シンポジウム「新学習指導要領における「法教育」のあり方を問う」 その1

シンポジウム「新学習指導要領における「法教育」のあり方を問う」
   ―「対立と合意、効率と公正」「幸福、正義、公正」を事例にして―

 2012年6月17日(日)13:00~16:30、法に関する教育教材開発研究会主催(後援:法と教育学会ほか)によるシンポジウム「新学習指導要領における「法教育」のあり方を問う―「対立と合意、効率と公正」「幸福、正義、公正」を事例にして―」が日比谷図書文化館スタジオプラスで開催されました。新学習指導要領に示された新しい価値・概念をどう取り扱っていけばよいのかについて検討します。
 定員60名と、父の日のためか参加者を少なめに見積もった主催者にとっては嬉しい誤算で、席が足りないほどの参加者がありました。
(当日のプリントより適宜引用させていただきます。)

プログラム

13:00~13:10 シンポジウムの趣旨
13:10~14:10 基調講演「学校における法教育の充実・発展に向けて」
14:10~15:10 「対立と合意、効率と公正」「幸福、正義、公正」に関する授業プラン報告
15:20~16:30 パネルディスカッション

1 シンポジウムの趣旨

橋本康弘 福井大学教育地域科学部准教授
 新学習指導要領社会科・公民科に提示された「対立と合意、効率と公正」「幸福、正義、公正」という枠組みは、従前の社会科・公民科では取り扱われていませんでした。特に、「効率」「公正」「正義」などは、その概念内容の難しさから、授業をつくる上でさまざまな困難が予想されます。これら、法教育と関連の深い価値・概念をどう取り扱っていけばよいのか検討するにあたり、まずこれらが新学習指導要領に登場した背景などについて、基調講演で明らかにしていただきます。そして、これらの価値・概念に関わる授業づくりにかかわった大学教員に、それぞれが作成した授業の内容と作成上のポイントなどについて報告してもらいます。最後に、報告された授業についての感想と、これらの価値・概念の授業開発・実践のあり方について、パネルディスカッションを進めます。

2 基調講演「学校における法教育の充実・発展に向けて」

            大杉昭英 岐阜大学教育学部教授
(1)学校教育で育成しようとするもの
 学校教育においては、社会を形成する主体となるときにどういう知識・能力が必要かということが大事であり、知識プラス能力を成長させなければなりません。知識プラス能力イコール学力と言えます。
 国際標準の学力とは、2000年のリスボン戦略(EUの経済・社会政策)をふまえ中央教育審議会から出された「答申」に表れています。「答申」では、今後の知識基盤社会の時代を担う子どもたちに必要な能力は「主要能力(キー・コンピテンシー)」であり、これを「生きる力」とほぼ同じと考え、「生きる力」を再定義しました。それによれば、「生きる」ということは「自ら行動する、道具を用いる、他者と交流する」ことであり、この時に必要な能力は、A:異質な集団と交流する、B:自主的に活動する、C:相互作用的に道具(言語、シンボル、テキスト、知識、技能)を用いる能力です。これらABCの能力をキー・コンピテンシーといいます。
 日本における学力の定義は、学校教育法第30条2項に「基礎的な知識及び技能を習得させるとともに、これらを活用して課題を解決するために必要な思考力、判断力、表現力その他の能力をはぐくみ」とありますように、知識と結びついた思考力・判断力に力点があります。

(2)新学習指導要領と法教育
 平成18年度の中央教育審議会審議経過報告では、「民主主義や法、自他の権利や義務、公正さといった基本的な概念について体験的に理解させることが重要である」とされました。法教育では、民主主義や自他の権利・義務、公正さといった知識を、トラブルや紛争を公正に解決するという課題解決のために活用する力を育むので、前述の学力の定義にかなうものです。
 法教育の学習領域としては、法教育研究会による『はじめての法教育』(ぎょうせい 2005年)に示されている「ルールづくり」「私法」「憲法」「司法」の4つを考えることができます。どの教科のどの内容が法教育の学習領域に相当するかについては、東京都教育委員会が作成した冊子『「法」に関する教育カリキュラム』(2011年)(p.36~39)が参考になります。
 「ルールづくり」については、ルールがつくられる必然性(意義)の理解、ルールをつくる体験、ルールを評価しつくり変える体験が大事です。心の部分を理解し納得してもらうためには、生活科や体育の体験が重要だと思います。個人的には生活科が小学校の法教育のスタートとして一番いいと思います。「私法」については、従来、消費者保護は学習するけれど契約を学習しなかったという反省があります。「憲法」では、憲法とは政府と国民の契約であること、内容としては人権規定と政治機構を扱いますが、従来は構造的把握ができていなかった反省があります。「司法」については、模擬裁判が扱われることになり、特に評議の部分がうまく授業化されてほしいと思います。

(3)法教育に関連する新たな学習内容
 中学校社会科公民的分野の「対立と合意、効率と公正」も高等学校「現代社会」の「幸福、正義、公正」も、社会のあり方を判断する際の枠組みと考えられます。ちなみに「政治・経済」では、平成10年版の学習指導要領にすでに「効率と公正、対立と協調」が示されています。価値多元社会においては、対立は必然であり、さまざまな価値観をもつ人々が強調して生きていくためには、合意形成の必要性があります。合意内容の妥当性を考えるときに基準となるのが「効率と公正」です。「効率」とは、「社会的に無駄がないこと。誰の満足も減らさずに他の誰かの満足を増やすことができるのは望ましいこと。」です。「公正」とは、「一人ひとりに配慮していること。」手続き、機会、結果の公正さが大事です。

(4)法教育実践の留意点―教師の知識観と授業観―
 学校現場の先生方と法律専門家の常識の違いといえばいいでしょうか。現場の先生は、客観的に存在する真理を教師が事前に知り、生徒に発見させるように指導し、身につけさせようとする「実在論的な知識観」で授業をする傾向があります。それに対し、法律専門家は、コミュニケーションを通して真理を構成するよう指導する「構成主義的」な授業を指向します。たとえば、「科学的法則」を学校の先生は「自然現象の根底にある客観的真理」と考えるのに対し、法律専門家は「科学者集団における社会的取決め」とみなすという具合です。そういった違いをお互いに理解する必要があります。

(5)法教育と新しい学習評価
 従来の評価の観点は、①「知識・理解」、②「思考・判断」、③「技能・表現」、④「関心・意欲・態度」の4つでした。新しい観点は、①④は同じですが、②のところが「思考・判断・表現」、③が「技能」となりました。「思考・判断・表現」を一体としたことで、言語活動の中で評価することが重要になります。課題に対して知識を活用して考え、判断し、その過程や内容を表現することが評価されます。解釈したことを説明したり論述したりすることが言語活動です。たとえば、意見があるとき、その理由を3つ聞くという方法があります。「なぜなら~。それに~。また~。」というようにし、評価する方法です。

3 授業プラン報告

(1)「対立と合意、効率と公正」「幸福、正義、公正」の理解を目指した授業プラン
            桑原敏典 岡山大学大学院教育学研究科准教授
 本報告ではまず、『学習指導要領解説』における「幸福、正義、公正」の概念のとらえ方を示します。「幸福」=「個々人は、自らの「幸福」を願い、充実した人生を求めているのであって、こうした願いができる限り実現できるよう配慮されていることが、現代社会の諸課題を考察するうえで大切なことである。」「正義」=「すべての人にとって望ましい解決策を考えることを、ここでは「正義」について考えることであるとしている。」「公正」=「対立や衝突を調整したり解決策を考察したりする過程において、また、その結果の内容において、個々人が対等な社会の構成員として適切な配慮を受けていることである。」などとされています。
その三者の関係は、「社会の構成員は各自の幸福を願っている。それが可能な限り(正義と公正が条件)実現されることが望ましい状態である。」と考えます。(途中省略)「対立などのために達成できない自分の幸福の実現を、人々はどの程度であれば人のために受容できるか、その際にどのような手続きをとれば納得してそれを受け入れられるか。」という関係になるとします。
 「幸福、正義、公正」は、個人を起点とする事象の捉え方です。高校の「現代社会」では、個人の幸福追求が対立に至る過程を捉えさせる必要があり、その上で、各人の受容の程度は異なること、それにより対立などが生じ調整が必要になることを理解させるとします。 授業の構成原理は、① 問題の概要の把握、② 問題構造の追究(幸福をめぐる対立の構造)、③ 正義の実現による問題解決方法の追究、④ 問題解決のための公正さの追究、⑤ 幸福追求の限界の認識 です。

【授業プラン1】高等学校公民科現代社会「情報に関わる諸課題」(2時間)
テーマ:「性犯罪者に関する情報公開制度」
導入:監視カメラが事件解決に役立った新聞記事などを資料に、監視社会の概要を把握。治安維持には都合がいい反面、プライバシーの保護に問題があることに気付かせる。
展開1:アメリカにおける性犯罪者の情報公開に関する新聞記事やサイトの一部を示し、「なぜこのような制度が成立したのか」「この制度により、誰の、どのような権利が制限されているか」自分の意見をワークシートにまとめた上で、グループで話し合い。社会全体の幸福の追求。
展開2:情報公開による犯罪の抑止と犯罪者のプライバシー保護の関係を踏まえた公正の実現。「罪を犯した人の権利は、何でも、いつでも制限されて仕方ないのか」グループで話し合い。
展開3:日本における性犯罪者に関する情報公開制度導入と、その要件としての正義の実現について話し合い。制度化が必要とされる社会的条件、制度自体の内容の両面から考察するよう促す。
終結:正義や公正をふまえた幸福の実現の困難性。

「対立と合意、効率と公正」は社会を起点とする事象を捉える枠組みと考えます。中学校社会科では、事象を社会的な視野から捉え、客観的に理解させるものとします。

【授業プラン2】中学校社会科公民的分野「現代社会を捉える見方や考え方」(2時間)
テーマ:「市町村合併に伴う問題」
導入:日常生活や学校生活の中で見られる対立
展開1:比較的大きなA市と、隣接している人口の少ない小さなB市の合併に際し、市役所・ごみ処理施設・体育館の場所・費用負担といった問題が生じているというエピソードを用意する。「どのような人々が、なぜ対立しているか」争点・メリット・デメリットを各自がワークシートにまとめた上で、話し合い。
展開2:問題の解決策をグループで考案する。
展開3:その妥当性を吟味する話し合い。解決策の妥当性の基準としての効率と公正。
終結:対立と合意、効率と公正の枠組みで捉えられる日常生活の中の事象。

【授業プラン3】中学校社会科公民的分野「現代社会を捉える見方や考え方」(2時間)
テーマ:「中学2年生のクラス対抗球技大会の練習場所と練習時間を決める」
導入:日常生活や学校生活の中で他人と意見が対立したときの解決方法
展開:ある中学校の年度末クラス対抗球技大会のエピソードを用意する。第2学年が、大会に向けての各クラスの練習場所と時間決定の話し合いをしている。5つのクラスが、毎日1回1時間ずつ練習場の使用が可能で、大会まではあと1週間ある。各クラス代表になったつもりで、グループなどで話し合う。クラスの条件を変えて、問題解決の話し合いをする。
終結:判断基準としての効率と公正

 まとめとして、事象に先立つ認識枠組みから入る学習は、従来からの学習方法の流れに逆行するもので、枠組みは思考判断を通して身につくため、抽象的な枠組みと具体的な事象の間の往復が不可欠であるということでした。

(2)立憲主義公民学習としての授業構成
            中原朋生 川崎医療短期大学准教授
 本報告では、「対立と合意、効率と公正」「幸福、正義、公正」をフレームワークとする公民学習のルーツをアメリカ合衆国の立憲主義公民学習論に求め、それに基づく授業プランを提示します。立憲主義公民学習とは、憲法を単なる学習内容とするのではなく、憲法的価値を公民学習の目標・内容・方法を貫く学習原理として位置づけようとする公民学習の総称です。ここでの憲法的価値とは、立憲主義憲法が提示する市民性育成の方向性をさします。
 中学校政治学習における授業づくりの視点は、「効率と公正」=「最大多数の最大幸福vs個人の尊重」という社会的ジレンマと捉え、「対立と合意」=立法・政策決定・裁判における「議論」と捉えます。

【授業プラン1】中学校公民的分野「私たちの政治」の「人間の尊重と日本国憲法の基本原則」向け
テーマ:「トリアージ―助ける命を選べるの?―」
導入:トリアージの定義。大災害時の新聞記事などを資料とする。
展開1:トリアージの歴史における効率と公正とは?フランス革命前後の野戦病院における優先治療の実態から、「貴族優先」「民主的」「軍事的」なトリアージの「効率と公正」を考える。
展開2:トリアージをめぐる議論における対立と合意とは?トリアージの導入をめぐる日本における議論を、明治時代の軍の方針・森鴎外の役割・現在の方式を把握して、理解する。「対立と合意」の活用では、トリアージの評価が「差別的治療」と「効率的治療」に対立し、議論が続いて近年合意が形成されつつある現状を把握する。
終結:トリアージのルールを考える。

 高校の授業づくりの視点は、「幸福」について「多様性の尊重」を重視します。「正義」については「社会的正義の基準としての憲法」、特に「個人の尊厳」の保障を重視します。「公正」については、ケースごとに適用される個別具体的な判断基準とします。

【授業プラン2】高等学校公民科
テーマ:「輸血拒否事件―あなたの命はだれのもの?―」
導入:宗教的信念からの輸血拒否事件という社会事象(出来事)を読み、概要を把握する。
展開1:患者Aさんと医師のそれぞれの幸福観を考える。
展開2:幸福追求や宗教について、日本国憲法の条文を確認。医師の倫理規範から医師の社会的責任を確認。社会全体では、個人の生命をどのように扱うべきだと思うか(正義について考える)、資料「輸血の歴史」を参照しながら、尊厳死・自殺などさまざまな議論をする。
展開3:「公正」な判断の追究。生徒自身が裁判官としてAさんと医師の対立についてどのような判決を下すか、グループで議論し、判決と理由を発表する。
終結:輸血拒否事件の概要を幸福・正義・公正というキーワードを使いレポート作成。

(3)「幸福、正義、公正」の活用を目指す経済学習教材プランの開発
            吉村功太郎 宮崎大学大学院教育学研究科准教授
 本教材プランでは、学習指導要領のものとは若干異なり、「正義、公正」を分析概念として使います。すなわち、調整や解決策・社会制度や規範などが人々に受容され得るものになっているか吟味・検証を行う判断基準として「正義、公正」概念を活用し、社会の問題状況を理解し、そのような社会における自己の生き方を考え、社会のあり方についての判断を行う授業を考えます。

【授業プラン】高等学校「現代社会」
テーマ:「現代日本の労働・雇用状況―人々の生活と社会経済」
導入:問題の把握。新聞を加工した資料でネットカフェ難民の実情を理解し、正規雇用と非正規雇用の違いに注目させる。
展開1:正社員と派遣労働者の違いを示す事例や声を新聞記事などで調べ、考えたことを述べる。労働法・社会保障制度の現状と課題を調べる。
展開2:企業経営者の記事などから企業側の状況を理解する。グローバル化の進展などを理解する。
展開3:派遣労働者の不満はどのようなものか。「幸福」の減退、「公正」からの異議申し立ての理解。労働者側と企業側はどのような点で対立しているか考え、発表する。政府の役割を理解する。
展開4:海外の事例を調べ、「幸福、正義、公正」概念を活用して捉える。
終結:正規雇用と非正規雇用について自分の意見・対応策を考える。

〈シンポジウム後半はレポートその2をご覧ください。〉

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