「法学教育」をひらく(第4回) 髙橋眞先生 その1

〈髙橋先生のご紹介〉
大村:「今回は髙橋眞先生にお話を伺います。髙橋先生は民法学者で、現在は大阪市立大学教授です。御著書には、債権総論や担保物権法の教科書のほか、『安全配慮義務の研究(正続)』、『求償権と代位の研究』、『損害概念論序説』、『抵当法改正と担保の法理』などがおありです。1988年から98年まで10年あまり、京都大学教養部(のちに総合人間科学部)助教授として、教養教育の経験をおもちです。」

〈『日本的法意識論再考』のご紹介〉
大村:「今回取り上げさせていただく御著書『日本的法意識論再考』は、前回まで紹介したものと対比すると、とても社会科学的な法学入門になっていると思います。社会科学的な法学入門はありそうでいて、あまりないと思います。その意味で価値のある、刺激的な法学入門だと感じます。そういうものが今日、どういう意義をもつかという観点からお話を伺いたいと思います。
本書はかなり高度な内容を含んでいます。「はしがき」によると、京都大学総合人間科学部における講義「契約関係原理論」を基にしたもので、一般教育科目の一環として「社会科学の本の読み方」に関する入門科目としての内容ももつとされています。とりわけ第1章「『日本人の法意識』注1再読」が他の章とはやや異なり、独自の「法学入門」としての色彩を強く帯びています。」

1 講義「契約関係原理論」について

髙橋:「最初に「契約関係原理論」についてご説明したいと思います。法と社会の問題を考えるにあたっては様々な本を読む必要がありますが、これは、その読み方を考える講義です。自分が疑問に思うこと、面白いと思うこと、知りたいことと本を対話しながら考えさせる。「驚きと疑問を軸にして読んでいくこと」を大切にしてほしいと考えました。私自身が、高校時代から『日本人の法意識』を何度も読み返した経験が土台になっています。」

大村:「京大総合人間学部内での「契約関係原理論」の位置づけをより詳しく教えていただけますか? 授業題目は既に与えられていたのでしょうか?」
髙橋:「教養部が総合人間学部に改組されたときに、法律学・政治学、人文地理学、建築学の担当者による「生活空間論講座」が組織されました。その中で設定された授業科目で、科目名は与えられていましたが、中身は自由に考えてよいということでした。そこで「個人が自ら社会的な関係を作り出すための原理的な問題を扱う科目」という位置づけを考えました。また、本来は総合人間学部の専門科目ですが、総合人間学部が引き続き一般教育を担う中心になるという経緯で、一般教育科目をも兼ねるものとされました。 
その中身としては、契約関係のルールは、予め与えられるものではなく、無数の個人が社会的な関係を作り出す活動をすることを通じて生成されるものであること、したがって社会的な関係において問題が生じている場合には、無数の個人がそれに取り組むことを通じてルールを変え、あるいは新たに作っていくものであることを事実に基づいて明らかにし、個人が法適用の客体であるだけでなく、法を作り出す主体であること、換言すれば、国の主権者であることの実質的な意味について考える場としたいと考えました。」

大村:「新しくできた総合人間学部は、総合人間学部の専門科目にも責任をもつのに加えて、従来の一般教養科目についても責任をもつということですね。
 「生活空間論講座」は地理と建築が含まれているのが面白いと思います。地理や建築の人からは、こういう発想は出てきにくいと思いますが、法学の立場からするとこのような「契約関係原理論」という形になると主張されたのですか?」
髙橋:「総合人間学部の立ち上げは、基本的に教養部の現スタッフを中心にして行うことになりましたので、これまで一般教育科目の「法学」でやっていたことの意味を改めて捉え直し、先ほどのような位置づけをした次第です。」

大村:「「契約関係原理論」はすごく面白い発想だと思います。社会関係を作るとき、個人が関係を作りだします。契約もそこから始まります。ところが、普通の法学入門ではこの部分をやりません。これをまず理解してもらわないと、実定法に進めないと思います。
 受講者の属性・人数や、授業に対する反応などをお聞かせ願えますか?」
髙橋:「かなり前のことなので正確には覚えていませんが、受講者は100人足らずくらいでした。実定法の専門科目とは違うということで、法学部生が比較的多く来てくれたようでした。授業の反応は、原理的なことについてはあまりなかったのですが、旧憲法下での家族制度の問題等の具体的な話には、ある程度興味をもったようです。ただ、講義を通して日本人の法意識は一概に集団主義とはいえないということを話していたのに、試験をしてみると、やはり日本人は集団主義であるということが刷り込まれている学生が多いように感じました。」

大村:「実定法を扱うタイプの法学入門ではなく、こういう形にされたということについて、伺いたいと思います。実定法を扱う他の入門は提供されていましたか?」
髙橋:「民法、刑法、労働法や国際法について、判例を通して社会の中で法がこう使われているという授業がありましたので、他の先生にお任せしました。私はちがうことをやりたいと考えました。」

2 『日本人の法意識』を読むことの意義

大村:「『日本的法意識論再考』の「はしがき」には、川島の『日本人の法意識』について、「新入生を大いに励ます」「一種の気迫と魅力を感じさせる」という表現がありますが、法学入門におけるこうした要素について、どうお考えでしょうか?」
髙橋:「私は大学入学が1973年で、国際的にはベトナム戦争、国内的には公害が大きな問題となっていました。私も高校生の頃から社会的な関心をもっており、社会問題に取り組む仕事として法曹に興味を感じていました。そして70年代初めは、社会問題を考えるにあたって、憲法に立ち戻って考えるという気風が、大学においてもジャーナリズムにおいても存在していました(『憲法読本』注2など)。一般的にも戦争体験の風化と継承ということが言われており、私自身、大学入学後も、戦時期・戦後改革期を経験した世代の仕事とその構えをどう引き継ぐかという問題意識をもち続けました。この時期、社会問題に関心をもつ人の間では、法への期待や信頼、法を使って社会を良くしていくことができるのだという考えが広く支持されていたと思います。
 『日本人の法意識』は、戦後の民主化の努力を引き継ぐ主体となるために必要なことは何かという問題意識で、高校時代に読み始めたものです。川島博士が様々な実例を引きつつ熱を込めて語っていることが伝わってきて、自分でも繰り返し読み、法を使ってどう社会を良くしていくかを考え、法学の授業の中でも取り扱ってきました。
 「一種の気迫」とは、自分が勉強する学問が、どのような意味で社会的に重要なのかを考えることから出てきたものではないかと思います。現実にどのような問題が生じているのか、その問題を解決するために、法はどのような役割を果たしているのか、具体的なリアリティをもって考えることが必要です。とりわけ、高校での法や政治についての学習が、制度の枠組みを学ぶだけで精いっぱいになっているのなら、法学部の学生であるか否かにかかわらず、このことが不可欠ではないかと考えます。
 立ち向かうべき問題は何か、そのためにどのような原則に基づいて、どのような手段を活用し、さらにはどのようなルールや制度を獲得するべく追求するか。このように順序立てて考え、法を形成する主体としての力をつけることは、法の専門家になろうとする人にとってはもちろんのこと、主権者としての力をつけるためにも必要であると考えます。「法学入門」は、そのような場として役立てることができるのではないかと考えています。

大村:「私も70年代の空気を感じて民法学者になりました。状況は違いますが、あるべき社会につき、法は何ができるかを考えていました。この先はちょっと意地悪な質問かもしれませんが、我々のもっていたそういう法イメージが、教える相手の人にどれくらい共有されていると思われましたか? 先生は90年代の学生たちを教えられておられましたが、受け止め方はどんな感じだったでしょうか?」
髙橋:「確かに、私が思うよりも、ありきたりな日本人論の文脈で受け止める人が多かったように思います。おそらく、今、何が問題かということが明確に見えていないと、法をどう役立てていくかにつながらないのかと思います。憲法が70年代に人を励ましたというのは、具体的な問題に直面してやりきれない思いをもつ人が、その要求を権利として主張することを後押しする役割を果たすことを通じてであり、問題を考える人びとの間にも法への信頼がありました。しかし、ベトナム戦争が終結し、公害裁判も決着すると、問題が激しい形では表れなくなりました。今の社会は何とかうまくいっているというような感じになり、対案を出さないで文句を言うのはいかがなものか、という雰囲気になったと思います。文句なしの悪が見えなくなった時代というのが背景にあったという気がします。そういう時、川島博士の『日本人の法意識』の新鮮さを伝えるためには、予備知識が必要になってきたのかもしれません。」

3 本の読み進め方について

大村:「四大公害裁判では、法の力を感じました。それを90年代や現代の学生に伝えようとすると、工夫がいると思います。本書第1章では、『日本社会の家族的構成』注3を読むと、『日本人の法意識』がより立体的に見えるとされています。さらに『敗北を抱きしめて』注4に進むという、3つの本の読み進め方は、今の人たちを考慮に入れられてのことですか?」
髙橋:「『敗北を抱きしめて』は、「契約関係原理論」の授業が終わった後に加えましたので、授業では2冊だけを取り上げました。3冊の本のつながりは、本を読むと新たな疑問が出てくる、その疑問から次に読むべき本が出てくるという経緯によります。
 専門科目として民法学を研究し、あるいは歴史の勉強をするうちに、「近代的な権利義務の関係を作り出すのを妨げる要素として、伝統的な日本人の意識を重視すること」に疑問が生じてきました。決定的なのは個々人の心のもちようであり、しかし日本的な伝統が強いためにそれを変えるのは困難であるという考え方をするならば、意識を変えられない大衆に内在的な限界があるという一種の運命論になってしまうのではないか、それはどこかおかしいのではないかと考えたのです。そのような目で『日本人の法意識』を読み直してみると、川島博士自身、この本の中で、百貨店と問屋の力関係の問題や、小作人組合など経済的弱者の組織化と運動など、客観的な側面にも触れていて、個々人の意識だけの問題ではないことを示唆しています。
 変なところもあるけれど、川島先生の熱も伝わってくる。そうすると、川島博士が克服しようとしているものは、憲法が変わったにもかかわらず、現在も個々人の意識を制約している戦前的な社会のあり方ではないかと考え、川島博士の主張を正確に捉えるためには、日本人の性格一般ではなくて、家族国家観や家族制度そのものとの対決を見ることが必要だと考えました。そこで、川島博士がその対決の作業をしている『日本社会の家族的構成』を読み、また私自身よくわかっていない戦前の家族制度に関していくつかの本を読んでみたものです。その結果、家族制度については日本人の意識を拘束するものとして、一方では意識が重要であるとしても、他方では、そのような意識の形成・維持を目的として国家の教育制度が組み立てられ、推進されてきたことが決定的に重要であることを理解することができました。
 そのうえで、次に問題となるのは、戦後改革で家制度や教育勅語などが廃止され、これまでの日本人の意識を拘束してきたものが排除されたのだから、近代化・民主化の障害はなくなったはずであるのに、60年代後半になってもなお川島博士が『日本人の法意識』で古い意識からの脱却を訴えねばならなかったのはなぜかということです。
 そうすると、敗戦直後の状況がどうであったかを知ることが必要になる。ダワー教授の『敗北を抱きしめて』を読むと、当時の日本人が民主主義について真面目に考え、様々な活動を自発的に行ったこと、しかし状況の変化とともに、戦争責任を考える姿勢が衰えてゆくこと、その経過に、政治的・社会的権力に対して逆らわず、大勢に順応するという特徴が強く表れていることが示されます。その上で、このような態度は、前近代からの日本の伝統というよりも、明治以降、「早く変わること」が強迫観念となり、前のめりの姿勢が強くなったこと、そして戦争へ向かうときも、戦後の新日本に向かうときも「変化」そのものを求め、「現状を維持すること」に価値を置かない姿勢が変わらなかったことが析出されます。同時に、そのような大勢順応の態度を生き延びさせる上で、アメリカの占領政策のあり様とそれに対する日本側の受け止め方が重要な意味をもったことが指摘されます。社会の中で何を守るべきか、何を変えていくべきか、立ち止まって自由に考えることが必要です。
 以上のように、1冊の本を読んで考え、そこで生じた疑問を受けて次の本を探すという経過でした。書物の読み込みを通じて、読んだ本に、次に読むべき本を教えられるという経緯です。何かを論証するというのではなく、考えをすすめ、切り開いてゆくためには、気になる書物を読み込みながら、驚くこととか、自分が気にしているのは何であろうかということを自問自答し、それを明らかにする努力をすることが有益ではないかと考えます。」

大村:「すごく面白いお話です。『日本人の法意識』は、ある種の日本人論とし確固たる地位を占めてきました。なぜ著者がそう考えざるを得ないのかという前提を明らかにすることでこの本をすくい出すことと、その上で批判的検討を加えるという両方が必要であることを髙橋先生は伝えられたと思います。法学入門という観点から見たとき、本に対する対し方であるとともに、我々のもつ法テクスト一般に対する対し方でもあると思います。なぜこういう法律が成立し、なぜこういう判例があるのか。それにはそれなりの理由があるだろうという方向での理解と、権威あるもののように表れている法律や判例であるけれども、虚心に見直せばそこにおかしいものも含まれているだろうという、広がりのある読み方を実践され、かつ自身でおやりになりながら学生に見せておられると思います。これは社会を考えるうえで基礎になる方法なんだという意識をおもちでおやりになったという理解でよろしいですか?」
髙橋:「そうですね。本への疑問をきっかけとして本と対話する、その中で自分自身の問題設定を何度も発見する、といった作業だったかもしれません。」
大村:「テクストに対する肯定否定どちらでもない立場だったと思います。このテクストから出発して何を探せばよいか、ということだと思いました。」

〈続きは、「その2」をご覧ください。〉
   

日本的法意識論再考

日本的法意識論再考 著  者
判  型
頁  数
発行年月
定  価
発  行
 髙橋眞 著
 A5判
 213頁
 2002年10月
 3,800円+税
 ミネルヴァ書房

 

注1:
川島武宜『日本人の法意識』(岩波新書,1967年)
注2:
憲法問題研究会編『憲法読本』(岩波新書,1965年)
注3:
川島武宜『日本社会の家族的構成』(岩波現代文庫,2000年)
注4:
ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』(岩波書店,2001年)

 

ページトップへ