法と教育学会 設立総会・第一回学術大会 その2

 ひきつづき、法と教育学会第1回学術大会から午後の基調講演とシンポジウムの模様をお伝えします。

基調講演

「法教育からみた利益考量論」

大村敦志 東京大学法学部教授

はじめに
 法と教育学会は各地の弁護士会・学校の先生・法教育研究者の方々の様々な試みを結集し、さらに展開していく上での出会いの場として活用されることが期待されます。

1 民法学における方法論
 民法と民法学の関係は教育と教育学の関係と同様といえる、実践性の高いところに位置する学問です。民法学では、民法の諸制度のよりよいあり方を提言することと、民法の諸制度の歴史や意義(目的・由来)といった観点からの民法研究の両方をしています。
 利益考量論とは、法解釈の方法として提唱されている論理で、1960年代後半から盛んになりました。法を適用した結果を考慮に入れて法解釈をする、結果指向型の考え方をします。どの法解釈を適用するか、選択が難しいケースの場合の考え方といえます。考え方にはかなり幅があり、①対象の違い(制度型か事例型か)②目的の違い(説明型か当為型か)③基準の違い(内在型か外在型か)④行なう操作の違い(直接型か背景型か)による分類が重要です。1960~70年代は社会的に大きな変動がありましたが、法律の改正はあまり行なわれませんでした。利益考量論の隆盛にはそのズレを法の解釈のよって埋め合わせるよう、柔軟な思考が求められたという背景があります。

2 利益考量論から法教育へ
 利益考量の考え方は法教育の場面で、「理解の技法」と「創造の技法」として利用することができるでしょう。理解の技法としては、もし不法行為に関する民法709条がないとしたら、物を壊しても弁償しなくていいことになります。そうなったらどうなるか、壊した側・壊された側、双方の立場を想像します。当事者の立場を自分自身に置きかえて考えることに、利益考量論の核心があります。創造の技法としては、あるべき制度・ルールを探求するのに役立ちます。現にある制度を批判的に考えたり、ありうる他の選択肢を想定するために多面的に検討する、という方法が利用できるでしょう。共通の議論の場を作り出す試みといえます。
 利益考量論は「利益」というわかりやすい価値を基に考える点に、普遍性があります。法教育の中にもすでに取り込まれているとも言えます。法教育は世界的に広がりうるものであり、法学とともに法を新たにつくる最前線にあるものと考えます。

シンポジウム

「法教育のミニマム・エッセンシャルズを問う」
 法教育において語るべき「法」とは何か。一人ひとりに何を伝え、一人ひとりは何を獲得していくのか。その教育の方法はどうあるべきなのか。動き始めたばかりの「法教育」に盛り込む内容、やりかたは立場により人により違っていますが、国民にとっての意味を根本で考慮し、様々な差異を踏まえつつ、最低限共通に認識できるところはどこなのかを模索します。

第1部 報告

「憲法の基礎概念・基本的価値の教育」

土井真一 京都大学公共政策大学院教授

 憲法教育は法教育のミニマム・エッセンシャルズの一部をなしています。法教育は思考重視型、従来の憲法教育は知識重視型と言われますが、憲法だから知識重視になるのではありません。知識の詰め込みにとどまるのではなく、法的見方考え方を教えるにはどうしたらよいかという方向が建設的だと思います。考えるためには、考える対象としての知識が必要ですから、まず基礎的な知識を習得し、活用することが必要です。個々の法的知識の重要性と、その基礎となる概念や価値の相互の関係性を考えないことが問題です。そういった意味での最小限の知識は何かを考えることは、個々の知識の体系化や実際に知識を活用する上でも、現在の制度を批判的に検証する上でも必要でしょう。
 今回の学習指導要領の改訂では、高校の大項目の1は「私たちの生きる社会」についてですが、社会のあり方の基盤を、「幸福、正義、公正」といった概念を用いて理解させることが求められます。どういう形で授業をするか1つの考え方を示したいと思います。「憲法とは何か」といえば、「国家の基本法」であり、国家を形成し運営するためのものです。なぜ人は国家を形成し、運営するのか?国家を構成する「人」とは何か?この論理のしくみのしたがって考えるのが近代立憲主義を支えた「社会契約論」です。「一人ひとりの人間が何を大切と考えるか」が倫理の課題です。「よく生きるとは」や「幸福とは何か」は一人ひとり違うことがあり、十分に考えさせる必要があります。
 その結果、「人々が幸福になる社会とは何か」を考えることができます。人々が共同する(交換や分業など)ことでより大きな利益が生まれ、各人の幸福につながりますが、権威や権力はなぜ必要になるのでしょうか。個人の対立・衝突を解決することが「正義」の課題となります。その際は「答え」を強調しないことが重要です。「正しさ」そのものを否定するのではなく、「よりよく」と考えることが大事でしょう。
 民主主義を支える根拠の1つ=最大多数の最大幸福を追求するのが「功利主義」ですが、限られた人々に負担が集中することを止められないという限界があります。「少数の人々の犠牲の上に、大多数の人の幸福が成り立つ」ということにならないことが必要です。そのために共同の条件として各人が相互に承認しなければならないのが憲法です。各人が共同体をともに生きる対等な個人として、公正な配慮を受けることが求められ、そのために個人に保障される権利・利益が基本的人権です。この骨組みを理解させることが、憲法とは何かを理解させることになります。

「子どもの何を、どのように成長させるのか」

大杉昭英 岐阜大学教育学部教授

1 現代社会に生きる児童生徒にどのような能力が求められているか
OECDは「国際標準の学力」を検討し、「人生の成功と正常に機能する社会の実現を高いレベルで達成する個人の特性」を「キー・コンピテンシー」(主要能力)という概念にまとめています。日本の中央教育審議会答申では、「生きる力」はこの主要能力という考え方を先取りしていたと言ってよいと述べています。

2 法教育とキー・コンピテンシー
 キー・コンピテンシーの基底をなすのが、「思慮深い思考と行為」で、その背景には現代が多様で複雑な社会であるという事情があります。キー・コンピテンシーは3つのカテゴリーに分類されます。「A 異質な集団で交流する」、「B 自律的に活動する」、「C 相互作用的に道具を用いる(個人は、その環境と効果的に相互作用するため広い意味での道具を活用できる必要がある。)」の3つです。3つにはそれぞれ下位コンピテンシーがあり、Aの下位コンピテンシーの1つに、「紛争を処理し、解決する」ことがあります。Bの下位コンピテンシーには、「自らの権利、利害、限界やニーズを表明する」が含まれます。
 法教育との関連で注目すべきコンピテンシーは、「紛争を処理し、解決する」と、「自らの権利、利害、限界やニーズを表明する」であると考えられます。国際標準の学力として提案されたキー・コンピテンシーの中でも法教育の求める能力と通底するものこそが、学校教育において実施される法教育のミニマム・エッセンシャルズとして検討されるべきものではないでしょうか。

3 能力をどのように成長させるか
 小学校から中・高等学校にかけて、法教育で能力を成長させる教育プログラムを検討する際のキーワードとして、「体験」と「概念化」および「概念の活用」を挙げます。法が「共生のための相互尊重ルール」であることを体験する学習活動を小学校低学年で展開し、徐々に概念化していくことにより、法に対する感心やトラブルを解決する意欲が育っていくのではないでしょうか。新学習指導要領の小学校第1・2学年の「生活科」、中・高学年では特別活動や体育で、ルールの意義やルールをつくったり工夫したり数学習活動をてんかいできるようになっています。さらに中・高等学校では、法に関する概念を習得し、それを活用して物事を考えたり、対立を解決する方法を考えたりする学習へとつながっていくことが期待できます。
 各教科の内容を法教育の観点から再検討し、養うべき能力と能力を働かせるための概念を明確にして、学校全体で行なうホーリスティックな教育プログラムを編成することが必要ではないでしょうか。

「法教育で、授業はどう変わるのか―教育現場の実践から考える」

吉田俊弘 筑波大学附属駒場中高等学校教諭

 現行の学習指導要領による高校「公民科」教科書(法関連分野)の特徴は、法の過剰、網羅的・断片的に登場する法、問題解決の唯一の正答としての法、見えない司法過程といえるのではないでしょうか。新学習指導要領では、法の系統性が法教育の系統性へとつながるようになると考えられます。授業構成の視点としては、「法教育とは、憲法教育の活性化である。」という土井真一先生の言葉を引用させていただきます。法教育は、法の基本原理・価値を軸に構成されるべきであり、その内容は4つの領域「立憲主義、私的自治、法の制定と執行、司法による紛争解決」に編成されます。法的思考力、法の主体として法の使い手・つくり手を育成するためには、問題発見と分析、解決案作出、議論や説得を含むコミュニケーションの各能力を培うことが求められます。「点からプロセスへ」の法教育といえます。

 本校中学3年生の場合、2009年度3学期には15~6時間を法教育入門に当てました。(1、2学期は経済をしています。)1 法と経済、2 契約の意義と役割、3 所有権の意義と権利の行使、4 法と裁判、5 刑罰と犯罪に関する考え方、6 日米の司法システムの比較、7 刑事裁判の傍聴(裁判官講話含む)と東京地方検察庁訪問(検察官講話含む)

「法に対する認識を変化させる教育―客体から主体へ」

根本信義 筑波大学大学院人文社会科学研究科教授・弁護士

 私の考える「法教育」とは、自由で公正な民主主義社会の構成員として、自分達の関係を自分達で構築し、さらには社会に対して積極的に貢献しようとする有能で責任ある市民を育成しようとする教育です。新学習指導要領を踏まえて、法に対する認識を変化させるための小中高の法教育の実践として、どのようなものが考えられるでしょうか。

 小学校の段階でルールの意義や、そもそもなぜルールに従うのかを考えさせ、さらにルールの評価の仕方を教える必要があります。身近な生活のルールの意義に関して、スポーツのルールとの対比で考えさせる教材「サッカーのルールから法を考える」を考えました。ルールの評価基準としては、一つの考え方として中学校の指導要領に出てくる「効率と公正」があります。小学校の段階では、アメリカのCCE(公民教育センター)が提唱している、一連の質問群に答えていくことで類似の問題に対しても判断ができるようになるという知的ツール(邦訳『テキストブックわたしたちと法』現代人文社)を用いるのが有効だと思います。高校段階では、法の意義や役割をより抽象的なレベルで学んでもらうことが考えられます。

第2部 パネルディスカッション

司会:鈴木啓文、橋本康弘
パネリスト:大杉昭英、土井真一、根本信義、吉田俊弘(敬称略)

橋本:「会場から、ミニマム・エッセンシャルズを3つのキーワードで言ってほしいという要望がありましたので、お願いします。特に内容のミニマムもお願いします。」

土井:「「公正」が重要な要素だと思います。その上で憲法を前提にすると、「個人の尊重」と「信頼の確保」が重要です。「憲法とは何か」を考えることを通じて、「人権の保障」や「権力の抑制」を考えることが、内容のミニマムかと思います。」

大杉:「紛争を解決する能力と、自らの権利・利害・限界やニーズを表明する能力がベースだと思います。社会の前提としての自由も大切です。」

吉田:「方法面では個人の尊重がベースで、人の声を聞くこと、当事者性も大事です。内容面では、15歳では法の基本原理、私的自治、紛争解決。17歳ではルールをつくる、使う、プラス学校現場に応じ、労働法や社会保障法を加えたいです。」

根本:「1人の市民として生きていくための力から考えていって何が必要かということです。憲法の意味、私的自治、人の話をよく聞くこと、自分の意見をちゃんと言うこととなりますが、それらをどうやって積み重ねていくかという議論が必要と考えます。」

橋本:「フロアからの質問にお答えをお願いします。」

Q1 法教育と功利主義の関係はどうなりますか?
→土井:「バランスある法の正義のあり方が大事でしょう。憲法は政治・経済・社会の結節点にある法です。自由権と社会権のバランスをどのようなあり方にしたらよいか、というように考えられます。」

Q2 ①法教育は成人教育・生涯教育にも当てはまりますか?
   ②大学の授業のあり方から変えるべきと考えますか?

→大杉:「①学校教育は生涯教育の基礎ですから、生涯教育にも当てはまるべきものと考えます。②教師も経験しなければ指導のポイントがわからないでしょうから、大学の授業のあり方から変えるべきと考えます。」

Q3 大学教養の法学をどう位置づけますか?
→土井:「ロースクールができたので、専門教育の法学をどう位置づけるかも問題ですし、教養教育自体の位置づけも問題です。各大学の理念に従っていただくしかないと思います。大学生にも基本的な法的素養がないことが問題になり、トラブルに巻き込まれる例が増えています。生きていく上で必要な内容を「教育」ととらえる考え方もありますし、「ヒューマニティーズ」ととらえる考え方もあります。」

Q4 学校の先生が法教育にやる気で臨むには、どうしたらいいでしょうか?
→吉田:「現場の先生は不安を抱えているので、相談できるしくみがあるといいと思います。教員対象セミナーで体験的にやってみる方向がいいと思います。困ったことの相談窓口は、この法と教育学会や法テラスにあると助かると思います。」

Q5 現場の先生と法律家の日常的接点はありますか?
→根本:「全国レベルに法と教育学会ができましたが、地域レベルでは現場の先生方の忙しさがあります。茨城県でも法教育委員会が先生とつないでいますが、各県毎に整備が進みつつある状況です。弁護士会からは日弁連法教育委員会へ1人ずつ委員を出しています。」
→鈴木:「法教育フォーラムのホームページや、法と教育学会も交流の場の一つですから、利用していただきたいと思います。」

橋本:「東北学院大学の吉村先生からは、ご意見という形でいただきたいと思います。」
吉村:「今の学校現場にバラバラにある法教育を統合するような理念が、現時点でのミニマム・エッセンシャルとして問われるのではないでしょうか。法教育としての理念は何か、教育論とは何か、ということです。理念があると、今ある学校教育の中からいろいろな要素を取り出して、教員自ら授業の創造ができるのではないかと思われます。」
橋本:「今の吉村先生のご意見が、本日のまとめになっていたのではないかと思います。」

取材を終えて

 盛りだくさんで密度の濃い大会でした。様々な提案が今後の法教育の発展に活かされるよう期待したいと思います。

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