高校教諭と労働法学者の往復書簡(1) 「労働法『で』考える? 労働法『を』考える?」

今回から5回にわたり、高校教諭と労働法学者との往復書簡を紹介いたします。
教壇に立つ高校教諭の疑問や悩みに労働法学者はどう応えるのか。
憲法編に続き、第2弾の労働編も、法教育を実践するうえでのヒント満載です。

『高校教諭』は、広島市立基町高等学校教諭の河村新吾先生、
『労働法学者』は、東京大学大学院法学政治学研究科教授の荒木尚志先生です。

第1回目のテーマは、「労働法『で』考える? 労働法『を』考える?」です。
今週のみ、河村先生から荒木先生へと荒木先生から河村先生への往復書簡を同時掲載、来月からは、第1週目に河村先生、第2週目に荒木先生の書簡を掲載します。
(右上の文字サイズを「中」にしてご覧ください)

 

荒木尚志 先生

 桜花の候 希望に満ちた新入生の顔に笑みをこぼされている頃だと思います。初めてお便りを差し上げます。「体は小作りだが授業は手作り」をモットーに広島の高校で公民科を担当している教員です。大半の中学生にとって高校受験は人生初めての試練だったと思います。それを突破し希望に満ちた新入生の顔を見るだけで昨日までの疲れがどこかにいってしまう毎日です。荒木先生におかれては、それこそ全国からの秀才が集まりキャンパスに熱気に満ち溢れているのではないでしょうか。

 さて今年4月から高校で新学習指導要領にのっとった授業が始まります。その中でも話題を集めているのが法教育です。法教育については駆け出しの私にとって分からないことだらけで是非とも次のことについて荒木先生に教えていただきたくペンをとりました。

労働法で考えさせるのがよいのか、労働法を考えさせるのがよいのか

   

 先日、公民科現代社会を学んでいる高校1年生に「将来働くときどのような選択を希望しますか?次の4つの中から1つを選んでください」というアンケートをしました。選択肢は次の4つです。
 (1)自分で企業を新規に起こして働く(個人事業)
 (2)企業に就職して賃金を得て働く(被用者)
 (3)親戚や家族の仕事を継ぐ(自営業)
 (4)市役所など税金で給与支払いのある仕事をする(公務員)

個人事業〔(1)〕 被用者〔(2)〕 自営業〔(3)〕 公務員〔(4)〕
男子 11.8% 52.9% 0.0% 35.3%
女子 2.3% 63.6% 0.0% 34.1%

 結果は左のとおりです。国会議員には2世議員が多いと聞きますが、親戚や家族の仕事を継ぐ〔(3)〕という選択をする生徒はいませんでした。その対極に新規に企業を立ち上げようとする〔(1)〕のは、男子では11.4%、女子では約2.3%あり、企業家精神については、女子は男子に比べて消極的です。その理由を読むと「結婚し子どもができたときに、会社ならやめることができるけれど、自分で企業を起こすと辞めにくいと思う」とあり、男女共同参画社会といってもまだまだ女性への負担増を女子生徒は実感していました。特徴的なのは、男女とも公務員志望〔(4)〕が30%を超えていることです。その理由の大半が「安定した給料とボーナスがあるから」、「失業する可能性が低いから」というものでした。しかし圧倒的に多いのは(2)の企業に就職して賃金を得て働く〔(2)〕、という選択でした。
 一方、多くの学校で卒業式を迎えた日の新聞注1を読むと、社会面右面には「労災死2年連続増」、左面には「広島県本社10万社割れ」、「新卒採用を大幅抑制」という見出しがありました。社会人として巣立っていく若者に生きる希望を与えるには、どのような教育が必要なのか、そのために法教育には何ができるのか、身震いする思いがしました。

 そこで、労働法の第一人者である荒木先生に教えていただきたいのです。

労働法で考えさせるのがよいのか、労働法を考えさせるのがよいのか

 前者についていえば、長期的視点で教育したいからです。先人の労働法に関する教育実践には、雇止めなどの火急の課題などからいわゆるブラック企業への対応としての対症療法的なものが多く見受けられ、短期的にはそれは当然のことではあるけれども、長期的にはより根本的な視点が必要ではないか、と考えています。具体的にいえば、割増賃金がいくらになるか計算できる(短期的視点)こと以上になぜ割増賃金が発生するのか説明できる(長期的視点)ことを重要視したいのです。いわゆる民商系の法律は改正事項が多く、そのため教員が知識の切り売りとして教えた知識の賞味期限が早く、定期考査等で出題したときには手遅れになることもありうるのです。そこで労働法特有の見方に特化して生徒に考えさせる法教育を実践すれば、将来多くの生徒が労働者として働くときに、文書で契約内容を確認する意義や今後法改正の方向性などについて見識のある若者になるのではないか、と予感しているのです。
 後者についていえば、個人的見解ですが労働法自体が転換期を迎えようとしているのではないか、と推論しているからです。労働法は歴史的産物であって、かつては工場で集団的に働いている均質な労働者像がその名宛人でありました。しかし現代ではその労働者像が多様になっています。また経済状況も市場に任せよという積極的な動きもあります。その中で、今後労働法について、変わっていくものと変わってはいけない(変わらない)ものは何なのか、荒木先生にご教授いただきたいたいのです。それを教材化して生徒たちに示し、働くことでよりよい社会を形成するにはどのようなルールが必要なのかについて熟議する教育を実践したいのです。それは換言すれば、よき市民、よき国民、よき労働者のための教育です。
 話を法教育にひきつけてみますと、従来のいわゆる社会科では憲法を中心とする公法が主たる対象でありました。自由で公正な社会を目指すために、法教育は一歩進めて市民社会のルールである私法をクローズアップさせました。私的自治に市民社会の形成者としての知見や技能を見出すなど参加型のアプローチも特色です。しかしながら、労働法には、労働者・使用者・労働組合・行政機関と立場の違う主体が交叉し複雑な構造があります。たとえば、公法であれば国家対個人を縦の関係、私法であれば市民対市民を横の関係、と生徒に単純に示すことができますが、労働法は単純には整理しにくいところがあります。
 また近代立憲主義は、中間団体を排除して自立した個人を応援してきました。見方を変えれば労働者個人を庇護する連帯としての労働組合は、逆行しているかのようです。その中で労働組合の組織率の低い日本では、国家の役割がますます重要視されてきています。このように勉強すればするほど労働法の奥深さに呆然とするばかりです。
 労働法の権威である荒木先生に、この時代に学校教育で労働法に関してどのようなことを考えればよいのか、教えていただきたいのです。お願いします。 

河村 新吾 拝 

 

注1:平成25年3月1日付中国新聞朝刊

 

 

荒木先生からの返信はこちら

 

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