シンポジウム「新学習指導要領における「法教育」のあり方を問う」 その2

 2012年6月17日(日)に開催されたシンポジウムの後半をお伝えします。

4 パネルディスカッション

(1)指定討論者の発表

「「効率と公正」、「幸福、正義、公正」経済学の考え方」

               中川雅之 日本大学経済学部教授
 経済学が考える効率的な状態は、AとBという2人の人しかいない社会で考えます。Aの効用を縦軸、Bの効用を横軸に取ると、実現できる最適なAとBの効用の組み合わせが効用可能曲線として表されます。経済学における効率的な状態は、この曲線上に無数にあるのです。この曲線上(効用フロンティア)でAの効用を上げようとすれば、Bの効用を下げざるを得ません。曲線上のどの点を実現するか、社会で選びとることが必要になります。「公正」な状態の実現は、社会がどうやって望ましい状態を選択するかによるものであり、どのように選択するかを社会構成関数(価値観)といいます。
 功利主義的社会構成関数は、Aの効用+Bの効用を最大にするすべての状態です。ロールズ主義的社会構成関数は、最も恵まれない人の効用を最大化する状態です。トリアージの実施とは、治療方針を「それぞれの患者の治癒可能性の期待値の総和を最大にする」ということであり、トリアージを実施しない場合の治療方針を、「最も状態が悪い人の治癒状態を改善すること」とすれば、両者の差異は価値観(社会厚生選択関数)選択の問題であり、「効率と公正」のトレードオフが生じているわけではありません。それでも、「社会としての価値観の選択」を考えさせることには、非常に大きな意味があるのではないかと考えられます。
 「効率と公正」のトレードオフが生じる可能性があるケースとしては、高所得者への高税率の課税、低所得者への大きな所得移転を行うことで、双方の労働のインセンティブが喪失され、効用可能曲線が後退する場合が考えられます。「効率性をある程度犠牲にしても、『特定の公正さ』を実現することを社会として選びとるべきだろうか?」ということを考えたり、議論したりすることは非常に有用ではないかと考えます。もっと大きな非効率性をもたらすのは、特定の経済活動に対する課税(物品税等)、現物支給(公営住宅、過疎バスの維持等)と考えられますが、議論を技術的なものにしないためにも、上述のような事例の方が好ましいのではないかと思います。
 経済学における「幸福、正義、公正」については、
「幸福」=(おそらく)効用
「正義」=(おそらく)分配的価値観以外の(道徳的)価値観
「公正」=(よく使用されるケースとしては)分配的な価値観であり、社会構成関数の形状を決定するもの
と考えられます。「幸福」と「公正」の関係は、前述の効用可能曲線上の点の選択問題と同様であり、「正義」と「公正」の関係は、道徳的価値観の部分集合であると考えられます。「幸福」と「正義」の関係をどう捉えるかについては、さまざまな考え方があり、どう考えるかが議論されるでしょう。

「幸福、正義、公正について、憲法の観点から」

             土井真一 京都大学大学院公共政策連携研究部教授

 「幸福、正義、公正」の概念は、報告された先生方が学習指導要領におけるそれらの概念の定義をまとめておられたように、「問い」という形で定式化されることを確認しておきたいと思います。従来、学校での教育では、「幸福、正義、公正」とは何か、これが答えというふうに教えることはできないから、これまで問わずにきたということがあります。しかし問わないのは問題でした。これを考える授業がつくられることが期待されます。
 桑原先生は報告で、「枠組み」という言葉でこれらの概念を説明されました。常にこれら3つの概念が関わっているわけではありませんが、先生は3つをきれいに結びつけて説明されました。「現代社会」は政治や経済分野だけでなく、倫理的分野にも及ぶので、何がよい生き方か、この制度は本当に正しいのかということを考える側面もあります。幸福をとれだけ我慢して正しいことを立てるかという「義務論」という考え方もあります。どの要素を幸福、正義、公正にふるのか、あまりこだわらないほうがいいと思います。「こういう点が公正の観点である」というふうに言えるのではないかと考えます。あくまで、「問い」という枠組みで考えるのがよいと思います。

(2)パネラーのコメントとフロアからの質疑応答

パネラー:
吉田 俊弘  筑波大学付属駒場中・高等学校教諭
桑原 敏典  岡山大学大学院教育学研究科准教授
中原 朋生  川崎医療短期大学准教授
吉村功太郎 宮崎大学大学院教育学研究科准教授
大杉 昭英  岐阜大学教育学部教授

司  会:
橋本 康弘  福井大学教育地域科学部准教授

吉田先生:「素晴らしい実践提案でした。現場では、「対立と合意」の「合意」は強制ですか?とか、「効率と公正」のレベルは同じでいいか?という疑問をもつ先生もおり、議論が続いています。今回の問題提起は、社会を見るときの見方・考え方の枠組みの基礎として提案されていると思います。枠組みの基礎を学ぶための教材が用意されていると思います。心配なのは、概念の枠組みに焦点が当たり過ぎるおそれがないかということです。生徒が概念の枠組みにとらわれると、実質的な議論ができなくなる場合もあるかもしれません。言論活動を充実させる教材であってほしいと思います。
 よりシンプルな事例をデザイン化した教材ならば、生徒が自分の目で捉え、発展させることができると思います。事実の重み・当事者の切実性が生徒に伝わるような教材を考えたいと思います。自分の実践では、「総合的な学習の時間」に高校2年生が「憲法を読む」というゼミ学習をしています。その授業に参加している生徒の問題意識は、「民法が想定する人間像とは何か?」「憲法のよって立つ思想的基盤は何か?」「憲法の正当性とは?」などです。法制度がよって立つ根拠は何かを考えるときの枠組みとして「幸福、正義、公正」は大事な概念だと思います。どんな材料を使って枠組みを考えるか。枠組みの基礎を操作主義的に使わないようにしたいと思います。」

桑原先生:「中川先生の発表を聞き、選択する価値をどのように授業で設定するかが大事だと思いました。土井先生、吉田先生には共通して議論の過程が大事だと言われていました。枠組み優先で議論が後回しにならないようにということですね。自分の目で見て考えることと枠組みは対立するのか。議論の本当の意義はどこにあるのか、よく考えねばならないと思います。議論が空回りしたり、個人に集約しないようにすることも大事です。」

フロアから1:「吉田先生と同じ意見です。資料を用意し過ぎないで、もう少し生徒を動かすことが必要だと思います。資料を自分で探し、理由をつけて話すような生徒を育てたいと思います。」

フロアから2:「自分は枠組みは必要だと思います。複数の枠組みを使い分け、どれが一番適切か考えたり、新たな枠組みを作ったりするとよいと考えます。生徒をいかに揺さぶるかが大事だと思います。「社会をどう見たらよいか」について、合理的に見る見方を使い分けることを教えるのがいいのではないか。教材をシンプルにすることには反対です。吉村先生の経済学習教材プラン(レポートその1参照)のように、事象をどう読み解き得るかを考えることがいいと思います。吉田先生はそれについてどう思われますか?」

吉田先生:「枠組みの基礎が必要ないというのではなく、そこに時間を使いすぎないことが大事ということです。時間が足りなくなるので。シンプルな教材は、それを通して生徒が考えることができ、十分な議論の時間もとれるからよいという意味です。」

フロアから3:「この授業の発展のさせ方を教えてください。」

桑原先生:「「幸福、正義、公正」の概念を一切用いないで理解の部分注1を展開するといいかと思います。枠組みは教師がかみ砕いて、思考のプロセスとして生徒に捉えさせればいい。正義とは「こういうことなんだな」と生徒が感じ取ってくれればいいと思います。枠組みに時間を取られないで授業をすることが教師の腕の見せどころです。」

フロアから4:「地理・歴史では枠組みがありますが、公民に入って生徒が「対立」って何、と思うかもしれないと感じました。社会科は変わらないといけないと思いました。」

大杉先生:「内容編成上、公民は概念を前面に出しますが、歴史は事象が前面に出ます。よりましな枠組み・解釈の基準になるよう授業づくりしてほしいと思います。」

橋本先生:「新学習指導要領には「対立と合意、効率と公正など」として「など」が付いていますので、これらの概念を使ってどう授業をつくるか、またこれ以外の概念枠組みをどう作るかも大事だと思います。学会で取り組んでいきたいと思います。」

取材を終えて

 新しい「学習指導要領解説」には「幸福、正義、公正」という概念の捉え方が示されていますが、土井先生が「それらは問いという形で定式化される」と噛み砕いて言われ、大変わかりやすく思いました。さらに桑原先生が、授業の発展方法として、「「幸福、正義、公正」の概念を一切用いないで理解の部分 を展開するとよいだろう。枠組みは、思考のプロセスとして捉えさせるように。」と、具体的な授業づくりの考え方を示されました。新しい概念をどう扱えばいいのかについて、多くの示唆が示された有意義なシンポジウムだったと思います。

注1:
レポートその1の3 授業プラン報告(1)授業の構成原理についての説明参照。高校の「現代社会」で、個人の幸福追求が対立に至る過程を捉えさせて、調整が必要になることを理解させる、という部分のこと。
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