筑波大学附属駒場高等学校 政治・経済授業――「黙秘権」を考える

 2018年2月21日(水)、「黙秘権」について考える授業が筑波大学附属駒場高等学校の第2学年政治・経済で実施されました。この授業は同校の小貫篤教諭と弁護士会、法に関する教育教材開発研究会の3者の協働による取組みです。筑駒生の活気に満ちた授業の様子をお伝えします。(教材資料より適宜引用させていただきます。)

〈本授業の経緯〉

 法に関する教育教材開発研究会では、2016年から2018年にかけて、中高生の法知識・法意見・法意識についての質問紙調査を実施してきました注1。高校生に関する調査は、2016年9~12月に2都道府県の8高校で実施しました。それによれば、黙秘権や自白強要禁止に関する正しい法知識を有していながら、自白強要を容認する者が多いという結果が得られました。これを受け、法に関する教育教材開発研究会は自白に関する教材開発の必要性からこの度開発した授業を、筑波大学附属駒場高等学校の協力を得て実践する運びとなりました。
単元名:「刑事手続について理解し考える」(全4時間)
1時間目 刑事法の全体像と刑事手続の基本原則について理解する。
2時間目 刑事手続の中でも重要な黙秘権について考える。
3時間目 黙秘権と自白の強要について考える。
4時間目 取り調べの可視化について構想する。
1・4時間目は、小貫篤教諭が実施し、2・3時間目は弁護士会の協力を得て、弁護士で筑波大学教授の根本信義先生注2が実施します。

〈授業〉

10:00~11:05 2年3組40名(男子)
科目:政治・経済 場所:教室
本時のテーマ:「刑事手続の中でも重要な黙秘権について考える」(第2時間目)
授業者:根本信義教授、聞き取り役弁護士(第二東京弁護士会)10名、小貫篤教諭

【導入】
(生徒は出席番号順に4名ずつ班になっています。各班に議論を聞き取る役の弁護士が1名ずつ入っています。質問紙が各自に配布されています。)
根本先生:「本日は、刑事裁判の原則、中でも黙秘権について、なぜそんな権利が認められているのかについて勉強します。皆さんは刑事裁判を見たことがありますか。」
生徒(口々に):「ドラマで。」など
(この後、刑事裁判の登場人物を挙げさせ、班毎に弁護士と生徒が互いに自己紹介するよう促しました。)

【展開1 黙秘権の定義】
根本先生:「黙秘権という言葉は知っていますよね。黙秘権を定めた法律は何という法律でしょうか。」
生徒:「憲法」「刑法」などの声が出ました。
根本先生:「憲法だと思う人?(挙手数名)憲法38条1項には『何人も、自己に不利益な供述を強要されない。』と書かれています。刑法だと思う人は?(挙手数名)刑法は犯罪と刑罰について定めた法律です。これに対して刑事手続について規定しているのが刑事訴訟法です。だから?」
根本先生:「そう、刑事訴訟法です。刑事訴訟法198条2項「…取調に際しては、被疑者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない。」また、刑事訴訟法291条4項「裁判長は、起訴状の朗読が終つた後、被告人に対し、終始沈黙し、又は個々の質問に対し陳述を拒むことができる旨その他裁判所の規則で定める被告人の権利を保護するため必要な事項を告げた上、被告人及び弁護人に対し、被告事件について陳述する機会を与えなければならない。」と書かれています。憲法と刑事訴訟法の違いは何でしょうか?」
生徒1:「憲法は、『自己に不利益な供述』といっているのに対し、刑事訴訟法は『自己の意思に反し』た供述をしなくていいといっています。」
生徒2:「刑事訴訟法は沈黙や陳述拒否を認めています。」
根本先生:「そうですね。憲法は『不利益供述強要の禁止』を定め、刑訴法はこれをさらに強化して、警察官や検察官の取調べに対して終始黙っていることができる権利としての黙秘権を認めたのだと考えられています。では、これから質問紙に回答してもらいます。自分の第一印象で答えてください。皆さんの法意識をききたいので、自分の感じたままを記入し、相談したり後から直したりしないでください。」

Q1 犯罪の取調べにおいて、被疑者が黙秘することを法律上の権利としてみとめることは適切だと思う。
 1まったく思わない 2あまり思わない 3どちらかというとそう思う 4とてもそう思う

Q2 犯罪の取調べにおいて、被疑者は、真実を明らかにするために知っていることを正直に話すべきだと思う。(選択肢はQ1と同様。)

 

根本先生:「では、班ごとに弁護士の先生から質問があるので、各自答えてください。」(約10分間)
<ある班の様子>
生徒3:Q1に3、Q2に2と回答。
弁護士:「そう感じた理由は何ですか?」
生徒3:「黙秘することは権利としては認めるけれど、自分が犯罪をしていないときは、取調べで真実を言っても逆に取調べが厳しくなるかもしれないし、誰かをかばうこともあるかもしれないから。」
生徒4:Q1に4、Q2に3と回答。「理由は、Q1は生徒3と同じです。Q2は、全部を正直に話すのは無理かもしれないと思うからです。自分が殺人と死体遺棄の共犯者で、主犯者がいる場合など、自分は罪を軽くしようとすると思います。」
弁護士:「犯人が自分一人の場合ならどうですか?」
生徒4:「具体的な証拠がない場合、話さないほうが罪が軽くなるのではと思うのでは。」
生徒5:「でも、嘘をついたら罪が重くなりますよね?」
弁護士:「裁判ではそうですが、これは取調べの段階の話だから。」
生徒5:「自分を守るのが自然だと思います。」

根本先生:「皆さんの中で、黙秘権を守ることは大事だが、本当のことを話すことも大事という意見が多くありました。」

【展開2 立証責任】
根本先生:「次に、立証責任は誰が負うか考えてみましょう。被告人と弁護人が無罪を立証すべきだと思う人は? 裁判官だと思う人? 検察官だと思う人?(挙手をさせた後)検察官が被告人の有罪を証明する責任を負っていることになりますね。(刑事訴訟法336条注3の朗読)有罪の証明は、合理的な疑いを容れない程度にしなければならないと言われています。この「合理的な疑いを容れない程度」というのが結構難しいのです。逆から説明すると、被告人としては、自分が犯人ではない可能性があると裁判官に思わせることができれば、無罪となるわけです。検察官は、それをつぶさないといけない。何を使って有罪にしますか?」
生徒:「自白」「凶器」などの声が出ました。
根本先生:「それらを総称すると? 証拠ですよね。他の証拠は?」
生徒:「指紋鑑定」「髪の毛」「司法解剖」「防犯カメラ」「DNA鑑定」「目撃証言」など
根本先生:「いろいろな証拠があります。現代では、科学技術が発達して、多くの客観的証拠を集めることで有罪を立証することが可能になりました。つまり、自白がなくても、被告人が犯人に間違いがないと認められれば、有罪判決を下すことはできるわけです。」

【展開3 黙秘権が認められた理由】
根本先生:「そういった科学技術がない時代、目撃者がいない場合はどうやって立証したのでしょうか? 難しいですね。時代をずっと遡って、日本書紀まで戻ると?」
生徒口々に:「神に任せる」「盟神探湯」
根本先生:「古代日本では盟神探湯(くかたち、くかだち、くがたち)というものがありますね。これは、神に潔白などを誓わせた後、熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うという結果で判断したものです。日本書紀に武内宿禰の兄弟喧嘩の記述があります。現代人から見ると、あえて言えば、手を熱湯に突っ込んだら火傷をするから、本当のことを言ってしまおうとなる、というところでしょう。江戸時代はどうだったでしょうか?」
生徒口々に:「現行犯」「切り捨て御免」など
根本先生:「江戸時代は裁判がないと思う人? あるよね。公事方御定書に定められています。しかし科学技術がありませんから、何が重視されましたか? 自白ですね。自白とは、被疑者・被告人が、自分が犯罪を行ったことを直接認める内容の供述をいいます。封建社会ですから、人々が権力を敬い従うことが大事だったので、有罪の認定にあたっては、犯人とされる者が『畏れ入りました』とお上に従うこと、すなわち自白が最も重要視されました。原則として、自白がなければ、有罪と認定することができなかったのです。自白をとるために何をしましたか?」
生徒口々に:「拷問」
根本先生:「拷問には4つありました。笞打ち、石抱き、海老責め、釣り責めです(スライドで4つの図を提示)。犯罪の嫌疑が濃厚であるにもかかわらず自白をしないときは、お上に逆らうものとして、心を入れ替えさせ、罪を認めさせるための拷問が許されたのです。さて、明治時代は? 明治初期には拷問制度が残置されていましたが、明治12(1879)年の太政官布告によって日本史上初めて拷問制度は公式に廃止されました。では、明治22(1889)年に定められた大日本国憲法には拷問の禁止が書かれていたでしょうか? 書かれていませんでした。明治憲法下で制定された旧刑事訴訟法においても、黙秘権は認められず、依然として被疑者・被告人は捜査機関・裁判所の尋問に対して真実を供述する義務があると解されていました。拷問が、実際はあったと思う人?」
生徒:挙手多数。
根本先生:「はい、実際はありました。警察署内など取調べの現場では、警察官による拷問事件が断続的に発生していました。特に、反政府運動などを取り締まる特別高等警察(特高)による拷問は有名です。皆さんは、作家の小林多喜二の名前を聞いたことがありますか。プロレタリア文学者で、『蟹工船』の作者ですね。昭和8年、共産主義者であると特高に目をつけられ、どうなりましたか?」
生徒6:「拷問死。」
根本先生:「よく知っていますね。取り調べたのは特高の3人で、共産党員だろうと聞き、否定すると拷問しました注4。築地署は急死したというだけで、拷問死を認めませんでした。どう思いますか?なぜ拷問はいけないのですか?」
生徒7:「死ぬから。」
生徒8:「拷問から逃れるために、嘘を言うかもしれないから。」
根本先生:「その通りです。拷問の痛みから逃れるために偽りの自白をし、無実の人が刑罰を受けるかもしれない。このような拷問を許さないために、日本国憲法では、拷問を禁止する規定が置かれました。憲法36条「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」それまでは、自白がほしくて拷問をしました。憲法38条では1項で「何人も、自己に不利益な供述を強要されない。」2項で「強制、拷問若しくは脅迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができない。」3項で「何人も、自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には、有罪とされ、又は刑罰を科せられない。」とし、拷問に類したことで自白をとっても、それを証拠と認めないとしました。自白以外の客観的な証拠をとることを重視しました。では、次の質問に回答を記入してください。(Q3~8 5分間)」

Q3 憲法が、強制、拷問若しくは脅迫による自白は、これを証拠とすることができないとしていることは適切だと思う。(選択肢はQ1に同じ。以下、「自由回答」と指示がある以外は同様。)

Q4 被疑者に黙秘権が認められているとしても、取調官が、真相を知るために、被疑者に対して、自白をするように求め、説得することは適切であると思う。


Q5 取調べにおいて拷問や暴力が加えられることがない限り、本当に罪を犯していなければ、自白することはないと思う。


Q6 取調官が、自白を求める際に、どのような行為をすれば、その自白は強制されたものであると考えますか。(自由回答)


Q7 憲法が、不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は、これを証拠とすることができないとしていることは適切だと思う。


Q8 たとえ長期間にわたって抑留・拘禁されて取調を受けたとしても、本当に罪を犯していなければ、自白することはないと思う 。

 

根本先生:「刑事訴訟法319条1項『強制、拷問又は脅迫による自白、不当に長く抑留又は拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑のある自白は、これを証拠とすることができない。』とありますように、任意にされたものでない自白は証拠と認めません。」

Q9 抑留・拘禁がどの程度の期間に及べば、不当に長いと考えますか。(自由回答)

 

根本先生:「様々な意見があると思いますが、実はこの点は法律で厳重に期間が決まっています。逮捕から検察官送致までは48時間、それから勾留請求までは24時間で、勾留期間は10~20日になります。逮捕から起訴まで最大23日間拘束されます。検察官送致までは留置場、勾留は拘置所でされるのが原則ですが、数が足りないので留置場を代用しています。皆さんはどう感じるでしょうか、1日でも長いと思う人もいるかもしれません。」

【本日のまとめ】
根本先生:「国家権力と被疑者では、圧倒的な力の差があります。かつては被告人を有罪と認定するためには自白が必要と考えられ,そのために権力側による強制や拷問が行われました。そこで,拷問を禁止するとともに有罪の認定に自白は要らないこととしました。しかし自白が犯罪の決定的な証拠となるとすると、拷問や暴力を用いた取調べが行われる原因になります。そこで、憲法は、拷問を禁止するだけでなく、拷問等によって得た自白を証拠とすることができないこと、さらには、自白だけを証拠として有罪とすることができないことをも定めました。では、拷問がなくなれば、黙秘権も保障しなくていいでしょうか? 次回はこれについて考えます。」

〈取材を終えて〉

自白強要は禁止されるという正しい法知識を有していながら、自白強要を容認する者が多いという高校生の意識。その意識調査を基にした授業を開発する、意欲的な取組みの現場をお伝えしました。自白について、グループ討論の中では生徒の率直な意見が聞かれました。講義形式の授業だけでは深められない点が、掘り下げられたのではないかと思いました。
 第3時間目注1では、事例問題について検討することで、自白と黙秘権についてさらに思考を深める予定のようです。一連の全4時間の授業については、法に関する教育教材開発研究会主催のシンポジウム(2018年3月21日開催)のレポート(後日公開予定)もご参照ください。

 

注1:
注2:
法に関する教育教材開発研究会所属
注3:
「…被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない。」つまり、検察官が被告人の有罪を証明しない限り、被告人に無罪判決が下される。
注4:
授業では、特高が小林を拷問した凄惨な様子を詳細に描写した新聞記事が読み上げられました。
注5:
第3時間目では、布川事件を素材として、共犯者とされた2人への取調方法の違いに着目し、「自由な意思によらない自白」とはどういうものかを考えさせました。その上で、「自由な意思によらない自白」がなされることを防ぐために取調べの可視化が徹底されたとしても、やはり黙秘権は必要となるだろうか,その理由はなぜか,といったことを考えさせる授業となりました。
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