教科書を見るシリーズ 小学校編「国語」(3)第4学年 その1

 今回は小学校国語の教科書を、第4学年について法教育の視点から見ていきます。前回と同じく、首都圏で比較的採択の多い2社の教科書を取り上げますが、紙数の都合により、その1で光村図書、その2で教育出版のものを見ていきます。弁護士の塩川先生からは、現場の先生によるちょっとした声掛けで、国語の教材が法教育にもなるご提案をたくさんいただいています。

〈『国語 四上 かがやき』光村図書(2013年)より〉

【よりよい学級会をしよう】(p.30~33)
 第3学年の学級会の教材では、司会や発言者の役割など初歩的な話し合い方を学習しました。この学年の教科書では、冒頭で「学級会がうまくいかなくて、こまったことはありませんか」と問いかけ、4つの問題例を示して、その解決策を指導しています。具体的には、「(1)参加者は、目的(議題)と進め方を確かめる。(2)意見が出ないときは、時間を取って、各自の考えをノートに書いたり、グループで話し合ったりしてから、発表してもらう。(3)司会は、途中で、これまでに出てきた意見をまとめたり、確かめたりする。発言者は、賛成・反対の立場と理由を言う。(4)まとめは、どんな意見が出たかを整理し、決まったことをみんなに確かめる。」という内容です。

――第3学年で、法教育につながる初歩的な話し合いの題材を紹介していただきましたが、1学年進むと、国語としての学習の目的が具体的に示されています。第3学年のときと違う題材を用いなくても、同じ事例を第4学年の学習の目的に沿うように、ポイントを押さえながら指導するという方法も考えられるのではないでしょうか?

塩川先生: そうですね、そのあたりについては、学校の先生がたくさん材料をお持ちなのではないでしょうか。教科書で指摘している(1)~(4)は、話し合いにおいて基本的なことですが、大人でもおろそかにして、失敗することのあるところです。これを意識的に訓練する機会というのは、とても貴重ですが、大人になると時間などの制約があって、むしろ思うとおりにできないことも多いかもしれません。学校教育だからこそ、基本を大切に、訓練してほしいですね。

 

【だれもが関わり合えるように】(p.104~115)
 資料「手と心で読む」を読み、自分の課題をもち、その課題を解決するために調べます。調べたことをメモしたカードを作り、それを整理してまとめ、発表するという学習が示されています。資料は点字に関する文章で、作者は視覚障害者向けのテープ雑誌を作っているそうです。課題の例としては、「点字についてもっと知りたい」「人や物と関わり合うための工夫には、他にどんなものがあるか知りたい」などが挙げられています。

――調べたことを整理して発表することが目的の学習ですが、「誰もが関わり合えるように」というテーマを深めることは、学習の内容の一部でもあると思います。「なぜ誰もが関わり合える」ことが求められるのか考えることは、法教育の視点から意味があるのではないでしょうか。人間の尊厳や、平等原則を考えるきっかけになると思います。授業の10分間でもそれを考える時間にあてることはいかがでしょうか?

塩川先生: その前に、調べたことを整理して発表する訓練も、法教育につながっていますよ。建設的な話し合いをする上では、まず、前提となる事実認識を正確に共有することはとても大切です。世の中で起こる紛争の多くも、前提となる事実認識が不正確であることが大きな要因だったりしますからね。【よりよい学級会をしよう】で学習する話し合い方のポイント(1)~(4)と同じく、基本的な能力なのだけれども、大人でも、というか、大人になって現実の問題に直面したときこそ難しいのだと思います。与えられたトピックで練習するというのは、大人になったときにきっと役立つはずです。
 そして、この授業のテーマのついでに人間の尊厳や平等原則に触れるというアイディアですね。素晴らしいと思います。
 ご指摘のように、小学校6年生になると、社会科では、憲法の学習で「個人の基本的人権の尊重」や「法の下の平等」という言葉が出てくると思いますが、これを具体的に誰がどのような制度で支えていくかは、社会全体で考え続けなければいけない問題で、答えは1つではありません。現在ある工夫がすべて正解とも限りません。だから教え方はとても難しいと思いますが、この授業を通じて、ハンディキャップのない人が当たり前にできている生活を、目の不自由な人がしようと思ったら、どのようなサポートが必要なのかが、イメージできますよね。ここで豊かなイメージを持つことによって、「基本的人権の尊重」や「法の下の平等」という言葉の重みにつながるのだろうと思います。まだ、憲法を勉強する前の小学4年生には難しい内容かもしれませんし、私も上手な伝え方はわからないのですが、たとえば、「誰もが関わり合える社会で、みんなが幸せに生きるためには、いろんな工夫が必要だね。いずれ、社会で、基本的人権の尊重とか法の下の平等というものを勉強するけど、いつかみんなが社会に出たら、みんなが幸せに生きるための工夫をみんな一人一人が考えないといけないんだよ」というようなコメントをしていただけたら、学んだことと社会とがつながりやすくなるのではないでしょうか。

 

〈『国語 四下 はばたき』光村図書(2012年)より〉

【ごんぎつね】(p.4~25)
  「ごんぎつね」を読んだ後、「物語をめぐって話し合おう」というページが4ページ続きます。「感じたことや考えたこと」を文章にまとめたり、話し合ったりして、「感じ方の違いを知る」ことにも注意を促されています。自分一人では気づかなかったことを教えられるメリットが挙げられています。
 物語では、ひとりぼっちの狐のごんはいたずらばかりするという設定で、兵十がとったうなぎを逃がしたのも、「ちょいといたずらがしたくなった」からということでした。後になってごんは、兵十の母親の葬式を目にし、自分のいたずらを後悔します。償いのために、いわし売りからいわしを盗んでこっそり兵十の家に放り込むのですが、かえって兵十はいわし泥棒の汚名を着せられることになります。ごんはまた後悔することになり、今度は盗んだものではない山の幸を、こっそり兵十に届けます。

――法教育とどうつながるか考えながら改めてこの物語を読むと、「いじめ」と共通する部分があるように思えました。退屈しのぎにちょっといたずらをしているだけのつもりでいたら、いつの間にか人を傷つけるようなことになって、相手が辛い思いをしているという状況は、ある種の「いじめ」に似ていないでしょうか。そこでごんは後悔し、自分の行動を反省的に見ていくのですが、自分の本当の気持ちを相手に示すためにもっと他の方法はなかったのか、という疑問が生まれます。なぜ、いたずらをしてしまうのか、という疑問も考えられます。「いじめ」をする人は、なぜいじめをしてしまうか。相手が辛いと思っているのがわかったら、どうしたらいいのか。自分の行動の意味や相手の立場に立つことを深く考える機会になると思いました。
  「物語をめぐって話し合う」という課題が提示されているので、いろいろな物語の見方が許容されると思います。国語の教材から「いじめ」の話につながるのは唐突でしょうか?

塩川先生: 自然にいじめの問題と関連付けて考えられるかは、そのクラスの状況や個人の経験、感受性などにもよるかもしれませんが、ご指摘のとおり、退屈しのぎのいたずらで回復できない結果を生じさせることがあるのは、いじめでよくある構造と似ていますね。
 この教材の話し合いでは「自分が体験したことから」考えることも提案されています(23頁)。ここで、いじめの話をしてもよいと思います。
 法教育の一種として、われわれ弁護士が行ういじめ予防授業ですと、実際にあった痛ましいいじめ自殺事件の話をすることが多いので、究極的には、軽い気持ちで行ったことが死をも招くことがありうるという意味で、ごんぎつねの話とつながりやすいかもしれませんね。
 ただ、ごんぎつね自身は、最初のいたずらこそ嫌がらせでしたが、後半は善意からやったことが裏目に出てしまったわけですから、いじめとくっつけるとイメージが違うと感じる生徒さんもいるでしょう。クラスの状況によって、先生ご自身の体験を告白されるのでもよいし、小さなことでもよいと思います。
肝心なことは、「いじめ」という言葉を使うかどうかではなく、ごんと兵十の架空の話が、実は現実の社会でも形を変え、行われてしまいがちであるということに気づかせることなのだと思います。

 

〈次週の「国語(3)第4学年 その2」につづく〉

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