江戸川区子ども未来館アカデミー「法律ゼミ」その4(民法編第1回)

 2014年10月19日(日)14:00~16:00、江戸川区子ども未来館で「法律ゼミ」の第7回が開催されました。4月の開講から半年間、子どもたちは刑法と憲法に取り組んできましたが、10~12月の3回は連続して新たに民法に取り組みます。講師は東京大学法学部の大村敦志先生です。ぬいぐるみ劇に新キャラクターが登場し、物語の世界も広がります。(当日のプリントから適宜引用させていただきます。)

〈テーマ〉
自分の場所と自分の名前~「私」にとって大事なもの~

〈イントロダクション〉

先生:「民法という言葉を聞いたことある人?」
 →3名挙手。お父さんの話からという子や、学校を通して聞いたことがあるという子。
先生:「民法は知らない人も多いと思います。憲法や刑法とちょっと違うところがありますが、どこが違うか、これからの3か月で勉強します。リサやトーマスもいつもの学校ではなく、違うところに行ってもらいます。カエルが出てきますが、それは私がカエルを好きだからです(笑)
 どんなことが起きるか、お話を見てください。」

〈授業前半〉

【ぬいぐるみ劇前半のあらまし】
 サル山共和国では、今年の夏休みに3日間「夏の法律教室」が開かれました。「夏の法律教室」には、国中のあちこちの学校や外国から小学生が集まっていました。サル山小学校の仲良し3人組、ヤスヒコ・トーマス・リサも教室に参加しました。この教室はサル山小学校とはちょっと違い、最初の日に次のようなルールが先生から示されました。

 1. 席は自由です。好きなところに座って下さい。どの席にも番号が付いています。
   自分が座った席の番号を覚えておいて下さい。
 2. 皆さんのことは、机に書いてある番号で呼びます。

 ヤスヒコは視力が良くないので一番前の1番に座り、トーマスは後ろの方がいいといって28番、リサは新しい友だちもできるかもしれないと3番に座りました。講師はニッシー先生という大学の先生でした。先生は早速子どもたちを番号で呼びましたが、ヤスヒコとリサは「いい感じがしない。」「自分のことじゃないみたい。」「明日席が変わると、番号も変わるのが困る。」といいます。トーマスは慣れれば平気だと言っていましたが、28番の席が気に入ったので、席が変わるのは嫌です。ずっと自分の席にしたいと考えました。

 

【劇の後】
先生:「この教室では、席はどうやって決まるの?」
男子1:「自由です。」(9月は違う席に座っていたとのこと。)
先生:「学校は?」
男子1:「席は決まっています。」
先生:「学校では席は決まっていますね。ときどき席替えをしたりします。でも、夏の法律教室は席が決まっていません。ここも席は自由です。それでいいという子もいるし、嫌な子もいる。他にどこが学校と違っていましたか?」
女子1:「番号で呼んでいました。」
先生:「そうですね。番号で呼んでいいという意見もあるし、番号はダメという子もいます。いいのはなぜでしょう? ダメなのはなぜですか?
 【問1-1】名前ではなく番号で呼んでいいですか? よくないですか?
 【問1-2】席は決まっていなくていいですか? よくないですか?

どちらも、いいという意見の場合は青色、よくない場合は黄色の付箋に、理由を書いてください。グループの中で意見を出し合いながら、書いてください。」

【結果】
名前が番号:番号でいい=5、いや=21
席が自由:自由でいい=8、いや=14

【理由】
先生:「名前は番号の方が、困る人が多いですね。『番号で呼ばれると、個性が大事にされていないから』『親につけてもらった大切な名前だから』などという理由が挙げられています。名前で呼ばれないと、どんな気がしますか?」
子ども:「自分が呼ばれている気がしません。」
先生:「他の人たちも『ロボットみたいな気がする』という意見などですね。『自分の名前は自分のものだから、名前で呼ばれたい』と。別の意見もあります。『自分の番号を忘れるかもしれないから』覚えないと、どうして困りますか?」
女子2:「名前なら、知らない子の名前も覚えやすいから。」
女子3:「何番と呼ばれても自分と思わないから、答えられないので。」
先生:「そうですね。名前は、自分の個性で大切なものという意味と、人に呼ばれたときわかるようにという意味がありますね。一方、番号でも困らないという意見もあります。人と人とを区別できればいいと。自分が何番かわからなくなりませんか?」
女子4:「机に書いてあるから大丈夫。」
先生:「そうですね。区別をするということだけを考えれば、番号でもいい。他には、『その日一日だけのことだから。』とか『この教室のことだけだから、困らない。』という理由もありました。困る人は、『番号は面倒くさい』という場合です。自分の名前で呼んでほしいとみんな言っているけれど、名前で呼ばれたら嫌だなとか、困るということはありませんか?」
子ども:「名前を人に知られて、変なことや嫌なことが起きたら困ります。」
先生:「そうですね。知らない人に名前を呼ばれたら嫌ですね。知っている人に、自分だということを認めてほしいということですね。」

先生:「さて、席のことはいろいろな意見があります。『席が自由だと、いろいろな人と友だちになれる。』どうしてですか?」
男子2:「毎回同じ人と隣の席にならないから。」
先生:「また新しい人と友だちになれるからですね。別の意見もあります。『視力が悪い人が自由に前に座れるから』『背が低いから』『仲がいい人と近くに座れる』『友だちと一緒に座れる』という意見もあります。席が決められてしまうと、好きな場所を選べない。自由なら選べます。それに対し、自由で困る理由は?」
子ども:「次の日にもめそうだから。」
先生:「席の取り合いになることがあるということですね。自分と同じ席に座りたい子がいたら、どうしますか? 話し合うのに時間がかかりそうです。視力の悪い人が後ろの方の席になったら困るだろうというのもあります。席についても、自由でいいというのと困るのと、両方の意見がありますね。席ではなく、みんなの帰る家が毎日違ったらどうですか?家は決まっている方がいい。でも、学校の席は決まってなくてもいいかもしれない。
 今は、席と名前の話をしました。名前は大事という気持ちはみんなにある。席は自由でもいいけれど、自由だといろいろ面倒があったり、決めるのに時間がかかったりします。けんかになるという意見が多いかな。決まっていることに意味があるということですね。これが法律の話とどんな関係があるの?と思うでしょう? 自分の名前をどう呼んでほしいかは、大事なことです。席は名前ほど大事ではないけれど、家なら大事。では、鉛筆やノートはどうですか?自分の鉛筆やノートが決まっていないと、けんかになるかもしれない。自分の場所や物にも、大事なものがあるのではないか、ということです。
 さて、夏の法律教室の続きを見てみましょう。」

〈授業後半〉

【ぬいぐるみ劇後半のあらまし】
 「夏の法律教室」2日目の朝、トーマスは昨日よりさらに早く家を出て教室に一番乗りし、28番の席を取りました。次にリサとヤスヒコもやってきて、それぞれ無事に3番と1番の席に荷物を置き、3人集まって話していました。そこへ、昨日は見かけなかったカエルが入ってきて、1番の席に座りました。ヤスヒコが慌てて自分の席だと言いに行きましたが、カエルはヤスヒコを「ミミナガ」と呼び、「荷物が置いてあれば、そこは荷物を置いた人の席というのは当然ではない、誰も座っていなければ座っていい。」と言い張りました。
 そこに先生が入ってきたので、ヤスヒコはしかたなく2番の席に座りました。しかし、1時間目の休み時間にカエルがトイレに行った間に、ヤスヒコは1番の席に座りました。今度はカエルがヤスヒコに「どけ!」といいます。机の上に「けぐりん」と書いた紙が貼ってあるから、自分の席だというのです。ケグリンというのはカエルのニックネームだそうです。ケグリンは2番にも「けぐりん」と書いた紙を貼り、2番も自分の席だと主張し、「ミミナガはほかの席に座れ」というのです。
 ヤスヒコは「『ミミナガ』と呼ぶのはやめてくれ」と言いましたが、ケグリンは「あだ名は他人が勝手につけるものに決まっている」といってききません。トーマスとリサは、「人の嫌がることはやめろ」とヤスヒコを応援し、他のサルたちも「そうだ。常識のないやつとは付き合えない」と騒ぎました。そこへニッシー先生がやってきて、「自分の場所や名前が法律と関係ないかどうか、考えてみることにしよう」と言いました。

 

【劇後】
先生:「みんなが言ったように、席が決まっていないので本当にけんかのようになりました。誰かが先に座っている席を取ってしまっていいのかな? 自分の名前でないあだ名で呼んでいいのかな? この2つの問題を考えてください。
 【問2-1】あだ名で呼んでもいいですか? よくないですか?
 【問2-2】ヤスヒコの場所をとってもいいですか? よくないですか?

どちらも、いいという意見の場合は青色、よくない場合は黄色の付箋に、理由を書いてください。」

【結果】
席を取る:いい=4、いけない=23
あだ名で呼ぶ:いい=7、いけない=18

【理由】
先生:「あだ名について、あだ名で呼んでいいという人は、なぜですか?」
女子5:「自分のことだとわかれば大丈夫だし、自分の特徴を言ってもらえたら嬉しいから。」
先生:「『ヤスヒコはウサギで、耳が長いのは事実だから』と書いてくれた人もいます。でもヤスヒコはミミナガと呼ばないでほしいと言っています。あだ名で呼んでいいという人といけないという人、どちらも「事実だから言っていい」、「事実だから言ってはいけない」という、同じような理由を挙げています。あだ名がいいかいけないかは、ある条件によるようです。何でしょう?」
子ども:「本人が呼んでいいと言っていればいい。」
先生:「そうですね。名前は人と区別できればいいけれど、自分にとって大切なものだから、変な呼ばれ方は嫌ですね。ヤスヒコとケグリンは、けんかのようになっているけれど言っていることはそんなに違わない。相手の人が嫌なら呼ばないという点では一致しています。誰かのことを呼ぶとき、あだ名で呼んでいいですかと許可を取っていますか?」
子ども:「取っていません。」
先生:「誰かのことをあだ名で呼んでいる人?」
 →挙手多数。
先生:「許可はとっていますか?」
子ども:「取っています。」
先生:「あだ名で呼んで相手が嫌がったら呼ばないけれど、嫌がらなかったら呼んでいるのですね。でも、本人が嫌かどうか、他の人にはなかなかわからない。」

先生:「さて、席の方は? 取ってはいけないという人が圧倒的に多いですね。『荷物を置いたから、ヤスヒコの席』『席を取るのは嫌がらせと同じ』『休憩時間に席を離れたら、自分の席かどうかわからなくなる』などの理由が出ていますね。席をとってもいいという人は?」
子ども:「席は自由なのだから、荷物が置いてあっても、座っていなければ大丈夫。」
先生:「『誰かの印が置いてあれば、少し考えた方がいい』というのもあります。席が自由なのに、取ってはいけないのはなぜですか?」
男子3:「マナーに違反するから。勝手に人の席を取ってはいけないというマナー。」
先生:「朝早く来て席を取り、一旦人が座ったら、他の人はその席を勝手に取ってはいけないというルールがあると思うのですね。『名前を書いてあっても1回だと思う』というのはどういうことですか?」
子ども:「席に名前を書いて2つ取るのはずるい、ということです。」
先生:「全部の席に自分の名前を書いたら、他の人が誰も座れないですよね。『朝、席を取るのは理由があるけれど、後から席を取るのは理由がない』という意見もあります。ケグリンとヤスヒコはそこのところで考え方が違うのかというと、やっぱりそうではない。先にそこに座っていたということがわかるか、わからないかがけんかの種になっています。自分の席としてとっていることがどうやったら他の人にわかるかについて、考え方が違うわけです。」

〈まとめ〉

先生:「みんなの意見をまとめると、あだ名で呼んでいいかもしれないけれど、相手が嫌がるなら呼ばないほうがいい、といえます。席も、朝来て座ったらその人の席、でも、誰かの席だとわからないこともある、という考え方だと思います。
 さて、ここで問題になっているのはどんな性質のルールでしょうか? これまで皆さんが学んできた憲法や刑法のルールは、法律で決まっています。では、人の物をとってはいけないという法律のルールはあるけれど、席は人の物ですか? 物ではないという人もいます。人の名誉を傷つけてはいけないという法律のルールはあるけれど、あだ名で呼ぶことは人の名誉を傷つけますか? 傷つけなくても嫌がることはダメですか? このように、ルールがはっきりと法律に書かれていないことや書かれていても、その内容がはっきりしていないこともあります。呼んではいけないあだ名があるとして、どういうあだ名なら呼んではいけないか、必ずしもはっきりしていないことがあります。けんかやトラブルを防ぐためにルールがはっきり定められている方がいいかもしれないけれど、必ずしも定められていないことがあるのが、民法のルールの難しいところです。
 今日は条文が出てきませんでした。人のものを取ったらいけないという法律は刑法です。人を傷つけるあだなについては、まったくルールがないわけではなく、民法709条に、他人の権利を傷つけたら、それによって損害を受けた他人に賠償しなければならない、という条文があります。ですがこの条文では、あだ名で呼んではいけないということまでは書かれていません。ルールにははっきり書かれていないけれど、そういえるということです。
 自分のものや気持ち、他人のものや気持ちを大事にしようという考えはみんな持っています。民法は、自分と他人の気持ちやものをお互いに大切にしようというものです。ここには国が出てきません。自分と他人の間で、何がよくて何がいけないかを定めるのが民法です〔教室で言えば、子どもと子どもの間のルールで、学校や先生との関係は出てきません〕。そのルールは書かれていることもあるし、書かれていないこともある。それが民法の特色で、憲法や刑法と違うところです。
 民法には、他にどんなルールがあるでしょう? 国は本当に関係ないのでしょうか? 書かれていなくて困らないのですか? という問題があります。次回からの2回でそれらのことを話します。」

【図書館おすすめブックリスト】

『バーティミアス サマルカンドの秘宝』 ジョナサン・ストラウト著 理論社
『ルドルフとイッパイアッテナ』 斉藤 洋 作 講談社
『にんじん』 ルナール作、サレナ・ドラガン文 ポプラ社
『ゲド戦記Ⅰ 影との戦い』 ル=グウィン作 岩波書店
『“it(それ)”と呼ばれた子 ジュニア版1~3』 デイヴ・ペルザー著 ソニー・マガジンズ
『としょかんライオン』 ミシェル・ヌードセン作 ケビン・ホークス絵 岩崎書店

〈授業後、大村先生より解説〉

 名前と席の話がどういうことか、よくわからないと思う子はそれでいいと思っています。概念を表す言葉なしでやると、民法ってよくわからないとなるかもしれませんが、早わかりしてほしくありません。言葉だけになる怖れがあるからです。もやもや感が残ると思いますが、それでいいと考えています。最後にわからないところが残っても、何か今後につながるところがあるといいと思います。
 子どもの意見には片寄りがありましたが、ある程度そうでないと困ることもあります。どういうことで一致し、一致した上で、何が違いをもたらすかを考えてほしいと思います。どういう「場合」か、を意識せざるをえなくなります。国や文化の違いをどうするかは、この先に話題にするかもしれません。
 このゼミ全体が議論を想定しているところがありますが、民法にもそれを組み込むことを考えています。ただ、基本は法律があるところからスタートするのでなく、法はなくても共通のルールがある、その上で法律とはどういうルールなのかということを理解してもらいたいと考えています。
 1回目はもやもやした感じで帰った子どもたちも多いと思いますが、できれば2回目も同じような話を続けることで、共通の「もやもや」の正体に迫ってもらいたいと思っています。今回の「まとめ」は子どもたちには意味のない余談でしたが、むしろ協力して下さっている大人たちが不安に思うのではないか、と思って付け加えました。その上で、「法律」「裁判」がどんな意味をもっているのかを考えてもらおうというのが全体の目論見です。

〈取材を終えて〉

 授業が終わりに近づいたとき、「この名前と席の話は、どのように法と関係するのかしら?」と感じました。子どもたちも、なんとなくモヤモヤとした気持だったかもしれません。大村先生はそれをお見通しで、「民法とは、自分と他人の気持ちやものについて、自分と他人の間で何がよくて何がよくないか定めるもの。そのルールは書かれていることもあるし、書かれていないこともある。」と、みんなに民法の特色を説明してくれました。これまでゼミで子どもたちが学んできた憲法や刑法は法律にはっきりと書かれているのが普通ですが、民法は法律という形をとっていると限らないそうです。法律になっているかいないかにかかわらず、自分たち自身の生活の中から民法のルールはでてくる、ということになります。子どもたちがそれを実感するにはまだ時間が必要かもしれません。後から振り返ると、今日自分たちがしたことは、まさに民法が生成する過程を体験したのだった、と気付く日が来るかもしれないと思います。この授業が、子どもたちが民法に触れる第一歩になったことは確かなように思いました。

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