「法学教育」をひらく(第7回) 道垣内弘人先生 その2

〈二つの「法学入門」の違い―制度の理解と制度の運用方法〉

大村:「まず、直前に出ていた「行列のできる法律相談所」の話の関わりについて少し考えてみたいと思います。そこからスタートして、『リーガルベイシス民法入門』と本書の外の話題を結びつけて、お話を伺うことになろうかと思います。ここで『プレップ法学を学ぶ前に』が登場します(以下、2冊を対比する場合には、「リーガルベイシス」「プレップ」と略称します)。
 冒頭で、本書は二重の意味で「法学入門」であると申し上げましたが、1つめの意味は、本書は「説明のしかた」を通じて、法に対する見方、法というものをどう理解するかということに対するある1つの見方を伝えるという意味で、法学入門として大きな意味をもつということです。もう1つは、形式に即していうと、本書には序章として「民法を学ぶ前に」という章があり、文字通り法学入門的なスタイルをとった部分が存在するということです。そして、『プレップ』はこの部分を取り出した形になっている。その意味で2つの本は密接にかかわっている。ところが、『リーガルベイシス』の狭い形式的な意味での法学入門の部分と『プレップ』との間には、もちろん共通点が多いのですけれども、同時に、重要な相違点もあるのではないかと私は考えています。この点は法教育ないしは法学教育をどうとらえるかということに関わってくると思っています。
 ここで『行例のできる法律相談所』の例に戻りますが、社会はこういうふうに成り立っているということについて考える、あるいは私たちはそういう規範意識を心のうちにもっていることを見出していくということを考えると、Nにしてもnにしても、単数形に収まってしまう気がします。社会秩序と一言で言っていますが、それをどのようなものとしてとらえるか、法律家によって答えが違うことは、しばしばありますよね。「秩序は1つかもしれないが、そこに向かう法律家の見解は分かれる。」この間の関係をどう考えるかというのが、私が今から話題にしようとしていることの背後にある問題意識です。
 道垣内先生の本に即して考えると、『リーガルベイシス』の冒頭の(狭義の)法学入門部分と『プレップ』を対比して見ると、繰り返しになりますが、共通の部分がたくさんあります。法律に関する説明とか裁判員制度の説明とか、そのほかいろいろあります。非常に違うと思ったのは、『プレップ』には「言葉による正当化」という話があるのに、『リーガルベイシス』にはない点です。ここに大きな差があると思っています。『リーガルベイシス』の方は法秩序を理解することを目指している。その意味で単数形のNが想定されている。ところが、『プレップ』の方は、「言葉による正当化」が必要で、そこに法による正当化の特色があるとされています。こちらでは、さしあたり複数形のNから出発しています。『リーガルベイシス』は必ずしも法律家にならない人を想定しているのに対して、『プレップ』は法律家になる人のための入門書です。私はこの点から差が生まれていると思いますが、道垣内先生の中ではそれはどういう関係になりますか?」
道垣内:「『行例のできる法律相談所』で、たとえば、隣人がギターを演奏することをやめさせられるかといったことが問題になったとき、ギターを演奏する利益も静かに生活する利益もあるところで、当該事件でどちらの利益がより重んじられ、どういう結論が出るかというのは、確かに弁護士で判断が分かれることがあります。しかしながら、2つの利益のせめぎあいであることについては、弁護士の間でコンセンサスがあるわけでして、法学入門にせよ民法入門にせよ、一般の人に語るときには、この問題にはこの2つの利益があり、そのせめぎあいでどこまで許されるかという判断を、2つの利益の意味を考えながらやっていくという分析枠組みになっていることを示すことが大切だろうと思います。そして、そういう利益調整の仕組みになっていることが日常感覚にあっているし、そういう仕組みを我々は社会の仕組みとして選択してきたのだということをわかってもらう。それが法学入門だと思います。
 それに対し、法律家を目指す人に対しては、そのときの議論の仕方や、判断を提示するプロセスについて、お作法を教える必要がある。作法に従って議論するのが、リーガルプロフェッションの世界であり、それについて、一般の人がわからなくていいというつもりはありませんが、まず「法律なんて関係ないよね」という人を法律の世界に招くのと、そこから先の議論の作法を示す2段階がある。『プレップ』は後者の入門教材です。対立する利益軸を分析すること自体はいろいろな法律を学ぶ時に学んでください。ただ、そのときに議論する作法みたいなものとしてはこういうものがありますよということを、『プレップ』で示すということです。」

〈法秩序の2つ(ないし3つ)の層〉

大村:「リーガルプロフェッションにつく人には、『プレップ』も必要ということですね。私が最近考えているのは、法律家を含んだ法秩序とはどういうものかということについてです。それは2階建てになっていて、1階がまた2層になっている。あるいは1階と2階の間に中2階がある。
 『リーガルベイシス』はこのうちの基本的な部分を示している。秩序が破れていないとき(これが1階の基層です)に、この秩序の正当性を示すという本だと思います。民法の基本的な仕組みを示すとは、私たちの社会のあり方・秩序を示すこと、その再確認をすることです。ところで、法律家でない人も、秩序の破れ目に触れることがあります。これに対して、法のプロフェッショナルは秩序の破れを見つけ出して、秩序を回復することが役目です。秩序が破れたときに、もともとの秩序との関連で考えると、こういう結論になりませんかという考え方が、『リーガルベイシス』には書かれています(これが1階の上層あるいは中2階です)。秩序を修復するときには異なる立場があるので、その均衡の上に秩序が修復されます。
 どう均衡を図るか、狭い意味での法の世界では、その争いの中に約束事があります。それが狭い意味での法というものであって、法のルールは言語化されているので、その言語化されたルールとの関係で説明して、その説明の適切性を争うという形で秩序を修復する。これが法律家の営みです(これが2階です)。しかしそれはベースになる基本的な秩序意識に支えられる。安定した層が不安定な状況に置かれたとき、これにどう対応するか? 法学の本は、そういう不安定状況をいろいろ集め、それを整理し、それはいったいどういう原理で処理されるかという形で説明されています。『リーガルベイシス』はいわば生理学であって、ベースの話であるとすると、法学部の専門課程や法科大学院で教えられているのは病理学。病理をもとに戻したいとき、生理はこうでしょうということに戻りながら解決する。こういう仕分けを、私はしています。
『プレップ』の中に言葉的な正当化が出てくるというのは、秩序を回復するのに法律家は言葉に依拠するということは、法律家になって初めてクローズアップされることなので、『リーガルベイシス』には言葉の話は出てこないというのが私の理解です。」
道垣内:「そういう分析の方がいいかもしれません。」

〈条文を覚える必要はない〉

大村:「本書には「条文を覚える必要はない」「その場で考えればわかる」と書かれています。ある意味でこれは衝撃的でした。原理を踏まえていれば、あとはその応用で考えていくことができる。当面出てくる答えは違うかもしれないけれど、答えをすり合わせていけば、一定のところに一定の幅で収束する。最後は違うかもしれないけれど、それはそれでいいと考えるということですね。こうした考え方を改めて明確なメッセージとして示された。私たちが学生の頃はそう教えられていたわけですが、むしろ特殊な時代だったのかもしれません。少なくとも最近の学生が見たら、強いショックを覚えるのではないかと思いました。民法は覚えねばならないことがたくさんあると思っている学生は非常に多いですね。それとはまったく対極を行こうとしている本だと思いますが、それについてはいかがですか?」
道垣内:「驚くのは、「民法は覚えるべきことが多いと思っていた。」と言われることです。しかし、そうではないし、学部でも法科大学院でも、分析の力を付けることが重要だと思っています。たとえば、よい家を作る場合も同じでしょう。私たちが急に図面を書いてもうまくいかないですが、かといって、すべてのパターンの建築を暗記することはできないのですね。建築士・設計士だって、いつも初めての環境の初めての土地に初めての家族構成のために、家を建てなければならない。しかし、私たちよりも、ずっとうまく設計し、ずっとうまく建てる。それは、設計にあたってどのようなことを考慮すべきなのか、どのような材料を用いうるのか、対立する利益があるとき、どうやって調整するのか、そういうことについて、経験の積み重ねがあるからですね。法律問題も同じです。積み重ねによって、分析も解決もできるようになる。『リーガルベイシス民法入門』は網羅的な本ではないわけで、あれこれの問題についての判例や学説の考え方をいちいち取り上げてはいません。それよりも、限られた範囲でもよいから、どういうことを考えて分析し、解決していくかを、実体験してもらいたいと思うのです。そして、それが身についてくれば、多くの問題は、その場で考えればわかるようになります。川島武宜先生が『ある法学者の軌跡』という本の中で、高名な法学者が自分の専門でない事柄について、こうではないかという発言をするのが本質を射ているので驚いたということを書いておられます。それは、その法学者が、このようなシチュエーションのときには、何を考えねばならないか、どういった解決が技術的にあり得るのか、様々な問題を勉強することによって、考える方法が身についているからですよね。それを身に付けるための第一歩を踏み出すのが法学入門として必要な事柄で、民法についても同じだと思います。
 実体験させる、と申しますと、法学部でも行っている事例問題の検討のように思われるかもしれませんが、一点大きく異なります。法学部における事例問題の検討というのは、民法や刑法にこのようなルールがある、ということを前提に、それではそれらのルールを使ってどう分析しますか、というものが中心的です。しかし、私が行おうとしているのは、「どういうルールが必要だと思いますか」、「ルールをどうやって決めればいいと思いますか」ということなのです。」

〈教科書の内容ではなく方法を学ぶ〉

大村:「途中で挙げていただいた例でいうと、債権は当事者間のみに存在する権利であるのに対して、物権はすべての人に対して主張できる権利であるという話がありましたが、債権はこういう権利、物権はこういう権利ということを単に知っていたらすべての問題が解けるかというと、たぶん、それだけでは解けない。様々な問題やルールの中から、それらを貫く権利のカテゴリーとして債権は対人的、物権は対世的ということを自分で取り出すことが大事である。自分で原理を取り出せれば、そこから個別の問題に対しても解決を与えることができる。そうおっしゃっているのかなと思います。自分で取り出した原理を今度はどう使うのかということを、『リーガルベイシス民法入門』の中では示して見せているので、それをメタ・レベルで真似してねといっているのですね?」
道垣内:「そうです。ルソーの『エミール』の中で、「教育をすればするほど馬鹿になる」という話があります。一番いけない勉強法は、こういった場合にはこう考える、こういった場合にはこう考えるという体験を積むことを知識のレベルで捉えることによって、こういった場合にはこう考えるほかないと思ってしまうことだと思います。一般の人の感覚をつぶしていかないように誘導することが必要だと思います。」
大村:「私たちの社会の成り立ちとあわせて、秩序のやぶれをどうするかも含め、社会をルールにより維持してくときの基本的な考え方というのは、確かにありますね。民法は非常に広い範囲に及ぶけれども、それでも法秩序のすべてではない。しかし領域的・部分的な秩序を理解することを通じ、体得してほしいものの考え方がある。法学入門ではそれを身に付けてほしいということですね。」
道垣内:「そうですね。」

〈法教育・導入教育・法学教育〉

大村:「『リーガルベイシス民法入門』は非常にいい本だと思います。法学部の読者も相当程度ついています。ただ、こういう本は報われないですね。というのは誰も引用してくれないということです。本を書いて報われたいということではなくて、こういう教育のあり方についての議論が足りないのではないかと感じています。道垣内先生は法学入門の著者あるいは教師として、さらに、法学入門以前の法教育において、あるいは、法学入門の後に続くより進んだ法学教育で、こういうことが大事ではないかとか、こういうことに気を付けてほしいというお考えをもっておられると思います。導入教育を起点にして両方向に向けてご意見をいただければと思います。」
道垣内:「いわゆる法教育については、考え方を身に付ける教育と社会生活に必要なツールを身に付ける教育は目的がかなり違うのに、ごちゃまぜにされてきたということがあるかと思います。
 1990年にイギリス留学をした時、様々な場所に、『シティズン・アドバイス・ビューロー』というのがあり、何でも相談に行くといろいろ紹介してくれました。クレームのしかたの本もあり、消費者相談室の電話番号など、全部載っていました。そのようなクレームをするためのノウハウを充実するのが重要という面もあると思います。
 それに対し、市民社会の構成員としての市民をつくるという法教育もよくわかりますが、クーリングオフの知識を覚えるのとは区別すべき問題だと思います。市民を育てる前提として必要なのは、何かあったときにどうして? と考える姿勢だと思います。これは、ツールとしての法律を教える教育とは違う。ゲームなどのルールの中でどういうシステムになっていて、どこに引っ掛かりがあるか、背後にどういうルールがあるかと考える姿勢が大事ということです。大村先生の『ルールはなぜあるのだろう - スポーツから法を考える 』(岩波ジュニア新書、2008年)という本は、その意味でもよくできていると思っています。法教育に際しては、日本の現行法を教えなければならないと考える必要はなく、スポーツのルールを考えたり、ルールを形成することやルールのもつ意味を考えたりする姿勢を養うことが必要だと思います。
 東京大学の教養学部に10年間在職して、そこでやろうとしていたことも、結局そういうことだったと思います。現在のルールがどうなっているのか、どれがいいか、というのではなく、歴史的にはどういう価値をそのルールは体現していたのか、それはどうしてなのか、という説明をしてきたつもりです。法の面から考えるという力が一定の特殊性をもっているなら、それをどう鍛え、みんながポテンシャルとしてその力をもっていることを確認させ、花開かせることですね。これが入門教育には重要だと思っています。
 それに対し、法学部進学者への導入教育としては、共通とされている技術も一応は伝えておく必要があるでしょう。しかし、これも私が見るところ不十分だったと思います。そこで、それをきちんと言語化しようとしたのが『プレップ法学を学ぶ前に』です。」
大村:「私も同じ考えです。道垣内先生の言われた「社会科学」は、原初的な意味での社会に関する知的な営みを指していますね。それを法というものに着目して行うのが法学ですよという趣旨だと思います。法教育については、ツールと考え方とを分け、それぞれ徹底した方がいいということをおっしゃったと思います。イギリスの例を挙げられましたが、確かに、フランスなどでも消費者教育(というよりも消費者への情報提供)ではきわめて実用的なノウハウを重視しています。他方、なぜかと問う姿勢が大事だとおっしゃいましたが、そこをやろうというならもっと突っ込んでやることがあってよいと思います。混ざっているとは思いませんが、道垣内先生の言葉に即していうと、混ざっているなら混ざっていることを意識すべきだ。それぞれの局面で違うことを、意識的に追求すべきだということになるだろうと理解しました。」

〈大事なのは考えること〉

大村:「法学入門は、この先どうなりますかね?」
道垣内:「一般の人に対する法教育にせよ、大学生に対する法教育にせよ、法学専門教育の導入にせよ、難しいことを暗記するのが法学ではないことを伝えるべきだと思います。私個人の考え方も異論のあり得るところでしょうから、その考え方を押し付けるつもりはありませんが、法学部の学生は、法学を暗記科目にすることによって自分でその面白さをそいでおり、一般の人は、法が特殊な世界であると決めて遠ざけている気がする。もっと楽しいもの、常識的なものですよと伝えたい。」
大村:「知識は必要だけれど、文脈や経験や具体的な思考から離れた知識は役に立たない。知識をある仕方で整序し、ある仕方で使っていくとなれば、記憶の負担はそんなにないとおっしゃっていると思います。そういう取組みをすれば、法に対する距離感というのもなくなるのではないかと主張されていると受け止めました。
 人々が安定した法秩序を共有しているイメージと、秩序は変動するし、ある時点ではどういう秩序があるのかわからないというイメージと、法のイメージは1つではありません。法のイメージが違うのと同様、法教育のイメージも人によって違います。法律家は、法は考え方と言いたがります。学校の先生は、法は知識であると考えがちです。そのへんに落差があり、法教育に対する見方は収れんしないところがあります。」
道垣内:「高校の先生方は、消費者被害に遭っている子どもたちを見ていて、リーガルな見方を身に付けるよりも、生徒を被害から解放する知識をもたせることが必要だと思っていますか?」
大村:「そういう人もいます。クーリングオフのような道具的知識が求められるところもあります。一方で、「考え方が難しい」「考え方を教えるのが難しい」と思っている人もいます。ロースクール生でも考え方を身に付けるのは難しいので、とりあえず近道は知識を身に付けることだと思ってしまいがちですね。」
道垣内:「野球で、三塁走者が飛び出し、三塁と本塁との間に挟まれて、それで三塁に戻っていったとき、二塁ランナーが、三塁上にいたとします。このときは、三塁走者に塁の占有権があるのですが、これをプロでもよく間違えて、ダブルプレーになったりします。まあ、しかし、個別のルールを知らないとしても、順々に考えていけば、そして、そのルールの合理性を深いところから理解しておけば間違えないのでして、法学の難しさはそれと大きな違いはないと思います。」
大村:「基本に戻って考えれば、ルールの細部についてほとんどの人が知らないとしても、多くの場面で適切な解決が導ける。野球規約と違う解決になったとしても、それはそれでいいという解決が導ける。この状況ではこうなるという断片的な知識からは、応用は出てこないということですね。
 深い考え方をするのは、一見すると難しそうだけれども、それこそが必要ですということで、終わりにしましょう。
今日は、お忙しいところお越しいただき、ありがとうございました。」
    

 

リーガルベイシス民法入門

リーガルベイシス民法入門 著  者
判  型
頁  数
発行年月
定  価
発  行
 道垣内弘人 著
 A5判
 596頁
 2014年1月
 3,500円+税
 日本経済新聞出版社

プレップ 法学を学び始める前に

プレップ 法学を学び始める前に 著  者
判  型
頁  数
発行年月
定  価
発  行
 道垣内弘人 著
 四六判
 148頁
 2010年4月
 1,000円+税
 弘文堂

 

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