高校教諭と労働法学者の往復書簡(5) 「非正規雇用を考える」

 5回にわたって連載してまいりました往復書簡ですが、今回が最終回となりました。

 河村先生からのお手紙に対する荒木先生の返信です。
(右上の文字サイズを「中」にしてご覧ください)

河村 新吾 先生

  暦の上では秋というのに猛暑の日々ですね。お元気でいらっしゃいますか。先生との往復書簡もあっという間に最終回となってしまいました。
 さて、今回は現在の日本社会で大きな課題となっている非正規雇用問題を取り上げて頂きました。

■ 多様な非正規雇用
 非正規雇用とは正規雇用ではない雇用ということですが、正規雇用とは何かについては専門家の間でも議論があります。法的観点からは、正規雇用とは①無期契約により、②フルタイムで、③直接雇用されている雇用関係を指します。非正規雇用とは、この①~③の3つの観点の一つでも欠けている雇用ということになります。すなわち、有期契約労働者(契約社員もその一つ)は、②フルタイムで③直接雇用であっても、無期契約ではなく、期間の定めのある雇用されているということから非正規雇用にあたります。パートタイム労働者も、①無期契約で③直接雇用されていてもフルタイムでないという観点から非正規雇用となります。派遣労働者は、派遣会社に①無期契約で雇われ、働く時間が②フルタイム(正社員と同じ)であっても、派遣先の指揮命令を受けて派遣先で働く限りは、直接雇用ではない間接雇用という点で、非正規雇用ということになります。もちろん、3つの観点の2つが欠けた非正規労働者(例えば、有期契約で雇用されるパートタイム労働者)や、①~③の全てが欠けている非正規労働者(有期契約で雇用されパートタイムで働く派遣労働者)も存在します。
 このように、非正規雇用は多様な労働者を含みますので、ひとまとめに「非正規労働者は云々」と議論することが困難であるという点に留意する必要があります。したがって、正規雇用・非正規雇用の特徴として指摘されている点も、あくまでそういう傾向があるということであって、非正規雇用は必ず勤続が長くなっても賃金が変わらず、能力を高める機会がない、というわけではありません。

■ 非正規雇用にも労働法は適用される
 そうはいっても、現実には非正規雇用は正規雇用と比べて不安定雇用で(これは主として有期契約であることに起因します)、労働条件も劣っていることが多いのも事実です。平成24年賃金構造基本統計調査(全国)でも、正規労働者(正社員)の平均賃金は31万7000円であるのに対して、非正規労働者の平均賃金は19万6000円と、正規労働者の61.8%に留まっています。
 しかし、非正規雇用の雇用の不安定さ、処遇の悪さには、法的には根拠のない誤解に基づいた取り扱いによるものも少なくありません。非正規だから労働法の適用がない、といった誤解を解いておくことが肝要だと思います。
 例えば、教材プリントのⅡ(3)発展問題で採り上げられている期間の定めなくパートで働いてきた主婦パートについて、非正規だから簡単に解雇ができると誤解している使用者も少なくありません。パート労働者であっても、雇い入れの際に期間定めの合意(有期契約であることについての合意)をせずに雇った場合、その労働者は無期契約で雇われた労働者です。そして、無期契約で雇われたパート労働者の解雇には、前回議論した解雇権濫用法理が適用され、客観的合理的理由があり社会通念上相当であると認められなければ、当該解雇は無効となります。
 同様に教材プリントⅡ(1)で示されているアルバイト労働者の8時間を超える労働についても、当然に割増賃金を支払う必要があります。アルバイトは非正規だから労基法の労働時間規制、割増賃金規制が適用されない、ということにはなりません。この部分は、まさに「労働法を知る」の領域の問題で、将来社会人として雇用社会に参加することになる生徒達に正確な知識を伝える必要があるでしょう。
 そして、アルバイト学生にも割増賃金規制が適用されることを前提に、次に、このアルバイト学生が割増賃金はもらわなくてもよいと合意した場合にどうなるか、という問題が、いわば「労働法で考える」という領域となってくるように思います。すなわち、アルバイト学生が割増賃金なしに8時間を超える労働に合意したとしても、労働法は、交渉力に格差のある使用者と労働者の間の合意をそのまま通用させることをせず、労働者保護のために強行的に規制を及ぼすことになります。契約自由を基本とした民法の考え方を、交渉力格差を直視して修正するのが労働法的考え方で、こうした考え方は同様に交渉力格差のある消費者契約等でも採用されていくことになります。
 そうすると、「労働法を知る」具体例としては、店長から1時間早出を依頼されて応じた例でよいと思いますが、「労働法で考える」具体例とするには、店長から「割増賃金は払えないけど、1時間早出してくれるかな」と頼まれて、アルバイト学生が「いいですよ」と応じて、その後で、やはり割増賃金をもらえないのはおかしいと思って、事後に割増賃金を請求した、という事例とされると、より課題がクリアになるでしょう。

■ 正規・非正規の処遇格差問題
 もっとも、今述べたことは契約で決まった非正規雇用労働者の労働条件を基準として労働法上の保護が得られるという話です。しかし、そもそもパートであること、有期契約であること、派遣であることという雇用形態を理由として賃金などが不合理に低く設定(合意)されていたという場合に、これを是正しなくてよいのかが、近時、大きな政策課題になっています。そして国も様々な施策を展開しつつあります。
 例えば2007年にはいわゆるパート労働法(短時間労働者法)が改正され、通常労働者と同視すべきパート労働者に対する差別禁止規定が創設されました(パート労働法8条)。また、2012年には労働契約法が改正され、有期労働契約であることによる不合理な労働条件が禁止されました(労働契約法20条)。派遣労働者に対しては2012年労働者派遣法改正で、同種の業務に従事する派遣先の労働者の賃金水準との均衡考慮の配慮義務が定められています(労働者派遣法30条の2)。パート労働法8条は差別禁止というアプローチを、労働契約法20条は不合理な労働条件の禁止という独特のアプローチを、労働者派遣法30条の2は配慮義務というソフトロー的なアプローチを採っており、まさに正規・非正規の処遇格差に法がどのような施策を採りうるか、つまり「労働法を考える」という領域での試行錯誤が続いているといってもよい状況です。この点については、今後も議論が続くでしょう。

■ 非正規雇用の正規雇用化?
 非正規雇用で働く労働者も労働者である以上、労働法が適用され、その保護が及ぶのが原則です。そして、労働法も正規・非正規の処遇格差問題には種々の取り組みを始めています。しかし、非正規雇用に様々な問題があるとしたら、そもそも非正規雇用という雇用形態を禁止して、雇用するのであれば正規雇用で雇うべきだという議論も出てきそうです。教材プリントの「Ⅳ非正規雇用を考えてみよう」で先生が挙げられている「提案」は、このことを考えさせようとするものだと思われます。
 提案B「パート労働者は、非正規雇用で不安定だから、正規雇用としてフルタイム労働にすべきである」の前半部分は、上述したように誤解されていることも多いのですが、パート労働者も無期契約で雇用されている場合、簡単に解雇できるわけではありません。雇用が不安定になるのは、当該パート労働者が有期契約で雇用されている場合です。有期契約であれば、更新されない限り、期間満了によって当然終了してしまうことから不安定雇用問題が生ずることになります。換言すると、不安定雇用の要因はパート労働者だからではなく有期契約労働者だから、ということになります。
 提案Bを「パート労働者は、非正規雇用だから、正規雇用であるフルタイム労働にすべきである。」に変更して生徒に問いかけてみるとどうでしょうか。パート労働者は、ワーク・ライフ・バランス等の観点から、フルタイムではなくパートタイムであることを選好して働いているとすると、ここでの正規雇用への転換(フルタイム化)は決して労働者の望む方向とはいえないでしょう。そうすると、非正規雇用は望ましくない雇用形態だから正規雇用に転換すべきだとは単純にはいえないことになります。
 提案C「派遣先(仕事)があるときに働く派遣という働き方は、非正規雇用で不安定だから、正規雇用として派遣先の会社で直接雇用すべきである。」は、いわゆる登録型派遣の不安定雇用問題を指摘し、その解決策として派遣先による直接雇用を主張しています。ここでも同様に、例えば、通訳として働く派遣労働者は、特定の派遣先に直接雇用されるより、多くの派遣先で通訳としての仕事をワーク・ライフ・バランスを取りながら選択できる派遣という働き方を続けたいと考えることもあるでしょう。
 つまり、提案B、Cは正規雇用を希望していたにもかかわらず、それが叶わず、やむを得ずパートや派遣という働き方をしている人には、ここでの提案通りの転換が望まれるでしょうが、パートや派遣で働いている人のすべてがそうだとは限りません。このように非正規雇用は多様で、一律に非正規雇用をなくしたり、正規雇用化を進めればよいとはいえない複雑さがあります。

■ 有期労働契約の課題
 パート労働や派遣労働には、これらの雇用形態を選好する労働者が存在するのに対して、有期契約労働者については、有期契約であることのメリットはほとんどなく、不安定雇用というマイナス面が大きいという指摘も有力です。そうした認識に立つと、提案A「期間の定めがある契約社員は、雇用の安定がなく、労働条件も正社員よりも低いので、正規雇用として無期労働にすべきである。」は、もっともな主張ということになります。欧州では、こうした立場に立って、有期労働契約は原則禁止し、例外的にしか認めないという制度を採る国もあります(例えばフランス)。
 しかし、若年失業問題等に苦しむ欧州諸国では、無業・失業状態よりも有期契約労働であっても雇用されている状態の方が望ましく、次のステップとして、有期契約から、より安定的な無期契約に誘導する(一定の有期労働契約期間や更新回数を超えた場合には無期契約に転換させる)ほうが適切だとする考え方も有力になってきています(例えばオランダやドイツ)。有期労働契約を原則禁止するのではなく、これを認めた上で、その濫用的利用は規制し、安定雇用に誘導しようとする立場といえます。
 これも、どのような有期労働契約規制を採るべきかという、現在の政策課題に応えうる内容の「労働法を考える」作業となります。日本では2012年の労働契約法改正で、有期労働契約を原則禁止するという立場ではなく、5年を超えて有期労働契約を継続利用する場合には、労働者に無期契約へ転換する権利を認め、安定雇用に誘導するという制度が導入されました。この当否については、現在でも種々議論があるところです。有期労働契約を原則禁止する立場、自由に利用させる立場、一定の場合に無期労働契約への転換を可能とする立場等、雇用を求めている無業・失業者、働いている労働者、雇用の場を提供する使用者、そして経済・社会全体にとって、いずれの施策がより望ましいのかを議論してみることも有益でしょう。

■ 正規雇用・非正規雇用という働き方
 さて、今回の非正規雇用を考えるというテーマは、同時に非正規雇用と対置される正規雇用を考えることも要請することになります。実務上は、正規雇用と非正規雇用という二つの全く異なった雇用モデルが想定され、雇用管理がなされている実態があるのは確かです。しかし、法的には、非正規(有期契約労働、パート労働、派遣労働)だからといって労働法が不適用となるわけではありません。まず、この点の誤解を解くことが大切です。
 その上で、正規雇用と非正規雇用という二つのモデルの現状に問題はないか、特に、非正規雇用問題はすでに検討しましたが、正規雇用の働き方に問題はないのか、と問うてみることも重要でしょう。正規雇用は雇用が保障され、配置転換によって様々な職務を経験し、賃金も勤続に応じて上昇する望ましい雇用形態であるという評価について、その反面で、ワーク・ライフ・バランスを犠牲にした長時間労働や単身赴任といった問題を引き起こしているのではないかという点も検討してみる必要があるかもしれません。
 こうした点を検討していくと、正規雇用と非正規雇用という二極化した雇用モデルのいずれを採るべきか、という現状こそが再考されるべきではないか、二極化したモデルの間に、多様な雇用モデルの選択肢があるべきではないか、という方向に議論が展開していくかもしれません。自分の得意な専門的能力を活かした働き方をするために、職務内容は使用者が一方的に変更できないようにしてほしいとか、両親の介護のために、あるいは地域のコミュニティとの関わりを重視して、賃金は多少下がっても転勤はせずに勤めたいとか、個々の労働者の働き方に対する選択を尊重する雇用モデルが豊富にあってもよいかもしれません。そして、労働者自身がその多様な選択肢のどの一つを選んだ場合にも、それぞれの雇用モデルが「ディーセント・ワーク(decent work)」すなわち「働きがいのある人間らしい仕事」「公正さの確保された働き方」であることが要請されているように思われます。
 こうした要請に応えるために法が何をなすべきで、何をなし得るのか。難しい問いですが、今、労働法学が真剣に考えているのはまさにこの問いです(私見は荒木尚志『労働法(第2版)』720頁以下(有斐閣、2013年))。そして、この問いは法学者だけではなく、これから雇用社会に出て行こうとする生徒達が自ら考えるべき課題といえましょう。
 
 今回の往復書簡では、河村先生の常に根源的な問いに迫ろうとする熱い思いに導かれて、私も様々な思索を巡らす機会を与えて頂きました。毎回、十分なお応えができずに忸怩たる思いがありますが、もし先生の法教育の実践にいささかでもお役に立つ点があったとすれば望外の幸せです。
 まだまだ暑い日が続きます。くれぐれもご自愛くださいますよう。又お目にかかれる機会を楽しみにしております。

荒木 尚志   

 

 

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