法教育インタビューシリーズ(1)江口 勇治 筑波大学教授

 2010年4月13日(火)、筑波大学の江口勇治先生の研究室にお邪魔し、お話を伺いました。先生は1990年代半ばからアメリカの法教育について研究を始められ、日本の法教育研究をリードされてきました。
 法教育フォーラムの「法教育とは何か」は、江口先生にお書きいただいたものです。

江口先生の法教育研究の始まり

eguchi02-社会科教育が専門ということですが、その中で法教育に注目されたのはなぜでしょうか?
江口先生:「主に社会科の研究の中で「法教育」に注目したのは次の三点が理由だったと思います。
 一つは、私の筑波大学の恩師の梶哲夫先生のおかげです。先生は文部省の公民教育の調査官などを経験され、社会科における憲法教育の重要性を指摘されていましたが、その影響から法教育にまずは着目する素地が出来上がったと思います。
 二つ目は、私が大学院生の時に、アメリカでLaw –Related Educationが広まっていったことです。すなわちアメリカでも新しいタイプの法や司法に関する教育が作られ、そのカリキュラムの一つである、公民教育センター発行の「自由社会における法」を日本に紹介したのが大きな契機となりました。幸い、社会科の学会等で、少しはその意義を説明できたのではと思います。
Justice3  三つ目は、日本弁護士連合会、関東弁護士連合会や全国法教育ネットワークといった組織や団体が1990年代から裁判傍聴や出前授業などの司法教育に取り組み、徐々にその活動が人々の目に止まり、その意義が少しずつ認知されてきたことで、さらに活動が促進したことがあると思います。
個人的には最初は社会科の一つの論点として法教育に注目したのですが、結果としては注目せざるを得なくなったということかもしれません。」

教員養成における法教育の位置づけ

-教員養成大学での法教育の位置づけをどのようにお考えでしょうか?
江口先生:「できれば教員養成大学や法学部のある大学の教員養成では、もっと法や司法の基礎・基本を養成カリキュラムの中に位置づけるべきだと思います。教員養成での法教育は裁判員制度のスタートによって増えてきましたが、個人的には憲法の他に民法や刑法などの一部も教員になるために必修として課したらいいのではと思います。
また単位や科目の増加ばかりでなく、学習面や法的参加経験といった側面の充実から、養成課程を柔軟に考え、たとえば法曹実務家などの協力・連携による法律基礎の講義などをもっと大学は充実させるべきではないかと思います。これはきっと教員としての基礎教養を高める意味にもつながります。」

シティズンシップ教育と法教育の関係

-シティズンシップ教育とはどういうものでしょうか?
江口先生:「シティズンあるいは市民は、一人の人間として、ある資質や資格をもち、自分を含めた他者が生きて活動する場を、自律的に支える能力や責任をもっているものと思います。そこでそうした人になるため、あるいは人であることを自覚するためにシティズンシップ教育が、今人々の関心を集めています。個人的には市民でも公民でもいいと思いますが、そのような資質や資格の大切さを自覚する教育の重要性を考えています。具体的にはその教育の一つの形としては、政治・経済・法に関する理解と経験をバランスよく伝えることだと思っていますし、一つのモデルとしては、スウェーデンの中学校教科書『あなた自身の社会』 などにみられるのではと思っています。
   シティズンシップ教育という言葉を、私は「公民教育」と訳しています。「公共的空間」を誰もが担えるようにするという意味を重視しているためです。公共性が少し薄い感じがするので、法の視点も加え、公民教育が生き生きとなることを期待します。」

今後の法教育の展望

eguchi01江口先生:「法とともに歩む時代がもう来るでしょう。法教育を身近なレベルにまでおろしてくる作業が望まれます。それには法曹三者がバランスよく関わることが大切です。
 権力・統治構造というものをもっと人々に近づける政治の学習と、自分の生活や利益を維持するための活動を支える経済の学習とをつなげるのが法教育です。政治と法と経済をバランスよく教えるシティズンシップ教育が展開されていくならば、法教育はおのずと大きな支柱としてさらに注目されていくのではないでしょうか。」

取材を終えて

 お話を伺って印象に残ったのは、いろいろな面で「バランスをとることの大切さ」を繰り返されていたことです。スウェーデンのシティズンシップ教育では、政治・法・経済の3つをバランスよく教えていること。日本の法教育で、法曹三者がバランスよく取り組む必要があること。どれかに偏るといびつな社会になるおそれがあるということでした。

ページトップへ