法教育シンポジウム ―未来を拓く法教育― Final

 2011年11月26日(土)13:30~17:00、法務省・文部科学省・最高裁判所・日本弁護士連合会・法テラス主催の法教育シンポジウムが東京総合美容専門学校マルチホールを会場に開催されました。法教育シンポジウムは今回をもって最終回となります。舞台上での公開法教育には法学部や法科大学院の学生が登場し、これからの法教育を担う若い力を感じました。 (当日の資料より適宜引用しています。)

プログラム

基調講演  13:40~14:10
      「リベラル・デモクラシーと法教育―政治学の視点から」
      杉田 敦 先生(法政大学)
「法教育の新たな展開」実践報告  14:15~15:35
      金沢大学「金沢法友会」、東京大学法科大学院「出張教室」、品川区教育委員会
ぜいたくクロストーク  15:45~16:55
・公開法教育  
      「憲法、「新しい公共」、法教育」
土井真一先生(京都大学)、井上英之先生(慶應義塾大学)

1 基調講演

「リベラル・デモクラシーと法教育―政治学の視点から」
 杉田 敦 法政大学法学部政治学科教授

(1)法教育とのかかわり
 高校の公民科教科書を執筆していますが、公民科の教え方は、憲法の内容に沿う形で、法律と政治的なものをまわりにつけていきます。高校までの教育を受けて社会に出ていく生徒にとって、日々の買う・借りるといった契約・家族関係などの問題について、従来はあまりに無防備なまま社会に出ていたと思います。法を勉強する、考えることの意義は言うまでもありません。

(2)法教育と権力理解
 法教育を推進する人々は、「人々の政治権力への参加」という側面を明示してきています。この(「参加」を重視する)リベラル・デモクラシーという折衷型の体制に対し、20世紀の歴史を背景とした「自由主義的権力理解」では、「国民主権」の要素をうまく説明できません。

(3)自由主義的基調
 「自由主義的権力理解」では、権力と自由(=権利)とは対立するものであり、「権力に参加する」ことは「動員される」ことになります。「国民主権」においては、国民が政治に関心をもち、政治権力を形成し、権力を行使するのがよいとされます。自由権については、国家は手を出さないでほしい。しかし、人々の福祉を保障する=社会権については、権力が機能してもらわねばならないのです。権力についての一定の積極的理解が必要ですが、従来の日本では社会民主主義の考え方が根付いていませんでした。

(4)デモクラシーへの注目 
リベラル・デモクラシーの体制は、(今の日本で)広く共通に認識されていると思いますが、「権力を監視する側面」と、「権力をつくりだす、関与する側面」の両方をしなければなりません。アクセルとブレーキを同時に操る政治的スキル・知恵が問題となります。
教科書には「立憲主義・法の支配・三権分立」が権力を拘束する側面として、「デモクラシー」が権力を支える側面として記述されていますが、その2つはこのような緊張関係にあることが従来、教えられてきませんでした。
日本では、人権保障が過度に進行していたり、個人の自由が尊重され過ぎるということはなく、多くの人は企業内などで弱い立場にあります。法教育をするにあたって、「参加」を言われると、「権力への批判」のスタンスが失われることが危惧されます。自由主義的基調を保ちつつ、権力に関与するということをどう教えるか、知恵が必要です。

(5)民法教育欠落の背景
 公民的分野の半分は経済分野ですが、それに関わる法律的なものはほとんどありませんでした。その理由は、憲法重視だったからばかりでなく、「契約主体としての市民」という概念が軽視されてきたからではないでしょうか。「市民」とは、契約主体として自由で自立した、対等な存在であることが、自由な社会の原則です。「弱い立場」とは整合しないことは明らかです。きちんとした法的知識をもって社会に出ることが前提となっていますが、今、社会にあるもろもろの非対称的な関係を無視して、「自己責任論」に向かうことが危惧されます。
 契約主体としての自立性を身につけることと、社会内の非対称的関係について法律的にどう折り合いをつけるかが、リベラル・デモクラシーを支える両輪であり、法教育はその両輪を担うことが期待されます。

(6)「政治を掘り崩す政治」への対応
 現在、大阪の選挙のように、民主的に民主政治の基礎を掘り崩そうとするような、リベラル・デモクラシーの考え方では理解しにくい事例が起きています。従来、官僚や司法といった非民衆的部分で、政治家や立法という民主的権力を統制してきた権力統制のあり方に対し、民衆が異議申し立てをしていると考えられます。しかし、首相は自分たちの代表でなく、首相を交替させることが民意とされるような状態が長期化すると、デモクラシーそのものが権力の破壊の要素になります。すると、デモクラシーとリベラリズムの関係が崩れてしまうことが考えられます。

(7)おわりに
 (デモクラシーとリベラリズムの)新たなプログラムの形成が必要かもしれない、ということが今の問題意識です。

2 「法教育の新たな展開」実践報告

(1)金沢大学「金沢法友会」実践報告
 金沢大学法学部の法教育活動は、2010年夏から始まりました。自主ゼミ、教材作成、全国のシンポジウムや学会への参加等の活動をしています。教材作成については、2010年度は「動物園のルールを考える」、「大学の裏口入学の是非」(朝日大学法教育教材コンクール毎日新聞社賞受賞)、2011年度は「青少年育成条例と表現の自由」を作成しました。
 「青少年育成条例と表現の自由」の実践授業は、8月17・18日に滋賀県立虎姫高等学校2年生を対象に、「わたしの好きな漫画が変わっちゃう?~表現の自由とその限界を考える~」という授業を行いました。90分×3コマで、架空の条例を納得できるものにするよう改訂するものでした。
 法教育に携わることは、自分たち大学生にとっても意義あることです。「自由」や「正義」といった法の根本的な価値に踏み込んで学ぶこと、コンプライアンスなど社会に出てから役に立つ知識・技能を学ぶこと、身の回りの問題を発見して自分なりに行動する態度が養われるという意義を感じました。
 課題は、必ずしも法に興味のある生徒ばかりではないので、経済学や教育学的視点を取り入れ、授業進行のノウハウを積み重ねる必要があることです。大学生が法教育にどのように貢献できるのか。生徒と年齢が近いことと、様々な専攻分野の学生がいるという強みを生かしたいと考えています。

(2)東京大学法科大学院「出張教室」実践報告
 「出張教室」の活動は2004年度から法科大学院の有志によって始まり、7年間で約5000人の中学・高校生に授業をしました。1年かけて教材を作り、3月に班単位で各地の学校へ授業をしに行きます。「出張教室」の意義は、生徒に法を身近に感じてもらうとともに、自分たちにとっても「学びの場」であることです。鳥取県立米子東高等学校での実践では、生徒からソクラテス・メソッドによる双方向授業が面白かったという感想を得ています。
 今後の活動は、「企業法務との交流会」や「麻布高校における複数回にわたる選択授業」を予定しています。企業法務との交流では、判例の説明を実務に応用するのが大変であるなど、法曹になってから役に立つ貴重な体験をさせてもらえました。麻布高校では単発授業とは違った授業づくりを考えています。また、今年3月には初めて、文京区で一般市民向けの授業を行うなど、活動の場を広げています。

(3)品川区教育委員会
 品川区では、教育特区として独自の小中一貫教育をしています。法に関する教育については、従来は薬物乱用や万引きなどの犯罪防止教育をしていました。自発的な規範意識を育てることを重視し、被害者や家族の立場から自分をコントロールする複眼的な視点をもつことと、行動を重視し実践力を高めることを大事にしています。
 このたびは法務省から犯罪を誘発しないような、法教育の新しい実践の指導計画と方法を求められました。そこで、小学校教員1名と中学校教員3名により、少年A・Bが高齢者を強盗し傷害を負わせる事例の模擬裁判教材を作成しました。区内の学校ではこれまでにも、全国に先駆けてディベート・討論・シミュレーションなどを用いた授業を実践しています。この模擬裁判授業を行った9年生の生徒は、「難しいけれど、楽しかった。」「公正に裁くことの難しさを感じた。」といった感想を述べています。
 小中一貫教育では、「市民性」を育てる学習として、道徳・特別活動・総合的な学習の時間を統合した「市民科」を創設し、週2~3コマ授業をしています。「市民科」では、ルールやマナーを扱う単元が9年間で11単元あり、その系統性は「市民科」教科書をご覧いただきたいと思います。今後の法教育の展開としては、社会科としての実践と、「市民科」の5段階ある授業展開のどのステップに法教育を実施するかを検討することです。「自分が罪を犯さないためにどうするか」考え、「法的なものの考え方」、「複眼的思考」を身につけることを目ざしています。

3 ぜいたくクロストーク・公開法教育

「憲法、「新しい公共」、法教育」
   土井真一 京都大学大学院法学研究科教授
   井上英之 慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科准教授
   金沢大学法学部生・東京大学法科大学院生のみなさん (以下、敬称略)

〈トークの目的〉

土井:「基調講演のお話は、国家と個人を対峙させて考えるものでした。憲法の役割は、自分のことは自分で決めるという側面を守るとともに、みんなのことはみんなで決める(=権力)ことも大事にするということです。個人が自分のことをしっかり考えることを出発点とし、個人が集まって協力する場合、目的があります。目的に照らして協力のあり方・国家権力のあり方が決まりますが、そのバランスをとるのは難しいことです。このトークでは、国家と個人を対峙させて考えるにとどまらず、個人の自由な空間・私的空間の中に「新しい公共」があるのではないか考えます。」

〈「新しい公共」とは〉

土井:「「新しい公共」とは、個人の私的空間を、私利私欲のための空間ではなく、新しいもの、社会における自発的な共同の取り組みを生み出す空間ではないかと考えます。井上先生の目には、法教育はどう映っていますか?」
井上:「法教育は全く初めてですが、「新しい公共」や社会起業とこんなに重なっていることに驚きました。「新しい公共」は、自らが担い手となって、民間の私たちでより良い社会をつくっていこうとする活動で、2006年から始まりました。ネットの存在で、1人の声が多くの人とつながりやすくなっています。ソーシャルベンチャー・パートナーズというファンドを立ち上げ、社会的目的に対して、お金と自分の専門性を活かした時間のお手伝いをしています。
  たとえば、コレクティヴ・ハウジング社というところは現代版長屋をしています。アパートの一部に皆のためのパブリックな場所を作り、「コモン・ミール」を作って一緒に食べるとか、一緒に庭を作るといった活動をします。一見面倒ですが、どうしたら一番いいルールがつくれるか、自分たちの中でルールをつくります。このプロセスが、孤立感・孤独感のつながり直しをつくっています。「新しい公共」は、一人ひとりが世の中を変えていくチャンスだと思います。」
土井:「ソーシャルベンチャー・パートナーズには多様な人が集まっているそうですが、最初はどう接点を作られたのですか?」
井上:「ソーシャル・アントレプレナーに興味がある人をネットで募って勉強会をしたら、集まってくれました。」
土井:「多様な能力の人が集まり、それぞれの個性を活かすと、もっと大きな可能性が開かれるということだと思います。自分らしさを皆のためにどう生かせるか、前向きに考え、思いをくみ上げる人が大事だと思いますが、ポイントは何ですか?」
井上:「法教育のケース・スタディと同じです。ケース=目の前に困っている人がいて、そのために技術を出し合い意見を出し合って協働します。」
土井:「現にある問題を、どういうことか分析し、それをどう解決するか。多様な人の能力をうまく引き出していくと、公共的なものに役立っていくということですね。」

〈法教育のアソシエーション〉

土井:「19世紀のトクヴィルは、アメリカの民主主義について大事な3つの要素は、地方自治・陪審制・アソシエーションであると言っています。アソシエーションは市民による自発的な活動で、法教育の団体と同じです。学生の取り組みはどこが面白いですか?」
井上:「創意工夫の話をしてほしいですね。」
学生1:「内容を盛り込み過ぎず、原則的な考え方に絞れば生徒の印象に残りやすいと思うので、何を一番伝えたいか考えました。」
学生2:「教材を作る際、生徒に自由に議論させたいことと、自分たちの結論に誘導してしまうことのバランスに悩んで、結論が出ません。」
学生3:「生徒から意見が出ないときは、クローズド・クエスチョンにして、答えてくれたらさらに理由を聞きました。意見が出たときは褒めることにしていました。」
学生4:「教材の導入部には、興味をもってもらえるようなもの。男子の班には男子学生を入れて、うちとけてきたら、メンバーを入れ替えたりしました。」
学生5:「机を配置すると距離が遠くなるので、椅子だけでもいいなどが反省点です。」
井上:「教材のデザインの話と、伝える場の作り方・教室のカルチャーの2つが含まれています。「新しい公共」の活動でも、具体的な問題解決の方法論と、モチベーションをどうあげるかが問われます。」

〈学生自身にとって法教育に取り組む意義は?〉

土井:「活動を通して、自分にとって良かったことは何ですか?」
学生6:「何事に関しても、その奥に何があるかと考えるようになりました。大学の授業で、自分は何をしないといけないか。先生が本当に言いたいことは何か、など。」
土井:「とても嬉しいですね。自分自身が教える経験をしてもらうことが大事です。」
学生7:「議論をする授業がいいという前提があると思いますが、双方向授業はソクラテス・メソッドだけではないし、考えさせることはほかの方法でもできると思っています。」
学生8:「教材を作る際、ルールの原則や法の理念を深く考えるようになりました。大学の先生は、自分の学説だけでなく、ルールの裏にあるものを伝えようとしているということを感じあるようになりました。」
井上:「どうして法律を勉強しないといけないのと聞かれたら、何と答えますか?」
学生9:「法や学問は自立した存在になるために必要だと伝えたいと思います。」
井上:「自分の根の部分にあるものを伝えようとすると、伝わります。」
土井:「教育の内容と方法は密接に関連していて、両方大事だと思います。自発的アソシエーションにより法教育を広めていくのが、法教育普及の次のステップだと思います。「新しい公共」を担う人材を、新しい手法で育成することです。新しい力に期待しています。」

取材を終えて

 基調講演で、日本では人権が保障され過ぎているということはなく、多くの人は弱い立場にあるにもかかわらず、「参加」を強調することによって、権力への批判のスタンスが失われることが危惧されていました。法教育は、自由主義的基調を保ちつつ、権力に関与することを教えることであり、両者のバランスを考えなければならないという指摘を、大変興味深く感じました。権力に従う側にいた児童や生徒が、権力に関与する態度を養う際に、権力への批判の姿勢も忘れないことが大切であると、改めて思いました。
 今年は取材していると、「新しい公共」という言葉にときどき出会うようになった年です。井上先生の現代版長屋のお話によって、その「新しい公共」の具体的なイメージをつかめたように思います。法学部生や法科大学院生の出前授業などの取り組みは、自発的なアソシエーションによる「法教育」の普及活動であり、「新しい公共」の活動に位置付けられていました。今後の取り組みの発展が期待されます。
 法務省・文部科学省・最高裁判所・日本弁護士連合会・法テラス主催による法教育シンポジウムが今回で最終回ということの意味は、法教育を周知する段階は一区切りしたということでしょう。これからは現場の先生方や法律専門家でつくる研究会、学生の団体など法教育のアソシエーションがその取り組みを充実させ、法教育のさらなる普及を続けていく段階と思われます。

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