県立千葉高等学校 政治・経済授業「自己決定権(2)」

「高校教諭と憲法学者の往復書簡」の実現授業の第4回をお伝えします。今回は、前回に引き続き、2013年2月26日(火)13:15~15:05(全2時間)、県立千葉高等学校2年生政治・経済授業の「自己決定権」をテーマとした第2時間目の模様をお伝えします。紙上ディベートの授業とは? 弁護士が加わった授業後研究協議会ではどんな収穫があったでしょうか?

1 「自己決定権」授業第2時間目

〈授業〉

2年E組 41名(男子28名、女子13名)  
14:15~15:05  場所:第1会議室
教科:政治・経済
単元:民主主義の基本原理と日本国憲法
テーマ:「自己決定権その2」
授業者:藤井 剛 教諭
(テーブルが6か所においてあり、生徒は出席番号順に6~7名ずつ着席します。各テーブルの上には、それぞれ異なるテーマ1つを書いた模造紙が1枚ずつと、マジックペンが1本用意されています。)

〈導入は紙上ディベートの方法説明〉

 始業のチャイムが鳴る前に生徒が入室を終えたところで、先生は紙上ディベートの方法を説明し始め、授業開始のチャイムとともに各班、討論を始めました。
①各班(A~F)は、与えられたテーマについて、次の項目について話し合いを行い、結果を模造紙に記入する。(12分間)
a.模造紙に書かれているテーマへの「国家の干渉」は正しいか。
b.正しいならば、その理由と、必要ならば改善策を書く。
c.正しくないならば、その理由と、新たに必要な具体策を考え書く。
②模造紙に書き込みが終わったら、次の班(A⇔D、B⇔E、C⇔F)にまわす。次の班は、回ってきた模造紙のテーマについて話し合いを行い、結果を模造紙に記入し、元の班に戻す。(10分間)
③元の班は書いてあるコメントを読み、テーマについての最終的な意見をまとめる。(7分間)
④各班は、テーマとなった「国家の干渉」は許されるかについて意見を発表し、質問を受ける。(各2分間)

〈6つのテーマとは〉

  A班:シートベルトは事故の際、生命を守るものなので、シートベルトをしていない運転者などには、反則金1万円を課す。

  B班:台風が近づいて危険なので、サーファーを含むすべての人に、「遊泳禁止」の指示を出し、違反した場合は罰金を取る。

  C班:粗悪品と知らずに、高い品物を買った消費者に、消費者庁が製品情報を流しクーリング・オフを積極的に勧める。

  D班:信仰上の理由で、輸血を拒否している患者に対して、生命の危険があるので治療の一環として輸血を行う。

  E班:治癒不可能な病気に冒され、回復の見込みがなく、死が避けられない末期状態にある人が、治療行為の中止を求めても医師が治療を続行する。

  F班:少子化対策のために、子ども手当の新設や2人目・3人目の子ども手当の増額、3人目以降の子どもの大学への優先入学枠などを新設する。

〈展開―紙上ディベート進行〉

 先生がタイマーを管理して、紙上ディベートが進行しました。1回目のグループ討論は、各班いろいろな意見が出て、悩みながら記入している様子でした。次の班へテーマが回った2回目の討論では、B班だけが元の班と異なる意見になりました。模造紙が元の班へ戻され、3回目の討論をした後、発表です。3回目の班ごとの討論には先生が議論を深めるためにコメントなどをして回りました。先生のコメントに悩んでしまう班、議論がさらに盛り上がる班など様々な反応がありました。
 先生から各班へのコメントなどをまとめてみます。
A班へ:「シートベルトで生命が守られる確率はどのくらいなのかな。その確率と、シートベルトの煩わしさと比較すると、そこまで国家は介入すべきなのだろうか。また、1万円で守るだろうか。守らないとしたらいくらがよいのだろうか。」
B班へ:「「罰金」とはいくらなのか。罰金1万円くらいなら、「ハワイに行ってサーフィンをしたと思えば、こんな『ビックウェーブ』でサーフィンできるなら安い」とならないか。また、周りを海に囲まれている日本で、すべての海岸を監視できるのか。捕まる人と捕まらない人とで差別にならないか。」
C班へ:「どのように情報を流したら、「知らない人」を出さないで済むか。また、その粗悪品を買った人が満足していた場合はどうしたらよいのか。」
D班へ:「自己決定権は大事だが、あなたが医者だった場合、そのような患者を目の前にして「救わない」という選択はできるか。また、「生命<信仰」という関係は認められるのか。かつての「オウム真理教」のような宗教団体だったらどうするのか。」
E班へ:「自己決定権は大事だが、あなたが医者だった場合、患者に頼まれて「生命維持装置」を外すことはできるのか。また、尊厳死を認めた場合、患者の家族が「早く尊厳死を申し出ないか」と患者に無言のプレッシャーをかけることはないのか。」
F班へ:「子どものいない家庭との平等は問題にならないのか。1人目・2人目と3人目の子どもの間に不公平は生まれないのか。お金が多少あれば子どもをつくるものなのか。」

〈各班から意見発表〉

A班:「国家の干渉は正しい。なぜなら、追突事故などでシートベルトをしていない後席の人が前席の人にぶつかったり、前席の人がフロントガラスを突き破って通行人にぶつかったりして死傷させる事故があるらしいので、シートベルトをしないことは、他人を危ない目に合わせると思うからです。ただし個人的には、反則金1万円は高いと思うので、改善策としてもう少し安くするべきだと思います。」
先生:「確率論としては低いですが、ありうることですね。A班の意見の通り、このシートベルトの問題は、『自己加害』より『他者加害』で考えた方がうまく説明できますね。ただし、うんと低い確率と、シートベルトをいつもしなければならない面倒臭さ、どちらをとるかもう少し話し合ってほしいと思いました。」

B班:「国家の干渉は正しくないと思います。なぜなら、遊泳禁止違反に罰金は過剰すぎるからです。罰金をとるとなると、監視する人員の手配や、徴収する手続きなどが煩雑にもなります。改善策として、遊泳禁止にしないで、放送で台風接近をまず知らせて、危険を認識してもらい、あとは自己判断に任せるのでよいと思います。
   一方、E班の意見は、国家の干渉は正しいとします。なぜなら、子どもは危険がわからない場合があるし、危険と思いながら泳ぐ人に対し、罰金があることで抑止力になるからという理由でした。
   その意見を参考にして、私たちの結論は、泳ぐ人の自己判断に任せ、罰金までは課さないほうがいいということになりました。サーファーなど大きな波を狙う人もいるからです。」
先生:「子どもの判断能力が不十分であるとし、強制力をもたせるためには罰金が必要とするE班の考えもわかりますね。知らせるだけで、あとは『自己責任』というのは、このケースではパターナリズムを放棄するということですね。反対の意見もあり得ると思います。」

C班:「国家の干渉は正しいと思います。なぜなら、製品の正確な情報がないために国民が不利益を被って泣き寝入りをしてはいけないと思うからです。ただし、国に十分な製品情報を与える義務を課すというのは、国家の役割が広すぎるような気がします。また、何が粗悪品かという定義や、粗悪品と言い切っていいのかついては判断が難しいと思います。」
先生:「最後の議論は、相場なら3千円の羽毛布団を、『これはいいものですよ』と言って5万円で売ることはどうかということですね。悪徳商法みたいなのは、やはり介入すべきであるというのも分かりますが、買った人が満足していたらどうなるのでしょうか。また、国が製品情報を流すのは義務か、というのもいい論点です。知る努力をするべきなのは消費者の方であるという見方もありえます。資料集に、ケネディ大統領が述べた『消費者の権利』がありますので、あとで読んでおいて下さい。」

D班:「国家の干渉は正しくないと思います。最大の理由は、本人が尊厳死を望んでいるからです。宗教によっては、信仰によって天国に行けると思っている人もいるのに、輸血によって天国に行かれなくなると、本人にしては不幸な結果になります。つまり、個人の信仰を大切にすべきだと思います。」
先生:「この班には、『信仰>生命という関係なんだね』と、私が議論を吹っ掛けました。これは議論のあるところです。まず生命を救うことが大事という立場もあります。この班は判例を見ていましたが、エホバの証人事件というのがあって、最高裁は輸血拒否を認めました。でも、君たちがお医者さんで、交通事故で瀕死の重傷を負って救急車で運ばれてきた人を見るとどうなんでしょうね?その人が、苦しい息の下で『輸血をしないでください』と言ったとしたら、どのような判断をしますか。難しいでしょうね。このような問題は、次のE班のケースとともに、医学部の面接でよく質問されています。」

E班:「国家の干渉は正しくないと思います。延命治療で辛い思いをしている患者の精神状態を優先する方が、本人が幸せなのではないでしょうか。治療費の負担を考え、家族に負い目を感じている患者もいるかもしれないし、尊厳死という方法もあることを選択肢として患者に伝えるべきではないか、と考えるからです。家族の立場について、先生から『費用面の問題で、家族が早く死なせてくれるよう望むという話もありうる』と指摘されました。その改善策として、家族が白い目で見られないように、超福祉国家にすれば、純粋に本人が生きたいか死にたいかだけで選択できると思います。」
先生:「考えていることは正しいと思いますが、日本を超福祉国家にできるかな?そのような高負担に耐えられる国民の合意を得られるかの検討が必要でしょうね」

F班:「子ども手当に関しては、国家の干渉は正しいが、大学優先入学枠を設けることは正しくないと思います。なぜなら、子ども手当については、経済的に子どもを持てない親にとっては助かるからです。大学優先入学は、子どもを産むことに直接的に影響ないかもしれないし、子ども間で不平等が生じるからです。大学優先入学枠をやめるので、その改善策として、子どもを産んだ後の補助として、保育所設立への補助をする、子育て環境を改善するということを考えました。」
先生:「私の立論が悪かったかもしれません。このケースのテーマは、子どもを産む、産まないは女性の権利なのだから、その権利に対して『少子化対策』を理由に国家が干渉できるか、というものでした。『少子化対策』で参考になるのはフランスです。先進国で合計特殊出生率が2.0人前後なのはフランスだけなんです。どのような政策をしているか、調べてみて下さい。」
   「各班の発表が終わりました。ここで授業についての補足です。今日行った授業方法を『紙上ディベート』といいます。本来は、模造紙はすべての班に回して、グルッと一巡します。そうすると、たくさんの意見を出してもらえて、その意見を参考に最終意見を考えられるわけです。ただし、一巡すると2時間くらいかかるので、今日は1つの班だけにしてみました。このメソッドは覚えておいて、大学などで行ってみてください。」

2 授業後研究協議会(15:10~15:35)

参加者:高校教諭3名、千葉県弁護士会法教育委員会委員2名、藤井教諭

他校の先生(以下、教員):「1コマ目(レポートその1)は抽象的な議論がメインでしたが、自分で決めたいことの範囲が広すぎる感じでした。」
藤井先生:「はい。見ておわかりのように、広がり過ぎた場合、議論を止めるときもありますし、話題がそれてしまったら、こちらが用意した答えを出します。」
教 員:「2コマ目は、先生のイメージした答えは出てきましたか?」
藤井先生:「おおむね出ていますが、不十分な点などは必ず補足をしています。反対の例も出して、議論を深めたいと思っています。」
弁護士:「憲法についての事前授業はしていますか?」
藤井先生:「今回は行っていません。今年度の授業は経済を中心に行ったので、生徒は高校受験までの知識でやっています。」
教 員:「政経を大学受験で選択する生徒はどのくらいですか?」
藤井先生:「センター試験だけなら4割くらいかと思います。」
弁護士:「私たちは、憲法の人権の制約については『目的の合理性』と『手段の合理性』という枠組みで考えます。この授業では、そのような目的に国家が介入するのはどうなのか?という議論を自然にしている班もありましたが、目的自体の自己決定権が争われている班もありました。もう少し、論点を明確にして話し合いをさせた方がよかったでしょうね。」
藤井先生:「なるほど、もっと誘導してやればよかったですね。『目的の合理性』と『手段の合理性』や、それらを支える『立法事実』の議論はきちんと押さえておくべきでした。次のクラスからはその様な流れで考えさせたいと思います。」
弁護士:「いくつかの班の事例は、目的と手段が混在しているすごく複雑な事例で、私たちにも難しいと思いました。」
弁護士:「事例の選定基準はどのようなものですか?」
藤井先生:「事例が重ならないように、考えたものです。」
弁護士:「C班の事例の『粗悪品』は、やはりその定義が必要だと思います。製品情報を流すのはどの機関なのかも必要でしょうね。事例をもっと古典的で、あいまいでないものにすると、利益衡量がやりやすくなると思います。議論すべき利益と不利益のレベルをきちんと揃えることが必要です。たとえば、宗教の信仰と生命の尊重などですと、議論が面白くなりそうです。また、『国家による介入が正しいか?』という問いに対して、『国家の介入』がピンとこない事例も見受けられました。エホバの証人の事例では、患者の意思に反した医療行為をした医者に対する損害賠償請求というように、医者と患者の対立になってしまいます。国家と患者の対立にするには、国家がそのような医師の医師免許をはく奪するかどうか、という問いにすべきでしょう。」
藤井先生:「そのとおりですね。模造紙の文字数の関係で、事例をコンパクトにしたために、そこを曖昧にしてしまいました。この事例では国家が出てこないと指摘するクラスもありましたので、これから補足しながら授業を行いたいと思います。」
教 員:「少子化の議論では、お金のことだけで3人目を産むかどうか決めないよね、という意見も出ていました。事例の本質に近づこうとしているのが、面白いと思いました。」
教 員:「このクラスでは、子どもがいる家庭といない家庭の不平等の議論が出ていませんでしたが、他のクラスはどうですか?」
藤井先生:「出るクラスもありました。」
教 員:「たとえば司会や発表者など、班内における生徒の役割はどのように決めているのですか?」
藤井先生:「生徒同士のアイコンタクトで自然に決まります。」
弁護士:「事前に人権学習の時間をとっておいて、権利のメニューが頭に入っていると、この授業はさらに面白くなると思います。企業の利益と個人の利益とは何かなど、事前の知識があるともっと議論が深まりますからね。逆に、2コマ目を自己決定権とパターナリズムの関係という事例研究でなく、様々な対立状況を調整する方法を考えるという授業も考えられると思います。2コマ目の事例では、人権はすべて等価値という前提がないと、利益考量はなかなかできません。」
弁護士:「1コマ目で出ていた『自分で決められないこと』のうち、親とか性別などのことも大事です。あるいは他の事例で、本来は自分で決められることなのに、決めてはいけないとされていることは何か? と質問して、それらを理由に差別してはいけないという考え方につなげたいですね。」
弁護士:「それにしても、高校受験までの知識であれだけの議論ができるのはたいしたものだと思います。」
藤井先生:「グループ討論では、集団の力で知識を高め合うことができます。そのため私の授業はグループでの作業を普段から行うようにしています。」

藤井先生の感想

 この授業公開と研究協議は大変勉強になりました。日頃から、多くの方に授業を見ていただいているのですが、今日は参考になったり、これからの授業に活かすことができるアドバイスをたくさんいただき、いまさらながら授業公開などの必要性が痛感させられました。特に、弁護士の先生から「目的の正当性」「手段の正当性」「それらを支える立法事実」の指摘を受け、憲法を専攻していたのに、このような思考プロセスを忘れてしまい、恥ずかしい限りでした。すぐ次の授業で変えていきます(①その国家介入の「目的」は正しいか、②その国家介入の「手段」は正しいか、③その国家介入が正しいといえる事実・資料・根拠はあるか、とテーマで話し合う内容を変更しました)。その意味で、専門家のアドバイスは貴重ですし、専門家とのジョイントを行う必要があると思います。
 千葉県の高等学校の政経と倫理の先生方の研究会に、「社会部会」がありますが、平成25年度から、その中に「法教育研究会」を立ち上げることになりました。県内でも少しずつ「法教育」を進めていきたいと思っていますが、この研究会も是非、法律専門家と連携しいきたいと思います。

取材を終えて

 紙上ディベートという方法は今回初めて取材しましたが、他の班の考えと自分たちの考えを落ち着いて見比べることができ、多角的な視点の取得に役立つと思いました。
 研究協議会では、土井先生が往復書簡で指摘されていた「正しい選択と誤った選択の区別ができるかどうか」、「目的と手段の関係を考える」ということについて、弁護士が事例に沿って具体的に説明してくださった形になったと思います。弁護士に授業を振り返っていただいて、土井先生が書簡で書かれていたことは、こういうことだったのかと、目のあたりにした思いでした。
 「目的の選択自体が正しいか、誤っているか」という問いと受け取れるテーマは、B(台風で遊泳禁止)、D(輸血拒否の尊厳死)、E(末期患者の治療行為中止)でしょう。これらのテーマについて議論した班は、自然に、「目的を議論すること」は「正しいか誤っているか」というより、「その人の生き方・信条の問題」になると話し合っていたようでした。F(少子化対策)については、生徒は「目的は正しいけれど、手段の選択に一部問題がある」と発表していました。この班の討論中には、他の手段もあることが議論されていたと、参観した先生が述べておられます。指導する側があまり枠組みを与えなくても、生徒は自分たちの力で問いを深めていたと感じました。
 研究協議を受けて、藤井先生はあらためて、教材づくりの段階で法律専門家に連携していただくことの必要性を再認識したと感想を話されています。法教育に長年取り組んでおられる藤井先生にしてそう思われるのですから、教員と法律専門家の連携はこの先ずっと継続していく必要があると感じました。

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