法学部教育から見る法教育(第1回)谷口功一先生(法哲学)・前編

宍戸先生:第1回は、首都大学東京の谷口功一先生をお招きしてお話を聞いてまいります。
谷口先生のご専門は「法哲学」です。先生のご研究・ご関心の範囲は非常に広汎にわたっておりまして、非常に抽象的で理論的に高度な研究をされている一面もあれば、スナック研究ですとか、現代社会の生理と病理をショッピングモールを切り口に分析した『ショッピングモールの法哲学』(白水社,2015年)を執筆されたりといった、たいへんユニークな先生です。また、特に「公共性」に関するご研究もあり、まさに、学習指導要領改訂で設置される新科目「公共」を考えるにあたり最適な方をお招きしたと思っています。本日はよろしくお願いします。
谷口先生:よろしくお願いします。私は、法哲学者なのですが、みなさんにはあまり馴染みがない分野かとも思いますので、まずは法哲学とは何なのかについて簡単にご説明したいと思います。

<法哲学は心の麻疹のようなもの>

谷口先生:法律学は実定法学と基礎法学からなっています。医学における臨床医学(内科・外科・小児科等)と基礎医学(解剖学・生理学・免疫学等)のようなものと考えていただくと少しイメージしやすいと思います。実定法学の例が憲法、民法、刑法等であるのに対し、法哲学は基礎法学の中に分類されていまして、基礎法には他に、法社会学、英米法や中国法等の各種外国法、法制史等が含まれていますので、実は、法学部の中に、哲学・社会学・地域研究・歴史等、文学部が丸ごとあるようなものなのです。
 法哲学は、法学部の科目としても基礎法の科目としても最も古い学問の1つで、法概念論と正義論が2つの柱をなしています。日本語で「正義」というと、なんだか胡散臭く思われがちですよね。でも、ラテン語のjus(法/権利)が起源のjusticeの語感は日本語の「正義」とは全然違います。ドイツ語の正義(Gerechtigkeit)にRecht(法/権利)が入っていることからもわかるように、ヨーロッパにおいては法と正義は密接に結びついているものなのです。
宍戸先生:法学部に入っても、解釈の仕方を学ぶ「実定法」の領域にすぐ馴染めるとは限りませんが、基礎法で法や正義の概念を学ぶことで法解釈の面白さがわかるという学生もいますね。
 さて、法学部で教鞭をとられる側からみて、今の学生が法や哲学・思想を学ぶ上での資質・素養が、昔と変わった印象はありますか?
谷口先生:古代エジプトの粘土板にも「今どきの若者は…」と書かれていたという逸話があるように、どの時代にも若者に対する苦言というのはあるものですが、私の印象としては、今どきの若者がわれわれの頃よりも劣っているとはまったく思いません。ただ、残念なことに、経済的格差は年々広がっていると感じています。講義やゼミ等でも高価な本の購入をおいそれとは勧めにくいところがあります。
 私が研究している哲学や思想は、そもそも、少し拗(こじ)れた人が興味を持つものです。ただ、青春の一時期くらいむしろ、拗れたっていいのではないかとは思います。心のハシカのようなもので、早めに1度くらい重めに罹患しておいた方が、残りの人生を健全に生きられますから。職業にしてしまった私は、もう回復不能ですが(笑)。
 話を戻しますが、法学部の学生に関しては、マジメすぎでは? と感じることもあります。資格試験とか就活とか、われわれの学生時代とは全然違う、切羽詰まった感じで可哀想に感じることがあります。先ほどの経済的な問題のことも含めて、われわれオトナはもっと彼らに親切にしてあげたほうが良いのではとも思うのです。
 そして高校生へのメッセージとしては、「法学部はつぶしがきく」とよく言われ、これまでも優秀な人材を引きつけてきました。法学部を出てカフカ、ゲーテ等のように偉大な作家になる例もいくらもあります。先ほど申し上げたように、法学部の中に文学部があるようなものですから、魂は文学に捧げている人も、法学部で学べば、いわば「1粒で2度美味しい」学生時代を送れるかもしれません。これについて、私のお師匠さんの井上達夫教授(東京大学)は、「文魂法才」という言い方をしているのが思い出されます。
宍戸先生:私自身も学生時代、基礎法の科目を多く取っていました。その意味では拗らせてしまった研究者の一例かもしれません。
 それはさておき、最近の学生は、できるだけ無駄なことをしたくないという意識が強いように感じます。われわれが学生の頃とはいろいろ違ってきていますから、法学部の勉強にはこういう楽しいものもあるんだよと、楽しんでもらえるようなユーザフレンドリーな教育も考えていかないといけないのかもしれませんね。

<専門分野から見た中高での教育内容について>

宍戸先生:大学の法学部で教える立場から見て、中学・高校の政治に関わる教育内容や教科書の記述に関してどう思われますか?
谷口先生:今回、複数の高校の現代社会の教科書を見せていただき、内容が非常に広範囲に及んでいることに驚きました。とても重要なことも教科書にはワンワードで書かれていたり、本を1冊書けるような内容が2ページ位におさまっていたりします。これを高校生に理解させるためには歴史的な背景や現実との接点から説明する必要がありますが、限られたカリキュラムの中、しかも中立的に教えていかなければならない。今の高校の社会科の先生は本当にご苦労をされていると思いました。
宍戸先生:学習指導要領の縛りがありますし、センター試験対策のためにキーワードは必ず押さえておかなければいけないという具合で、年々、ますます多くの知識が付け加えられていく傾向にあるようです。
 さて、公民科では、知識を教えるのではなく、考える力や判断力を養うことに重点が置かれています。そんな中で「幸福」「正義」「公正」といった価値は、どうやって教えていったらいいのでしょうか?
谷口先生:高校生にとっては「幸福」「正義」「公正」なんて言われても、抽象的過ぎて漠然としているし、語感からして胡散臭いと感じるでしょうね。教えるほうも教わるほうも大変なことだと思います。実はこれは法哲学の内容そのものですからね。
 法学部での教育ですと、学生は実定法科目で判例等を学んでいるので、その事例を使って話を展開することができますが、高校ではそれができないので、高校の先生は本当にたいへんだと思います。
 高校の先生へのお薦めとしては、最近出た『法哲学』(有斐閣,2014年)という本が読みやすく内容の理解もしやすいので参考になると思います。教科書で抽象的に書かれていることについて豊かに肉づけすることができるのではないかと。
宍戸先生:「幸福」「正義」「公正」は抽象的に教えてもだめで、具体的な事例で考えさせることが必要ということですね。実際、法教育の取組みとして、教科書の外側で身近な事例を素材に議論させている先生は多いと思いますが、高校現場では紛争的な事例を題材にして議論を促すということは難しいという課題があります。その点についてアドバイスはありますか?
谷口先生:紛争事例は生々しいことが多いですし難しいですよね。未成年者であること、いろいろな立場の生徒がいることを考えると、センシティブな問題は取り上げにくいですし、こうした議論を中立的にさせることは非常に難しいだろうと思います。
宍戸先生:防犯カメラの問題とか、それこそショッピングモールの誘致と地元の商店街の問題といった、少し身近でありつつ切迫性の低い題材で議論するということも考えられるかもしれないですね。
谷口先生:少し前に話題になった、ハーバード大学の人気教授のマイケル・サンデル氏による「白熱教室」なんかですと、判例を使わなくてもケースにもとづいた議論ができることを示していると思います。テレビで見ると、学生たちが的確な発言を積極的にしていてすごい、と感じるのではないかと思いますが、サンデルの講義は、事前に小クラスに分けて大学院生のチューターを入れ、すごく手間をかけてしっかりと準備したうえで議論を進めていると聞いています。日本でああいったソクラテスメソッドが可能かというと少人数ならば可能かもしれないけれど現在の高校の授業で行うのは非常に難しいだろうと思います。
宍戸先生:現代社会の教科書の政治思想、憲法・民主政治に関する記述には、どんな感想をお持ちですか?
谷口先生:政治思想や民主政治に関しても、教科書の記述は非常に抽象的で、正直、私自身、この教科書で教える自信はありません。政治思想はイデオロギーの問題が絡むので、中立的に教えるというのは、非常に大変だろうと思います。重ねて高校の先生方のご苦労を思いました。
 法学部の学生に「世界史を勉強しておけば、先生のお話をもっと深く理解できただろうなと後悔している」と言われたことがあります。社会科学は、世界史と緊密な連携性があるので、世界史を学習して背景を理解していないと、意味がわからないかもしれません。社会科学を大学でやろうと思う人は、高校で世界史を必ず選択しておくことをお薦めします。これは大学での勉強に限ったことではなく、旅行ひとつするにしても世界史を知っているかどうかで全然違ってきますから。世界史を知らないと、人生の喜びの結構な部分を棄ててしまうことになりかねないですよ。
宍戸先生:私の専攻である憲法も実定法の中では基礎法に比較的近いものですし、法学部における導入科目として位置づけられています。憲法の学習においてもやはり、絶対王政から市民革命、国民国家を形成して世界大戦へといった背景なしに、現代社会の政治制度の問題を理解することはできません。
 高校の教育現場を見ていると、地歴と現社・政経の先生の役割分担が分かれていてうまく連携を取りにくい部分があるのではないかということが気になっています。公民科の科目全体の問題として連携をはかっていくことが重要だと感じています。

<1年を通して一つの物語となる講義を目指す>

宍戸先生:ところで、先生は、大学ではどういった点に意を用いて講義をされていますか?
法哲学(基礎法)という分野の特性から、どのような講義やゼミをやっているか具体的にお聞かせください。
谷口先生:東京大学ですと、法哲学はたしか4年生の後期に履修する科目でしたよね。法学をひととおり勉強した後の最後の応用と位置づけられているわけですが、「法と道徳の分離」といったことがテーマになることからもわかるように、法学の基礎でもあるわけで、応用でありながら基礎でもあるという学問です。法哲学は法概念論と正義論が2大柱ですが、「法哲学者の数だけ法哲学がある」と言われるように、教える人によって重点のかけ方はまったく違います。
 私の場合は、年間30回の講義を全体を通じた物語性があるように1本の筋をつけるように努めています。そして、毎年、今起きている具体的な事例を取り上げ、現在性をもたせています。大学の講義は、自身の研究者としての最先端の研究とのフィードバックを交えながら行うものだと思っています。大学では教員に広い裁量があるだけに、良い研究をしていないと良い教育はできないと感じています。そういう意味で、とても緊張感があります。
 それから、現代正義論について話すにあたり、特にアメリカの歴史や文化、政治社会に関して、かなり時間をとって講義をしています。それは、ひとつには法哲学で扱っている正義論がアメリカ人であるジョン・ロールズから始まっているからです。その背景としてもちろんアメリカの歴史や文化が影響を及ぼしているので、正義論を理解するにはアメリカのことを知ることが必須となります。アメリカの社会や思想を理解するには、独特の文化とか歴史とか法制度がわかっていないといけません。人種の多様性等から法に頼るところが大きく、お題目でなく、司法が社会制度をつくる役割を果たしています。そして、アメリカを観察することで、その対比で日本がわかります。われわれの文化はアメリカの影響を大きく受けていますが、知っているようでいて実は知らないことも多いのです。
 法哲学者の長尾龍一先生が昔どこかで書いていたと思うのですが、アメリカというのはわれわれ人類の「公園」のようなものであり、そういう点からも、この国について知ることには重要な意味があるだろうと思うのです。ま、詳しいことは各大学の法学部等で提供されているアメリカ政治外交史や現代アメリカ政治等の科目で、もっと詳しく学んでもらいたいところですが。
宍戸先生:そういった授業を受けての学生の反応はいかがですか?
谷口先生:正直よくわからないところもあります。実によくわかったような顔をして「ウンウン」とうなずきながら最前列で授業を聞いている学生が、試験をやらせると全然できていなくてびっくりしたり(笑)
 授業に関しては、年度末にアンケートを取ることにしているのですが、その結果を見ると概ね理解できているんだろうなと思います。そのアンケートの中に、先ほどの「世界史を勉強しておけば…」というコメントがありました。
宍戸先生:自分に何が足りなかったのかを学生に気づかせているのですから、非常によい授業だと思います。
谷口先生:ありがとうございます。
宍戸先生:ゼミではどのような内容を取り扱われているのですか?
谷口先生:基本的にはクラシックな形式です。外国語の文献を指定して、毎回担当者を決めて発表してもらい、その内容を皆で討議しています。特にゼミは、参加する学生の能力によるところが大きいので、年によって日によって少しずつ変えています。
 気になるのは、やはり学生を取り巻く状況ですね。アルバイトしないと生活費がまかなえないという苦学生もいれば、就職活動のために出られないという学生もいます。
 昨今、学力低下が言われていますが、優れた者は優れていますし、私の勤務校に関してはまったく問題ないと感じています。

後編につづく

 

<参考図書>

ショッピングモールの法哲学 

-市場、共同体、そして徳

ショッピングモールの法哲学 著  者
判  型
頁  数
発行年月
定  価
発  行
 谷口 功一 著
 四六判
 234頁
 2015年2月
 1,900円+税
 白水社

法哲学

法哲学 著  者
判  型
頁  数
発行年月
定  価
発  行
 瀧川 裕英,宇佐美 誠,大屋 雄裕 著
 A5判
 416頁
 2014年12月
 2,800円+税
 有斐閣

 

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