教科書を見るシリーズ 小学校編(4)社会5年(後半)

 第5学年の「社会」の内容について、前半では春田先生から様々な授業案やヒントをいただきました。後半もどんなアイデアが飛び出すでしょうか。なお、教科書の「工業生産」に関する内容が、東京書籍では下巻、教育出版では上巻に分かれましたので、後半でまとめて取り上げさせていただきます。

1 工業生産に関する内容について


東京書籍『新編 新しい社会5下』(2016年)「わたしたちの生活と工業生産」(p.2~57)
教育出版『小学社会5上』(2016年)「工業生産を支える人々」(p.108~157)

【工業生産全体について】
――「(人と)環境にやさしい自動車づくり」(東京書籍p.22、教育出版p.130)、製鉄会社の「持続可能な社会を目指した取り組み」(東京書籍p.29)など、工業生産を多角的な視点から取り上げていますね。さらに、バランスのよい貿易やTPPにも言及される(東京書籍p.56、教育出版p.140~)など、本当に身近な話題から海外まで、授業の題材が豊富にありそうです。

春田先生:身の回りを見渡せば、<工業>製品があふれていますね。分類にあるように、食料品(カレー、菓子、カップ麺)、洋服、文房具やスポーツ用具、家電製品(電子レンジやパソコン、スマホ、ゲーム)、電車や信号機、タイヤや薬など。工業は、私たちの暮らしを豊かに、そして便利にするために物を作り、日本全体の経済を長く支えてきた産業です。最近では、コンピューターやスマホなどに欠かせない半導体、代表的な産業である自動車やロボットなど、世界的にみても有名なものがたくさんあります。
 ノーベル賞をとる日本人が多くなってきたように、その多くは、地道な実験や人の発明や気づきなど人間の努力の成果です。この分野では、知的財産権(特許や商標など)の発想、考え方を授業で展開するのはどうでしょうか? 発明は誰のものか? 法律の世界で、保護されているのはどういう理由からか? 創作意欲を促進し、あるいは使用者の信用を維持するためにある権利です。
 「LED電球」は発光ダイオードを利用したもので、日本から白熱電球が消えるのもそう遠くない話ですが、実用化・製品化に成功した研究者が勤めていた会社を相手に裁判を起こして、社会的に注目を集めたりしました。会社は、それで大きな利益を得た一方で、発明した個人は、経済的に報われなかったからです。発明は個人のものか、会社のものか…。皆さんはどう思いますか?
 どんな工業製品もそうですが、ひとたび売れてヒットすると、後追いして真似をする人が現れます。法律では、工業製品など、発明のアイディアを考えついた人を特許などの知的財産権で法的に保護しています。あまり報道されませんが、工業製品をめぐっては、日々、競争の世界ですから裁判例もたくさんあります(たとえば、サトウの切り餅事件:切り餅の周囲に「切り込み(スリット)」を入れて、きれいに焼いたり煮たりできる技術をめぐって、業界首位のA社と業界2位のB社が最高裁まで争った事件)。
 また、工業は、商品を産み出すものですが、欠陥があると、ときとして人間の健康や命さえも脅かす、という危険性もはらんでいます。爆発するスマートフォン、有害物質が入っていた食品、落下するエレベーター、キレイになるはずが皮膚障害が消えない化粧品等々…被害を受けた人たちが製品を作った業者を訴える例は後を絶ちません(製造物責任)。

 

――知的財産権や製造物責任を考える授業ができるのですね。

【自動車産業をめぐって】(東京書籍p.10~25)

春田先生:日本の代表的な工業として、自動車産業があります。世界のあちらこちらで日本製(made in Japan)の自動車が道路を走っています。どの国も、自分の国の産業を守ろうとして関税や貿易をめぐるルールを設けて、外国と競争をしています。TPPなどの新たな動きは、そういう工業にも密接な関連がありますよね。身近なニュースと、教科書をつなぐような話題を先生が教室で提供できると、学ぶ際の視点が生き生きとしたものになるでしょう。
他方で、自動車産業のように関連会社がたくさん連なって成り立っていることを学習をする際には、現実問題として、ある会社が倒産したりすると、途端に他の会社にも影響が出るというような構造的な問題が起こりうることにも気付いてもらいたいと思います。
 また、日本の工場の多くは中小企業、零細企業です。法律問題としてはいわゆる下請けいじめなど、弱い立場の工場の人たちにどうしてもしわ寄せが行ってしまっているという現実も子どもたちにも知って欲しい現実問題としてあります。
さらに、最近では、中小企業で最も深刻なのが後継者不足や技術の海外への流出、労働者不足といった問題です。とりわけ技術の海外移転は、今後の日本の産業のあり方を考える上で大事な問題ですね。
 また、全体的に、工業は経済にも密接に関係します。自動車を何台作るかなどのペースも景気によって左右されますので、工場で働く労働者にとっては、労働問題と切り離せない場面にもなります(春闘など)。他方で、自動車産業は今、自動運転の技術やエコカーなど、やはり、人類の夢も詰まっている分野です。きらびやかな世界にも、そういった現実があるよ、という程度でも十分に子どもたちの心には響くのではないでしょうか。

 

【製鉄業の今昔】(東京書籍p.26~29)、【石油の使われ方】(同p.30~33)、【身近な食料品】(同p.34~37)

春田先生:この中で子どもたちにとって最も身近でとっつきやすいのは、食料品でしょうか。ツナ缶ひとつから、その原材料(マグロやカツオ)がとれた外国、製品を作る工場で働く人々、そこへ魚を運ぶ船や工程、缶詰がコンビニやスーパーに並ぶまでのプロセスに思いを致し、新商品の開発などの場面も含め、(工業)製品を作るということが私たちの生活・暮らしにどういう意味をもつのか、一消費者としても理解できるような授業になれば素敵だと思います。
 法律(ルール)そのものとしては、食品表示法、JAS(日本農林規格)により、機械麺の場合ですが、太さ直径1.3mm未満が「そうめん」、1.3mm以上1.7mm未満が「ひやむぎ」、1.7mm以上は「うどん」という具合に規格が決まっているんですよ。
 話を戻しますが、製鉄業の今昔を学んだときには、石炭の時代を含め、時代の趨勢、地域の趨勢といった歴史を学ぶことにもつながりますし、石油をめぐっては、持てる国と持たざる国という南北問題にも目を向けることになります。また、今は隆盛を極める産業も、何百年後には変化しているかもしれない、といったことに気付けば、エネルギー産業をめぐる最先端の問題意識、原発問題をどうするか、といった極めて現代的な問題を考える上での判断能力を育むことに役立つでしょう。

 

――食品表示法から原発問題という大人にも難しい問題まで、時間空間の広がりの中に法教育のテーマがたくさんあるんですね。

【伝統産業に目を向けよう!】(東京書籍p.38~43)

春田先生:地域再生が社会問題になっています。100円ショップなど、安価な外国製商品が巷にあふれています。私たちが問題意識をもたずに、そういった大量消費の文化に慣れてしまうと、伝統産業はその存在すら忘れ去られ、すたれてしまうでしょう。伝統産業が発展した背景には、きっとその地域の文化や原材料の調達、培ってきた職人さん、それを支えてきた理解者など、様々な要因があるはずです。工業を考えることは、最終的に、それを購入する消費者、利用者の目線に立つことを学ぶことなのかもしれないですね。自分の身近な地域に、残したい貴重な伝統産業がないか、各教室で調べ学習をすることは、工業を学ぶ仕上げとしても、純粋に「もの作り」の楽しさ・面白さを知ることにもつながるのではないでしょうか。

 

【工業を支える周辺産業-輸送】(東京書籍p.44~)

春田先生:工業製品が一人ひとりの利用者の手元に届くためには、物流が不可欠です。工業は単体では存在できるものではなく、周辺産業というものがある、という視点ですね。
 大手宅配業者が、ネット通販の増加やドライバーの不足による業務量のあまりの増加のため、荷物の引き受けを制限する、という動きがあるようです。日本の消費者に、サービスというものに対する価値観を考え直してもらわないとサービス業界自体が崩壊する、という社長さんの言葉は重いと思います。もの作り-工業を学ぶ際には、作り手のみならず、受け手の側の責任、役割という視点を付け加えると、深まると思います。まさしく、法教育で重要な学習指導要領上の概念である「効率や公正」を身近に考える素材だと思います。

 

2 情報に関する内容について


東京書籍『新編 新しい社会5下』「情報化した社会とわたしたちの生活」(p.58~p.99)
教育出版『小学社会5下』「くらしを支える情報」(p.2~27)

――マスメディアの情報に関し、発信する側が人権や表現に気を配っていること(東京書籍p.64、教育出版p.10)が書かれ、わたしたちも情報の受け手としてだけでなく発信する側として、気をつけなければならないことが指摘されています(東京書籍p.96、教育出版p.24)。教科書シリーズ小学校国語編第5学年では、インターネットや新聞についての教材が扱われています。
 同じ学年の国語の授業と社会科が連携することも考えられるのではないでしょうか?
【情報を学ぶときのポイント】

春田先生:情報を学ぶときには、情報というものが持つ意義を深く掘り下げて子どもたちに伝える必要があると思います。 
 答えを先回りして申し上げると、情報は、様々な判断(身近でささやかな、ちょっとした問題から政治的に重要な課題まで)をする上で、しかも正しい判断をする上で必要不可欠なものだからです。
 政治は、突き詰めると、何かを取捨選択し、決めていく作用ですが、選択肢が複数あるときには、多数決で決める仕組みになっていますよね。これが民主主義ですが、主権者である国民が、選挙で一票を投じるなど、まさしく自らの意思を表明するにあたって、その内容が誤った方向にいって国民が不幸せにならないためには、客観的に正しい情報を知っていることが大前提なのです。
 太平洋戦争で、冷静かつ客観的な真実が国民に正しく伝えられず、大本営発表という名の下に、誤った情報が戦況として伝えられていた時代に起こった不幸に思いをいたせば、そのことは容易に察しがつくはずです。
 21世紀の今でも、世界に目を転じると、正しい情報があえて伝わらないよう、国・国家が情報をコントロールしている国があります。為政者にとって都合が悪い情報はなおさらです。革命が起こった中東チュニジアに触発され(ジャスミン革命)、中華人民共和国で、2011年2月20日に革命・デモが計画されたことがあります(中国版ジャスミン革命)。革命・デモへ参加する呼びかけがインターネット(中国版ツイッターの「微博(ウェイボ-)」)を利用して国中に瞬く間に広がったのですが、本番直前に中止に追い込まれました。それは、政府(国家)が、インターネットの世界を厳しく検閲し、この革命に関するネットへの書き込みをすべて削除したからです。キーワードである“茉莉花(ジャスミン)”と検索キーワードを入れても、何一つヒットしなかったそうです。
 情報にはそれだけの力があるのです。
 表現の自由、すなわち、情報が自由に流通すること、言いたいことを自由に言い、発表できること、他方で、知る権利、すなわち、欲しい情報を自由に入手すること、アクセスできることは、究極的には、日本が憲法でとっている民主主義の仕組みを存分に生かすために欠かせないものなのです。このことは、私も、大学で憲法を専門的に学習するまでは知りませんでした。基本的人権には多くの種類があることは知られていますし、小学生も6年生で学びますが、たくさんの種類がある基本的人権の中でも、この表現の自由は、そういう理由で最も重要だと位置づけられています。最近では、「はだしのゲン」という漫画本が図書室から消えた! というエピソードがありますし、もっと現代的なトピックで言えば、ヘイトスピーチをどう考えるか、表現の自由の名の下に、どこまでも言いたい放題は許されるのか、という問題も生まれています。
 表現の自由の裏腹として知る権利があります。知る権利、といえば、「スマップ追っかけ本事件」という裁判がありました。人気タレントグループのスマップのメンバーの自宅住所や電話番号などのプライベートな情報が載った本が出版されようとしたとき、出版社を相手にスマップ側が訴えたのです。
 表現の自由(出版の自由)もしくは知る権利とタレントのプライバシーの権利、果たしてどちらが優先するのか? という難しい裁判でした。裁判所はプライバシーの権利が優先する、との結論を出しましたが、それから随分と時間が経った今でも、同じような攻防はたくさん続いています。知りたいという権利、それに支えられた表現の自由、出版の自由は本を売るという営業目的も絡み合い、その判断は難しいのです。
 出版の自由vs.プライバシーの権利などの勉強では、ファン or 出版社側(知りたい! 本を出したい!)とタレント側(プライバシーは暴かれたくない)の2者対立構造にあえて子どもたちを分け、その立場になりきって理由を言い尽くし、そこからお互い、言い分に反論等をして、最後、どうする? と子どもたちがあたかも裁判官役になって、ジャッジを下す、そのときには必ず根拠も考える、というように教室を法廷に見立てた授業をされるとよいと思います。

 

【発信者としての子どもたち】

春田先生:私たちは、情報の受け手に留まりません。特に、インターネットが普及した今は、子どもたちも含めて、一人ひとりが情報の発信の主体です。昔は、マスメディアなど、限られた一握りの人だけが情報を発信できたに過ぎませんでしたが、すっかり様相は変わりました。まさに、どんな場所からでも、どんな人も、いかなる時間帯でも好きなときに、好きなだけ、好きな情報(意見、写真、動画など)をどんどんネットの社会に上げることが出来ますよね。
 ここで子どもたちに考えて欲しいのが、好きなだけ、と言っても、無制限なのか?ということです。今どきの子どもたちの世界では、SNS(Social Network Service:ソーシャル・ネットワーキング・サービス)すなわち、友だち同士のコミュニケーションもネットを通じたものが多くなっていますが、例えば、LINEを通じての“いじめ”が心配です。「友だち」の中だけでしか見られない、という親密感あふれる情報の空間は、悪く言うと閉鎖された空間ですので、そこで子どもたちがどのようなやり取りをしているかは、外からは先生や保護者など大人たちはまったくと言ってよいほどわからないのです。他人を誹謗中傷するような書き込みは、少なくとも侮辱罪や名誉毀損罪にあたります。
 また、「運動会を中止しないと学校を爆発させるぞ!」とか「駅に爆弾を仕掛けた!」などの書き込みがされたりしますが、冗談半分だったとしても、多くの人々に迷惑をかけるので威力業務妨害罪に問われて、逮捕されたりするケースも出ています。
 書き込みだけではありませんよね。写真や動画などを撮って、SNSを通じてネットの社会に“上げる”ことが大流行ですが、慎重さが求められます。写真を上げると、そこから位置情報が第三者に伝わりますし、リベンジポルノなど犯罪につながっていく危険性もあります。リベンジポルノといえば、たとえば、裸の写真や逮捕歴など、他人に知られたくない不名誉な情報がネットの社会に出回っている状況で、「忘れられる権利」というものが認められるかどうか、という国際的な問題も表れていますよね。インターネット上で自分の名前などを検索したときに表示される情報を削除してもらうよう求めることができる権利のことですが、EU諸国と日本では、裁判所の判断にまだ微妙な違いがあります(平成29年1月31日の最高裁判所の決定でも、明確に「忘れられる権利」は明記されていません)。ひとたび上がってしまえばほぼ永久的に全世界中に情報が出回ってしまうというネット空間のこと、子どもたちには想像が及ぶでしょうか…。
 そういえば、地図代わりに皆がよく使っているGoogleのストリートビューに、勝手に撮られていた映像が上がっていて損害を被ったじゃないか、賠償せよ、などの裁判も世界中で起こっていたりします。

 

【情報化の社会の中で考えて欲しいこと】

春田先生:身近な情報ネットワークという意味では、コンビニエンスストアやスーパーマーケットのレジで見かける商品のバーコードを例に考えてみるのはいかがでしょうか。商品の発注、在庫管理、売れ筋商品の把握など、あらゆる情報の宝庫になっています。
 教科書に載っている電子カルテや病院でのネットワークの発想は、過疎地に住む高齢者の医療にも役立ちますね。また、子どもたちの身を守るという意味で、GPS(全地球測位システム)という位置を測定する仕組みも身近ですが、高齢化社会では、高齢者、とりわけ認知症で徘徊するお年寄りの居場所を探すために使われたりしています。
 今では、もう見慣れてしまって気にもならないかもしれませんが、街中にあふれる防犯カメラは、別名、監視カメラとも言います。厳密に考えれば、個人の行動が、あらゆる方向から国家から監視されている、ということにも気付く必要があります。さきほど出てきたGPSも、これをたとえば自動車に密かに搭載して犯罪の捜査を行うのは違憲だと、必要性があるならば法律できちんと仕組みを作り、裁判所が出す令状を得てからでないと、位置情報を国家が勝手に集めることは許されない、という最高裁判所の判決も出ましたね。
 このように、情報化社会においては、便利で楽しく有意義なツールが、ときとして他人を傷つけ、自分自身の平穏な暮らし、時として将来にも亘って傷つけるリスクも兼ね備えていることを十分に意識し、その功罪を十分に理解した上で活用すること、あふれる情報の中から何が正しいのかは十分に見極めないといけないこと(メディアリテラシー)、自分のクリック1つ、タップ1回が、ネットという情報空間・社会においてどういう意味をもつのか、慎重になる態度も育んでいただければ、と実際の事件・事故に接している私の願いです。
 授業方法としては、子どもたちを班活動などさせ、自分が怖い目にあったことはないか、廻りでこんなケースがあったよ、とか、実際に起こった事例などを持ち寄り、そこから各班で対策を考える、その後、各自(個人)に再び戻って、各自が自分の暮らしを見つめ直して実践するなど、個→集団→個というカタチをとること、そのやり方として、言語活動を多用する、というのが良いと思っています。

 

3 環境に関する内容について


東京書籍「わたしたちの生活と環境」(p.100~137)
教育出版「国土の自然とともに生きる」(p.28~63)

――公害に対する取組み(東京書籍p.116、教育出版p.50)、自然災害に備える取組みや費用(教育出版p.45)などが紹介されており、条例や裁判も含め題材が豊富にありそうです。
【水、空気、資源】

春田先生:子どもたちにもお馴染みの「エコ」ということを、日本レベルで考える単元ですが、身近な地域・地元に目を転じてみると、きっとそれぞれに大切にしたい自然環境(池や沼、森や林・山、公園、自慢の場所)があるでしょうね。そこの自然環境に、どういう危機がおとずれているか、それはどういう人間の行動からそういう危機に瀕しているのか、他方で、維持や改善のためにどのような取組みがなされているか、という本音と建て前がくっきりと浮かび上がる問題を取り上げてみては如何でしょうか(個人的には、観光地で起こっている現象として、ゴミ箱が急激に減ってきていることを感じます。“ゴミは自宅に持ち帰りましょう”と謳っているけど、かえって、捨てるところがないために、乱雑にゴミが放置されている現状も…。)。
 地域には、条例などご当地の状況に即した決まりが作られますが、再びユニークな条例シリーズということで(笑)「みんなで親しむ雪条例」(北海道倶知安町)、「すずむし保護条例」(長野県安曇野松川村)「愛する地球のために約束する条例」(滋賀県草津市)…。
 ぐっと大人っぽく、まさにグローバルな地球規模の話としては、京都議定書、パリ協定のエピソードなども良いでしょうね(地球温暖化対策の国際的な約束事)。北極の氷が溶け出している話や異常気象の数々…。最後に、子どもたち一人ひとりに出来ること、と子どもたち、私たちの日々の暮らし、明日からの生活に還元できるよう、国際的な問題であるがゆえに、持てる国と持たざる国のような南北問題も解決を難しくしている…(CO2の排出権取引をめぐる議論)解決は容易ではないけれども、一人ひとりの国民が、持続可能な社会を支える担い手だ、という視点で生活感に根ざした授業が期待されます。

 

【環境に関連して】

春田先生:環境に関連して、工業の勉強もされるべきでしょう。四大公害病の話は、産業・経済の発展の陰に隠れた悲惨な人間界での厳然たる史実です(裁判も長期間かかりました)。
 水俣病など、未だに問題が続いていて、決して解決済みではありません。原発と東日本大震災のように、放射能という人類にまだ克服できないものによって人々の健康がどう影響を受けるのか…。日本政府が流した情報は“大丈夫!”という内容でしたが、諸外国は日本にいる自国民たちに帰国を呼びかけた(情報の問題でもありますね)ということは…。いずれも、人間では操作はもはや不可能ではないか、とさえ思える新しい物質が、現在進行形の問題として、私たちの生活環境を脅かしている…そういう社会の中で、私たちは暮らしているのです。特に、資源が少ない日本では、エネルギー問題は重要で、様々な再生可能エネルギーの開発が待たれますね。
 一見遠い場所の話のように思えることも、身近な地域に置きなおして考えること、逆に、よく見かける日常の中に、地球レベルの問題が詰まっている、という具合に、遠・近をいったりきたり上手に切り換えながら、最終的には子どもたちが明日からの生活で何か変えるべき点はないか、日々の暮らしにおいて見直すべき点はないかな、と考え、一人ずつが自分の出来る範囲で実践をするなど、一人ひとりがどう行動すべきかを考え、周囲の仲間や地域住民をどう巻き込んでいけば、課題解決につながるか、という長期間に亘る長いスパンで答えを探し続けていく、そんな子どもたちになってくれるような授業を願います。 

 

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