「法学教育」をひらく(第5回) 西原博史先生・仲道祐樹先生 その2

その1からの続き

〈大学生への法学入門に関して〉
大村:「西原先生は、『法学セミナー』(日本評論社)の今年の4月号に、サル山共和国の設定で寄稿されています。大学生への法学入門へもサル山共和国が越境していますが、他の場面への利用可能性についてお話し下さい。」
西原:「『法学セミナー』の編集長がこの本に接してもらっていて、この方法に関心をもたれました。過去の『法学セミナー』の企画はレベルが高く、多くの初学者にとって読みこなすのは相当な作業だったのですが、その壁を突破したいというのが編集長のお考えでした。そこで、憲法について、設定としてサル山共和国を使って問題を単純化できるならいいのではないかということになりました。2014年度の子どもゼミの4回目で扱った素材を取り上げました。最近の憲法学の現状は、技術論に走る傾向が強いのですが、なぜその技術が成立するのかを考えてほしいというのが、第1の趣旨でした。小学生に向けて説明する中で、法的思考とは原則・例外関係なんだ、という表現が伝わることを見ていたので、これを言語化してみたのです。原則を設定したら、例外を採用しなければならない理由がなければ原則を崩してはいけないという、原則・例外関係において、法は組み立てられています。憲法に関しては「権利が尊重される」ことが原則であり、例外が成立して規制が認められるためにはそれなりの理由が必要です。まずそれを自覚的に構造化して描いてみて、とりあえずこれで乗ってみないという提案ができれば、大学の授業の誰も教えてくれないベースに言及できるかなということが、ここでの2つめのねらいでした。」
大村:「今おっしゃった、もしかすると誰も教えてくれないかもしれない、ということが、割合大きな問題としてあるのではないかと思います。基本的な考え方を教えるのは難しいということもありますし、法学入門という既存の枠の中ではやりにくいということもあります。この本はその枠の外で作られているので、自由度を獲得しています。これを、枠にはまった法学入門の中に返してやると、新たな意味が生まれるように思います。
 学校の先生も、法教育はこの本のような方向でいいのであって正解を出す必要はない、ああいうふうに考えるということを教えればいいんだと思ってもらえれば、それだけで、学校のカリキュラムの中に帰ったとき、ではこんなことをしてみようかと思ってもらえるのではないかと思います。また、法学入門を教える人には、法学入門はこの本みたいなものでいいと思ってもらえば、法学入門のあり方も変わってゆくのではないかと思います。
 仲道先生は、法学入門を担当されたことは?」
仲道:「まだありません。早稲田大学社会科学部は、法学入門という科目はなく、公法入門と私法入門に分かれています。公法入門は担当していますが、先輩方のシラバスに沿う形で組み立てています。」
西原:「私はやはり公法入門を担当していますが、シラバスは無視して事例から入って、学生に意見を言ってもらう形式を追求しています。ねらいとしては、なぜ法律が個人の権利を制限しなければならないかを、なるほどパワーを使って理解してもらうこと、あるいは、制限することのいいことと悪いことについて考えてもらう素材を扱っています。もともと仲道先生のお得意とする方法論ですけどね。」
仲道:「刑法総論は法学入門的色彩が強いと思います。私が江戸川区子ども未来館と大 学の刑法総論でやっていることは基本的に同じです。大学では、法律の使い方、つまり法を解釈するときの理由のつけ方をソクラテス・メソッドでやっています。多いときで200名程度ですが、付箋の代わりに挙手して発言させています。」

〈法学部と法学部以外で違いはあるか〉
西原:「社会科学部というのは比較的小規模なので、自由度が高い環境だからできるといえます。」
仲道:「学生500名の法学部では同じことはかなり難しいと思います。」
大村:「法学部の教員はいろいろ制約がありますが、確かに、社会科学部で法を教えることには、法学部の教員とは違う立場に立てるという面があると思います、法学部教員へのメッセージは何かおありでしょうか?」
仲道:「子ども未来館と社会科学部のゼミで共通して思っていることは、「法律は使ってみて始めて重要さや面白さがわかる」ということです。法の体系をインストールすることも大事ですが、道具として実際に使ってみて、よりよい使い方を探していくことも法律学の魅力と思っています。法を出発点にして解決へのルートがいくつかあるとき、どういう理由をつければ法という道具をうまく使えるかという、法律学の実践性を強調するみたいなイメージをもっています。」
西原:「社会科学部で憲法を履修しているのは、1年生かもしれないし、経済を中心に学んできた4年生かもしれません。科目の選択度が高くなっています。学部全体が体系立った法学部とはかなり違う環境です。オープンな聞き手を想定するわけですから、憲法の何をもって行ってもらうかに悩みます。知識は調べればいい。それよりも、10年先、20年先に憲法を語る時でも、こういう手順を踏まねばならないという、常に戻って来られる基本原理など、思考手順の使い方・実践の仕方を、自信をもって使ってもらえることを目的にしています。その先は知識の問題だから本でやってね、という環境がやりやすさにつながっていると思います。」
大村:「1つは、社会の中で、法学専門でない人が法的に考えねばならないときにどうすればいいかを伝えること。もう1つは、科目の体系性に期待できないので、コアになるものを伝えること。この2つですね。
 法学部にも同様の状況が広がってきていて、たとえば東京大学でも、選択科目を大幅に減らす方向でカリキュラムの自由化を進めています。体系的に聞いてもらうことが期待できなくなっています。法曹養成はロースクールの役割として、法学部の存在意義としては基礎にシフトする、ともかくここだけは伝えないと、ということはやはり考えなければならなくなっています。」
仲道:「先ほど社会科学部の特殊性として話しましたが、法学教育に共通していいえることと思っていました。他大学の法学部で刑法を非常勤で教えたことがありますが、法学部でも政治学中心の学生がいるところもあります。また、早稲田大学法学部には大変な業績のある教養の先生がたくさんおられ、教養系の先生方のゼミに軸足を置く学生もいます。そう考えると、学部の名前はともかく、法律学の授業で教えられることはある程度共通化してくるのではないかと思います。」
西原:「法学部は法解釈学部であり、法律解釈学部であったと思います。法解釈学は、法が存在するという前提に立ちますし、存在しない法律のないものねだりはしてはいけないことになっています。しかし、いかんせん、法律がこのままでは問題解決能力に限界があるという社会の転換期には、法解釈学部はいったいどのような機能を果たせるのかという問題が出てきます。法学部の出身者が社会で果たしてきた役割は、狭い意味の法解釈学ではありませんでした。多くは、新しい法秩序を作っていく主体として法や社会問題の営みに参与してく役割を担いました。法学部の役割は、法的思考を用いることで問題解決の枠組に体系性をもたせること、バランス感覚の上に成り立つ、こぼれ落ちる人のいない問題解決の枠組みを準備していくことという、ある種、立法学的な素養を鍛える場として期待されてきたことが大きいと思います。法学部で教えていることと、法学部に求められている人材の微妙な食い違いは、意識してもいいのかと思います。法学部で教えるべきは法解釈学ではなく、法で問題を解決するという法的思考の全体性にもっと自覚的であってほしいと思います。」
大村:「法学部であれロースクールであれ、法学として教えられるべき基礎は共通していると思います。」

〈法学教育と法教育について〉
大村:「この本に関連して、このことを話しておきたいということがあればどうぞ。」
西原:「子ども未来館と荒川区の小学校で授業をしてみて、小学生の考える能力の高さ、当事者意識の強さを感じました。自分たちの問題は自分たちで解決できるし、解決しなければならないと感じていることがわかりました。大人に邪魔されることに対する憤りがあります。考えてごらんという場を与えられれば、考えます。この本を子どもが手に取ったときに、こう考えてもいいんだという枠組みが伝わればいいと思います。小学生のときはもっていた当事者意識を中学校段階で刈り込んでしまって、育て損なっているとすれば、そこに一番の問題があると思います。非常に厳しい受験勉強を経て大学に入ってきた学生に、子どものときにもっていた当事者意識を再活性化することが、大学教員の務めでしょう。小中学校段階の法教育はその意識の継続性を担保すると思います。
 私は法教育という言葉にはちょっと抵抗がありました。法学教育と法教育は、むしろねらいは同じものがあると思います。小学生の段階から法学における法的悩みを共有してもらうことによって、子どもたちに何がしかを伝えることができないかと考えてきました。小学校から始まる法学教育があっていいと思いますし、小学生が法学に対して率直に向き合っている面を、どうやって大学生たちに伝えていくかが課題だと思います。」
大村:「従来の法学教育は、1つの方向に固着していく傾向を見せ始めている。それとは違うものが小中高校で教えられていいのではないか。それに照らして法学教育を考え直していく必要がある。法教育も法学教育もロースクール教育も、共通のものに貫かれているはずというのが私の基本的イメージです。だから、今の法学部教育と違うものがありうることを提示し、小学生のうちから勉強しようと誘う、それは大学生にも及ぶはずと考えています。法教育は、現在の法学教育を批判する観点を含んでいるのです。

〈小学生に教えつつ、自らが学ぶ〉
大村:「小学生を教えても高校生を教えても、勉強することが凄くあります。この辺りのことをどうお感じになるか、伺いたいと思います。自分がやってきた法学教育は、ある偏差を含んでいると思いますが、せっかく小学生などを教える機会が開かれているのだから、実際に教えてみたら、自分がやっている教育とは何か、そもそも法とは何かを見直す機会になると思います。初学者を教えることが研究者にとって大きなメリットになる。法学者で法教育をしてくれる人は少ないですが、楽しくてためになりますよね。」(笑)
仲道:「楽しく勉強になったというご指摘は、本当にその通りです。何が勉強になったかというと、刑法の論理は非常に精緻に組み立てられています。体系性、論理性が強く、ともすると初期動機のような熱いハートの部分は凍らせることがカッコイイみたいな部分が、学生の中にあることは否定できません。一方で、子どもは叩き叩かれの世界にいて、ルールに違反し怒られる中で生きていて、法的説明を求める強い欲求を持っている。そこに、刑法をどう捉えるかの源泉があると気付かされました。刑法的なものにアプローチしていく初期動機の熱さを目の当たりにできたことが、勉強になるポイントでした。また、子どもは論理の飛躍を許してくれないので、刑法の論理をかみ砕くことや、論理をつなげる言語化作業を必要とすることも、通説の再定義・再理解に有益でした。」
西原:「基本的人権は、1960~70年代は明るい未来につながる輝かしい理念でした。今は人権というと、一定の拒否反応を生むような社会です。それでも憲法学は、まず人権はあるんだということから始まってしまう危険を抱えています。その場合には、学生がある種の理論を受容し完璧な答案を書いたとしても、社会に出たら、人権感覚のある社会の実践者になるかという不安が出てくるわけです。そのため、信じていないものは信じていないとすぐ言ってくれる子どもたちにより、自由であったり、守られるということであったり、自分にとって本当に大切なものは何かを言語化して突きつけられて、なるほどそういう構造のものとして我々は社会の中に基本的人権の理念を組み込んでいるのかということが、自分の中で再構成できました。まさに「無知のベール」の中から出てきた人権尊重の合意を、我々が追体験できることは、私にとっても大きかったと感じます。法が生成する瞬間に立ち会っているような幻想を持てることが非常に貴重な機会だったと思います。」
大村:「小学生の中に現れているものが、我々の社会観の反映でもあると思います。そこには我々の社会の中に可能性としてあるものがあるともいえます。サル山の魔法をかけて、それを見せてもらう。そのためのフォーマットがあることは非常にいいことだと思います。私たちは子どもたちに教えた経験が乏しくて、参入障壁の高さということがありますが、フォーマットがあると参入しやすい。また、学校の先生にしても弁護士さんにしても、この本の中のいいところをとり、あるいは踏み台にしてやって下さればいいと思います。法の仕組みにもそういうところがあり、法制度のいいところをとり、良くないところは変えればいい。この本を作ってもらったことにより、これを利用の基礎として授業の工夫が考えられればいいと思いました。」
  

 

うさぎのヤスヒコ、 憲法と出会う

うさぎのヤスヒコ、 憲法と出会う 著  者
判  型
頁  数
発行年月
定  価
発  行
 西原博史 著
 A5判
 126頁
 2014年4月
 本体2,000円(税別)
 太郎次郎社エディタス
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おさるのトーマス、刑法を知る

おさるのトーマス、刑法を知る 著  者
判  型
頁  数
発行年月
定  価
発  行
 仲道祐樹 著
 A5判
 134頁
 2014年4月
 本体2,000円(税別)
 太郎次郎社エディタス
 
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