2011年度神奈川県高等学校教科研究会 社会科部会秋季研究大会 研究授業

 現代社会「学校で法はどのように教えられるのか ~『幸福・正義・公正』の観点から~」

 2011年10月19日(水)[9:45~16:30]、2011年度神奈川県高等学校教科研究会社会科部会秋季研究大会および講演会が、神奈川県立柏陽高等学校を会場に開催されました。倫政分科会では、1年1組で「現代社会」の教員と弁護士による研究授業が実施されました。授業後の研究協議では、教員と弁護士による意見交換が行われましたので、あわせてお伝えします。(当日のプリントから適宜引用させていただきます。)

神奈川県立柏陽高等学校のプロフィール

 1967(昭和42)年、現在地に創立。2003(平成15)年、スーパーサイエンスハイスクール研究開発校の指定を受けました。JR根岸線本郷台駅より徒歩5分に位置し、付近には地球市民かながわプラザ、栄区役所などの公共施設が点在する、便利で落ち着いた環境です。
生徒数             
(2011年度5月1日現在 柏陽高校ホームページより)

学年 学級数 男子 女子
1 7 172 110 282
2 7 163 117 280
3 7 168 114 282
合計 503 341 844

 

授業

10月19日(水)10:05~11:10 
1年1組 40名(男子24名、女子16名)
教科:現代社会  単元:「現代の民主政治と民主社会の倫理」
 (弁護士による特別授業全2時間授業のうち本時は2時間目)
テーマ:「幸福」「正義」「公正」の観点から法を考える
    ~解雇事例のケーススタディを通して~
授業者:村松 剛 弁護士(横浜弁護士会法教育委員会)、渡辺研悟 教諭
目標:
① 個人や集団が、それぞれに自己実現(幸福)を目指していることを理解させる。
② 個人や集団の自己実現が衝突する場合があること、その衝突を解決する必要性があること、解決に当たって「正義・公正」の視点があることを理解させ、それにしたがって解決しようとする態度を養う。
③ 資料を利用して、「幸福・正義・公正」について具体的に検討できる能力を養う。

〈前時の内容―ケーススタディ① 個々の「幸福」とその衝突について〉

 「幸福」「正義」の意義について、事例を通して理解することを目標とします。整理解雇事例について、解雇される側・解雇する側、双方の視点から「幸福」について考えたうえで、その衝突を「正義」の視点で検討します。

【整理解雇の事例のあらまし】
 本郷台学院は地元の公立中学校の生徒を相手に、授業の予習・復習と公立学校受験を内容とする学習塾。講師はすべて正社員で、54歳の社長が親の代からの経営を引き継いでいます。
 3年前から大手塾が2つも進出して来て生徒がそちらへ流れ、本郷台学院は経営が苦しくなりました。3人いる講師の給与総額90万円が、あと3か月ほどすると払いきれなくなりそうです。そのため社長は講師の数を減らすことを考え、講師全員に退職を打診しましたが、全員から拒否されました。社長は悩んだ末、一番若いAさんを解雇すると告げました。
【Aさんの事情】
24歳女性。独身。幼い頃に両親を亡くし、今は育ててもらった祖母と2人で鎌倉市内に住んでいます。祖母は介護が必要で、自宅から近い本郷台学院は仕事と介護を両立する上で非常に助かっています。今の仕事にもやりがいをもっており、自分を慕ってくれる生徒のためにも途中で辞めることはできないと思っています。

(以上、授業のプリントより要約。実物はもっと詳細です。)

・考察の手順(ワークシートに個人毎に書き込み、発表させてクラスで共有します。ワークシートはこちらをご覧ください。)
1)Aさんの立場を考える
2)会社の立場を考える
3)解雇は妥当なことかを考える
・「解雇」という選択は全てのことをやりつくした後の最後の手段であることを授業者が説明することが重要です。

・授業では、解雇を避けるために「講師3人全員の給料を少しずつ下げる」など、いろいろなことを考えました。

〈本時の流れ―ケーススタディ② 「幸福」の衝突と「公正」な解決について〉

1)導入(10分) 前時の復習
2)展開(45分)
 1 事例を読む【3人の講師の事情】 
2 個人ワーク:誰を解雇すべきか、ワークシートに考えをまとめる(5分)
 3 グループワーク:個人の意見を1人ずつ班内で発表→班内で意見集約をするため討議する(5人ずつ8班をつくる。進行役と書記役は出席番号で決める。)
 4 書記役が班の意見を発表用シートに書く
 5 4つの班を選び、黒板に書いて発表してもらう(10分)
3)まとめ(10分)「幸福」「平等」「公平」の観点の説明

【3人の講師の事情】
(社長:妻と大学生の息子と生活。給料は50万円。)
本郷台学院の講師A、B、Cは3人とも、学年や教科については全て対応できます。
Aさん:24歳、女性。授業は熱意にあふれているが、教え方には未熟な点が多く、正規採用から2年になる今も改善されていません。生徒や親からの評判は良いが、遅刻が多く、社長の注意を聞かないところがあります。給与は20万円。
Bさん:45歳男性。離婚していて、中学2年と小学6年の男の子2人がいます。1年前に採用。教員免許を持ち、授業がうまく、他の塾からスカウトの話をもらったこともあります。生徒の評判はまずまずだが、一部に「厳しすぎる」との声もあります。かつて学校に勤務していた時、酒酔い運転で罰金刑となり懲戒免職となりました。給与は30万円。
Cさん:55歳男性。30歳の働き盛りの息子と同居。20年前から勤めているベテランで、副塾長の肩書記。社長の良き相談相手であり、今回の経営難についても、社長はCさんの存在を心強く思っています。授業はそつなく、評判は可もなく不可もなし。体が弱くて、近時は体調不良を理由に休むこともあります。給与は40万円。

(プリントより要約。)

〈導入―「幸福」「正義」「公正」とは〉

弁護士:「昨日と今日の授業のキーワードは何でしたか?」
生徒1:「幸福、正義、公正です。」
弁護士:「そうです。「幸福」は、その人がその人らしく生きることでしたね。「正義」は?」
生徒2:「悪を倒すこと。」
弁護士:「ということは、悪と正があるということかな?「公正」は?」
生徒3:(電子辞書を調べて)「明白で正しいこと。」
弁護士:「「正義」と近いのかな?」
生徒4:「どちらにもかたよらないで公平に判断すること。」
弁護士:「正義に話を戻して、悪対正が対立した場合、当然正しいのは正だよね。昨日の話で、Aさんが辞めることは正しいのか。Aさんは悪くないね。本郷台学院も悪いことをしようというわけではありません。正対正がぶつかり合ったとき、どう問題を解決するかを昨日考えてもらいました。今日は、できる限りの努力をしてもなお解雇がやむをえないという前提で、誰を解雇するか考えます。」

〈グループワークについての工夫〉

・まず班内ですべての生徒が発言するよう、出席番号順に1人1分程度時間を区切り、
自分の意見を発表します。
・発表者の意見をメモするためのワークシートを予め用意しておき、聞く側の生徒は適宜記入するようにしました。
・タイムキーパーとしての進行役は教員が担い、生徒に声掛けをします。
・授業者は適宜机間巡視を行い、良い議論をしている班に黒板に意見を書いてもらい、異なった結論を導き出している班を抽出して発表させます。

〈発表から―選択の理由〉

「Aさんを解雇するべき」とした班
 まず、全員一致で社長を解雇するべきという意見になったと断ったうえで、理由は、塾の使命は生徒の学力向上であり、それが達成できれば実績が上がり、生徒数が増えて儲かる可能性がある。正社員になって2年も経つのに、教え方が未熟なままのAさんの指導力向上は将来的にも不安だから。

「Bさんを解雇するべき」とした班
・生徒や親から不満の声があるので、この先もやめる生徒が出るかもしれないから。
・他の塾からスカウトされたこともあるので、再就職しやすいと思われるから。

「Cさんを解雇するべき」とした班
・人気も指導力も微妙なのに、給料が高いから。
・働き盛りの息子がいるので金に困らないから。(結婚の可能性はA・Bにもあるので、考えないことにした、という注釈つき。)
・年齢が高く、体が弱いので指導力向上に期待できないから。
・Bが抜けると、Cが休んだ時のAの負担が大き過ぎるから、Cが抜けるべき。
・社長の相談相手は、退職してもできるから。
・世代交代が必要だから。

〈生徒個人の選択は?〉

 レポーターが机間巡視で覗いてみた5つの班では、1人1人の生徒が「誰を解雇するべきか」と考えた意見の分布は次の表のようになっていました。

解雇するべき人 ①班 ②班 ③班 ④班 ⑤班 合計人数
1 1 1 2 0 5
2 3 0 1 2 8
2 1 4 2 3 12

 

〈まとめ―整理解雇の要件など〉

弁護士:「Aについては、講師としての能力と「評判」という塾に対する貢献度を重視する班が多かったですね。Bについては、B個人の能力に注目したり、再就職しやすいのではないかという労働者側にとっての雇用継続の必要性に着目した班が多かったですね。Cについては、能力の割に給料が高いこと、働き盛りの息子がいることを重視した班がありました。いろいろな要素が出てきました。再就職の可能性、家にお金があるか、指導力など、何を重視するかは一義的でなく、事案により違います。どれも正しいと言えます。
   実は、現実の裁判でも、この2日間でみんながやったようなことを考えています。整理解雇が認められるためには、4つの要件があります。① 解雇の必要性、② 解雇を回避するだけの努力をしたか、③ 人選に合理性があるか、④ 説明を尽くしたか、です。①・②・④は昨日、③を今日やりました。この要件を知っていて答えを出すのではなく、自分たちで考えたということが、この授業の意義です。このような例をもとにしながら、「幸福・正義・公正」について考えてほしいと思います。
   例えば、皆さんの修学旅行の行先である沖縄の基地のことや、原子力政策などについても、基本的にはこの授業でみんなが考えた枠組みで考えていいのです。大人になって社会と関わるとき、この「幸福・正義・公正」の枠組みを頭において考えてもらったらいいと思います。社会は1人1人の人間が集まってつくっています。自分たちがその社会をつくっていくという意気込みでいてくれたらいいと思います。」

研究協議会

参加者:教員12名、弁護士4名

(1)授業づくりについて、授業者より
 教科研究会「倫政現社」分科会では、3月頃から教員と弁護士が何回か協議しながら教材をつくりました。高校新学習指導要領に沿って、再来年度から現代社会を見る枠組みとして「幸福・正義・公正」を考えることになるので、これをテーマにすることが弁護士から提案されました。実際の社会問題は重層構造なので枠組みが広く、短時間で伝えるのは難しいので今回のケーススタディになりました。従前は「労働者の権利」という考え方でしたが、今回は会社側の幸福も考え、両者の幸福がぶつかり合うことが新しい点です。「こんな形でどうですか」という叩き台として提案しました。教員のこだわりは、班内で生徒が必ず発言できるようにすることでした。

(2)「正義」「公正」の概念枠組みをどこまで示すかについて
 参加した弁護士から、正義には「矯正的正義」や「手続的正義」もあるので、今日のは「配分的正義」を考える授業だった点をどこかでおさえた方がよかったのではないか。また、今回獲得したものを使って、もう1回練習問題ができるといいと思う、という意見が出ました。
 教員からは、「正義」と「公正」の違いが難しかったかもしれないという意見がありました。それについて、1人だけ意見が違った班は、「お前、納得しろよ。」という言葉で決まった班もあったので、プロセスをもっと聞きだすとよかったかもしれない。生徒個人として、A・B・Cの誰を選択したか、公表するやり方もあったと思う。「幸福・正義・公正」を理解させるのが目的なのか、自分で判断させるのがねらいなのか、で違うのではないかと思う、などの意見が出ました。
 授業者の教員は、知識・理解を活用させることを考えるとき、多くの生徒が知識を活用できるようにするためには「型」が大事。最終的にその型を打ち破るようになるのが理想だが、概念は洗いざらい出した方がやりやすいかと思う。最終的な目標地点があいまいだったかという気がしたということでした。それについて、「考えさせること」が目標だと思っていたという意見もありました。

(3)助言者より
県立総合教育センター 小澤 元 先生
 
 新学習指導要領で示された思考力・判断力・表現力等を養うための言語活動を意識した授業だったと思います。現代社会の内容である「幸福・正義・公正」の理解が具体化されている授業例として、大変参考になりました。授業では、生徒個人に考えや判断する力が求められています。高校生ですと自分の考えをはっきりと持っているので、班として意見を一本化する方法だけでなく、班で出た対立する考えを両論併記して、話し合い過程を重視するやり方もあると思いました。また、非正規労働者のような解雇状況が違うケースも、次に考えるとよいのではないでしょうか。

取材を終えて

 「幸福」「正義」「公正」の観点から法を考える授業は、全国的にもこれが初めてではないかという意義ある授業でした。労働基本権に関する内容で、高校生が卒業してから比較的身近に起こりうる事例として場面設定されました。
前日の授業では、「正義・公正」を理解する前提として「幸福」を深く考えることが重要であることを学びました。生徒がAさんの立場になりきれるよう、弁護士が「皆さんに催眠術をかけます。Aさんになりきってください。」と言ってから、事例を読ませたそうです。そして、社員と会社のそれぞれの「幸福」がぶつかり合ったときどう問題を解決するか、できる限りいろいろな方法を考えました。
この日の授業では、社員と会社の「幸福」がぶつかり合った結果、社員の誰かが辞めなくてはならないという問題を、「正義」と「公正」の観点から考えることを体験しました。基本的にはその考え方の枠組みで、「どこに原子力発電所を造るのが適切か」といった社会の問題も考えられるということでした。まさに今後のために「生きる力」を身につける内容だったのではないかと思います。
協議会では、前日に行われた「幸福」についての授業が見たかったという声が聞かれました。また、「正義」と「公正」という概念を生徒に理解させるために、どこまで枠組みを示したらいいか、他の方法はないかなどが議論されました。教員と弁護士が率直に意見を交わす、非常に有意義な協議会でした。この授業が、今後の現代社会の授業づくりに寄与するよう願っています。

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