法と教育学会 第3回学術大会 その1

 2012年9月2日(日)9:30~18:00、法と教育学会第3回学術大会が東京大学本郷キャンパスを会場に開催されました。午前の部は、昨年度より研究発表者がふえて分科会が5つになり、法教育の発展を感じます。午後は、基調講演とパネルディスカッションが行われました。
 まず、分科会の小・中・高校における実践発表から、いくつかをご紹介します。(当日のプリントより適宜引用しています。)

第1分科会から

「法教育と裁判員制度(模擬裁判)―中学校社会科(公民的分野)で、できること、できないこと」

中平一義(厚木市立東名中学校・東京学芸大学連合大学院)
村松 謙(横浜弁護士会)

 

 新学習指導要領により中学校で法教育が取り入れられましたが、戸惑う先生方も少なくなく、法教育の捉えられ方も一様ではない状況です。法教育を司法制度改革という一面だけから捉え、裁判員制度の学習、さらには模擬裁判を行えばよいと考える場合もあります。模擬裁判授業では何ができ、何ができないかを明らかにし、裁判員制度学習の意義と限界を明確にしたいと思います。
002 先行研究においてよく指摘される課題を5つ挙げると、A:基本的な刑事司法の理解(適正手続の理念や被疑者・被告人の権利など)が不十分なこと、B:制度そのものの是非を問う視点が欠如し、参加意識中心の育成目的に陥る(将来の裁判員を養成するためだけの教育ではない)、C:裁判員制度と民主主義の混同、D:教材は民事裁判や行政裁判の方が適切ではないか、E:生徒の導き出した評決や裁判員制度をどう評価するかという問題(義務教育段階で、たとえば殺意や量刑の判断までさせることの教育的側面と、時間確保などの課題)、となります。
 これらのうち、最も重要なのは刑事裁判がよって立つ価値、すなわち「個人の尊重」について学習することであり、Aに取り組むべきだと考えます。BとCはAについてくるものでしょう。
 法教育には、ツールとしての側面と、基本原理としての側面があります。ツールとしての法教育は、法を使い、さまざまな対立を解決に導き、政治に参加するというものです。法は、基本原理を具体化するツールとして位置づけられます。基本原理としての法教育は、より良い社会を実現するために、社会の基本原理や仕組みを学ぶものです。どちらの法教育も、相互に関連し、補い合うものです。
 裁判員制度学習を、この2つの面からとらえると、基本原理としては、人権保障と紛争の解決という裁判の役割があげられます。ツールの側面には、「無罪推定の原則」と、事実を見極める資質・能力を養うこと、刑事裁判システムの学習があります。
 先行研究の指摘と上記の「基本原理」と「ツール」をあわせて考えると、模擬裁判授業だけではできないことは、基本原理としての法教育、評議の内容の精査であると考えます。他方、裁判員制度の是非を問うことまでは、義務教育段階では必要ないのではないかと思います。裁判員制度学習をイベントに終わらせないためには、基本原理としての法教育を模擬裁判授業の前後に行うことが必要だと考えます。
 以上の限界をふまえつつ中学校での実践例を振り返ってみると、ロールプレイという疑似体験をすることで、裁判をより身近に感じて理解しやすくなる効果がありました。また、目撃証言のあいまいさを実感してもらうために、途中で唐突に職員が教室の前に行き、書類を授業者に手渡して去る、という演技をはさみました。まとめのときに、先ほど入ってきた職員の服装や体格を生徒に質問したのです。模擬裁判は知識・技能・態度・意欲にかかわる総合的な授業です。自分の意見をもち、それを他人に伝え、話し合いを合意に導くことは、社会生活においても有効であることを伝え、「無罪推定の原則」を確認して授業をまとめました。
 課題は、教師がロールプレイをすると、生徒がどこまで自分のことと感じられるかという問題があること。生徒が被告人役をすると、別の問題が生じないかということ、でした。模擬裁判学習でできること、できないことを把握することが、法教育の目的を達する方法であると思います。

第2分科会から

「小学生の「法やきまり」に対する認識の研究―社会科3年「学校のまわりのようす」の実践を通して」

     三浦昌宏(千葉大学教育学部附属小学校)

 社会科は小学校3年生から始まります。3年生を相手に、法やきまりをどう授業に取り入れるかを模索しました。3年生の社会科のはじめには、学校のまわりの様子を調べる単元があります。実際に本校での調査活動でわかったのは、子どもの目線が商店等の建物や公園などに集中していくということです。そこで、見過ごしやすい足元にも目を向けさせたいと考え、点字ブロックを題材とすることにしました。
 授業の第一歩は、「なぜその場所に点字ブロックがあるのか?」を理解させることでした。見慣れているはずのものなのに,設置されている理由を知らない子どもが多かったからです。子どもが調査をし,じっくり考えたにもかかわらずわからないものの背後には、法やきまりがある場合があります。点字ブロック設置の背景にも、千葉市のきまり「バリアフリー基本構想」がありました。これを、子どもにわかりやすいように翻訳し、「お年寄りや障害のある人にはもちろんのこと、誰もが安全に安心して、町の中を移動できる(歩ける)ようにしよう。」というきまりであると説明しました。
 その日、帰宅時に通る歩道のどこに点字ブロックがあるのか、調査させました。その中から、「点字ブロックは、どこからどこまで続いているのだろうか?」という新たな疑問が出てきました。
子どもは、点字ブロックが長く続いているところと、続いていないところがあることに気付きました。そこで,西千葉駅北口からの設置状況を映像で見ていきました。すると、駅前を左折すると千葉大学正門前までまっすぐに約500m続くこと、駅前を右折すると30mほどで途切れてしまうことが確認されました。
 その際の子どもの疑問は、「これでいいのか?」、「どうして同じ駅前なのに、ブロックが続く長さが違うのか?」などでした。後者については、また背後にきまりがあるのではないかと予想する子もいました。予想通り,前出の「千葉市バリアフリー基本構想」の中にきまりがありました。「点字ブロック設置に関するきまり」に、「1日に5000人以上の人が利用する駅」、「駅から1000mくらいまで」、「よく利用する公共施設などが3か所以上ある」、と決められていました。
 子どもの次の話題は、「同じ駅前なのに、点字ブロックの設置に違いがあることに賛成か、反対か?」でした。賛成の子は12名(クラスの約1/3)。理由は、長い方は人通りが多いからあるべきだ、設置に関するきまりを守っている、ブロックがたくさんあり過ぎても目の悪い人が迷うかもしれない、というものでした。反対の子も12名。理由は、平等でない、目の悪い人は住宅街に住んでいるのだから途中で終わったら困るだろう、誰もが安心して暮らせるためならなるべく長くするべきだ、でした。迷っている子は15名。理由も、賛成と反対の理由が入り混じっていました。その他、本当に目の不自由な人が使っているのか調べないと税金の無駄になってしまう、という意見がありました。また、「なぜ利用者が5000人以上の駅でないといけないのか?」、「なぜ1000mくらいまでなのか?」という疑問も出ました。子どもは普段の生活経験をもとに考えていることがわかりました。
 授業2か月後に、法やきまりに対する意識調査を行った結果、生活していく上で法やきまりは必要だと思っている子どもがほとんどであることがわかりました。その理由は、法やきまりがない生活を想定したり、法やきまりがある現状をふまえたりして導き出されていました。

第4分科会から

「高校生が法を通じて現代社会を主体的に考える授業のあり方―「法を使って社会に参加しよう」の実践を通じて」

    渥美利文(東京都立小岩高等学校)

 法律の制定や改正を提案し、総理大臣に手紙を書いて送ることで、法律が社会の中で果たす役割や望ましい社会のあり方を考えることを目指す授業を行いました。生徒の関心・意欲を高めるため、あえて総理大臣への手紙という形を取ってみました。
 3年生「政治・経済」選択の約14名を対象とした授業です。最初の3時間で、選挙から日本の政治を良くするにはどうすればよいか、考える授業をしました。まず、「選挙」という映画を見せ、冒頭の10分間を見て、生徒に候補者の主張は何かと聞くと、名前と改革をすることだけわかったとのことでした。次の10分間を見ても、政策はさっぱりわからなかったということで、生徒は「候補者がこれから何をしていくかが重要だ。」という感想をもちました。政策の是非と実行力が問われることを見抜いてくれました。
 次に、「法を使って政治に参加しよう」という5時間の授業を行いました。自分ならどういう政策を提案するか、自由なテーマで全員にレポートを提出させました。特定の政策課題について、教師が一定の方向性を結論付けるようなことがあってはならないので、文章としての体裁や、論理的一貫性、課題や指示との整合性などについてのみ、教師が添削しました。それをもとに、めいめいが総理大臣あての手紙を書きました。生徒は、本当に手紙を総理大臣に出すのか半信半疑でしたが、本当とわかると、やる気になってくれました。「みんなで育児支援法案」という提案をした女子生徒もいます。日頃からの政策への関心をもとに、自分でフランスの制度を調べ、子育てを社会全体の問題として捉えていました。費用負担に欠点があることにも触れて、それをカバーすることも盛り込んでいました。
 非現実的な提案や、すでに行われている政策の提案もありましたが、生徒は現代社会の課題に真摯に向き合い、市民としての主体性を育てられたと思います。首相官邸ホームページには、意見・要望を寄せるコーナーがあるのですが、メールでは気楽になり過ぎると思い、手紙という形にしました。法律は国会議員に提案すべきですが、地元の議員では政党色があるので、首相にしました。首相の方が生徒の関心も高く、授業を選択していない生徒にまで評判となりました。
課題としては、テーマ選択がメディア等で注目されるものに偏りがちとなることです。2学期の経済分野の学習を終えた後、1年間のまとめとして実施する工夫も必要かと考えています。

「知的財産権学習における教科連携とその実践―情報化と公民科の相互連携」

加納隆徳(東京学芸大学附属高等学校)
森棟隆一(東京学芸大学附属高等学校)

 

 知的財産権教育の先行研究では、三重大学の研究(2008年)が知的財産権保護の態度育成を図る教育を扱っています。
 今回、公民科から見る知財教育では、幸福・正義・公正の考え方にもとづき、法を現状肯定でなくクリティカルに見る見方を提示したいと考えました。知財リテラシーの発達段階について、前述の先行研究は小学1~4年生、小学5~6年生、中学生、高校生の4段階に分けています。本校の研究では、中学と高校の授業を考えます。
 中学校の授業について、具体的には著作権を取り上げました。中学生は、ケータイからスマホへの移行により、すでに情報を発信する側になっている生徒もいます。しかし、著作権については、「知っている」という段階であり、それを「わかる」に変えることを目的としました。2012年度に実践した授業の展開は、デジタルコンテンツを扱う会社をつくる→ロールプレイする→どんな権利を誰がもっているか考える、という内容でした。授業前後で比較すると、著作権が必要という意見を肯定する生徒が増えました。
 高校の情報科で目指すものは、情報社会へ参画する実践的な態度の育成です。本校では、「情報」は1年生の必修です。2学期に「情報社会の光と影」というグループによる発表形式の授業(14時間)を行ったこともあります。生徒からは、著作物には作り手の気持ちが込められていることを実感できたという感想がありました。3学期には学校紹介CMつくりをし、自分が創作者になる意義を理解しました。2011年2学期には、「自炊を考える」という授業を行い、著作物を電子書籍化する代行業者(自炊代行業者)、著作者、ユーザーそれぞれの立場と対立の問題、対立を解消する手立てを考えました。
 2年生の「現代社会」では、1年次のCMつくり学習を振り返りながら、知的財産権を通じて高度情報化社会を考える授業を行いました。具体的には著作権の保護期間や刑罰を視点に、社会のためにどのような著作権法が必要か、グループで考え発表しました。成果としては、より深化した形で社会のあり方について考えを深めることができたと思います。法教育としては、生徒により深く考えさせるテーマの必要性を感じました。
 情報科では、知的財産活用の深化と当事者意識の実感、法教育へ展開するための素地づくりができたと思います。公民科では、知的財産権を通して社会のあり方を考えることを行いました。今後も、どのような形の教育がありうるのか、教科間で教員同士が話し合うことが大切であると思います。

ここまでの取材を終えて

001 小・中・高校の実践報告を梯子をして見てきましたが、それぞれの質疑応答までお伝えできず残念でした。
 小学校の「点字ブロック」の実践授業では、授業後2か月のアンケート調査の報告が時間の都合で簡略化されていました。プリントによると、「法やきまりは絶対に守るべきもの、変えられないものだと思いますか?」という問いに、肯定的な回答は28名、否定的な回答は10名だったそうです。回答の理由として、法やきまりが変わった際の生活を想定していたり、法やきまりに対して臨機応変に考えていたりする内容などが書かれており、小学3年生でも自分の生活経験に基づいた考え方ができることがうかがえました。
 中学校の裁判員制度学習についての発表は、法教育が裁判手続をなぞるだけにならないようにという思いが伝わり、法教育の発展にとって大事な意味をもっていると思いました。
 高等学校の総理大臣あての手紙を書く実践は、生徒の関心意欲を高める点で、大変興味深い取組みです。さらに工夫されることを期待したいと思いました。情報科と公民科の連携も、一層発展していってほしい取組みだと思います。

(基調講演とパネルディスカッションの模様は、来週公開予定のレポート「その2」をご覧ください。)

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