講演「編み直し・脱中心化・脱集計化 ―『白熱教室JAPAN』で目指したもの」

 2011年10月29日(土)16:00~17:00、東京大学教育学部で同大学の川本隆史教授の講演会がありました。川本先生は2011年7月にNHKテレビで放映された「白熱教室JAPAN」において対話型授業の講師をつとめられました。講演では、どのように日本版白熱教室に臨まれたか、被爆地広島と戦争の記憶から東日本大震災における原発事故に思いを致す授業の振り返りなどが語られました。

講演者・演題

講演者:川本隆史 東京大学大学院教育学研究科教授
 2010年、『正義論』改訂版(ジョン・ロールズ著 川本隆史・福間 聡・神島裕子訳 紀伊國屋書店)を出版。2011年9月4日の「法と教育学会」第2回学術大会では、基調講演で「正義とケアへの教育―たえずロールズとノディングズを顧みつつ」をテーマにお話されました。
演題:「編み直し・脱中心化・脱集計化―『白熱教室JAPAN』で目指したもの」

「白熱教室JAPAN」で放送された番組について

2011年7月24日・31日(日)18:00~18:58 NHK Eテレにて放送
「ヒロシマからフクシマへ届けられるもの」
はじめに~広島から東北へことばを届けよう~
 第1部 正義と責任:原爆投下の不正義と戦後責任のありかを考えよう
 ヒロシマで、人々は、原発事故による困難に直面しているフクシマのことをどう捉え、どんな思いを寄せているのか、という議論から始まります。そして、アメリカの倫理学者ジョン・ロールズが、悲惨な戦争を体験し被爆直後の広島を目撃した経験をもとに、独自の社会正義論を組み立てた歩みを振り返りながら、原爆投下はなぜ正義に反するのかを議論。3・11後の「核」と「正義」を問い直します。
 第2部 記憶のケア~被爆の記憶のゆがみを正し、手入れしよう~
 2人の詩人のやり取りを手がかりに、一くくりにされてきた被爆者1人ひとりの、暮らしと思いに立ち返って被爆の記憶を解きほぐし、手入れすることにより、当事者以外の人々も共有しうる道筋を議論します。
(講演会当日配付のプリントより一部引用させていただきました。)
NHKホームページにて同番組の紹介が掲載されています。

編み直しとは

 「ヒロシマからフクシマへ届けられるもの」という番組の相談は、NHK広島放送局アナウンサーの依頼により2010年12月から始まりました。7月下旬の2回放送の枠が決まった後、3月に東日本大震災が起こり、5月に「ヒロシマで正義とケアを編み直す」というテーマ案を提示しました。
「編み直す」とは、セーターをほどいて同じ毛糸で次のセーターを身の丈に合わせて編み直すように、ある思想体系に間違いが見られたからといってこれを捨て去るのではなく、誤りに対する共感をくぐりながら私たちの必要に合わせてその思想を再編成する営みを指します(鶴見俊輔さんのご教示による)。たとえば「正義」という言葉には「悪を懲らしめ成敗する」といった固定観念が貼りついてしまっています。そうした「正義」だと、「勝てば官軍」式の「勝者の正義」の押し付けになりかねません。「ケア」も、介護や看護といった専門職の技術のように受けとめられがちですけど、これを「目の前の1人ひとりが困っていることや足りないもの(つまり「ニーズ」)にきちんと応えていく」姿勢を意味するように「編み直す」ことができます。こうして「正義」および「ケア」の2つの言葉を編み直すことを通じて、「正義とケアを兼ね備えた社会」を構想するという路線を打ち出してみたのです。

正義の2原理

【第1原理】
社会生活のベースとなる複数の「基本的自由」(基本的人権)は、社会の全構成員によって等しく分かち合われねばならない(平等な自由の原理)。
【第2原理】
 地位や所得の不平等は、次の2条件を充たすように是正されなければならない。
 (a)そうした不平等が、最も不遇な人々の暮らし向きを最大限改善するものであるように(格差是正原理)。
 (b)機会均等という条件下で、地位や職務を求めて全員が公正に競争した結果としての不平等にとどまるように(公正な機会均等原理)。
『正義論』改訂版 ロールズ著 川本隆史ほか訳 紀伊國屋書店(2010年)より)

正しい戦争のルールとは

 ロールズは、1995年にエッセイ「ヒロシマから50年」を発表し、広島への原爆投下は不正義だとしました。そして、戦争の悲惨さを減らす枠づけとして「正しい戦争のルール」6点を挙げています。番組の第1部では、これについてが中心でした。
1【「正しい戦争」の達成目標】
まっとうな民主社会が当事者となる「正しい戦争」の達成目標は、諸人民の間―とりわけ目下の敵との間―に成立すべき、正義に則った永続的な平和である。
2【戦争相手国の政体】
まっとうな民主社会は、非民主的な国家だけを戦争相手とする。
3【戦争責任の軽重の識別】
 戦争を実施・遂行する上で、民主社会は3つの集団―①相手国の指導者と要職者、②兵士たち、③非戦闘員である住民―を注意深く区別し、各集団にふさわしい戦争責任をあてがわなければならない。
4【人権の尊重】
 まっとうな民主社会は、相手国の非戦闘員、兵士双方の人権を尊重しなければならない。
5【戦争の達成目標の公示】
 戦争中の言行において正義を自負できる人民は、自分たちが目指している平和や国際関係がどのようなものであるかを、戦争を終わらせるに先立って広く公示すべきである。
6【手段選択の理由づけ】
 戦争の達成目標を成就するための(あるいは〔予想される〕利益を上回る危害をもたらさないための)軍事行動や政策が適切かどうか判定するのに、目的と手段をめぐる実践的な推論(理由づけ)が使われる。しかしこうした推論は、つねに上述した5つの原理の枠内で構成され、限定されたものでなければならない。
(当日のプリントより引用)

「記憶のケア」の3つの手立て

 番組の第2部は、記憶をケアする3つの手立てについてでした。
1【個人の物語】
 名前と身体をもつ一人ひとりの個人(person=声の主)とそのつながりから出発すること。
2【記憶の弁証法(米山リサ)】
 語りながら調べ、調べながら語ることにより、語る自分(とその記憶)が変わっていくプロセス(「加害者」でもあったという記憶を付け加えていく)。
3【部分的に重なり合う合意】
 対立・競合する複数の記憶の中から、価値をめぐる「部分的に重なり合う合意」を探り当て、それを積み上げるというやり方。
(同プリントより引用)

取材を終えて

 討論型授業をする際の資料となるものが、短い講演時間の間にもいくつか紹介されていたのが印象的でした。たとえば「自由」について、高校生がグループ討論する課外講座を以前レポートしましたが、他人の自由を奪う行為の1つが殺人であり、殺人について考えると戦争につながるという話になったグループがありました。戦争は「多数の人の幸福のための殺人」だから正当化されるのか、といったことを高校生は考えます。「自由」というテーマで討論をしても、それだけ議論の幅が広がることもあるので、討論の進行役にはさまざまな知識を備えていることが望まれるでしょう。ロールズの「正しい戦争のルール」という考え方は参考になるのではないかと思いました。「正義の二原理」も知っておきたいと思いました。
 「脱集計化」と「脱中心化」という言葉については、講演の中では説明がありませんでしたが、第2回「法と教育」学会学術大会基調講演における川本先生のお話の終わりにも紹介されていますので、当レポート10月27日掲載の記事を合わせてご覧ください。今回のお話の中では、「脱集計化」とは、「一瞬にして多くの人が」というように人を数として一くくりに考えるのではなく、一人ひとりの人に暮らしや思いがあることを考えることだと思いました。「脱中心化」は、当事者性を重視すると第三者が入れなくなってしまうので、複数のものの見方があるという形に視点をずらすということだそうです。「編み直し」と「脱集計化」、「脱中心化」により、「価値をめぐる部分的に重なり合う合意」を探り求めていく作業を通じて、正義とケアを兼ね備えた社会を目指すというお話は、紛争の解決のために折り合う方法を模索する法教育授業のヒントになるのではないでしょうか。

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