第73回お茶の水女子大学附属小学校 教育実際指導研究会③

 ひきつづき、第73回お茶の水女子大学附属小学校教育実際指導研究会の模様をお伝えします。テーマ別協議会は研究主題「小学校における『公共性』を育む『シティズンシップ教育』」についての「研究開発」協議会を取材しました。学習分野別協議会は「市民」についてです。(『発表要項』より適宜引用させていただきます。)

1 テーマ別協議会「研究開発」

2月17日(木) 13:00~14:30

(1)研究の概要

〈研究主題〉

小学校における「公共性」を育む「シティズンシップ教育」
―友だちと自分の違いを排除せずに、理解し考える力を発揮する―

 これからの世界・日本を担う子どもたち(将来の市民)には、自分や周りの人や社会に愛着をもち、持つがゆえに公を良くしたいと考え判断し行動することが求められます。そのような市民として生涯にわたり成長していくためには、小学校の発達段階にふさわしい「公共性」を創り出すこと、すなわち「公共性=友だちと自分の違いを排除せずに理解し考える力を発揮する」ことが充分にできるように育てる場・環境を、みんなで創り出していく過程が重要です。授業において、感じ方考え方が複数であることをいかに対話的・応答的に乗り越えるか、違いを発見してよりよい学びをつくりだせるかなど、かかわりの質の民主的な変化を担うとともに、そのような学習空間を作り出す能力・資質が「公共性リテラシー」です。
 研究課題を整理すると、次のようになります。
・「公共性」        教育研究の目標
・「シティズンシップ教育」 教育内容・方法(各分野の授業改善)
・「公共性リテラシー」   子どもに育てたい資質能力

(『発表要項』p.9~12より)

(2)パネルディスカッション

パネリスト:「算数」教諭、「アート」教諭、「市民」教諭
司会:浅川陽子 教諭
共同研究者:水山光春 先生(京都教育大学)

〈水山先生より質問〉

質問1:「公共性」を「共同性」の違いは?
→回答:皆で一緒にやるという「共同」は6年前に研究し、「違いを一つにまとめてしまったら大事なものが落ちてしまう」というジレンマを感じました。シティズンシップは学校教育の目標より遠いところ、社会教育や生涯教育の目標になります。遠い目標のために、今やることを考えていると思います。

質問2:子どもを伸ばすことと、校内の研究体制は違うことではありませんか?
→回答:全ての学習分野において、「公共性」育成に資する教育内容や適切な方法を抽出し、本校オリジナルの『学習における「公共性」プラン』を作成します。そのために「協力学年担任制」で安定の基盤をつくった上で、「学習分野担任制」で研究を具体的・専門的に進めます。教師の対話的な研究サイクルを重視しています 。

質問3:年間計画との関わりはどうですか?
→回答:年間計画はありません。シティズンシップは、子どもが学習の中で自分で構成していくものです。はじめから決まっているのではありません。大まかなプランはありますが、実践を積み重ね、ボトムアップでできてくるものです。

質問4:「シティズンシップ」という言葉には、「権利・責任・義務」などが伴うと思います。
→回答:そういったキーワードは使い慣れていませんが、最近、「ことば」の授業で「表現の権利」という話をしました。他の子の表現の権利も守らねばならないと。教師からではなく、子ども同士でそれに気づいた子がいました。

〈フリップでドンのコーナー〉

司会:「パネリストの皆さんに質問を一つしますので、一言で紙に書いて出し、それに対して意見を述べてください。質問:公共性リテラシーに関し、小学生にとって一番大事だと思うものは何ですか?」
「算数」教諭:「思いやりです。相手がどんなことを考えているか思いやりながら、接点を探るのが大事だと思います。」
「アート」教諭:「イメージすることです。相手の立場を考え、今何を考えているだろうと思い描くことが、他者とつながることになると思います。」
「市民」教諭:「問いをもつことです。相手の言うことを聞いて、流してしまわないで引っかかってほしいと思います。」
質問:「答えが出ずに考え続けなければいけないとき、問いをもち続けるだけでいいのですか?」
「市民」教諭:「はい。考え続けることが大事だと考えます。」
「算数」教諭:「ゴールはないのですか?」
「市民」教諭:「必ずしも最後に調整するところまで行かず、問題意識をもち続けるだけで終わることもあります。教科で思いやりとは、どのようなことですか?」
「算数」教諭:「自分だけ正解ならいいというのは困ります。いろいろな学びをしている子どもと、接点をみつけてほしいと思います。全員で学ぶ集団として、自分の考えとどう違うか、考えてほしい。それが思いやりです。」

(3)水山先生のお話

 公でも私でもない、新しい空間としての公共が出現(インターネットやケータイなど)している現在、公共空間での人と人との接し方が変化しています。思いやりがすれ違うとき、思いやり返す。それも1回ではなく、何度も思いやり返すことが必要で、それが公共空間を考えることになると思います。公共性を支える多様性のレベルと普遍性のレベルは階層構造を成しており、せめぎ合いがあります。普遍的なものが求められますが、どうせめぎ合いを乗り越えるかが、公共性の課題かと思います。「納得できる不一致」を育ててほしいと思います。「あなたの言うことはよくわかる。けれども、私はそうは思わない。つまりね~。」と議論できる子どもを育てるということです。

2 学習分野別協議会「市民」 

2月18日(金)13:00~14:30

(1)授業者の解説

 昨年度までの「社会を見る3つの目」は目標の一部としました。今年度は更に検討を深め、「市民」で育てたい「公共性リテラシー」を次のような資質・能力と定義しています。
①社会的事象や、観察したことや資料を正確に読み取り、論点を取り出す。
②読み取ったことを、自分の主張の根拠にして、意見を述べたり提案したりする。
③多面的(他者の視点)な見方で考える。
④みんなにとって望ましい条件が何なのかを探して、折り合い、決定する 。
 1年生の11月頃から、「なかま」の時間に、「○○さんが~と言ったけれど、私は~と思う。」と言えるようになることが、「市民」のために必要です。2年生では、環境と生物の姿の関連性に気づくことが、「市民」につながる論理性です。現象の背景を理解することは、3年生以上になります。子ども同士のコミュニケーション、関連的な思考、暮らしについての学習=価値、カテゴライズする力が大切です。

(2)フロアからの質疑・応答

質問1:調整のための手立てで工夫していることはありますか?
→回答:調整のための手立てはとても難しいです。場面設定を仕組もうと思いますが、できないこともあります。

質問2:評価基準はどのようになっていますか?
→回答:自分の損得だけ考える場合は、「他の人の意見を聞こう」という評価になります。主張に理由のある場合は、評価が高くなります。次の授業で、今の価値観と違うことを出せたらいいと思います。

(3)コメンテーターから

梶井 貢 先生 (東京学芸大学)
 新しい授業作りという点では、「言語活動の充実と学んだことの活用の充実」「思考・判断・表現力の育成」「社会形成に参画する資質・能力の育成」の面で、「市民」の学習を利用してもらえたらと思います。「自分に置きかえて考えること」が、将来社会に参画する力になります。
課題設定、葛藤→意思決定→学び合い(話し合い)、再葛籐→結論付け という展開になりますが、課題設定は事実認識を丁寧に。話し合いの基盤としては、学級風土・学級経営や言語活動との関連があります。もう少し社会科らしい言語技(根拠を挙げて話す)がほしいと思います。
課題として、子どもの言葉をもっと拾い上げて「対立軸」にもっていくといいでしょう。いい言葉を見落とさないように。あらかじめ想定される論点の絞込みをもう少し明確にするといいと思います。それにより、表面的に流れない、実感のある授業になるでしょう。

(4)共同研究者から

小玉重夫 先生 (東京大学)
 シティズンシップ教育は道徳に力点をおいて語られる風潮がありますが、本校のシティズンシップ教育の特徴は社会科から出発していることです。その際、異質な他者を排除しない、広い意味の政治教育を視野に入れているのではないでしょうか。時事問題は、自分自身の考えをつくり出すきっかけとなります。異質な他者との出会い・葛藤が「市民」という科目の特徴です。批判や論争は、攻撃は排除につながりやすいですが、そのジレンマをどうやって克服するかがポイントです。「もう一人の自分と自己内対話する機会、迷いや葛藤を生む機会をつくれているか」ということが、このジレンマを克服するポイントではないかと考えます。
 討論の質を、異質性を排除しないという観点からどう深めるか、という問題であるとも言えます。寛容か批判か、排除か包摂か、論争か共感か。今、正義論がブームになっていますが、学会で決着がついていないことを現場で引き受けていると感じます。一つの突破口として、子どもが自己の中に他者性をつくり、自己内対話をすれば、他者に対し過度に攻撃的にならず、自己の意見も控えないということができると考えます。本校のAタイプという時事問題を扱う論争的課題に該当します。道徳は個人の心の問題・行動規範を問いますが、道徳にとどめずに社会的行動にもっていこうとする方向に開いています。
 今回の6年生授業では、意見を二者択一でなく、「迷っている」に集約しています。迷いを自覚的に位置づけています。教師は中立的存在であるだけではいけないと授業者は言っています。私は、教師はコーディネーターであると思います。言を監督するのではなく、参加しながら言をつくっていくことが、今後の教師のあり方として求められていると思います。

〈取材を終えて〉

初めて「なかま」を取材し、子どもの発達段階についていろいろ学ぶところがありました。(詳しくは報告その1を御覧下さい。)小学校における「公共性」を育む「シティズンシップ教育」の研究は3年次を迎え、去年より全体像が見えやすくなったように感じました。「市民」で追究する公共性リテラシーも検討を深められた結果、4つになっています。  
最後に小玉先生が「教師はコーディネーターであり、参加しながら言をつくっていく」と言われましたが、法教育の授業を見ていると、まさにそう感じる授業に出会うことがあります。「公共性を育むシティズンシップ教育」の方法は、「法教育」の方法と違いはないという印象を受けています。

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