経済教育シンポジウム「経済教育と法教育の対話その4:社会保障をどう教えるか」

 2015年3月28日(土)午後、「経済教育ネットワーク」の年次大会・シンポジウムが、標記のテーマのもと、下記のプログラムで東京水道橋にある日本大学経済学部講堂で開催されました。
経済教育ネットワークは、全国の中学校・高等学校・大学の有志の教員が加わって、若者たちへの経済教育をどう行うべきか、工夫し実践し討議を続けている研究団体です。経済教育ネットワークではここ数年、経済教育を、中学校社会科や高等学校公民科のなかのもう1つの柱である法教育とどのように関係させながら学習させていくかを追究しています。
 次が、当日のシンポジウムの要旨です。
(編集担当注:このレポートは、経済教育シンポジウムに参加された落合隆先生〔神奈川県立上溝高等学校教諭〕がお寄せくださいました。)

《プログラム》
13:30     開会、主催者挨拶
13:35~13:55 コーディネーターから問題提起 中川 雅之(日本大学経済学部教授)
13:55~16:00 パネルディスカッション
パネリスト:

経済学から 小黒 一正 (法政大学経済学部准教授)
法学から 菊池 馨実 (早稲田大学法学学術院教授)
学校現場から 杉田 孝之 (千葉県立津田沼高等学校教諭)
奥田修一郎 (大阪狭山市立南中学校教諭)

16:10~17:00 質疑応答
17:00    閉会、主催者挨拶
(敬称略)
 

1.問題提起

中川 雅之(日本大学経済学部教授)
 少子高齢化の進行に伴い、社会保障給付費は年々増加しています。このままでは、2012年度の109.5兆円(対GDP比22.8%)から2025年度には148.9兆円(対GDP比24,4%)に増加する見通しです。現行制度を維持した場合、若い世代ほど負担超過が拡大すると推計されています。内閣府発表の「平成17年度版 年次経済財政報告」によりますと、受益総額から負担総額を差し引くと、1943年以前生まれは4875万円のプラスに対して、1984年以降生まれは4585万円のマイナスと計算されています。
 さて、高校の教科書には、日本の社会保障についてはどのようなことが書かれているのでしょうか。1961年に国民皆年金・皆保険制度が導入されて基本的制度は整いましたが、以下のような問題点があることが指摘されています。〔1〕少子高齢化などに伴い社会保障給付費が毎年増加している。〔2〕制度的不統一や格差が残っている。〔3〕公的年金保険などについては原資の問題があり、制度を支える財政が危機に瀕することになる。〔4〕新たな福祉ニーズに対応できていない。
 このような中で、厚労省から昨年「社会保障の教育推進に関する検討会」の報告書が出ました。それを読みますと、社会保障に関する正しい事実や大切なことが見えにくく正確に伝えられていない現状を認めた上で、制度的な細かいことよりも社会保障制度を支える考え方を生徒に学んでもらうことが大切であると言っています。
 そもそも社会保障には、個人の力だけではカバーできない生活上のリスクに対して連帯して備える生活安定・向上機能のほか、所得再分配機能や経済安定化機能があります。公的年金制度に関しては、現役世代が拠出した保険料をその時の高齢者に仕送る賦課方式が採用されています。これを踏まえた上で、「社会保障の教育推進に関する検討会」報告書には、次のように書かれています。「現在の制度は、今後見込まれる少子高齢化を見据えた仕組みとなっており、5年ごとに行う財政検証とあわせて適切な見直しを行っていくことで、年金財政の持続可能性が確保されていくものとなっている。」「仮に、将来65歳以上人口割合が40%程度になっても、その際の支えられる人を減らし、支える人を増やして社会経済は活性化していく取り組みを拡充することで、制度の持続可能性は確保できるし、それ以外の方法は根本的な解決とはならない。」
 これでは、現行の公的年金制度にサステナビリティ(持続可能性)があることがそもそも大前提となってはいないでしょうか。まさにこれこそ生徒たちに考えさせ議論させるべき内容ではありませんか。政策の選択は有権者の代表から成る議会を通じてなされるので、通常は、政策を選択する主体とその影響を受ける主体は一致します。しかし、教育については、教育政策を選択する主体(成人)と、その影響を受ける主体(未成年)は一致しません。世代間で利害が一致しない問題、たとえば公的年金制度のような問題で、成人の世代に都合の良い内容を含む教育を未成年に対して行うことは、成人が選択した政策を将来に亘って固定化する効果をもたらすのではないでしょうか。

2.経済学の立場から

法政大学経済学部准教授 小黒一正
(以下は、経済教育ネットワークHP注1から引用)
 時間が限られているので、積み立て方式への移行が不可能ではないことをあきらかにしたい。年金問題に焦点化して話をすすめる。世代間格差は存在する。それを考える前提として、現状は賦課方式ですらないことを確認したい。現役世代から100を集めて、引退世代に100の給付を行うのが賦課方式である。今は財源がないので、イメージでいうと、例えば90集めて、残りの10は国債発行で賄っている。それは厳密な意味での賦課方式とは言えない。
 積み立て方式の一つに、事前積み立てというのがある。スライドは引退世代1人に対して現役世代3人を事例とした数値例である。完全賦課方式300万円だったら、現役世代は一人100万円ずつ負担する。これが高齢化し、引退世代1人に対して現役世代1人になると、いずれ現役世代の負担は300万円となり、世代間対立が発生する。
 この問題を解決する手段として、よく議論されるのが、「積立方式」である。つまり、老後のために自ら(または世代ごとに)貯蓄する方式への移行だ。世代ごとに、自分たちの老後は自分自身で面倒みる仕組みだから、世代間格差も改善するし、とても魅力的な方法である。
 だが、この積立方式への移行は、いわゆる「二重の負担」と呼ばれる問題が発生するから、不可能との批判がある。賦課方式から積立方式への移行期の現役世代は、自らの老後のための積立(負担)のほか、老齢世代を支える負担も抱える必要があるというのが二重の負担だ。具体的には以下のような事態が懸念されている。
 急に、積立方式に変更してしまうと、いまの年金を頼りにしている老齢世代は、その生活が成り立たなくなってしまう。なので、誰かが老齢世代に仕送りをしてあげる必要があるが、それは現役世代の負担に頼らざるを得ない。
 年金給付の削減も限界があり、積立方式への移行も不可能そうなので、一般的には、年金の世代間格差の改善は不可能と思われている。だが、積立方式への移行で問題となる二重の負担議論は、移行期の社会保障財源を、現役世代の負担のみで賄うことを前提としている。ここに間違いがある。実際には、いくつかの解決方法があるのだ。
 1つは、移行期の年金財源を国債発行で賄ってしまう方法(以下「方式1」とする)である。具体的には、移行期の老齢世代に移転する財源を一時的に国債発行で賄い、この債務を現役世代の負担のみでなく、将来世代(場合によっては老齢世代)も含め、長い時間をかけて償却していく方法である。
 この債務は「暗黙の債務」の額と一致する。暗黙の債務とは「完全積立方式であったら保有していたはずの積立金と実際の積立金との差額」に等しく、一部専門家の推計では750兆円(対GDP比で150%)とされる
 金利ゼロのとき、750兆円の債務を10年で償却すると年間75兆円の負担が必要であるが、100年で償却するなら年間7.5兆円(消費税率3%の引き上げに相当)の負担に過ぎない(注:暗黙の債務の対GDP比率を維持する場合、金利と成長率の差が1%のときには3%の消費税率が必要)。
 だが、この方式1は二重の負担を解決する方法としては有効だが、日本財政の限界が近づくなか、暗黙の債務を顕在化させてしまうため、いまの日本では採用できない解決方法である。
 もう1つは、暗黙の債務を顕在化させない解決方法で、「事前積立」と呼ばれる方法(以下「方式2」)である。結論からいうと、この事前積立は、世代間格差を改善するための「強制貯蓄」であり、理論的には上記の方式1と同等である。
 この理由は以下のとおりである。まず、方式1を考えよう。現役世代は自らの老後のために保険料・税を支払い、積立会計に貯蓄する(図1の①)。この負担(保険料・税)は、老後に受け取る給付水準によって決まる。低い給付水準を望むならば低い負担、高い給付水準を望むならば高い負担を支払う必要があるが、老後のための積立のため損得ゼロである。
 その際、いまの引退世代と同じ給付水準を選択したとして、例えば、現役世代が支払う負担の金額が60兆円であるとする。この60兆円は現金として「寝かしておく」と損をするから、国債や国内債券などで運用する必要がある。
 他方、現在の年金給付総額は約50兆円であるから、政府は引退世代の年金給付50兆円の財源を調達する必要があるが、それは交付国債50兆円を発行し、交付国債を現役世代の積立会計に引き受けてもらうことで賄うこともできる(図1の②→③→④)。その場合、積立会計では60兆円と50兆円の差額である10兆円を国債や国内債券で運用する。なお、交付国債の発行で顕在化する暗黙の債務は、長い時間をかけて償却していく。これが方式1である。
 しかし、よく考えると、交付国債の発行(図1の②)は不要であることに気づくはずである。その際、図2のようにするのがスマートである。
 これは、現役世代が支払った保険料・税60兆円(図2の①)のうち、50兆円は引退世代の年金給付に回し(=賦課方式)、残りの10兆円を強制貯蓄(=事前積立)したうえで国債や国内債券で運用する。これが方式2であり、見かけ上異なるが本質的には方式1と同等である。しかも、現行の年金制度は修正賦課方式と呼ばれるように、賦課方式の部分のほかに積立金をもつことから、これは現行制度の枠組みにほかならない。
 方式1は、暗黙の債務の償却のための負担を除き、積立方式であるから、現役世代が払った保険料・税は老後に戻ってくるが、それは方式2も同じである。しかし、方式2の枠組みであるはずの現行制度はそうなっていない。
 では、現行制度でなぜ「世代間格差」が発生するかというと、それは積立金の経路・負担水準が不適切で、給付水準と負担水準がマッチしていないために過ぎない。世代間格差の改善にはこれからの高齢化の進展での負担上昇を抑制するために積立金を増やす必要があるが、現状の積立金は数年前の140兆円から120兆円まで減少している。このため、積立金の経路や負担水準を適正化すれば、法改正も移行措置も不要となる。
 その際、給付水準=負担水準が原則であり、高い給付水準は負担の引上げ、低い給付水準では負担の引き下げが必要であることはいうまでもないが、この事実は給付水準を維持しても、財源の拡充(保険料や消費税の引き上げ)かつ積立経路の適正化によって世代間格差を大幅に改善できることを意味する。通常、年金改革というと、引退世代の年金給付を削減するか、現役世代の負担を高めるかというジレンマに陥る状況を想定する者も多いが、引退世代・現役世代の「ウィン・ウィン政策」も達成可能であることを意味する。
 繰り返しになるが、図1と図2は基本的に同等であり、図2は修正賦課方式と呼ばれる現行の年金制度にほかならない。すなわち、現行制度のマイナー・チューニングで年金の世代間格差は改善可能であり、国債発行をすることなく、暗黙の債務を長い時間をかけて償却することで、実質的に積立方式に移行可能なのである。
その他の問題では、積み立て方式は利回りの問題があるというが、これは同じ政府が管理すれば金利は一定にすることができる。また、積み立て方式はインフレに弱いというのもうそである。本当に心配だったら物価連動国債を発行すればよい。インフレでは政府が得をする、その分を政府が返せばよい。
 世代間格差の問題についてもさらに論じたい。
それを考える重要事項は、高齢者の資産問題である。資料37ページ、慶応大学麻生良文「公共経済学」を参考にしたものである。ここからは、国債は国内で消化するから問題ないかどうかという問題と、バロー理論が成り立つかどうかが問われる。極論すると何も起こらない、大丈夫というのが私の考えである。
 しかし、それが成り立たないケースがある。それは、家計が途中でチェンジするばあいである。資料での、家計ⅰと家計ⅱがあって、家計ⅱが世代交代があったらどうなるか、子ども世代、もしくは孫の世代は損をすることになる。だたし、それも均すなら、親の世代が5000万円の遺産を残すか、もしくは5000万円分を教育投資にするなどで、家計内で移転をすればよい。ただし、それだけの資産があるかが問題で、現実には、貯蓄のない世帯が2割いる。
 結論的には、きっちり事実を教えることが大事であるということを強調したい。

3.法学の立場から

早稲田大学法学学術院教授 菊池 馨実
(以下は、経済教育ネットワークHPから引用)
 社会保障法学は、法学のなかでもマイナーな分野である。また、私は厚労省の社会保障審議会年金部会の委員である。あくまで現行制度を改善すればよいというスタンスである。それを踏まえての発言であることを承知しておいてほしい。年金部会では法学者は2人だけである。その意味では、審議会での発言に責任を感じている。
以下配布したレジュメに即して語ってゆきたい。
 最初は議論の背景や前提を考えたい。
 まず、少子化、高齢化の問題から。
 年金制度の持続可能性が疑問視されているが、それは財政面だけでなく人口面の問題でもある。さらに、社会保障制度そのものの前提となる基盤が脆弱化、弱体化していることも問題である。
 第二は、社会保障に対する不信感の問題である。
財政面での不安、ある種の不公平感がその根底にある。世代間、世代内での不公平が、社会保障への不信を招いている。また、毎年のような法改正があり、それが場当たり的な改正に見え、長期的に感じられる原理、原則がないように感じることが不信を倍加している。
 さらに、家族、企業、地域(地域社会)の変貌が加わる。家族は小さくなっている、家族内での扶養ができなくなっている現実がある。企業はグローバル化のなかで、大企業が従業員の家族生活を支えられなくなっている。これまでは家族支援を企業が支えてきた。それがゆらいでいる。地域社会も変化している。助け合い、支えあいが地方でも弱くなっている。
 第三に、不公平を見てみる。
 社会保障は社会保険を中心に発展してきた。そこに、世代間の不公平がある。年金や医療が高齢者に対する一方的な支援になっている。保険料の納付意欲をそがないような支える側への支援が必要だ。それには、高齢者にも支える側にもなってもらおうという方向が求められる。また、世代内の不公平もある。非正規雇用者が保険料を払わないのを自己責任論で語るわけにはいかない。他方、負担を背負う中高所得層にも、潜在的な不公平感がマグマのようにたまっている。だから、それが時に生活保護バッシングのようなことになる。
 以上を踏まえて、社会保障を考える立脚点を考える。次の観点が必要だ。
ⅰ 歴史的な変遷を踏まえた議論が必要
ⅱ 制度全体への視点、横断的な視点が必要。税との関連への目配りも必要
ⅲ 社会的合意をいかにつくるかの視点も必要
 これらを総合的に考えてゆく必要がある。
 次に、日本の公的年金に関する課題にうつる。
 これまで日本の社会保障は、年金、医療、福祉・介護の3分野が中心だったが、子ども・子育ても含むようになった。なかでも年金は大きな柱である。
 現在の年金制度は、2004年改正が今のフレームを作っている。内容的には、国庫負担の引き上げ、マクロ経済スライドの導入などであり、なかでもマクロ経済スライドの導入は画期的である。ただし、この仕組みを中高生に説明するのは困難だろう。
 マクロ経済スライドは、全体を決めて、給付のほうを引き下げてゆくための仕組みである。なぜそれが必要か。それは、現役世代の減少率、高齢世代の平均余命の伸び率を年金額に反映させていかなければいけない現実があるからである。年金の目減りが導入されることになり、今年の4月にはじめて発動する。
 2014年には、5年ごとの財政検証を行った。所得代替率50%を目標としているが、それは、何とかパスできそうだ。ただ、経済前提が甘すぎるなどの批判がでている。ただ、マクロ経済スライドが本格的に発動されると、基礎年金部分の給付が大幅に落ちる。それを何とかしなければ、年金制度の役割が相当程度縮減することになるだろう。
 マクロ経済スライドに関しては、労働力率の前提が注目される。女性のM字カーブが解消されるという前提が置かれており、社会保障制度の側で女性の働き方が変わることをプッシュする方向にもっていくきっかけとしたい。マクロ経済スライドは実額以下(マイナス)にはしない。なぜなら、財産権の観点からマイナスはまずいからである。法学者としては、財産権の侵害への歯止めが必要になるというのがこの問題への視点である。
 関連して、年金制度の方向性について論じたい。
 年金の特徴は、超長期の制度であることである。公私の役割分担、その他の制度とのすり合わせが必要である。また、憲法25条の生存権との整合が問題となる。生存権の問題は、年金制度のなかで対応するのか、全体としての社会保障制度のなかで対応するのかが問題となっている。
 教育的には社会保険の意味の理解が大事である。社会保険の社会性と保険性という二重の性格をしっかり考えさせたい。また、社会保険に所得再分配機能を持ち込むべきでないという批判があるが、歴史的経緯を認識すべきで、社会保険には所得再分配機能が本来的に組み込まれている。
 財源問題では、社会保険方式がいいのか税方式がよいのかの議論がある。社会保険は参加者がいる、保険料を払っている人たちによる運営への参加がその特徴。その点が、税は違う。だからGPIFの運用問題では、連合と経団連が共同で、当事者参加を求める意見書を出している。ここが税と異なるところだ。
 最後に、教育との関連について触れて終わりたい。
社会保障を教育するに関しては、選挙権18歳引下げの議論を契機としたい。いわゆる現在のシルバー民主主義の吟味をすること、若者の政治参加をもっと進めることが肝心である。

4.高校現場から

千葉県立津田沼高等学校教諭 杉田 孝之
○ 年金も含めて社会保障を教える時間は、「現代社会」や「政治経済」でせいぜい2~3時間です。教科書・資料集に準拠しながら教えることで、教員は精一杯なのではないでしょうか。私自身は、正規の授業ではさまざまな社会保障制度の課題を取り上げながら、生徒の問題意識の深化を図りつつ、放課後や長期休業中にセンター試験や私立大学受験者向けの「講座」を開き実践しています。
○ 厚労省の「社会保障の教育推進に関する検討会」は、社会保障教育に次の理念を掲げており、私はそれには同意します。すなわち、人生を生きていくうえで、加齢・疾病・障害など様々なリスクがあること。やむを得ない理由で様々な助けを必要としている人々がいること。誰もが助けを必要とする状態になりうること。
○ 私が行っている社会保障の単元の授業を紹介します。教科書に沿っての説明のあと、日本の社会保障制度が年金保険と医療保険が中心であり、子どもや現役世代に対する給付が極めて少ないことに気付かせます。そして、公的年金保険については、負担と受益にアンバランスがあることに生徒に注意を向けさせ、次のことを考えさせます。「現在、賦課方式で年金制度が運営されているが、賦課制度は持続可能なのであろうか。」「世代間扶養(賦課方式)で行われている年金制度を、積立方式に移行することは可能なのか。」
○ 厚労省も進めようとしている「社会保障教育」に対して、私の疑問を次に挙げます。
(1)世代ごとの生涯を通じた受益と負担をどう考えたらばよいのでしょうか。孫は祖父母より約1億円損をすると試算されています。これに対して厚労省は言います。「かつては大家族の中でお年寄りの面倒は見てきたのだが、核家族化が進み、この費用が外部化され社会化されてきた経緯がある。お年寄りの生活費は、『公』からか、お年寄り自身の蓄えや子からの援助など『私』からか、どちらかで負担せざるを得ない。公私の負担割合をどの辺で折り合いをつけるかが問題なのである」と。
(2)人口構造の変化をどのようにとらえればよいのでしょうか。よく「現代社会」や「政治経済」の資料集には、1人の65歳以上の高齢者を、15~64歳の生産年齢にあたる何人で支えるかというデータがイラスト入りで掲載され、胴上げ型(1965年)→騎馬戦型(2012年)→肩車型(2050年)になると書かれています。しかし、厚労省は、子どもやお年寄りを含めた非就業者1人を、就業者何人が支えているかというデータを挙げます。1.04(1970年)→1.05(2010年)→1.1(2050年)で、主婦や元気なお年寄りが社会で働き始めたことにより、数字はほとんど変わっていないことに注意を促します。
(3)若い人たちも含め、どのように社会保障制度へ関与するインセンティブを構築すればよいのでしょうか。世代間の受益と負担のアンバランスに対する損得論を超えて、生徒が、どのような社会保障の哲学を、どのようにしてつくっていくかが課題です。

5.中学現場から

大阪狭山市立南中学校教諭 奥田 修一郎
〇 社会保障に関する授業づくりをしていく前に、いくつかのことを整理しておきましょう。
・教科書では、社会保障をどのように位置づけられているでしょうか。大きく分けると2つあります。一つは、市場の失敗から財政の役割として説明するパターンです。もう一つは、憲法25条の生存権に関連させて国の責務として説明するパターンです。経済学的アプローチと法学的アプローチですね。
・授業は、次の3つの探究活動から成り立つと考えています。教員の発問と生徒の思考活動とを対応させることが大切になります。問いの追究が生徒の思考にほかなりません。〔1〕「いつ」「どこで」「誰が」「何を」「どのように」。社会的事実を知り、「知識」をつくります。〔2〕「なぜ」「どうして」。社会的事実を理解し推論し、「概念」をつくります。〔3〕「どうしたらよいか」。社会的事実を判断し、「価値」をつくります。
・社会保障の単元では、少ない時間で、どこに重点をおいたらよいのでしょうか。「社会保障とは何?」「なぜ政府が乗り出してくるのか?」「日本の社会保障制度にはどんなものがあるの?」「少子高齢化の中で年金制度をどうつくる?」いろいろ考えられます。探究学習ができる授業展開をどのようにつくっていったらよいでしょうか。そのための学習方法はどれにしたらよいでしょうか? クイズ・ネタ・協同的な学び・ワークショップ・パフォーマンス課題などが考えられます。子どもたちにとって学習内容を身近なものにするためどう工夫しましょうか。そして、学習のめあて(本質的な学習課題)は何でしょうか。「社会的な見方を広げる」「社会的な考え方~効率と公平~を身につける」ではないかと考えますが、どうでしょうか。
〇 その上で、実際の授業での教材と発問は、次の通りです。
・「幸せの経済学」。軽くウォーミングアップします。
発問:「幸せってどんな色」、「幸せに必要なものは何だろうか?」
・「もう一つのストーリー」。
発問:「幸せの中身は、人それぞれ違っていても、人生の中では、人は誰でも豊かで不安のない人間らしい生活を送りたいと願っています。しかし長い人生の中では、あることのために不安な毎日を送ったり、悩んでしまったりすることもありますよね。それはどんな時?」 
ゲーム:グループで「もう一つのストーリー」(オリジナルの人生双六ゲームで、社会保障制度を大まかに学ぶ仕組みになっています)を行います。途中でお金の出し入れやいくつかの自己選択をする場面もあります。
・「童話『アリとキリギリス』の結末は?」 いくつかの結末があるようです。紹介します。
発問:「私たちは、自分の収入や支出に気を配り、家族の将来設計を立て、病気や事故、働けなくなったときのために備えをします。でもキリギリスのように備えていなかったらどうするかです。キリギリスは言います。『そんなことまだ随分さきのことだし、楽器を演奏し、歌うことに一生懸命で、そんな余裕はないし』。あなたはキリギリスになんと言いますか?『やっぱり自分のことは自分でしなくちゃ!』『お互い助け合いましょう』『おせっかいかもしれないけれど、強制的に貯蓄させよう』」
・「キリギリス国に移住!」
発問:「あなたは公的な医療保険のないキリギリス国に移住することになりました。ここでは、民間の保険会社が医療保険を販売していて、自分の意思で保険に入ります。グループで話し合ってみましょう。どちらの保険に入る?『保険料は安いが、医療費は半分まで補助で上限あり』『保険料は高いが、医療費は全額補助で上限なし』」「さて、高齢者や持病を持つ人や低所得の人にも入ってもらうため、これらの人からは少なく、健康な人や高所得者からは多く保険料をとるアリンコ保険ができました。しかし数年後、アリンコ保険会社は倒産してしまいました。なぜでしょうか?」「このあとキリギリス国はどうなったと思いますか?」「あなたはキリギリス国を良くするために、どうしたらよいと思いますか。アイデアを出してください。」
〇 厚労省「社会保障の教育推進に関する検討会」報告書についている教材集には、様々な授業例が載っています。また、それらを応用すれば、さらにいろいろな面白いクイズもつくれますよ。社会保障学習の教材開発はまだまだできそうです。
〇 最後に、全体的な課題を挙げます。社会保障学習では、どのような知識・概念の習得が目指されているのでしょうか。そもそも社会保障学習は何のために行うのでしょうか。社会保障学習を通して子どもたちにはどのような社会的な見方の成長を期待しており、それをどのように評価するのでしょうか。社会保障学習を財政や労働などの問題の学習とどのように有機的に関連させていったらよいでしょうか。

〈レポート作成者より〉

 このあとの討論では、社会保障教育に関して、事実を分析する経済学的アプローチと、権利を論じる法学的アプローチを、どこで交わらせていくかが問題となりました。国民の政治参加を通した国政での政策決定という政治が、まさにその場ではないだろうかという意見が出されました。
 中高生には、将来の生活者として困らないよう社会保障のあらましを理解させるとともに、将来の主権者として自分たちの未来への洞察力やさまざまな人の立場に立てる想像力をもって社会保障のあり方について考えさせる必要があります。18歳選挙権が実現されようとしている今、賢い主権者を育てるためにも、社会保障は格好の授業テーマとなりえるのではないでしょうか。
(レポート作成:神奈川県立上溝高等学校教諭 落合 隆)

 

注1:
経済教育ネットワーク http://www.econ-edu.net/activity/symposium/20150328symposium.repot.pdf
当レポート掲載については、経済教育ネットワークの了解を得ています。

 

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