「法学教育」をひらく(第1回) 君塚正臣先生 その2

「「法学教育」をひらく(第1回) その1」からのつづき

〈憲法の私人間適用―専門科目との異同その1〉

大村:「高校生を相手に法の授業を試みる人は多くなりました。ネット社会におけるプライバシーの侵害が取り上げられる教材が多いですが、憲法の私人間適用の感覚が希薄だと思います。高校の憲法教育と大学の憲法の感覚は、落差が大きいと感じます。」
君塚:「私人間適用について、きちんと全面展開するのは難しいところです。自分が執筆に参加しました現代社会の教科書(帝国書院,2013年)でも、高校生に身近なネットの問題を具体的問題として示しましたが、そこでは、両当事者の主張についてどちらが正しいか考えましょう、ということにしました。市民Aが市民Bの憲法上の名誉権や表現の自由を侵害しあっているのではない、憲法の直接適用ということではないよという趣旨をにじませたつもりですが、高校の現代社会や政経では、放っておくとそうなりがちなのは、大学の法学部の憲法学からすると非常に困ります。憲法感覚さえあればいい、という感覚の問題点です。伝わるのは難しいと思います。」
大村:「憲法は、基本的には国家権力と私人の間に適用される。プライバシーの侵害について、憲法が直接適用されるのは国が私人のプライバシーを侵害するという場面です。個人と個人の関係でのプライバシー侵害は、第一次的には民法で規律され、そこに憲法的価値がどう関わってくるか、理解してもらうのはなかなか難しい。」
君塚:「憲法は適用されないが、私人同士ではどうなるかという立論が扱われることは、高校段階ではほぼない。ついでに申し上げますと、契約の話は私人同士としてわかりやすいけれど、不法行為も私人間のことであるのにそう思われていないということも、実は大学の法律学の議論でもずっとそうだった感じがあり、私は疑問を呈したところです。」
大村:「当事者の関係が水平的。そこでも憲法が問題になりうる。高校で考えている憲法の局面と違うということになります。」


〈民法をいかに教えるか―専門科目との異同その2〉

大村:「この本は憲法ということで考えて、個人、家族、契約という作りになっていて、私自身は親近感を感じています。人から出発して民法を考えると、こういう順序になりますが、民法典はそうなっていません。財産中心で、人は後からついてきます。」
1309120101君塚:「このあたりが、民法の専門家でない編者の怖いものを知らない強みみたいなところで、民法の体系を無視して話を組み立てられるわけです。個人もしくは家族のあとの財産法関係は、さすがに1章では収まらないので2章になりました。どうやって2つに分けたかというと、第6章は財産法の基本、第7章はその問題が実際に動いたときどう解決できるか、という構成になりました。」
大村:「何の制約もなく民法を何回かで説明すると、いろいろな分け方があると思いますが、個人を出発点に分けるとこの本のようになると思います。私は高校生に民法を教える場合には、スタートは個人(自分自身)かと思います。教えやすさもあります。不動産から入るなんて、高校生にはリアリティがないし、日常生活との関連性が乏しいと思います。」
君塚:「この本でも、最初に家族法が出て、売買とは何かという具体的契約などがきて、借金の回収とか担保の話とか不法行為が後にきます。」

 
〈「国際関係」などについて―専門科目との異同その3〉

大村:「高校では、意外に国際関係が重要視されているということですが、これについてはどうお感じですか?」
君塚:「国際関係の内容は多いと思います。労働法も。確かに、誰かが要請すると、高校の科目内容が動くのかなと思うところがあります。」
大村:「国際法をこれだけ高校でやることは、悪いことではないと思います。大学では少ないのがどうかと思いました。」
君塚:「悪いことではありません。その割に司法試験の国際法選択者は少ないですが。」


〈執筆者にとって、法学入門を書くということ〉

1309120102大村:「執筆者は若い先生方ですが、執筆者にとって法学入門を書くことの意味は何でしょうか? 若い頃に法学入門を教える人は多いと思います。その後、専門分野のことを教えることになります。入門を教えることの経験は、なかなか言語化されないと思いますが、若いときに入門を教えたり本を書いたりした経験は、教える側にとってどういう意味があるでしょうか?」
君塚:「『VIRTUAL憲法』(悠々社,2005年)を書いたときの3人は皆、最初の就職先が法学部ではありませんでした。最初から法学部で教える人と違い、苦労があったと思います。その点を重視して、人選をしました。私も、教養担当教員として、他学部生にとって憲法、もしくは法学を教育することの意味を考えさせられました。教員を目指している人に向けて憲法を講義するのはまだはっきりしている(体育学部の先生は、憲法もできない奴は教員にできないから、びしびしやってくれ、と言われました)のですが、他学部に、ありきたりの法学概論をやり、法とは何かに終始していても、ほぼ無意味です。結局、生まれてから死ぬまでに関係する法律学の知識・問題を軸に授業をしたり、その延長で家族法を憲法学的に再考するようなことをしたりしました。教養科目の改革と称して得体の知れない科目名になっていたのをいいことに、科目名にかこつけて専門の憲法以外のことまで講義できたのは、有意義でした。
 こういった経験や思いから、いろいろな入門書の企画をしてきました。法律は各分野の総和ではありません。底に、「これは大事」ということがある。この本でも、それを書いてほしいと頼みました。法律学とは何かということを行間ににじませてほしいと思いました。執筆された方は、例えば、刑法学者は刑法だけやっていればいいのではなく、周辺がわからなければいけない、ましてや、自分の専門としている詐欺罪の研究だけしていればよいわけではない、ということに思い至っただろうと思います。周りの情況を見て、周りとの関連がわかって専門家といえます。入門書を書くことにより、自分の専門分野の位置づけ、社会との関係に思い至ってほしいということです。」
大村:「若い人が著者になると、それが難しいことがあります。入門を担当する先生は、すごく若いか年輩の方が多いですね。若い先生の難しさについて、ご感触はいかがですか?若い先生は、専門領域もごく少し知っているだけで、法の全体がわかるわけではないと思いますが、ひるがえって高校の先生もそうです。ある意味で、法のことを教えることに自信がもてない。視野を広げて教えるのは、大変なことだと思います。」
君塚:「一言で言って、えぇ、・・・・頑張れというしかないですね。それから、今回の本の執筆者を選ぶについては、特定の大学の出身者で固めないことにしました。法学イメージを〇〇学派で一色染めにしない工夫です。そして、なるべく柔軟性のある若い人に頼み、幅広く勉強して書いてほしいと思いました。」

 
〈法学入門書について〉

大村:「この本を実際に使って授業をされた先生のご感想はいかがでしょうか?」
君塚:「『高校から大学への憲法』の方は実はかなり売れているのですが、『高校から大学への法学』の方は、それには劣ります。ただ、歴史が冒頭にくるのが特徴で、教えやすいということを聞きました。確かに、教養の法学教育担当の教員の多くは、法哲学や法制史の先生からですね。高校でも、現代社会を教えるのは主に地歴の先生なので、その先生方が教えやすい教科書を作ろうと考えました。帝国書院の現代社会の教科書でも、絵地図と年表を入れましょうと、進言しました。」
大村:「高校の法教育のためには大事なことだと思います。地歴の先生がある程度自信をもって教えられることが大事ですね。歴史の流れの中に取り込まれた法学入門が、先生にも使いやすいし、生徒にとってもとっつきやすい。高校生は、歴史という中心的科目にはエネルギーを使い、一定の関心をもって臨んでくれます。歴史を中心にした形で高校生に語ることは、意味あることに思います。」
君塚:「最初に出てきた学生とは逆で、フランス革命は専門ですからね。その後に近代立憲主義を教えることはスムーズですし、とても意味がありますね。」
大村:「法学入門の本は、必ずしもその専門家というのがいません。法学入門に専門の学会や雑誌などないから、なかなか経験が蓄積しにくいということがあると思いますが、本を作る際に、モデルや比較対象例はありましたか?」
君塚:「この本についてはありません。自分の経験で体に染みついている感覚はありましたが。前の本とは違うものを、と必死に考えた結果です。」
大村:「用語集を使う本は、1つあればもういい。次にやる人は違うやり方をすればいいと思いますが、そういう情報が共有されにくいと思います。この本も、どうやったらよりよく使えるか、どういう観点から作ったかなどを補足説明してもらうと、もっと可能性が広がると思います。今日のお話が補足になったと思います。」
君塚:「この本には、法学の方法論が足りないところもありますし、担当の先生の専門を易しく話すところを残る3講で足して、教えていただきたいと思います。」
大村:「法学方法論がないことはディメリットではないと思います。この本の外で、法学の方法に関わるようなこと、専門に即し技術的に少しハイレベルのことがあってもいいと思います。」

 
〈法学部教授へのメッセージ〉

君塚:「この本のもう一方向のメッセージとして、大学の入試問題を作る先生に、この本を横においていただきたいと思います。難問奇問が私学には多いのは困りものですし、そうでなくても、法学部の入試で高校生に何を期待し、何を要求するのか、もう少し意識して作ってほしいと思います。日本史の問題の7割が近世までの文化史、ということでいいのだろうか、などと思うものです。」
大村:「国立大学では入試問題を法学部の先生が作ることは少ないですが、私学では多いですね。入試問題はメッセージ性が高く、関心が高まりますから、大学は入試問題を通し、何を伝えたいか考えてほしいですね。高校でこういうことを教えられていると大学に知ってもらうことも、大事です。高校の教育にある種の偏差があることを知ることも、大学の教育の実効性を高めることになるというメッセージもあると思いました。他にいかがですか?」

 
〈高校の法教育について〉

君塚:「この本を編んで、高校の教科書に参画して思うことは、高校の公民科の再編は必要かもしれない、ということでしょうか。個人的には、政治・経済と現代社会はもう少し守備範囲を明確にし、現代社会では民法の基礎のような、生活するのに必要なことや、社会に出てから違反すると困る刑法の話に特化し、政治・経済では表現の自由がどうの、司法権に関する問題や、国際法や政治学、国際金融とか、やや理論的なところを軸にするといいのに、と思います。高校での法教育の体系も検討されてほしいと思います。高校からすぐに社会に出る生徒のための法教育も、もう少しあるといいと思います。つまり、「高校まで、大学へではない法学」も考えねばなりません。彼らには民法や刑法の基本は教えておく必要を感じます。」
大村:「今のカリキュラムでは、高校の先生が民法や刑法を教えるのは敷居が高い。歴史に民法や刑法が常に出てくるわけではありませんから。サポートをして、何のためにそれを教えるか、というメッセージも示さないと、と思います。民法・刑法も高校で必要だとお考えになりますか?」
君塚:「細かいことはいりませんが、最低限の知識・基本的考え方は教えられてもいいと思います。」
大村:「番外の話になりますが、高校生に教える際、あるいはそのための教科書を作る際、こういう点を意識しているということはありますか?」
君塚:「現代社会の教科書執筆の際、当初提示された政治編の最初の章の表題のキーワードは「民主主義」でした。この教科書の旧版では、近代立憲主義がほとんど出てこなかったのです。教科書の高校教員向けの教授資料の解説にも書いたことですが、近代立憲主義は、民主主義そのものではない。何よりも,それが単純多数決では必ずしもないにせよ,「みんなでものごとを決めよう」という集団主義の一つである民主主義は,「一人一人の大事なものは,お互いに尊重しよう」という個人主義(基本的人権の尊重)や,「みんなで決めてもそれは絶対ではない。多元的価値観を認めるべきだ」という自由主義とは別物です。そして,この一見矛盾するものを,絶対王政に(そのあと,各国で,軍国主義や独裁体制に),セットにして突きつけたのが近代立憲主義なのです。だから,民主主義と自由主義・個人主義には相克があります。多数者と少数者は衝突する。多くの言論弾圧は過酷をきわめました。ファシズムやスターリニズムは,民主主義を基盤に,大衆の「喝采」(熱狂的な匿名の群衆による包括的な全権委任的一般意志の表明)を要したことを忘れてはなりません。そして,自分が少数派に転落する可能性も常に考えなければならないと思います。そのことを、はっきりと憲法に書き、めったなことで変えてはならない大原則とし、ましてや、国民の多数派で構成される議会で簡単に変えてはならないことが重要になってきます。こういったことは、民主主義とか、ましてや多数決では還元できません。こういったことを実感してもらうことは、特に大事になってきていると思います。高校の先生には、この近代立憲主義の理念をよく教えていただきたいと思います。」
大村:「樋口陽一先生の一番新しい本(『いま、「憲法改正」をどう考えるか―「戦後日本」を「保守」することの意味』(岩波書店,2013年))のスタンスですね。高校生に何を伝えるべきか、大学の教員同士で議論するのは、教科書執筆が直接の場です。情報共有されていないと思うことはありませんか?」
君塚:「おっしゃる通りです。専門以外の他の分野のことを知らなかったり、この科目が何をやっているかわからずに書いたりすることが多いと思います。横と全体を見て、ということですね。教養の法学の本を書くのと同じことがあると思います。」
大村:「すべての問題についての専門家というのはいませんから、共著のときは、総合ではなくて集積になってしまいがちです。入門書を書くときにそれでいいのか。教科書も同じということですね。」
君塚:「はい。これも、本題から外れるかもしれませんが、教育問題に熱心な人はイデオロギッシュな場合があります。法教育もそうならないよう、次の日本人に伝えるときのことを大学はアカデミックに考えないといけないと思います。」
大村:「ある種のメッセージを伝えることは必要だけれども、そのメッセージだけと思われると困る、そのメッセージを疑うこともそこに組み込まないと、ということですね。法学教育も同じで、教えたことを疑うことも教えないといけない。大学教育ではできるけれど、初等中等教育の段階でそれは難しい。でも、それを教えないと法のメッセージは伝わらないと思います。法のあり方にさまざまな意見があることを含めて伝えないと、法的ではない。そういうメカニズムに意識的でないと、教育にはある種の副作用があるという趣旨ですね?」
君塚「そのとおりです。」
大村:「他には、何か?」
君塚:「いろいろありますが、大学のほうの法学教育という点で言えば、教養学部解体で、法学概論や入門を主たる担当科目として、法学概論とは何かを日々考えながら教える人が減ったのではないかということが1つです。」
大村:「法学入門で教えることが、学部での教育にどういう意味をもつか。踏み台に過ぎないのか。ここにあるものを含み込んだ形の教育になるべきか、考えないといけないと思います。我妻栄の有名な民法教科書に即して言えば、もともと法学部生向けだった『民法講義』にはない社会的なこと・領域横断的なことが経済学部生向けに書かれた『民法大意』にはある。実は、『大意』の方が法学部教育にふさわしいのではないかということが、一般論としてあります。」
君塚:「はい。こういったことを、教養の授業を担当する教員は考えなければなりません。入門でも、私法入門、公法入門などと細分化されて、そもそも法とは何か、法の解釈とは何かというようなことが抜け落ちる傾向はないかという危惧もあります。それから、教養部がなくなった後、法科大学院ができた現在、法学部は何を教えるのか、はっきりさせてなくてはならないということがもう1つです。『法学部生のための選択科目ガイドブック』(ミネルヴァ書房,2011年)を刊行した気持ちにも関わることですが、憲民刑を繰返し徹底的に、みたいな教育になりすぎていないか、やや心配があります。法学部を出た後は民間企業に行く人が多く、みんなが弁護士や法務官僚になるわけではありません。そこで求められているのは法学の基礎知識のほか、法的な思考力、それに社会科学分野+αの素養ではないでしょうか。法学部の先生方には、教養部解体とともに、法学部卒業生に必要な周辺の学、特に関連社会科学分野などが捨象されたきらいがあるが、それでよかったのか(東京大学は教養学部をまさか解体などしていませんよ)ということをまずは考え直してほしいと思います。」
大村:「対談シリーズの全体を通じると、法学教育で問題になっていることがわかり、法教育との関係を考えると、双方についての理解が深まる、ということになるといいと思います。お話、ありがとうございました。」

   

高校から大学への法学

高校から大学への法学 著  者
判  型
頁  数
発行年月
定  価
発  行
 君塚正臣編
 A5判
 220頁
 2009年3月
 2,205円(税込)
 法律文化社

 

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