の機能と限界」が新しいポイントといえるでしょう。市場機構などについて理解させる際、「経済活動を支える私法に関する基本的な考え方についても触れ」という表現になっています。けれども、学校でどう法を取り扱うか、まだ明確ではないと思います。
 高校公民科関連教科書の記述傾向の問題点としては、「法の過剰」「網羅的・断片的に登場する法」「問題解決の唯一の正答としての法」「見えない司法過程」があげられます。これらが新学習指導要領によりどう変わるか、まだ見えていないと言えるでしょう。

〈法教育をめぐる論点〉
 法社会学の視点から考えてみたい論点は3つあります。①「法教育は日本社会の法化の進展に伴う社会的要請か?とすれば、日本型法教育は、日本社会の法化の進展に対応するものか?」樫澤秀木先生の論文(法社会学第71号2009年)によれば、たとえば、問題の設定の仕方や討論ですら、権力的に設定されていないか。生徒も教師も、他者の意見に耳を傾け、根拠をもって反論し、また再反論に耳を傾けるという作業を通じ、自由や公正の意味内容を具体的に感じとれる環境が保障されているか、が重要です。教材設定が一方的という意味では、法教育固有の問題ではなく教育全般にいえることかもしれません。②「法教育を必要とするのは誰か?」法教育は将来、大学あるいは法学部に進学しない人々にこそ求められるものでしょう。法教育の内容と生活のなかの法を合体させるべきだと思います。③「法教育における教師と法専門家の関係はいかにあるべきか?」お任せ型と協働型という2つのタイプが考えられます。

〈法教育実践を通して見えてきたこと〉

 6つほどありますが、思考や決定の手続きが大事であること。ルールや法がなぜあるのか、根拠を問うことが重要なこと。教材としての「生活」とは何か、身近さや当事者性が切実な問いになるのか?ということ。労働のありようや貧困、冤罪、児童虐待などに向き合い、人間の声を聞くことが、より切実な問いになるのではないかと思います。

(2)渥美利文先生 (東京都立小岩高等学校) 

「法教育をどうするか―定時制高校から見えてくるもの―」

〈「定時制における」というジレンマ〉

 法教育で身につけるべき「法的なものの見方や考え方」が、全日制と定時制で異なるわけではありません。一方で、法や社会に関して、定時制高校とそこに通う生徒に特有の課題は確かに存在します。「定時制」という立場をどこまで相対化するかは、それを個々の教師がどのように解釈するかとも深く関わっており、一種の「ジレンマ」ともいえます。教師は定時制特有の課題を意識しつつも、それらを手がかりに生徒と共に考え、行動し、さまざまな立場の人に共通する「法的な見方や考え方」を体現した、平和で民主的な市民を育てることを目的としています。

〈法に関する生徒の問題意識と授業実践〉

2007年度に行った「就職用履歴書に保護者氏名を書かなくてよいのはなぜか」という実践があります。1970年代まで使用されていた、高校生が応募先企業に提出する「身上調査書」と、現在の「全国高等学校統一用紙」の履歴書を比較し、「父母や家族の欄が新しい履歴書では削除されたのはなぜか」を考える授業です。このときクラスに会社を経営している成人生徒Aがおり、「採用の際、保護者の氏名と連絡先は必ず聞く」と譲りませんでした。「差別のない公正な選考採用」をめぐって教師と議論になり、それを聞いていた他の生徒たちも、差別と人権についての考えを深めました。このように、生徒の問題意識から作られる法教育こそが、法を自分たちの問題として認識し、社会の中で法と積極的に関わっていくことの自覚へつながっていくのです。これは今の法教育の流れにない視点ではないでしょうか。

〈法教育は生徒の切実性にどこまで迫れるか〉

 高校生にとって最も身近なルールであり、切実な問題となるのが学校の校則です。「ゴミ出しに関する町内会規約」や「マンションのペット飼育に関するルール」のような、直接制定や改廃に関与する機会がほとんどないルールではなく、学校内のさまざまなルールを法的な観点から問い直す試みこそ、「主体的なルールを作成し利用するという意識を育む」ために不可欠であると考えます。実践授業では20年ほど前に週刊誌記事の中学校の服装規程を取り上げ、「“厳しすぎる校則”はなぜ改められたのか」を考えました。自由や人権など、法の基本的な考え方を身につけさせようとする実践ですが、本来であれば、授業で学んだ知識やスキルを現実に活用して、自分たちの学校の校則を見直し、必要に応じてそれを変えたりするような試みも考えられます。とはいえ、一方では「生徒の政治的活動を助長する」などという批判の対象となりかねません。法教育では、中高生にとって最も身近であるはずの校則を対象とすることは、慎重に避けられているようにも思えます。自分も、法教育は生徒にとっての「法」の切実な問題にどこまで迫るべきか、明確な答えを出せないでいます。この実践は、法教育の「効果」と「限界」の臨界点を示すものと位置づけてもよいかもしれません。

〈「この通りにやればうまくいく」というような公式やマニュアルは存在しない〉

 授業実践から見えてきたことは、「この通りにやれば、法教育はうまくいく」というような公式やマニュアルは存在しないということです。自戒もこめて、あつらえの指導事例に沿うだけの授業では、「法教育のための法教育」に堕する怖れがあると思います。私たち教師は、それぞれの学校や生徒に固有の問題意識、切実性に迫るテーマを敏感に感じとり、「法」を一つの手がかりとして、それを「公民としての資質」へと高めていくことを、日々の授業を通じて粘り強く模索していくしかないと考えます。

(3)久保山力也先生 (青山学院大学)

「「法教育」に、何ができるのか」

〈法教育に関する意識調査〉

 日本司法書士会連合会が2010年度に行った「法教育全国調査」(『司法書士白書2011年度版』より)の結果から、法教育実践活動の展開と問題点を考えます。

調査 対象 発送数 回収数 回収率
A調査 全国司法書士個人 20,137 511 2.52%
B調査 2009年度派遣校(高校) 542 133 24.54%
C調査 都道府県/特別区/市教委/私学協会 903 224 24.81%
D調査 全国司法書士会(毎年実施) 50 50 100%

 

①消費者教育と法教育について
 C(教委/私学協会)は、消費者教育と法教育は「一部重なるが異なる」とする見解が最多(78%)、「全く同じものである・一部異なるがほぼ同じ」は低く(19%)、A(司法書士)やB(司法書士の派遣授業実施高校)が「一部重なるが異なる」60%台、「全く同じ・一部異なるがほぼ同じ」30%台という結果に比べ、消費者教育と法教育の違いを強く感じていることがわかります。
②C(教委/私学協会)の法教育への関心について
 「法教育ニーズ」は存在する:65%、存在しない:4%、よくわからない:27%
 「法教育隆盛意識」持っている:23%、持っていない:50%、よくわからない:27%
 「法教育への関心」ある:66%、ない:8%、よくわからない:22%
③取り扱う内容について
 C(教委/私学協会)は「法教育で取り上げるべき内容」を、「法律全般に関すること」53%、「裁判に関すること」25%、「悪質商法・クレサラに関すること」20%と考えています。司法書士会の業務に関係の深い消費者教育(悪質商法・クレサラ・保証人などについて)への要望は、比較的低くなっています。
④法律家と学校の協働について
 B(実施高校)は、「実践における法律家のイニシアティヴ」を「特に問題はない」とするのが61%、「問題である」が10%でした。それに対し、C(教委/私学協会)では「特に問題はない」が29%にとどまる一方、「問題である」とするのが32%です。(「どちらでもない」が双方とも30%前後)法律家と学校の協働については、派遣授業実施高校と教育界全体では意識にズレがあると考えられます。
⑤予算措置について
 C(教委/私学協会)は「法教育の問題点」について、「予算措置が講じられない」「法教育の内容が不明確」「カリキュラム上、実施が困難」が上位3つになりました。A(司法書士個人)は、「司法書士派遣経費負担先」について、「司法書士会」と考えるのが39%、「学校等実施機関」が45%でした。経費負担意識について、法律家と教育界で意識のズレがあるようです。

(4)土屋明広先生 (岩手大学)

「政策化される法教育」

教育政策に位置づけられた法教育は、どのような社会を作り出そうとするのか。法教育の拡大と公定化を後押しした(続ける)議論を整理することで、法教育の遂行によってめざされる社会(像)について検討しました。初期値としての「法化社会」を、法律によって規律・整序される社会と想定すると、法教育は法化社会へと適用させるものと考えられます。これは社会の「法化」を後押しするのか、人間の「法化」をめざすのでしょうか。  
また、教育政策に位置づけされる法教育を見ると、「生きる力」との融合(中央教育審議会答申より)、道徳教育との融合(学習指導要領における道徳の位置づけから)が考えられます。「法」を媒介とした教育政策の実現が図られるのでしょうか。法教育との距離化、法教育現象(政策論、実践過程等)の分析を今後の課題と考えています。

(5)豊田愛祥先生 (第一東京弁護士会所属弁護士)

「私の考える法教育―目的と方法」

 法教育の目的は、「法への畏敬の念と信頼感を醸成すること」と考えます。人間の情念が、人々を対立へと駆り立てる根本原因と考えますが、どうすれば情念に支配されたがる自分から、客観的な立場に立てる自分になれるか。この自己変革を、法教育という理性的なアプローチで行えば、対立を解決する能力を増大することができると言いたいと思います。
 法教育の内容は、法の役割と、法の解釈が一義的でなく日々工夫が重ねられていることが教えられるべきだと思います。幼児期から大学教育に至るまで、教育上の理念を一貫させて教えることが望ましい。年少者(小・中学生)に対する教育は、知識の供与ではなく臨場感の体得を中心に据えるべきだと思います。

〈ゲストのコメントと、フロアとの意見交換の一部は報告その2でお伝えします〉

ページトップへ