法と教育学会 第5回学術大会 その2

 ひきつづき、2014年9月7日(日)に筑波大学で開催された法と教育学会第5回学術大会についての報告です。午後から行われた基調講演とパネルディスカッションの模様をお伝えします。(資料より適宜引用させていただきます。)

〈午後のプログラム〉

 13:50~14:10 会員総会
 14:20~15:20 基調講演
 15:30~17:30 パネルディスカッション
         「「公正」をどう扱い、どう教えるか―法と経済との関連」

1 基調講演

「法教育充実のための課題―法と教育の協働」
 大杉昭英 (国立教育政策研究所初等中等教育研究部長)

 

〈「教育」から見た「法」との協働の現状〉
(1)カリキュラムベースでの「法」に関する新たな教育内容化
 近年の国際的な教育動向は、能力の育成を重視し、それを育てるために必要な知識を配列していく考え方が主流になってきています。一方、日本では、カリキュラム編成の基本は様々な学問から抽出された知識でした。能力については、各教科とも「思考力・判断力・表現力」と表現されていますが、具体的記述は少なかったといえます。
 今次改訂された教育課程では、欧米で重視されているキー・コンピテンシーが基盤となっています。コンピテンシーの発想が出てきた背景には、企業などの採用試験の点数と採用後の業績はあまり相関がなく、むしろ業績の高い人の行動特性から抽出された能力を子どもたちに育成することが、社会的不利を受ける人や採用後の業績向上のために有効であろうという考え方から出てきています。OECDで検討されたキー・コンピテンシーでは構成要素を3つあげています。「A)異質な集団で交流する力」は、他の人たちとの関係を作ることができる能力であり、「他者と協働する能力」と「紛争処理能力」といえます。「B)自立的に活動する力」は、大きな展望の中で活動する、自らの権利・利害・限界やニーズを表明するなどの能力です。そして、、知識や技能を活用する力を「C)相互作用的に道具を用いる力」だと考えています。こうした能力は、、法教育にとって重要なものだと考えられます。
 日本では、キー・コンピテンシーが「生きる力」に近いものとされ、コンピテンシーを働かせるために知識を使うという考え方(コンピテンシー・ベースト)がカリキュラム編成の基盤となりました。(中央教育審議会「審議経過報告」平成18年度を参照。)
 また、法教育において活用すべき知識の枠組みとなる概念として、たとえば、中学校社会科では「対立と合意」「効率と公正」、高等学校公民科では「幸福、正義、公正」などをあげることができます。合意形成の際の代表的な判断基準として用いられる「効率と公正」については、「効率」をパレート効率と考え、「社会的に無駄がないようにすること。誰の満足も減らさずに、誰かの満足を増やすことはいいこと」としています。「公正」は「一人ひとりに配慮していること。みんなが参加して決め、機会と結果が平等になっていること」といえます。具体的な授業場面では、たとえば、「AさんとBさんが読み飽きた本を交換するとき、どちらも満足が増大するにはどうしたらいいか?」という学習課題を設けることが考えられます。Aさんは、交換しようと思っている本について、世間的にみて面白くない本であり、破損していることを隠しています。一方、Bさんは世間的にみて面白い内容で、きれいな本をもっている場合、この2人の本を交換することは公正でしょうか?また、「幸福・正義・公正」については、広島県弁護士会による事例が挙げられます。新型インフルエンザの罹患者のAさんの幸福と、非罹患者のBさんの幸福が対立、衝突した場合、それぞれに配慮しながら手続きや結果について、公正さをもって調整することを考えることが、正義について考えることになるという事例です。

(2)授業ベースでの法と教育の協働
 法と教育の実践レベルでの協働は、教材開発と授業支援において行われています。教材開発では、たとえば岐阜大学附属小学校5年生の「ハタハタ漁のルールづくり」が岐阜県弁護士会と協働で行われました。また、岐阜県弁護士会が「模擬裁判のシナリオ作り」をした際には、岐阜県中学校社会科教育研究会と協働しました。法律専門家の授業支援は、外部講師としての支援や、模擬裁判授業における評議体のコーディネーターなどとして実践されています。

〈法と教育の協働のための課題〉
(1)課題の顕在化
 教員と法律専門家では、模擬裁判授業に対する評価の違いがあることが顕在化しています。評議体ごとに判決が異なることについて、弁護士は「活発でいい授業だった」と評価しますが、教員は違和感を持ち、「本当は有罪だったのか、無罪だったのか?」をはっきりさせて教えたい、生徒も「答えがわからなかったので面白くなかった」という感想をもつことがかなりあります。

(2)知識観の相違
 この教員と法律専門家の評価の違いは、知識観の相違から生まれるのではないかと私は考えています。教員は、「科学的な実在論的知識観」をもつ場合が多く、それに基づく授業づくりや評価をします。具体的には、教員が定まった答えを発見し、子どもに発問して答えを追究させるという授業づくりです。一方で、刑事裁判に見られるのは「社会構成主義的知識観」です。構成主義的知識観では、「予め世界の構造とか秩序があるのではなく、構造や秩序は認識主観が構成して世界に押し付けるものであり、社会が変われば規則性も秩序も変わる」と考えます。元来、訴訟上の証明は、「通常人なら誰でも疑いを差し挟まない程度に真実らしいと確信を得ることで証明できたものとするもの」と言われています。刑事手続きにおける真実とは、発見されるものではなく構成・構築されるものなのです。この知識観の相違という課題は協働に際し、克服していかねばならないと考えます。

〈学習方法の改善―学習科学の知見から〉
(1)協調学習
 今日、教育専門家の側からも、社会構成主義的な知識観に立った授業改善の方法が提案されています。協調学習とは、「個人の賢さは、他者や環境との相互作用によって育成される」という考え方に基づく学習法です。対話をしながら問題を解く協調的な問題解決方法で、自分の考えを精緻化し、適用範囲を広げる仕組みといえます。対話が建設的相互作用を生み出すのです。協調学習を引き起こすような授業デザインの1つが、「知識構成型ジグソー法」です。

(2)知識構成型ジグソー法
 知識構成型ジグソー法は、知識の断片をランダムに分担し、それらを統合して、1人ひとりがその場で答えをつくり上げる方法です。
・エキスパート活動:専門家グループ毎に異なる立場から資料解釈。たとえば、「元寇はなぜ起こったか?」という問いについて、生徒が「元」「鎌倉幕府」「高麗」のどれかのエキスパートになり、それぞれ資料解釈します。
・ジグソー法:エキスパート同士が1人ずつ集まって新しいグループを作り、異なる解釈内容を突き合わせて、課題に対する答えを検討します。
・クロストーク:クラスで様々な判断を交換し、さらに問いへの理解を深めます。
こうした試みが展開されており、教師が社会構成主義的な授業づくりに慣れること、また、法律専門家の方からの支援によって模擬裁判授業などが充実してゆくことを期待しています。

2 パネルディスカッション

「「公正」をどう扱い、どう教えるか―法と経済との関連」

【パネリスト】
宇佐美誠 (京都大学教授)
蓼沼宏一 (一橋大学教授)
野坂佳生 (弁護士、金沢大学教授)

【指定討論者】
栗原 久 (東洋大学教授)
西本聖史 (弁護士)

【司会】
根本信義 (弁護士、筑波大学教授)
藤井 剛 (千葉県立千葉工業高等学校教諭)

(パネルディスカッションから、現場での授業実践に関係が深いと思われる部分をかいつまんでお伝えします。)

〈パネリストより〉
(1)「公正の教え方」
宇佐美誠 (京都大学教授 法哲学)
 公正の学ばせ方に関し、その内容・適用法を習得させるための提案を試みます。「公正」とは何かということについて、私は“fairness”の訳語として用いています。行為・過程と結果の双方について、「公明正大で偏りのない」という意味です。「正義」との関係については、「偏りがない」というところに共通点があります。法学者はしばしば過程を重視し、少なからぬ経済学者は結果に焦点を合わせるという傾向の違いがみられますが、法学と経済学の間の相違は程度問題であり、研究者によっても異なるといえます。
 公正のように、多面的でかつ人により捉え方が異なる概念を教える際には、公正が問われる具体的な場面を例示することと、公正が語られる相異なった文脈やこの理念をめぐり対立しあう見解を区別することが不可欠だと考えます。また、授業で建前のレベルで公正の意味を学習させても、日常生活上の本音のレベルでは公正を意に介しないままでは、公正な判断・行動を行う公民の育成は望めません。授業の中で本音で語り合う機会を設け、自らの判断やその理由について「内省」を行わせる必要があります。
 「例示」「区別」「内省」という3つの要素をあわせもった授業形態として、事例を使った「討論型授業」があります。まず、教師が予め具体的な仮想例・現実例を提示して、各自の意見を考えてこさせます。当日は、席の配置はグループ分けなどにより本音が出やすい条件整備を行ったうえで、自由な討論を行わせます。そして、各人の発言に含まれている複数の要素を区別し、相異なる意見の対立点を明確化します。さらに、発言と関連付けて公正の主要な見解を紹介することにより、意見表明・批判的内省・知識習得を螺旋的に同時進行させます。
 授業例としては、「5人の患者に1人分の特効薬:分配的正義」の例を挙げたいと思います。この事例は、分配の基準問題と手続問題(分配方法をどう決めさせるか)が問われます。また、「魔法のスイッチ」という例は、現在の30年間の繁栄と300年後に壊滅を招くスイッチがあるとする問題です。同時代人と将来世代に関する問題で、公正な行為は何か、理由と共に考えさせます。公正に関する討論型授業の精神は、「教師が語るだけでなく、生徒も自分の言葉で語り出す」「知識を覚えるだけでなく、自分自身で考える」ということです。

(2)「経済における「公正」」
蓼沼宏一 (一橋大学大学院経済学研究科教授)
 経済はとらえどころのないという難しさがあり、「公正」はさらに難しい要素です。経済における公正とは、1つは経済的取引における公正、すなわち手続における公正(fairness)。それから、平等とか、人々の間の状態にバランスがとれているということ(equality)。もう1つは、分配的正義に関する、帰結における公正(justice)です。
 実例を挙げますと、2010年に起きたチリ鉱山落盤事故は、経済のエッセンスが凝縮された出来事でした。事故で閉じ込められた作業員たちと17日間連絡が途絶し、69日後に全員が救出されたという事例です。4つのエッセンスは、資源の希少性、分業による効率的な生産(全員救出に向けたシステムを作ること)、公正な分配、「人が健康に幸福に生きること」という経済の目的があることです。特徴は、リーダーが規範を提示し全員がそれを共有したことで、食糧分配の効率と公正が実現したことです。規範はシンプルで、〔1〕物を盗んだり脅したりして手に入れてはいけない。〔2〕全員の状態が改善するのはよいこと。(パレート効率的配分)〔3〕全員の状態が平等なのはよいこと。〔4〕最も恵まれない立場の人の状態を改善することが最優先されるべき。(格差原理)というものでした。
 「効率」とは、「人々の福祉を高めるという目的に対して、資源の利用に無駄がないこと。もはやそれ以上、全員の福祉を同時に高めることが不可能な状態。」です。「衡平」は「人々の状態が釣り合っていること、格差のないこと」ですが、ここで効率と衡平(平等)のトレードオフという問題が発生します。不平等はどこまで許容すべきかを考えなければなりません。それに関わるのが規範〔4〕です。ここまでは、規範に対応する原理を示すことですが、ここで止まらずにもう一歩深めることが重要だと思います。なぜこの格差原理が社会的に正しいものなのかを裏付ける理論を知ることにより、自分の認識の仕方が一層磨かれてくるのです。これを私は直観と理論の相互作用と言っています。人々の直観的な道徳観と理論とは、相互作用によりどちらかが修正されるよう作用して一致へ向かいます。
 最後に、メカニズム・デザイン論では、「規範にかなった資源配分を実現するメカニズム」の考察をします。たとえば、「ケーキを2人の人の間で公平に分けるには?」「グループでりんごを分けるとき、人はどう行動するか?」といった問題が挙げられます。様々な人々の相互作用の均衡において、望ましい資源配分が達成されるようなメカニズムを設計・制度構築することを考えます。その他、規範を実際に社会の中で実現するにはどうしたらいいか考えるという問題も面白いと思います。

(3)「法教育における「公正」の教え方―実践経験に基づいて―」
野坂佳生 (弁護士、金沢大学教授)
 福井弁護士会では、ある年、ジュニアロースクールで「サルとカニの公正な取引条件を考える模擬交渉授業」を行いました。サルカニ合戦で、カニはサルと予め何を合意しておくべきだったかを考える授業です。授業者の意図は「カニは柿が実ったらどうするか、前もってサルと契約しておくべきだった」というものでした。小学生は意図通りに議論してくれましたが、中学生は「限られた資源だけをめぐって争うのは問題の立て方がおかしい。カニはすごい能力を持っているのだから、種をどんどん埋めれば財の希少性の問題が解決する」と議論しました。この授業から示されるのは、授業者の意図しない意見が子どもから出たとき、現場の対応が難しいのではないかということです。授業づくりはまず事例が先に来ますが、生の事例を授業に持ち込むとノイズが拾われて、収拾がつかなくなる場合があります。その授業の獲得目標から逆算して、要素を刈り込む必要があります。
 法教育が扱う対象は法的価値ですが、価値自体を扱うと、自分の感覚を言い合うだけに終わってしまいます。価値判断の基準を授業の獲得目標にするのが、普通の法教育授業の作り方だろうと思います。たとえば、導入で判断材料としての情報を示し、展開で判断基準を典型的に使う作業を行う。まとめで、判断基準と価値(原理)との関係を理解させるという方法があります。展開とまとめの順を逆にする場合も考えられます。
 もう1つのタイプは、討議型授業です。判断基準も価値も使わず、自由に討論してもらい、論拠のところを授業者が法的価値へ誘導していくという方法です。
 法的価値を扱う場合、科学的実在論に立つことはできませんが、民事法では、基本的価値観は2500年前のローマ法以来、歴史の風雪に耐えて残ってきたものであり、それを伝えていきたいと思っています。
 効率と公正を意識した授業実践例としては、「より良い環境税の負担を考えよう」(中学校)という、負担の公正配分問題がきれいにいった授業でした。「高速道路の通行料無料化に賛成か」は、獲得目標が明確にならず難しい授業でした。「非正規労働者の規制緩和に賛成か」(高校)は、意外に扱いにくい問題でした。

〈取材を終えて〉

 基調講演では、法と教育の協働に関し法教育が充実するための課題が指摘されました。それによると、教育現場に多い従来の実在論的知識観と、刑事裁判に見られる社会構成主義的知識観との違いを克服していかねばならないということでした。そして、社会構成主義的知識観に立つ学習方法の改善が提案され、「知識構成型ジグソー法」が紹介されました。講演の中では歴史の授業例が挙げられていましたが、大変興味深く思いました。
 パネルディスカッションは、授業例が豊富に取り上げられており、実践の役に立つ情報を重視していることが感じられました。

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