東京学芸大学附属高等学校 現代社会・生物コラボレーション授業

 2014年11月29日(土)、東京学芸大学附属高等学校で第13回公開教育研究大会が開かれました。公民科・現代社会では、理科・生物と協働した「生命倫理」の授業が実践されました。その模様と授業後研究協議会について、お伝えします。公民科と理科の協働授業は大変先進的な事例です。(当日の資料より、適宜引用させていただきます。都合によりレポート公開までに時間がかかりました。)

〈現代社会と生物のコラボレーションの意義〉
 東京学芸大学附属高等学校はスーパーサイエンス・ハイスクール指定校として、あらゆる問題を科学的に捉え、これに基づいて行動する生徒を育てる(SULE教育)ことを目指しています。公民科は、社会認識を育成し、社会のあり方を考えていく教科であり、社会のあり方を追究するために、意思決定や社会参画も求められることになります。その一歩として、科学的な知見をもったうえで政策的議論をすることは重要です。デザイナーベイビーなどに関わる生命倫理問題でも、科学的知見に基づく考え方が求められます。ところで、本校では1年次に全員が生物基礎を学習しています。生物基礎では、身近な自然や病気と生命現象を関連付けて学ぶことはできますが、社会のあり方を科学的な立場から議論することは難しい状況です。
 このような公民科と理科(生物)の授業実践における課題を解決するため、協働授業が必要と考えられました。協働することにより、生命現象についての科学的知見を根拠として、社会問題について積極的に考えるきっかけとすることができます。「生物」は既に履修済みであるため、「現代社会」の授業に生物の教員が入る形で、生命倫理問題の最新の話題を研究者・技術者の立場から説明することにしました。この協働授業を通し、SULEのめざす教育が実践できると考えました。

1 授業

9:30~10:20 場所:教室
2年F組 43名(男子21名、女子22名)
教科:現代社会
単元:生命倫理~多様な価値観の理解に向けて~(全4時間、本時は第4時)
テーマ:デザイナーベイビー(救世主きょうだい)をめぐる葛藤を通し、生命倫理に関わる問題点について考え、自分達でルールを作ってそれを評価する。
授業者:加納隆徳 教諭(現代社会)、内山正登 教諭(生物)

【デザイナーベイビー(救世主きょうだい)とは】
 論者によって定義が異なるそうですが、この授業では、移植目的のために白血病の子どもと白血球の型が一致する受精卵を選択する着床前診断が行われている行為のことを指します。医療の進歩により、第一子が白血病である場合、両親が第一子と同じ白血球型をもつ第二子を生み、第二子の骨髄を第一子に移植させることが可能になるという現実があります。この第二子がデザイナーベイビー(救世主きょうだい)です。

〈テーマについて〉
 ある受精卵を選択する・排除するという行為は、選択する基準に特定の価値が含まれる場合、倫理的に認められるか否かが問題になると考えられます。たとえば、先天的な遺伝病を防ぐためにデザイナーベイビーの技術を用いることができるのか、男女の産み分けは認められるのかなどの、具体的な基準も考えることが必要になります。授業ではそれらの問題点を踏まえ、自分達でデザイナーベイビーをめぐるルール策定を行い、そのルールをクラス全体で評価していきます。

〈前時までの内容〉
第1時「救世主きょうだいの存在と倫理的問題」:デザイナーベイビーに関わるドキュメントビデオを視聴し、問題意識をもたせました。そして1年次に学習した生物基礎の内容をもとに、現在研究が進められている生命科学の技術について、生物教師から解説を聞きました。次に、映画「My Sister’s Keeper(私の中のあなた)」注1を見ました。これらを通し、デザイナーベイビーに対する自分の考えを明確にします。
第2時「多様な価値観に触れよう~生命倫理に関わる本を紹介しよう~」:自分の意見に関わりなくデザイナーベイビーに賛成派・反対派のグループを設定し、グループ内でブックリストの中から選んだ本の紹介を行います。自分達の意見を主張するための根拠を本の中から見つけ、最終的にクラス全体で多様な価値観を共有しました。
第3時「生命倫理に関わるルールをつくろう~合意を形成すること~」:7つの役割・立場(親・福祉保健局医療担当課長・医師・厚生労働省官僚・宗教家・障害者団体の代表者・弁護士)を設定し、デザイナーベイビーをめぐる倫理指針などの合意形成に向けた話し合い「デザイナーベイビーに向けてのコンセンサス会議」を行いました。

〈導入は二人の先生で〉
生物の先生:「今日は前回の話し合いの続きをして、まとめに入ります。まず各班で合意形成までしてください。ワークシートをうめながら10分間。それから班の代表者、厚労省の官僚役の人かと思いますが、手元のホワイトボードに書いて発表するという手順です。」
現社の先生:「合意形成のポイントは、どこまで譲っていいのかということがありますが、それぞれの立場で言えることが2つか3つあると思います。規制のレベルと条件注2を考えて、話し合ってまとめてください。」
(机を班体型にする。)

 話し合いの様子から、

デザイナーベイビー賛成派: 親、福祉保健局医療担当課長、医師
反対派: 宗教家、障害者団体の代表者、弁護士
中立: 厚生労働省官僚

というように立場が分かれているようでした。

〈合意内容発表〉
1班:意見まとまらず。
 デザイナーベイビーに賛成の立場では、「自分の子はどういう手を使っても救いたい。」「救える命は救いたい。」「デザイナーベイビーが作れるのにその技術を使わなかったら、マイナス1。きょうだいが救えるならプラス2と考える。」反対の立場からは、「デザイナーベイビーの原点は親の愛ではなくきょうだいのためなので、自分の存在意義を主張したい。」「もし万一、提供を受けた子どもが死んだら、デザイナーベイビーに親の愛が得られないかもしれないから。」「禁止してもデザイナーベイビーが生まれたら、医師や病院に刑罰を与える。」今後、社会が議論することが必要と考える。
2班:意見まとまらず。
 厚労省や自治体福祉保健局から規制の内容が出たが、反対派に反対され、刑罰をつくる・つくらないなどが決められない。宗教家については、自分の宗教を他人に押し付けることはできないということになった。国の立場では、デザイナーベイビーとして生まれた子が自分の意見を主張できる年齢になったら、裁判を起こせるとした。デザイナーベイビーとしての役割を終えても、親から愛を受けられていたら、親に刑罰を受けてほしいとは思わないかもしれない。ただし、そもそも子が親を訴えるのは民事だから、刑罰は無理ということになった。
3班:条件付きでデザイナーベイビー賛成。
 難病の子を助けることを大前提とする。デザイナーベイビー以外の胚を研究に回すことにより、長い目で見たらのちの世代にいいことがあると考える。
4班:条件付きでデザイナーベイビー賛成。
 身内の中に難病の子がいたら、胚の選択の権利があると考える。先天的病気をもつ家系にも胚の選択の権利を認めるかどうかには疑問。
5班:部分解禁。
 デザイナーベイビーの体に影響がないというラインでの線引きをする。実際に影響なないラインがどこまでかは、線引きできない。余った胚の問題は、不妊の人への提供も、関係者の合意のもとに考えられる。基準をはずれたときに罰せられるのは親ではなく、医師ということは合意成立。医師としての行為を制限する罰則になった。
6班:条件付きでデザイナーベイビー賛成。
 難病の子を救うためなら認める。障害者団体の代表から、きょうだいに合う胚を選ぶまではいいが、それ以上はどうかという意見が出た。宗教家は、人道的立場から、胚を作ることに疑問。医師は、科学の発展には多少の犠牲が必要ということで対立した。不妊の人に胚を提供する案が出た。胚を作る技術に資格が必要とし、どの難病にはどの胚を作るかリストにする。国から補助金を出す。

〈全体で振り返り〉
【胚について】
生物の先生:「皆さん、いろいろな観点から見てくれました。胚の取扱いは興味深い観点です。胚とは、それぞれの臓器に分化していく過程では、個体として発生していると言えるので、それ以前までの段階と考えます。」
現社の先生:「みんな結構雑に考えていて、余った胚は人にあげればいいとか言っていました。胚を1個ずつ作ればいいと話していた班もありますが、先生いかがですか?」
生物の先生:「問題があると思います。」
現社の先生:「体への負担もあり、技術的・経済的に難しいということに依存している面も考えてほしいと思います。ある程度合意形成できましたが、宗教家や自治体関係者の立場もかなり辛かったですね。1班と2班は合意形成が難しいとなりましたが、では今のまま話し合いを続けていればいいかというと、どうですか?」
1班:「いいえ、今すぐ使いたい人がいることが問題です。」

【条件と規制について】
現社の先生:「そうです。新聞を見ても、実際の出来事として話し合っています。どこかで判断しなければいけません。3~6班は、「難病の子を救うためなら」という条件を付けています。白血病の臍帯血輸血は現実的ですね。研究費を出さないという規制もあると。3班は、逆に推進すると。各班の意見をグラフ上に並べると、こうなるかと思います。」
(黒板には下図のような縦軸と横軸が書いてありました。)
板書図

現社の先生:「ペナルティーを重くしたい人が結構多いのが特徴です。先生、受精卵診断の学会規制と法律規制とでは、どう違いますか?」
生物の先生:「学会は専門家集団、法律は一般に向けた規制という違いがあります。」
現社の先生:「倫理の問題というものは、「人殺しはいけない」などのように、法と倫理が一致しているものと、たとえば「夫婦同士以外の人との不倫」などのように法と倫理が微妙に分かれているものとがあります。第1時から様々な葛藤があったことをふまえ、最後に、今までの役割を離れて、ワークシートに自分の意見を書いてください。」

〈自分の意見発表〉
生徒1:「条件付きで賛成です。難病の子どもがいる親という条件です。受精卵診断により難病をもつかどうかがわかるので、何とかしてその苦しみを軽減する方法がないかと思います。」
現社の先生:「今の段階で皆さんはどういう意見か、次の4つの中から挙手してください。賛成→0。条件付き賛成→21。反対→13。決められない→2。」
生物の先生:「最初の時間には賛成が多数だったのに、予想以上に最初の意見とは変わりました。これからも技術はどんどん進んでいき、いろいろ難しいところがありますが、この問題を忘れずに自分の中の葛藤を思い出してほしいと思います。」
現社の先生:「将来医療関係へ進みたい人も多いので、考えてほしいと思います。この授業では話し合いのメンバーが固定されていて、市民全体ではありませんでした。役割に難しい面もあったと思いますが、悩みを持ち続けてほしいと考えています。」

2. 研究協議会

【授業づくりのポイント】
・内藤正登先生(生物担当教諭)から
 大学時代に、本日お招きした助言講師の先生の授業を受けて以来、生命倫理に興味をもっていました。いつか公民科との連携授業をしたいと考えていたので、今回、自分の方から公民科の先生に協働授業を申し込みました。1時間目の導入情報と、2時間目のブックリストの中からさらに選別する作業を担当しました。生徒のコンセンサス会議のときの声掛けについては、研究者側の立場が弱いと感じた際に、声をかける程度でした。

・加納隆徳先生(現代社会担当教諭)から
 かつては、生命倫理の問題として脳死が取り上げられることが多かったのですが、医療の進歩により脳死については意見が固まりました。今は、デザイナーベイビーが注目されています。1時間目の映画が生徒に強いインパクトを与え、対立がよくわかったようです。
社会科としては、コンセンサス会議のロールプレイの役割を強制的に割り振ることで、意見形成を促しました。2時間目については、司書教諭にブックリスト作成・印刷などを協力してもらい、1時間目に生徒に配布してありました。本は国立女性教育会館から貸出しを受けました。宿題として読むために3日間位しかなかったので、賛成派・反対派それぞれ4冊の中から、グループで読みたい本を選ばせました。
話合いでは、合意形成よりも当事者性や葛藤を理解してくれることが重要と考えました。強く主張する生徒の意見が通るということがありますが、逆の立場からはどう見えるかということを考えさせたいと思います。後味の悪さをもち続ける方が、関心を持続してくれるのではないかと思います。議論にはどういう話題なら適切なのかと考えています。

・司書教諭から
 ネット検索をするとよくわからなくなる面があり、ある程度範囲を決めることが必要だと考えます。

【助言講師のコメント】
武藤香織先生(東京大学医科学研究所教授)から
 1時間目の導入の情報は多様でよく、妥当なものだったと思います。2時間目に文献調査を入れたことが素晴らしい。高校生向けの図書がないことは私たちの問題だと感じました。3時間目の架空コンセンサス会議の構成員に、厚生労働省と自治体職員が入っていたのは興味深い設定でした。時間の制約がある中で、議論したことは最大限の体験になったと思います。規制について結論を出すのは難しいと思います。合意に関しては、フォローアップをどうするかが課題です。
 今日のコンセンサス会議の位置づけに関し、現実には3つの会議があります。1つは「生命倫理委員会」です。日本国として、ある技術の導入を認めるかどうかについての会議で、今日の授業はこれに相当するものだったのかなと思います。2つめは「臨床倫理委員会」で、各医療機関が、当院として、患者の医療における要望を認めるかどうか議論するものです。3つめは「倫理カンファレンス」で、現場で起きる葛藤について、モヤモヤは何が問題なのかを定式化し、どうするべきかを検討するものです。導入に一番近いのは「倫理カンファレンス」です。これが高校生向けではないかと考えます。
 生命倫理は、患者・家族としていつ直面するかわからない問題です。現代は、科学への市民参加が求められる時代であり、継続的に考えることが大切です。医療倫理の4原則は、「善行・無危害・正義・自律(相手の意思の尊重)」です。これに看護職特有の2原則「誠実・忠誠」を加えたものが、医療現場の原則です。倫理的問題は、これらの原則が相互に対立する場面に生じやすいと言われています。議論が感情的なものにならないよう、客観的に議論したいとき、原則に照らして考えることが有用かもしれません。

〈取材を終えて〉
 法教育の授業では、議論が合意形成に至らなくてもプロセスが重要という考え方がよく聞かれますが、今回の授業では、先生が「どこかで決断しなければならない」として、全体でさらに規制について議論を深める取組みをしていました。そして、規制の自由度と実効性を直交座標にして、各班の意見がどのような位置にあるか可視化した点が新鮮で、意義深く感じました。
 研究協議会では、議論の仕方について、授業者からは少数意見への向き合い方が課題で、「逆の立場からはどう見えるかということを考えさせたい」とのことでした。これに関し、助言講師は、「生命倫理についての議論を客観的なものにするためには、生命倫理の原則に照らして考えること」を提案していたのが印象的でした。それぞれ、法教育の議論をする際にポイントになるのではないかと思いました。

 

注1:
映画の冒頭、姉を助けるためのデザイナーベイビーとして生まれ育った少女が、自分の意見を主張できる年頃になり、姉のために自分の腎臓を提供することを拒絶したいので、両親を裁判に訴えるという意思が表明されます。生徒には、この冒頭部分を見せました。

注2:
生徒には、第3時に「規制のレベルおよび条件」について説明がありました。「規制のレベル」とは、法律による規制(刑罰付・なし)や学会による規制、補助金停止などの規制を想定しています。「条件」とは、救世主きょうだいのみ利用可や、先天的病気の診断にのみ利用可、自由利用可などが考えられます。
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