教科書を見るシリーズ 小学校編(5)社会6年(前半)

 いよいよ小学校社会科教科書の最終学年を見るところまでやってきました。上巻は日本の歴史について学習します。学習指導要領に沿いつつ、法律専門家の視点から見て、これはぜひ子ども達の心に留めておいてほしいと思われることがあるのではないでしょうか。お馴染みになりました春田久美子弁護士と一緒に、教科書を見ていきたいと思います。教科書は東京書籍と教育出版の2社のものを取り上げます。

【農耕生活の始まりに関して】
『新編 新しい社会 6上』(東京書籍,2017年 p.10~15)
『小学社会 6上』(教育出版,2017年 p.10~15) 

春田先生:「『狩りや漁などをしながらの生活から米づくりが始まることによって、暮らしぶりがどう変わっていったか』という問いかけは、人口が増え、かつ、人々が一箇所に定住して暮らし始めたことを前提としていますよね。いわゆる多数の人々の集合体としての「社会」、というものの萌芽です。さらには、富の蓄財、という意味などで、「むら」にも持てる力の強弱が現れてきて、それは即ち身分関係の上下ないし強弱といった、その後の歴史を貫く厳然たる事実の原点を見いだせます。
 法律は、人々の間で発生するトラブル・利害関係を調整するものですが、2人以上の人間が同じ場所で暮らすようになると、意見がぶつかる可能性が出てくるので、それを解決したり調整するためになにがしかのルールが必要になってきます(ルールの必要性)。きっと、米づくりをするようになり、食料の調達がやりやすくなると人口も増えて、安定した日々の暮らしが可能になった反面、米づくりの役割分担、出来た米の配分などをめぐって、トラブルも発生したのではないでしょうか。太古の人々がどうやって解決のためのルールを編み出していったのか興味深いですね。
『新編 新しい社会 6上』(東京書籍 p.18~)「 むらからくにへ」で、豪族も出現してきたという史実は、身分制度の萌芽を思わせます。強いもの・弱いもの、支配する側・支配される側、といった具合です。この頃には、卑弥呼のように“(女)王”さまといった身分も出来ていたことを考え併せれば尚更です。」

 

【十七条の憲法と律令について】
『新編 新しい社会 6上』「2 天皇中心の国づくり」(東京書籍)
 聖徳太子は、「政治を行う役人の心構えを示すために、十七条の憲法も定めました。」(p.27)「8世紀の初めには、国を治めるための法律(律令)もできあがり、人々は、租・調・庸といった税を納めるとともに、役所や寺を建てたり、都や九州を守る兵士の役を務めたりしなければならなくなりました。」(p.31)
『小学社会 6上』「2 大陸に学んだ国づくり」(教育出版)
 「十七条の憲法を定めて、新しい国づくりに向けての役人の心構えを示しました。」(p.24)

――十七条の憲法は聖徳太子の政治の理想を示したもので、今の憲法に対する概念とは違っていると考えるのが普通なのかもしれませんが、春田先生は、十七条の憲法と律令を現在の憲法や法律と対比して子ども達に話してみたいと思われるでしょうか?

春田先生:「十七条の憲法 は、いわば今の日本でいう政治家や官僚向けのものであるのに対して、律令は一般庶民に向けて書かれたもの。特に後者は、“納税の義務”“兵役の義務”といった内容で、そういう義務・負担があってこそ天皇を中心とした国や貴族が栄えました。そういう仕組みは、都へ各地の産物が運ばれてきたのと逆の流れで(東京書籍p.31の地図参照)日本全体に拡がっていった、という事実、併せて、地方の人々の暮らしは、やはり厳しかったために、体制を維持するために仏教の力を借りたという史実は、宗教と政治のつながりの原点を示すもので興味深いです。そういう流れが大仏の建立につながったのだ、という具合に、今なお目にする歴史的建造物を用いての有機的な繋がりを意識した説明をしたら如何でしょうか。修学旅行で奈良や京都に赴いた学校では、現地を思い出して話をしたりできますね。
遣隋使や遣唐使 などを学ぶ際、品物や学問以外に、国づくり(統治の仕組み)などの考え方も“輸入”されたのだ、ということを学んでもらうことは、たとえば、明治維新の頃に国の仕組みづくりや法体系を西欧に倣ったということを学ぶ際にも生きるはずです。」

 

――遣隋使や遣唐使が統治の仕組みを輸入したことを、明治維新のときも同じととらえるのですね。歴史を大きな視点から見ることができ、子ども達もワクワクすると思います。

【鎌倉幕府に関して】
『新編 新しい社会 6上』(東京書籍 p.52~57) 
『小学社会 6上』(教育出版 p.42~47)

春田先生:「貴族の時代から武士の時代に移行すると、領地という縄張りのような概念が明確になり、それをめぐって日本国内で一層、争いがシビアになっていきます。そんな中、武士の世界では「ご恩と奉公」で幕府と武士が結び付いていったこと、「御成敗式目」といった武士同士のトラブル解決のための決まりが出来上がっていったこと(必要であったこと)にふれる際、東京書籍p.53の右上にあるような「鎌倉幕府のしくみ」をみると、テレビドラマの中でしか見たことのない“将軍”が、トップにいる国家だったことがわかりますね。」

 

【「織田信長」「豊臣秀吉」の時代】
『新編 新しい社会 6上』(東京書籍 p.70~73) 
『小学社会 6上』(教育出版 p.58~61)

春田先生:「この辺りは、武将のストーリーなどが多く語られることが多いですが、まず秀吉の時代であれば、「(太閤)検地」の意義を掘り下げるのはいかがでしょう。検地の結果、秀吉は田畑の広さ等をしっかりと把握し、百姓たちは田畑を耕す権利を持てましたが、それは他方で年貢を納める義務が明確に規定されたことになります。刀狩りも同様です。対抗する武器である刀を取り上げられ、不平不満があっても抵抗したり、一揆を企てることを禁止されたのです。
 武士と百姓とでは、城下町と農村・山村・漁村といった具合に、住む場所までも区分けされたことは子どもたちに果たして、どれ位体感をもって伝わるでしょうか。」

 

【江戸幕府の政治に関して】
『新編 新しい社会 6上』(東京書籍 p.74~89)
『小学社会 6上』(教育出版 p.62~75)

春田先生:「徳川幕府の江戸時代が始まると、「身分制度」は一層明確に人々の間を分断したというのも、史実として重要でしょう(士農工商など。東京書籍p.82~83/教育出版p.72~73)。たとえば、百姓に向けて示された“決まり”(東京書籍p.83/教育出版p.73)を見ると、米ではなくなるべく雑穀を食べること、麻や木綿以外は着てはならないなど非常に窮屈で細かく定められていますが、子どもたちに、少しの時間でもそういう時代を想像できるか投げかけてみたり、そもそも、どうして、そういう決まりを作ったのか、作った側と守らされる側の双方の立場になって想像してみたりするのは、私が普段から行っている法教育のオーソドックスな内容です。
 大名に対する決まりも同様です。親藩、譜代、外様という具合に同じ大名同士をグループ分けしたり、江戸屋敷に妻子を住ませる(人質)という制度も、部下である大名が力を持ちすぎないようにする巧妙な仕組みですし、武士に対する決まりである「武家諸法度」が、三代将軍家光の時代になると、新たに参勤交代(東京書籍p.80~81/教育出版p.67)の制度が加えられるなど、時代が進むにつれ、ますます締め付けが厳しくなっていくなど、決まりも時代に応じて強化されていったのはなぜなのか、子どもたちに理由を考えさせてみては如何でしょうか。家光将軍の立場になりきって、他方で、参勤交代をしなくてはいけなくなった大名の立場になりきってみて行うとリアルに立場の違いを実感できるのではないでしょうか。この、立場の違いにより、一つの事柄を多角的に見えるようにする、というのは法教育のエッセンスの部分です。
 江戸時代の決まりをもっと子どもたちにリアルに感じてもらうためには、五代将軍綱吉が定めた 「生類憐みの令」などが子どもたちに“ルールの相当性(妥当性)”を考えて貰うためには格好の素材なのではないでしょうか。戌年生まれゆえ、綱吉将軍は生き物の中でも特に犬を大切にするように厳しく命じたらしいですが(“お犬様”)、 鳥・獣・魚など、生き物と名の付くものの殺生が厳しく禁じられたというこの決まり… 金魚を売ることが出来なくなり失業し、犬の扱いも大変だったようです。しかも、実際に、犬をはじめ、獣や鳥を、うっかり殺したり傷つけてしまい、牢屋に入れられた武士や百姓・町人がたくさんでたとか…。江戸中の野良犬数万頭を保護するため、農民や町人からの税の取り立ても厳しくなり、とうとう幕府の財政も行き詰っていき…。次の第六代将軍・家宣の時代になると、この決まりは直ぐに廃止されたそうです。
「鎖国」の学習は、目を外国に転じて、その頃、外国の人々がどのような状況だったかを知ることに役立ちますが、その際には、キリスト教の布教が厳しく禁じられたエピソードにも触れ、それは、どうして禁止されたのか、という理由を考えることは、基本的人権の内容を学習するときに、“信教の自由”という極めて内心の自由が保障された意味とリンクすることで理解が一層深まるのではないでしょうか。それらの学習は、靖国神社の問題、政教分離の意義を会得するためには必須だと思います(2017年春、公開された遠藤周作原作・スコセッシ監督の映画『沈黙』も参照)。」

 

――歴史の中でどれだけ自由が制限されてきたかをしっかり学んでおくことが、基本的人権の学習をする際の土台になるのですね。

【自由民権運動と国会、大日本帝国憲法、選挙について】
『新編 新しい社会 6上』「9 明治の国づくりを進めた人々」(東京書籍 2017年)
 「政府の指導者だった板垣退助らは、国会を開くことを主張し、人々の間にも政治参加を求める声が出てきました。国会を開き、憲法をつくることなどを求める動きは、自由民権運動として各地に広がっていきました。」(p.108)「日本各地でさまざまな立場の人々が、憲法の案をつくり」ました。(p.110)発布された大日本帝国憲法では、「国を治める主権をもつのは天皇でした。」「選挙権をもつ者は一定の税金を納めた25才以上の男子だけでした」(p.111)
『小学社会 6上』「8 新しい時代の幕開け」(教育出版 2017年)
 「板垣退助らは、1874(明治7)年、政府に意見書を出して、国会を開き、広く国民の意見を聞いて政治を進めるべきだと主張しました。こうして、国民の自由や、政治に参加する権利を求める自由民権運動が始まりました。」(p.100~101)大日本帝国憲法では、「主権は天皇にあり、」(p.102)「選挙権をもつことができたのは、一定の金額以上の税金を納めた25才以上の男性に限られていました。」(p.103)

――日本の歴史を通読してきて、百姓一揆や打ちこわし、乱といった暴力で不満を解決しようとするのではなく、人々が言論で政治に参加しようと主張するようになったことは画期的だと感じました。

春田先生:「そうですね。武力・腕力と言った、目に見えやすい“力”ではなく言論で人々を動かしていこうとする動き(自由民権運動)は、目新しく、新鮮ですね。それを押さえ込もうとする政府は、なにゆえにそのような動きを押さえ込もうとしたのか…逆説的ですが、それは言論のもつ影響力・波及力に気付いていたからこそ、ではないでしょうか。この辺りの学習は、中学校では習うであろう、治安維持法の学習にも繋がっていきますし、21世紀の現代でも、つい最近死去した中国のノーベル平和賞受賞者である劉暁波氏の中国政府からの扱いがどのようなものだったのか、と対比するなどの方法により、翻って板垣退助の生きざまを知ることにつながるでしょう。もっと身近な感じでは、子どもたちの生活に今や欠かせないSNSで、自由に意見を述べたり、情報を発信できる現代との比較の視点を持ち込むことは非常に有益と思います。きっと、「信じられない~」と、その状況の落差に驚く子どもたちが多いのではないでしょうか。
 前提として、福沢諭吉の「天は人の上に~」(『学問のすすめ』 東京書籍p.102/教育出版p.99)の言葉は、身分制度が崩壊し、一人ずつが平等なのだ、という思想を日本人が日本語で初めてわかりやすく説いた話で、“一万円札”を見せながらしてもよいかもしれませんね。」

 

――国会も憲法もなかった明治時代に、どのように国会や憲法がつくられていくか学ぶことは、法はつくるものということを実感するチャンスではないでしょうか?また、政治に参加できる権利が最初は平等でなかったことも心に留めておきたいことではないでしょうか。

春田先生:「 そうですね。ただ、日本の場合は、西欧や米国と多少赴きが違っていて、革命などはなく、上からの改革だった、という点があるかもしれません。いずれにしてもゼロから作り上げた、というよりは、ヨーロッパから制度や思想、法制度そのものを輸入した、という史実。もちろん、それも“作った”ということにはなるでしょう。
 選挙権は、最初は、ごく限られた1%程度の人たちのもので、普通選挙ではなかったのですが、その後、女性が参政権を得られた太平洋戦争終了後まで、長い時間をかけて、ようやく普通選挙、平等選挙等が実現された、という点を学ぶことは重要です。それをしっかりと学ぶことで、18歳選挙権の動きも踏まえ、若い児童・生徒に選挙(権)の重要性、政治に参画する意義を実感させることができるでしょう。」

 

【条約改正について】
『新編 新しい社会 6上』「10 世界に歩み出した日本」(東京書籍 2017年)
 p.116には、江戸時代の終わりに欧米諸国と結んだ修好通商条約では、日本に関税自主権や領事裁判権が認められていなかったことが書かれています。ノルマントン号事件(p.117)、不平等条約改正(p.120)の記述もあります。
『小学社会 6上』「9 近代国家に向けて」(教育出版 2017年)
 p.106にノルマントン号事件と不平等条約のことが書かれています。1894年、「日本の法律で外国人の裁判ができるようになり」(p.107)、1911年に「日本が輸入品に自由に関税をかける権利が確立し、不平等条約の改正が達成」(p.111)されたと書かれています。

――外国との関係は、裁判や貿易に関わる国同士の立場のバランスが重要であることが学べる事柄だと思います。小学生にわかりやすく話すのは難しそうにも思えます。

春田先生:「むしろ、過去の、この時代のはがゆさ、不自由さを説明する、というより、たとえば、貿易でいえば、TPPのこととか、トランプ大統領の“アメリカファースト”のエピソードになぞらえて説明をする、あるいは、沖縄で軍関係者らが引き起こす犯罪が日米安全保障条約下で、容疑者の引き渡しが認められない、事故現場に日本の警察も入れない、という現状に沖縄県民が憤っていること、など現代でもなお残っている問題から過去を見渡してもかえって分かりやすいかもです。」

 

【民主主義と治安維持法について】
『新編 新しい社会 6上』「10 世界に歩み出した日本」「12 新しい日本、平和な日本へ」(東京書籍 2017年)
 「人々の民主主義への意識は高まり、普通選挙を求める運動が広く展開された結果、」(p.123)1925年に男子の普通選挙が実現しました。
『小学社会 6上』「9 近代国家に向けて」「10 戦争と人々の暮らし」(教育出版 2017年)
 「国民一人一人の考えを政治に生かそうとする民主主義の考え方が広まり、普通選挙を要求する運動も高まりました。」そして、1925年の25才以上男性普通選挙権へと記述が続いています。「一方、政府は、治安維持法をつくって、政治や社会のしくみを変えようとする動きを取りしまりました。」(p.114)戦争中は、住民同士が「たがいに監視するしくみが強められました。」「報道や出版などの内容は、国の方針に沿うように制限されるようになり、国民は、戦争の状況について正確な情報を知ることができませんでした。」(p.124)

――どちらの教科書も「民主主義」という言葉が初めて出てくるのが、男子の普通選挙実現のところです。教育出版の教科書の特徴としては、男子普通選挙と合わせて治安維持法が紹介されていることです。そして、戦争中は人々の暮らしが統制されたことも書かれています。

春田先生:「『民主主義』という言葉は、やはり選挙の場面がもっともイメージしやすいので、どうしてもそうなりますよね。ですが、本来は、民主主義はなにも選挙の場面だけで問題になるのではなく、根本的には、この国のあり方、向かっていくべき方向性を決めるのは、他の誰でもなく私たち国民一人一人なのだ、ということをまずはきちんと押さえることが大切と思います。そういう意味では、法律の専門家の立場から言えば、大日本帝国憲法の下では民主主義は、正確な意味ではまだ実現できているとは言えないのです。他にも平塚らいてう、や水平社の動きなど、“平等”を求めて闘った話をゆっくりと今を生きる小学生に伝えられると良いですね。このあたりは、社会の学習の中だけでなく、人権学習の時間など、既存の学校のカリキュラムで学習しても良いかもしれませんね。今の憲法、新しい憲法では当たり前になっているように思えることが、当たり前でなかった時代があったのだ、ということを。」

 

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