「法学教育」をひらく(第7回) 道垣内弘人先生 その1

〈著者と著書の紹介〉

大村:「“対談「法学教育」をひらく”シリーズは、議論のための共通のフォーラム(学会・雑誌等)のない「法学入門」に光を当てようと企画したものですが、今回で最終回となります。この度お話を伺う道垣内弘人先生は、東京大学法学部教授で民法がご専門です。私、大村とは旧知の同僚ということになります。
 取り上げるご著書は『リーガルベイシス民法入門』(日本経済新聞出版社、2014年)です。これは民法入門ではありますが、後で触れますように、二重の意味で法学入門ともいえるのではないかと考えます。なお、「二重の意味で」ということとも関連するのですが、後半では『プレップ法学を学び始める前に』(弘文堂、2010年)という、本書と関連するご著書にも言及させていただきたいと思っています。先生のご著書には、ほかに教科書『担保物権法』、入門書『信託法入門』のほか、研究書『買主の倒産における動産売主の保護』『信託法理と私法体系』などをはじめとする単著・共著が多数あります。

 『リーガルベイシス民法入門』は、最初に出版された2002年の時点では『ゼミナール民法入門』という題名でした。同シリーズは、ビジネス・パーソンにとって必要な知見を提供するという趣旨のシリーズであり、法律全体をカバーするシリーズではなかったと思います。このような性格のシリーズに民法入門をお書きになったわけですが、まず、本書の由来と構成について、お聞かせください。」
道垣内:「当時大学教育の現場で広く用いられていたのは、内田貴先生の『民法Ⅰ~Ⅳ』(東京大学出版会)でした。出版社から最初に話が来たときには、内田先生と同じような本をということだったのかもしれませんが、私はあまり食指が動きませんでした。私としては、どういうタイプの本が書きたかったかというと、1990年に『担保物権法』(三省堂)を出した頃から、「なぜ民法の制度はこうなっているか」ということを説明していない本が多いと感じていました。「説明していない」には、「わからないから説明していない」と「わかるのに説明していない」の2通りがありますが、「わかるのに説明していない」部分も結構あると思いました。学生の立場で考えると、どうしてそうなるのかを提示することが必要だと思っていました。特に、歴史的にそうだったとか、フランス民法がそうだからというのでは、現代の人には十分でないと思います。現在の法システムでなぜそうなっているのかをきちんと説明することが必要だと考えました。
 他方、『ゼミナール民法入門』を書いた当時、私は東京大学教養学部におり、教養学部の学生相手に法学入門や民法を教えていました。法学入門の場合、文系でも文科Ⅱ・Ⅲ類の授業ですと法律専門家にならないという前提です。また、教養学部教養学科において民法の講義も担当していましたが、そこでは4単位で民法全体を教えなければなりませんでした。そこで、専門家にならない人を相手に少ない講義時間数の中で、何をどう伝えるべきなのかを自覚的に考えるチャンスがあったわけですが、結論として、私は、どうして私たちはこうした法制度を選択しているかを伝えることが必要だと考えていました。社会を構成している民法はなぜこうなっているのか、民法の制度によって社会はどうなっているのかということですね。
 『ゼミナール民法入門』のシリーズには、すでに『ゼミナール日本経済入門』などがあり、私は、日本経済全体がどう動いているかをうまく伝えている、優れた本だと思っていましたので、民法についても、こういうことを考えて法制度の選択がされていますよということを伝えるための本を書こうとしたわけです。」
大村:「最初から核心に触れる問題を提起していただきました。「どうしてそうなるのか」はこの本の中心をなすところですね。
 ところで、本書は2014年に『リーガルベイシス』と改題されています。その理由は何ですか? 本の内容に影響を与えていますか? また、改訂版を用意されており、その中では財産法だけでなく家族法も扱うと伺っていますが、改題や改訂の際に、コンセプトの変更があったのでしょうか?」
道垣内:「改題は、出版社側がゼミナールシリーズを全面的に改編したことによるものです。経済分野でもシリーズ名が変わりました。したがって、大きな意味を有しているわけではありません。改訂にあたって家族法を含める予定にしているのは、そのとおりですが、当初、家族法は自分の研究が行き届いていなかったということと、丁寧に書くという方針でいたら財産法だけで結構な分量になってしまったので、財産法でストップしていたのですね。そして、家族法についても、なぜ民法ではそういう選択がされているかをきちんと説明することが重要だと考えています。従来の家族法研究者は、あるべき社会を想定し過ぎる人が多かったと思います。それよりも、なぜ民法はそういう条文になっているのか、なぜ判決はそういう判断を下したのかを虚心に考える姿勢をもつべきだと考えました。財産法に関してはそう書いてきたので、家族法についてもそういうことを強調して書きたいと思い、拡大することにしたのです。」
大村:「基本的コンセプトは変わっているわけではないということですね。」

〈本書の特色―なぜそうなっているのかを説明する〉

大村:「早速、本の中身に関わる話ですが、すでにお話があったように、本書の大きな特色として、一般の教科書類では十分に考えられていない部分が説明されているという点があります。事前にお送りしたメモには以下の2つの具体例をあげておきました。こうした説明を工夫された理由と、そのメリットについて、より具体的にお聞かせ下さい。」

 例1 「法人」に関する説明として、「その名で権利を得、義務を負うことができる」と言われることが多い。本書でもこれに相当する説明はある。しかし、そのことの意味を敷衍して説明しており、かつ、組織体における意思決定の仕組みにも及んでいる。「誰が、どうやって決めたなら、安心して取引できるか」という説明である。この説明は、単にわかりやすいだけでなく、法人の存在意義に関する一般的な説明では捨象されている法人内部の問題に言及している点で、従来の説明を超えている(批判している)とも言える。
 例2 「契約の拘束力」に関する説明として、キリスト教などとの関係に着目した歴史的な説明がされることが多い。本書でもこれに相当する説明はある。しかし、それだけでなく、契約は当事者間でしか拘束力をもたないので当事者に委ねておけばいいし、社会的に見てもその方がいい、という法技術的説明・機能的説明が加えられている。従来から、契約の相対効はそれはそれとして語られてきたが、拘束力との関係で語られることは少ない。また、社会的な効用に関する前提が崩れれば、拘束力についての考え方も変わってくることが示されているが、これは契約法の歴史性を示している。

道垣内:「そんな深いことは考えていないのですが。「法人」に関しては、従来の教科書では、民法総則の最初に「自然人」が出てきて、それと並んで団体を権利義務の帰属主体として認めるようになりました、という説明がされるのですが、そこでやめられると、「その名で権利を得、義務を負うことができる」ことの具体的イメージはなかなか形成できないと思います。こうした抽象論にとどまらず、どうやって法人が権利を得、義務を負うかを示すことが第一に必要だと思いました。とともに、法人については、団体があるよね、というかたちで説明しておきながら、権利能力なき社団については、判例の示している要件、つまり、その中には、多数決の原則が行われていることが含まれているのですが、そういったことが、法人の説明とは、ある意味、切断されて説明されているような気がしました。制限行為能力者の制度や、錯誤や強迫・詐欺の制度、さらには代理の制度と並べて、自然に法人を考えていくためには、意思決定の方法と意思表示の方法は重要なんですね。ですから、教育面でのスムーズさへの配慮もあるのですが、やはり、既存の説明に対する不満も含まれています。さらに、法人の設立に関する考え方としては、何々主義呼ばれるものがいくつかあり、歴史的には、法人の設立を自由に認めないことには、為政者に対する反対勢力を抑圧するという面があったかもしれませんが、現在においてそういう歴史的な経緯を抜きにして説明がしたいと考えました。そうすると、法人が取引主体として出てくるときに、どのようなことをしておかないと社会にとって迷惑になるかという観点が必要です。この観点からすると、法人がどういった財産をもっていて、どういった形で取引社会に登場してくるか、言い換えれば、法人の関係者のうち誰がどのような形で取引をすれば、相手方としては法人と取引をしたと思ってかまわないのか、つまり、どうやって相手方は、ある人が法人の名前を使って取引をすることの正当性を判断しうるのかという観点から説明して考えていかないと思ったのです。
 それに対し、「契約の拘束力」のところは、入門書であるがゆえにこういう説明になっている面があります。どういうことかというと、この本を執筆する前に有斐閣の「法学教室」という雑誌に4回にわたって「民法のシステム」という入門論稿を書きました。学生向け雑誌の連載4回分で民法全部を語ったので、かなり単純化せざるをえませんでしたが、その際、やはり物権と債権の区別を基軸として説明することがわかりやすいだろうと考えたのです。まあ、このことは、かなり前から徐々に考えていたことなのですが。さて、そうしたとき、物権は誰にでも主張できる(対世効をもつ)、債権は債務者にしか主張できない(対人効をもつ)ということを基本としながら、物権は対世効があるので、みんなに利害関係があり、そこから物権法定主義が出てくるのであり、他方、契約は債権を生じさせ、債権には対人効しかないから、契約自由の原則が出てくる。こういった大きな枠組みで説明をしたかったのですね。そうなると、次に、どうして物権は対世効で、債権は対人効なのかという話になり、ご指摘のような説明となったわけです。」

〈体系指向と経験・実感の重視〉

大村:「ありがとうございました。難しい質問でしたので、答えも難しくなったかもしれません。今のお話の中で気づいたことが2つあります。
 1つは、民法典の体系に従うのではなく、契約から始めるとなると、契約の相手方が法人だったらこんなことが気になってくる、こんなことを考えなければならないという話がでてくるということです。他方、契約の拘束力については、契約の拘束力から発生する債権という当事者間の権利とは別に、物権という当事者以外の人にも効力をもつ権利がある。物権と債権を対比して考えることが必要だという話が出てくるのですが、実は法人についても、信託との対比が念頭に置かれているように思います。受託者と取引する際に、相手方はどういう条件が満たされていれば、信託財産から支払ってもらうことができるか、といった発想で考えておられるように思います。
 一方では機能的な考察、他方では体系的な考察、この2つの方向がこの本の特色だと思いますが、もっと言うと、法体系(具体的には、民法と手続法、民法と信託法)を機能的な一体としてとらえるというのが、道垣内先生のアプローチに大きな特色だと思います。
 機能的な観点に立った上で改めて体系を志向しているところが特徴的で、この本の魅力になっていると思います。これが法学入門的な本の中で必要な観点だとお考えになっているのではないかと思いましたが、そのようにお考えなのかどうか、お考えだとしたら、それにはどのような意味があるのか、伺いたいと思います。
もう1つは、『リーガルベイシス民法入門』は契約の成立から履行まで流れを追って考えるので、ビジネス・パーソンにわかりやすいという観点があげられます。読者にとってわかりやすい例と関連付けて説明する、より具体的に言えば、実際の仕事の場面で遭遇しそうな例を挙げて、経験に照らして実感ベースで納得してもらうのが大きな特色です。そうしたやり方に大きな教育的意義があるとお考えになったのでしょうか?
 もう一度整理しますと、1つめは、実はある種の体系志向があって、体系的な観点から問題を捉え直すことによって問題に新たな光が当てられている点。2つめは、経験や実感と結びつけて納得できる説明をするという点ですね。」
道垣内:「1つめの体系的ということについては、偏差を捉えることが物事を評価するときに重要だと考えています。例えば消費者問題が起こると、テレビなどには、すぐに取締りを強化すべきという論評が出たりしますね。しかし、まず出発点としては、契約は当事者が自由に決めることができ、そのこと自体には一定の価値があるということがあり、その上で、その価値を超える問題が出てきているから、規制が必要になっているということを理解しなければならない。東大の文科Ⅱ・Ⅲ類の1年生に対する授業などでは、次のようによく言っていました。こういう契約で詐欺などがされるなら、こういう契約をしてはいけないと法律で決めればいいと思うかもしれない。しかし、かつて、契約に対し、これはダメと王様が自由に決められる社会がありました。ところが、だんだんとどのような契約をしようと基本的にはかまわないという社会選択がなされました。当たり前のことだと思うかもしれないけれど、このことの価値は大きい。そこで、この事案で被害者の救済を求めるにあたり、基本的な社会選択において採られた価値を否定するほどのものがあるといえるのかどうかを考えることが必要です。こういう話です。先ほど述べた、物権と債権との区別にも関係するのですが、原則からの偏差を考える姿勢を要請することが必要だというのが、私の入門教育観です。
 信託の研究と関連するのではないか、ということも、重要な指摘であり、私自身気づかされた面があります。1996年に『信託法理と私法体系』という本を書いたのですが、そこでは、物権と債権という位置づけの中で、信託はどういう特色をどういう論理、理由づけで付与されえているのかということでした。これが、『ゼミナール民法入門』などにも現れているのですね。」

〈社会を理解するとはどういうことか〉

大村:「今のお話は興味深く思いました。手元で図をかきながらお聞きしていたのですが、大きなN(ノーム)があって、小さなnがあるという図です。道垣内先生がおっしゃっておられることの1つは、より大きな枠組みの中で考えると、より基本的なこととの関係を処理しなければいけないことに気づくはずだ、という考え方になっていると思います。それが私たちの社会の仕組みでしょ、と。社会の基本的な仕組み(N)と目の前にある問題の解決方法(n)とが繋がっていることを理解してもらうことが重要だとお考えなのではないかと思います。ある意味では、原理志向なのかもしれません。では、大きなNは私たちの外側にあるものかというと、私たちの日常の経験に根差した形で存在していて、そういうものを私たちは許容し、肯定しているでしょ、私たちの内なる小さなnと、外なる大きなNは呼応しているでしょ、と。道垣内先生には、もう1つ、このようにお考えであるようにも見えます。私が「体系志向」と申し上げたのは、その大きなNをつかみましょうとおっしゃっているのではないかということです。「実感ベース」というのは、そのNはあなたの中にもありますよと言っている。そういう理解であっていますか?」
道垣内:「私の言っていることを的確に整理していただいたと思います。どういうことかというと、先ほど私はテレビのコメンテーターを批判するために、こういう事件が起こった時にこういう結論になるといいよねというふうに人々は思いがちである。しかし、それはより深い原理に照らしてみると、そう簡単には言えないことがわかる。こういう例を挙げたのですが、我々はこの社会にいて、こうなった場合はこうなるべきという鋭い直感をもっているのでしょうが、その直感が何によって基礎づけられているか分析して、自分の考え方を突き詰めてみることが必要です。それが入門教育だと思うのですね。そして、突き詰めて考えていくと、意外に我々の考えていることは法律と一致している。法律のやっていることは一般人の感覚とずれていないことを理解してもらいたいのです。」
大村:「社会はこのように動いているという大きな原理は、直ちに目に見える形で存在するわけではない。通俗的には目に見える形で存在すると思われているかもしれない。たとえば、「契約自由の原則がある」と法学部を卒業したビジネスマンは誰もが知っている。では、それが原則だというのはどういうことかとなると、必ずしも十分に理解していない。それを理解することが、道垣内先生の本の中では求められていて、それを理解すると、どういうことがそこから出てくるかを考えなければいけないことになる。このことをわからせる。他方、私たちが常識とか皮膚感覚とかいっているものも一歩反省して考える、それはそのままでいいのか突き詰めて考えるならば、仮にズレがあったとしても、ある方向に自分の態度を補正することができ、客観的に存在する社会の仕組みと一致することになる。それぞれについて一歩踏み込んで、より深いところで再度それを理解し直すことに法学入門の意義があるという理解でよろしいでしょうか?」
道垣内:「その通りです。民法入門の本はたくさんありますが、結構細かいことまで全部書いていて、こうなっていますという説をずっと並べていたりします。また、法学入門の本の中でも、分野別に章になっていて、こういう場合はこうなりますと書いてある本があります。そういうことをやっていても仕方ないと思います。それよりも社会を理解するとはどういうことか伝えたい、という話です。法学は社会科学であり、社会科学とは、我々の住んでいる社会はどのようなものかを分析する学問なのですから。
 もう1つ、私は、NHKの『生活笑百科』と日本テレビ系の『行列のできる法律相談所』との違いが重要だと思っています。まあ、最近久しぶりに見てみますと、『生活笑百科』も押しつけがましくなくなり、他方、『行列のできる法律相談所』は完全なバラエティになっており、あまりよい例ではなくなったのですが、当初、『生活笑百科』では、紛争の説明を漫才師がやったあと、笑福亭仁鶴が「法律ではどうなっているでしょうか?」と言っていたのですね。これは、法律では思わぬ結論になるということと、法律では一義的な結論が出てくることを前提にしている問いです。これに対して、後者の『行列のできる法律相談所』では、弁護士によって結論が分かれることが示されるのですね。これは画期的でして、一義的な結論が出てくるわけではない。しかし、どのような利益とどのような利益を考え、そのいずれを重要と考えるのかがポイントであるということを示していたのであり、その結論は分かれうる。「法律ではこうなっています」というのではなく、原理対立を考えなければならない。そのことを教えてくれていた番組だと思っており、私の入門観にも合致するものです。」

「その2」に続きます〉

リーガルベイシス民法入門

リーガルベイシス民法入門 著  者
判  型
頁  数
発行年月
定  価
発  行
 道垣内弘人 著
 A5判
 596頁
 2014年1月
 3,500円+税
 日本経済新聞出版社

プレップ 法学を学び始める前に

プレップ 法学を学び始める前に 著  者
判  型
頁  数
発行年月
定  価
発  行
 道垣内弘人 著
 四六判
 148頁
 2010年4月
 1,000円+税
 弘文堂

 

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