東京都墨田区立業平小学校 道徳授業地区公開講座

 2011年6月18日(土)、墨田区立業平小学校の学校公開3日目13:35~14:20に、道徳授業地区公開講座が行われました。5年生のあるクラスは、「自由」について考える授業が行われ、ビデオやロールプレイを利用して子どもたちが考えやすいように工夫されていました。日本弁護士連合会の広報誌名が『自由と正義』であることに象徴されるように、「自由」は法を考える場合の基礎になる概念だと思います。子どもたちがどんなことを考えるか、興味深く見せていただきました。

墨田区立業平小学校のプロフィール

 1919年(大正7年)、東京市中之郷業平町に開校。関東大震災、東京大空襲の2度にわたり校舎を焼失しましたが、地域の方々の支援を受けて復旧。京成線、都営浅草線、半蔵門線の押上駅から徒歩約10分、東京スカイツリーの文字通り足元にある学校です。駅から近いにもかかわらず、周囲は一戸建ての家も多く、街路はきれいに掃除され、地域の方々の心配りが感じられる環境です。

 

児童数         (2011年 4月1日現在 ホームページより)

学年 1 2 3 4 5 6 さくら
学級数 2 2 2 2 2 2 3
児童数 55 63 66 64 62 68 22 400

 

授業

5年1組  当日30名(男子14名、女子16名)
教科:道徳「自由」
授業者:水橋美奈子 教諭

〈導入は「自由」という言葉のイメージ〉

先生:「今日は少し難しいかなと思うことを考えます。皆さんは「自由」と聞いたら、どんなことを考えますか?」
(先生が黒板に「自由」と書いたカードを貼ります。みんな口々に話し始めますが、何人も手を挙げて当てられるのを待っています。)
男子1:「自分のやりたいことができる。」(着席したあと、「俺、自由大好き。」)
女子1:「人に言われないで物事ができる。」
先生:「こうしなさいとかああしなさいとかではなくて、ね。」
男子2:「何をしてもいい。」
女子2:「やりたいことをどんなときでもできる。」
女子3:「何も決められていない。」
先生:(みんなの発言を板書してから)「それでは、今からビデオを見て、ビデオをもとに考えたいと思います。見終わったら感想を聞きますから、ただ見るだけでなく、考えてください。」

〈ビデオ教材:小学校道徳教育推進教材「うばわれた自由」のあらまし〉

 早朝のまだ暗い森の中、一発の銃声が響きました。森番のガリューは、驚く家族を家に残して、様子を見に馬で駆け出し、森で狩りをしているこの国の王子ジェラールと2人の従者を見つけました。王子とは知らないガリューは、「この国ではどの森でも、日の出から日の入りまでは狩りが禁止されている」ことを知らせます。王子は、自分は王子だから何をしてもいい、酔い覚ましに遊んでいただけだと言います。
ガリュー:「本当の王子なら、国のきまりをきちんと守っているという手本をお示しになるはず。」
王子:「どこで何をしようが私の自由だ。自由気ままなくらしの楽しさを知らないとは、哀れな奴。」
あくまで王子を諭そうとするガリューは、牢屋に入れられてしまいました。
 王様が亡くなり、ジェラール王子が王位につくと、新王のわがまま勝手な行動を人々が真似するようになりました。店の品物を盗む子どもたち。狭い道で譲り合わない馬車の大人。大臣も視察をサボります。ついに、もう1人の大臣がこの事態を嘆き、ジェラール王を逮捕して牢に入れてしまいました。
 ジェラールは牢の中でガリューと再会します。ジェラールは国が乱れたことを嘆き、「あの時お前の言葉を受け入れていれば。もう手遅れなのだろうか。」と後悔します。ガリューは、ジェラールからそのような言葉が聞けたことを喜びました。ガリューは釈放されることになり、「あなたもいつか牢を出られる日が来る。そうしたら、本当の自由を大切にして生きましょう。」と言って、家に帰って行きました。

(ガリューが逮捕されそうになるあたりから、みんなシーンとして、真剣にビデオに引き込まれている様子でした。)

〈ビデオの感想〉

先生:「誰か、感想を言ってくれる人はいますか?」
男子3:「本当の自由は、みんなを大切にすることとわかりました。」
先生:「では、今のビデオについて入っていきたいと思います。」(先生が題名、登場人物名を確認しながら、人物の絵を黒板に貼っていきます。)
先生:(狩りをするジェラールのシーンをビデオで再現してから)「このとき、ジェラールはどんな気持ちで狩りをしていましたか?」
男子4:「自由。」
女子4:「楽しい。」
女子5:「他の人の気持ちを考えない。」
男子5:「勝手な気持ち。」
女子6:「ちょっとぐらいいいという、気軽な気持ち。」
先生:(王子を諭そうとするガリューのシーンを再生して)「ガリューはどんな気持ちですか?」
女子7:「やめてほしい。」
女子8:「今まで森を守ってきたから、森を守りたい。」
男子6:「自由気ままにしないでほしい。」
男子7:「わがままじゃないか。」
女子9:「いくら王子だからって、森で狩りをしないでほしい。」
女子10:「動物がかわいそう。」
男子8:「自分がやっていることをわかってほしい。」
女子11:「森を自分勝手にしてほしくない。」
女子12:「自由というものをもっとちゃんと考えてほしい。」

〈ガリューとジェラールの対立をロールプレイに〉

先生:「ガリューに言われて、ジェラールはどんなふうに思ったでしょうか?今から先生がガリューになりますから、誰かジェラールの気持ちになって、ジェラールの言葉を言ってみてくれませんか?ビデオの台詞ではなくて、自分の言葉で。」
 先生は自分の首にガリューの絵をかけました。男子9が立候補したので、先生が「勇気ある。」と褒めると、「成績が上がるんだ」という冷やかしの声が聞こえました。先生はそれには答えず、男子9の首にジェラールの絵をかけました。
先生(ガリュー):「あなたの自由は本当の自由ではない。このときのジェラールは、『フン!』という顔をしていますね。」
男子9(ジェラール):「これが俺にとっての自由だ。」
先生:「ありがとう。拍手!」(みんな拍手しました。)「その通りですね。だから、ついにガリューはどうなったんですか?」
女子13:「牢屋に入れられました。」

〈クーデターの説明が必要に〉

先生:「王様が亡くなり、ジェラールが王位を継いで、国はどうなりましたか?」
女子14:「みんな自分勝手になりました。」
男子10:「子どもたちが真似をした。」
先生:「そして、ついにどうなりましたか?」
女子15:「大臣が怒って、というか、嫌だったから王様を捕まえました。」
男子9:「先生、王様と大臣は、どっちがえらいんですか?」
先生:「王様です。それなのに、大臣が王様を牢屋に入れるということは、難しい言葉で言うとクーデターと言います。国が乱れたりすると、そういうことが起こることがあります。今度はジェラールが、自由をうばわれてしまいます。」

〈本当の自由とはどんなことか、牢屋の中のジェラールとガリューをロールプレイ〉

先生:(牢屋の中の様子をビデオ再生)「牢屋の中の2人の言葉を聞いてもらいました。みんなは、本当の自由はどんなことかを考えて、牢屋の中でのジェラールとガリューの会話をしてください。自分がジェラールとガリューの気持ちになって、自分の言葉で言ってください。誰かやってくれない?はじめの言葉はおしえてあげるから。」
 先生が促しても、「嫌だ」と言う人が多く、立候補が出ません。先生が男子2名を指名し、「大丈夫、2人ならできる。」と励まします。
男子10(ガリュー):「本当の自由とは、わかりましたか?」
男子9(ジェラール):「はい。みんなのためにちゃんとやることです。この国のためになることをやることです。」
先生:「拍手!ガリューをやってみて、どんな気持ちでしたか?」
男子10:「何ともいえない気持ち。」
先生:「そのときのジェラールの気持ちは?」
男子9:「反省していた。」

先生:「では役柄をスイッチしてみましょう。」
男子9(ガリュー):「自由とはどういうことかわかりましたか?」
男子10(ジェラール):「わかりました。」
男子9(ガリュー):「あなた様からその言葉が聞けるとは思いませんでした。」
先生:「どちらの役がやりやすかったですか?」
男子10:「ジェラール。反省している気持ちだから。」
先生:「男子9君は、どっちがやりやすかったですか?」
男子9:「ジェラール。反省している気持ちがやりやすかったです。」
先生:「2人は勇気がありますね。嬉しかったです。」

〈まとめは福沢諭吉の言葉〉

先生:「みんなは、本当の自由について、役割演技を見てどう思いましたか?」
女子16:「自分だけがよいのではなくて、みんながいいと思うのが自由だと思います。」
男子11:「国が乱れないこと。」
男子12:「安心して暮らせること。」
(ここで5時間目終了のチャイムが鳴ってしまいました。)
先生:「これが本当の自由ですね。ちょっと続けます。皆さん、机に伏せてください。」
みんな:机に顔を伏せました。
先生:「今まで、自由と思っていたけれど、それはわがまま勝手だと思うことがありますか?」
 10人ぐらい、手を挙げました。
先生:「はい、顔を上げてください。先生も、そういうことがあります。本当の自由について書いた人がいます。慶応大学をつくった、福沢諭吉という人の文です。」(次のカードを黒板に貼りました。)
自由とわがままとの界は、他人の妨げをなすとなさざるとの間にあり。
 
先生:「自分のわがままが他人の邪魔をしたりすると、いじめにつながったりします。自分の自由を求めると同時に、他人の自由もきちんと認める。時には、自分自身をぐっと抑える。我慢しなくてはいけない、という意味です。先生がこのことの意味を本当に知ったのは、大人になってからです。自分はわがままに生きていたと思います。もっと早く知りたかったと思いました。では、ワークシートに3行ぐらい書いて、出してください。」

取材を終えて

 「自由」について考える授業は5年生の他のクラスでも行うわけではなく、担任の先生がこのクラスに必要と思うので、行ったということでした。導入のときの子どもたちの回答からは、確かに自由の意味について深く考えていないように思えます。自分のやりたいようにすることが自由だと考える回答が目立ちます。ロールプレイの立候補者を募るときは、周りの子どもが成績のことを言ったりして、立候補しにくい雰囲気になっていました。他の学校の公開研究会でも、ロールプレイを高学年で行うのは難しいと指摘されていますが、この授業を行なったことで、子どもたちが自分の行動を考え直すきっかけになり、そのような学級風土が少しでも変わっていくことが期待されます。冷やかしの声にも負けず、役割を演じてくれた児童のおかげで、「本当の自由とはどういうことなのか考えること」がみんなの心に残り、この先も考え続けてくれるといいと思います。
最後に先生がみんなを机に伏せさせたのは、周りの子どもの目を気にせずに自分の考えを表現できるようにするためでした。手を挙げた約10人の子どもたちは、自分の行動にわがままなところがあったと認めたということであり、学習の成果が感じられます。
「自由」の意味を深く考えることについては、道徳と法教育は共通すると思います。法教育では、人々ができるだけ自由に活動できるように、自由と自由がぶつかり合う場合、関係する人々の利害を調整することを考えます。調整の手段として、きまりや法といったルールがありました。道徳では、望ましいと思う生き方をするために、与えられた自由をどのように使うか、自分の行動を自分自身で見直す「自律」を重視しているようです。
さらに深く自由とその制約を考えるための参考に、東京大学法学部の大村敦志教授にレポートをお読みいただきコメントを頂戴しましたので、ご紹介します。

大村先生のコメント

「自由とは何か」や、「自由の制限の必要性」を理解することは法教育の根幹に関わる重要な問題と思われます。自由(権利)には2つの理解の仕方があります。これに対応して、自由(権利)に対する制約にも2つの理解の仕方がありえます。この問題は、個人と社会(共同体)の関係、法と道徳との関係をどう考えるかにかかわります。
自由(権利)とは
 A:制約なしに、目的を問わずに行為が許されている状態
 B:道徳的に価値あることを進んで行うための可能性
自由(権利)の制限とは
 A:自由と自由とは衝突する。過剰な自由を調整する必要がある。
B:自由がめざすのは、より高次の価値の実現にむけて方向づけられる。
自由間の違いと「個人と社会」の関係
A:社会は、個人の自由の調整という最小限の目的のために存在する。
B:よりよい社会を求めて、個人はその自由を行使する必要がある。
自由観の違いと「法と道徳」の関係
 A:法は最低限の調整ルール、道徳はそれ以上のものである。
 B:法と道徳には重なりあう部分がある。その部分では、法は道徳にささえられる。
授業は、自由やその制限に関するAの考え方に基づいて組み立てられていたように見受けられますが、教材や児童の発言の中には、Bの考え方に通じる要素も含まれていたようです。自由やその制限に対する考え方は一つではないことをふまえるならば、実際の授業には先生が想定した以上のものが現れており、興味深い展開になっていたように思います。

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