静岡大学教育学部附属島田中学校第63回教育研究発表会 その2

 2017年11月9日(木)14:30~16:00、静岡大学教育学部附属島田中学校「第63回教育研究発表会」社会科のワークショップとして行われた江口先生のご講演についてお伝えします。(当日の資料より適宜引用させていただきます。)

「交渉・法教育から見える『社会』の在り方とは」

筑波大学人間系 教授 江口勇治先生
1.はじめに
 法教育とは、法律専門家ではない一般の人々を対象とした、法やルールの背景にある価値や司法制度の機能、意義を考える思考型の教育、社会に参加することの重要性を意識付ける社会参加型の教育です。法務省では、法教育の推進に関して検討を進めてきました。この流れは、今回の学習指導要領の改訂にも表れています。
 そこで「より良い話し合いによる合意形成」といった功利主義的な見方・考え方を身に付ける交渉教育と、「基本的人権」「法の支配」などの倫理、法理論から学ぶ規範・規約的主義的な法教育との両者を充実する教育の在り方を提案してみたいと思います。

2.公共で重視している「人と社会の在り方についての見方・考え方」

 新学習指導要領のもとでは、アクティブ・ラーニングによって、対話や交渉などの疑似体験を取り入れ、自律的交渉の当事者として社会に主体的に参画し、各人と社会が共に利益を拡大し損失を回避する方法を学ぶことをまずは枠組みとすべきだろうと思います。今回の必履修科目「公共」なども「主体性」を育てる側面から、社会参画の交渉に関わる教育課程を提案しています。
 たとえば「何ができるようになるか(想定されるコンピテンシー)」と「何を学ぶか(コンテント)」と「どのように学ぶか(ラーニング)」が有機的につながって、知識の概念的理解から「人間と社会の在り方についての見方・考え方」という視点を働かせて「公共的な空間にコミットする」資質や能力を育む教育を目指しています。このような概念を理解し、問題を解決するために概念的知識を使う教育の充実では、日常の問題解決としての対話や交渉等で積極的に知識・概念・理論・基本的価値などを利用することが不可欠になります。
 新教科「公共」では、例えば「よりよい社会を目指す」方向から、「よりよい社会」を作ろうとする「行為の結果」に着目して、功利主義(帰結主義)的な考え方に基づく「交渉」「対話」などの教育活動が主に提唱されることになります。あわせて「行為の結果」に着目した「最大多数の最大幸福」型の「公共」の社会創造のため、「行為の善さ・正しさ」「幸福と公正」などの考え方をもっと充実した公民教育を展望することになります。
 他方、個人の尊厳を前提に、各人が自立的に利害を調整することを通して、各人の利益と公共の利益を高めることが必要です。今回の改訂では「法教育」が重要な位置づけとなっており、法的な見方・考え方の指導も、深く「公共」にかかわることになります。ちなみに「対立と合意」「効率と公正」「分業と交換」「希少性と選択・集中」などの概念は、交渉場面でよく使われるものであり、ぜひ解決交渉などで生き生きと使ってほしいところです。

3.より良い話し合いによる主体的な学び(交渉教育)
 中学校社会科の「公民的分野」では「現在社会の見方・考え方の基礎となる枠組みとして、対立と合意、効率と公正などについて理解する」とされ、積極的なステークホルダー間の合意形成、交渉活動を重視しています。また、高等学校の「公共」では、「公共の扉」等の中で他者とともに納得できる解を見出すために多面的、多角的に考え、「互いのことを対話を通じて理解し高め合う社会的存在」として各人の利益と公共の利益を高める交渉の結果を想定し、最大多数の最大幸福を充たす功利主義的な見方・考え方に基づき選択判断することの大切さを学んではどうかと提案されています。
 これは、いわば近江商人の「三方よし」のような経験を、より良い話し合いによって、実現するwin-winの合意形成をやってはどうかという提案にも聞こえます。
 よりよい話し合いによる利益の拡大と調整は、個人と社会の双方に利益をもたらします。よりよい話し合いのための指針は「人と問題を切り離す」「立場ではなく利害に焦点を合わせる」「双方にとって有益な選択肢を考える」「客観的基準を強調する」「最善の代替案を用意する(バトナ)」「確約の仕方を工夫する」「コミュニケーションを工夫する」の7つの指針から構成されますが、こうした活動の充実が今の公民教育では求められていると考えます。
 人と問題を切り離し、男性、女性、障がい者も含めていろんな人がいることを理解して、立場ではなく利害に焦点をあてる。知識、概念、見方・考え方を使って、双方の利益を最大化しよう。利益を受けられない人を作る勝ち負けの結論ではなく、win-winの結論を模索する力をつけよう。客観的な基準、公正な基準によって双方に有利な選択肢を探そう。そのための調整や利益を分配する公正なルール、これが法律です。世の中にはいい人も悪い人もいて、いろんな考え方がある。自分らしく生きていくためには、おかしいものはおかしいと、自己主張できる力を身に付けて欲しいと思います。

4.主体性を高める「法教育」と「交渉教育」
 さて交渉教育の中では、客観的で公正な基準、双方と社会にとって利益を最大にする公正なルール、規範が大切になります。しかも人間の尊厳に基づくルールであることが重要です。
 このことにより着目すれは、「法」の働きに着目する「交渉」の理解が大切だということが容易にわかります。「公共」の社会では、法やルールの教育が必然的に求められます。そこで「交渉教育」とともに、「法教育」も合わせて充実されるべき公民教育の大切な要素となります。この法教育については、後ほど磯山恭子先生が法務省開発の中学校教材を活用して、授業の基本について示しますので是非今後の授業に活用ください。
 ところで、法教育では、教えるべきこと(知識)として9つの基本概念を整理します。これは関東弁護士会連合会・法教育センターとともに開発した『わたしたちの社会と法』(商事法務、2016)の中でも示した「法的な見方・考え方」の基礎にあるものであり、大切な概念です。

1)この社会で最も大切な価値である「個人の尊厳」から。
2)互いの人格が価値において「平等」であると考える。
3)自分やみんなの幸福を求める「自由」があってこそ。
4)自分と他者の利益を最大化できる「公共」というつながりで。
5)人々の価値から正当化される法的な「権威」や法律で。
6)ところ変われば社会的には「正義」「公正」は変わるが、それでも考える実質として。
7)社会が続くことで不可欠の「責任」を柱に。
8)社会生活の営みとは「信頼関係」の構築であること。
9)事実と真実を判断の切り札にする法的思考を。
これらを具体的な教材で考えることが「法教育」であり、「交渉教育」の中でこれらの考え方や概念を学ばせてはどうでしょうか。各人の良心、公正、正義、真実などを重視する法感覚は、法的本題の討論だけでなく、交渉の教育にも役立つものだと思います。

5.まとめ
 私は交渉教育と法教育とは、実は同じものを目指していると考えています。よりよい交渉において、人はみな大切な存在であるという考え方が重要であるように、【1】「基本的人権の尊重」【2】「国民主権」【3】「平和主義」といった憲法の原則は、中立的な個人の尊厳を基にする社会の強い願いです。交渉教育も法教育も、自分や周りの人が共に幸福に生きること、また共に平和に暮らすことに繋がる教育なのです。

〈取材を終えて〉
 文章にしてしまうと伝わりませんが、実際の先生のお話はユーモアを交えたテンポのよいもので、法教育への熱い想いと人間愛に満ちていて、とても楽しく拝聴いたしました。是非、多くの方に生で聞いて欲しいと思いました。
 また、後半の40分は静岡大学磯山恭子教授と法務省による刑事法入門のワークショップでした。
 コピー機を使って偽札を作成し使用したとされる被告人に関して、証人の証言を元に有罪か無罪か、どの証言が被告人にとって有利になるか不利になるかを、社会科ワークショップに集まった先生方が、授業さながらにグループとなって話し合い、発表する内容です。先生方の中にはまったく初めてで「どう考えたらいいかわからない」と仰っている方もいらっしゃいました。改めて教員の皆さんへの支援の必要性を感じるとともに、今回、先生ご自身が体験したことで法教育への理解を深める機会になったのではないかと感じました。

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