日本法社会学会2011 ミニシンポジウム「法教育」をどうするか その2

 引き続き、法社会学会のミニシンポジウムについて、ゲストのコメントと、フロアとの意見交換よりお伝えします。(当日のプリントから引用しています。)

2 コメント

ダニエル・フット先生 (東京大学)

〈アメリカ合衆国における法専門職教育の最近の動向〉

 分析能力・実務スキル・法曹倫理という三大要素の統合を基本とする改革が行われています。これらの統合力を重視する傾向にあるといえます。弁護士にとって重要な資質・能力の開発については、注目すべきものとしてShultz & Zedeck(カリフォルニア大学バークレー校教授)が開発した26個の“predictors of successful lawyering”があります。例えば、分析能力、想像力、実際的判断能力、文章作成能力、口頭でのコミュニケーション能力、他人の立場に立って物事を見る(考える)力などから公益活動・サービス精神に至るまで、さまざまな資質・能力が挙げられています。

〈そもそも、なぜ高校に「法教育」を?〉

 合衆国における基本的な考え方は、ロースクール入学前に法律を学ばないということです。しかし、学部教育において、法関連科目は少なくありません。大多数は基礎法学的なものです。(例えば、サンデル教授の“Jusutice ”など)ロースクールを目指す者は、分析能力および問題解決能力、文章能力(文章を批判的に読む力と作成する力)、サービス精神といった基本的能力・価値観を身につけるべきであるとされます。さらに、合衆国の社会を形付けた要素を含む歴史に関する理解など、一般的な教養も有意義とされます。学部時代の専攻は何でもよく、さまざまな視点を持つ人々が互いに学び合うように、ロースクール入学者の多様性が重視されています。

〈合衆国の高校における「法教育」:いわゆるStreet Lawの登場・発展を中心に〉

 Street Lawは、1972年にWashington,DC で導入され、その後合衆国の様々な地域に広がりました。基本的に、教育方法等に関する教育を受けたロースクールの学生がその周辺の高校(主に都会)に出向いて、高校生を対象に法教育を行なうものです。現在、合衆国で70以上のロースクールが、Street LawプログラムまたはLaw –Rerated Educationプログラムを持っています。
その他、ロースクールの学生に頼らずに、高校の教員が独自で(あるいは地元の弁護士等の協力を得て)Street LawやLaw-Related Educationプログラムを提供する学校もありますが、それでも主流とはいえません。
Street Law授業の基本的な狙いは、①さまざまな能力の発展、②参加型民主主義・正義の実現・人権感覚・紛争解決のメカニズムに関する信頼などの価値観の醸成にあります。授業方法はきわめて相互に作用し合うやり方で、議論・シミュレーション・ロールプレイ等が多用されます。学生を参加させることが大事であると考えられています。

〈日本における法教育について〉

 日本の法教育は、司法制度改革審議会意見書にあるように「国民の統治客体意識から統治主体意識への転換」を促す改革となるでしょうか。教育を「提供する」のではなく、学生・生徒が主体として法教育授業に参加する・つくることが大切だと考えます。

3 フロアからの質問・意見より

Q 「法教育では、最終的に生徒をどのような人に育て上げたいと考えているのでしょうか?」
渥美先生:「法的なものの見方・考え方を身につけた生徒」ということになりますが、では、「法的なものの見方・考え方」とは何ですか、と私自身も聞きたいと思います。私なりには、社会科の理念と法教育の目指す理念はそう変わらない。教育そのものの理念とも変わらないと思っています。手段が法を通して、というだけで。」
吉田先生:「私も同じです。基本的には社会科の理念です。社会科の理念を、法を使って見る・実践するということができればいいと考えています。」

Q 「ロースクール生にできることを示唆していただけますか?」
吉田先生:「自分たちの出身校ではなく、定時制高校などで直接生徒と話をして教材を作るといいと思います。」

Q 「リーガルマインドなど法教育の素地を与える役割になるものは、既存の教育の中に多くあると思いますが。」
土屋先生:「ザ・法教育というようなものが固定されていない方がいいと思います。わからなさにこそ可能性があります。よりよいものが出来上がっていけばいいと思います。」

意見:「日本社会の二重構造を認識しています。法教育によって、本当に人々が政治参加したら、どうするのだろうと思います。下から参加が湧き上がってこないから、上から無理やり「参加を」と言っているのが現状ではないでしょうか。」

取材を終えて

 報告からは、さまざまな課題が指摘されました。吉田先生からは、「日本型法教育は日本社会の法化の進展に対応したものになっていない。市民法的側面が弱いのではないか。」「『はじめての法教育』に示されている4つの領域にとらわれ過ぎていないか」「より切実な問いが必要ではないか」といった課題が示されたと思います。渥美先生からは、「定時制のコンプレックスをいたずらに刺激せずに、定時制固有の課題を取り上げたいというジレンマの存在」「生徒の問題意識から作られる法教育の切実性の効果と、政治的活動を助長するという批判のジレンマ」という、2つのジレンマが指摘されました。
 司法書士会連合会の調査からは、教育委員会・私学協会調査で、法教育へのニーズ・関心はあるものの、「法教育隆盛意識はない」とするものが半分以上。そもそも調査票回収率約25%という低さであることも、考えるべき課題ではないかと思います。法教育の問題点については、「法教育の内容が不明確」という回答が上位に。「実践における法律家のイニシアティヴ」については、「問題あり」と考える教育委員会・私学協会が32%で、「特に問題はない」:29%をしのぐ多さであることもわかります。司法書士派遣経費負担についても予算面・意識面での課題があり、学校と法律家の協働の促進については、考えるべきことが多そうです。
 フット先生からはアメリカ合衆国の現状をうかがい、高校の教師はそれほど法教育に取り組んでいない様子であることに意外な感じを受けました。合衆国では、「法教育」という形よりも、文章読解・作成能力、コミュニケーション能力、問題解決能力、歴史認識、価値観といった各種の「市民として必要な資質・能力」を総合的に養うことが重視されている様子のように思われました。
 「法教育はこうすればいいという公式のようなものはない」と学校現場の先生が言われています。一方で、「法教育の内容が不明確」という調査結果があるといったように、教育界の中の法教育の位置づけを相対化してみる有意義な機会だったと思います。

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