東京大学法科大学院「授業を創る」ゼミ その1
東京大学法科大学院の2013年度前期に、「法教育への招待―研究と実践(1)」(民法の大村敦志教授)というゼミが開講されています。このゼミは2つのパートから成り、前半の研究パートは法教育に関する講義、後半が実践パートとなっています。実践パートでは、ゼミ参加者が実際に高校生を対象とする法教育授業をつくります。東大ロースクールの正規のカリキュラムで法教育の授業づくりが行われるのは、初めてです。その実践パートの取り組みを当レポートでは「授業を創る」ゼミと呼び、「契約」に関する授業づくりについて、3回の発表を順を追ってお伝えします。(ゼミの資料より、適宜引用させていただきます。)
〈「法教育への招待―研究と実践(1)」の実践パートの日程等〉
毎週水曜日 おおむね18:00~19:00 場所:教室
ゼミ実践パートのテーマ:「『市民社会と〈私〉と法』で授業を創る」
趣旨:「高校までの段階で、法や法学について学習する機会は乏しく、法・法学のイメージをつかむことは容易ではありません。他方、法律家にとっては、法の普及はその任務の一つであり、法をやさしく説明することは、重要な能力の一つです。そこで、大村ゼミ「サマースクール」においては、中高校生のみなさんにお越しいただき、法科大学院生による授業を聞いていただく機会を設けることとしました。教わる側・教える側の双方にとって、よい学びの機会になることを期待しています。」(サマースクール参加募集の案内より)
授業づくりについては、『市民社会と〈私〉と法Ⅰ・Ⅱ』(大村敦志著 商事法務 2008年・2010年)を教材としますが、1コマ80分の内容は学生が自由に考えます。初の試みということもあり、教授は学生の主体性に任せ、あまり口を挟まない方針だそうです。放っておけば、自分たちが教えられているように教えるだろうという予想に基づいています。
参加者:14名(男子11名、女子3名)2・3年生混合→3つの班(A・B・C)編成
日程:4/10 導入 4/17 班割 4/24 コンパ
5/1 第1回授業案発表A班 5/8 同B班 5/15 同C班 5/22 予備日
5/29 第2回授業案発表A班 6/5 同B班 6/12 同C班 6/19 コンパ
6/26 実施打ち合わせ 7/3 リハーサルA・B班 7/10 同C班
8/3 サマースクール(場所:東大本郷キャンパス)
本番の授業:1コマ80分×3コマ(各班1コマずつ担当)
中・高校生は学生・教授とつながりのある学校に希望者を募り、30~40名を想定
各班テーマ A班:不法行為(5名)、B班:契約(4名)、C班:家族(5名)
(参加者の中には、自主的な法教育グループ「出張教室」における授業実践を経験した学生が4名いるので、経験者が各班に少なくとも1名入るように班分けをしました。)
〈参加者は課外に自主活動〉
ゼミの日程を見ると、4月半ばの班割の後、第1回授業案発表の開始までに半月しか時間がありません。トップバッターのA班ばかりでなく、他の班も課外に、自分たちはどのような授業を創るか構想を練ったと思われます。コンパは、班組織の親密性を深める上で意味をもっており、教授が前もって授業スケジュールに組み込んでいます。
1 5/8 B「契約」班の第1回授業案発表
【授業テーマ】契約の拘束力と意思表示の瑕疵
「一度契約を結んだ以上は拘束されるからこそ、不当な契約は防がなければならない」
【主なねらい】
・民法は、意外と高校生の普段の感覚から遠くないルールだという認識を導く。
・「有限なルールで大量の事案を処理できるのが、法律の面白さだ」ということを、ルールを作ることでわかってもらう。
【授業構成】
(1)講義
契約自由の原則・契約の拘束力について
(2)グループワーク①
5枚の短い事例のカードを読み、それぞれ、二当事者間の不当な契約から身を守るためのルールを考えてみる。
(3)グループワーク②
善意の(=事情を知らない)第三者(=契約当事者以外の人)が関わる詐欺、強迫の2つの事案について、①で作成したルールを参照しながら、ルールの妥当性を考える。妥当でない場合、ルールを修正する。
(4)講義
実際に民法ではどう規定されているか知ってもらう。
〈B班発表についての意見交換から〉
この授業は、a「契約自由の原則+契約の拘束力」、b「しかし、正当な契約の前提を欠くときには契約は効力を持たないので、不当な契約に拘束されることにはならない」という構成です。aよりはbに重点を置いて、bを消費者保護的な「知識」ではなく、「理由」と合わせて教えようという意図になっています。ロースクール生にとっては、aは自明のことなので軽くなっていたようですが、教授はその点を次のようにアドバイスしました。
教授:「不当でない契約には拘束される、ということはどうしましたか?消極的な論法になっています。なぜ契約をしなくてはならないか、について積極的な説明はどこですか?」
B班:「講義1に組み込みます。」
教授:「組み込むのがいいかどうかわからないけれど、約束は法的に強制されないものもある。約束と契約を分けるものは出てこないのですか?」
B班:「『当然約束には拘束される』と言い放ってから始めたらどうでしょうか?」
教授:「言い放っていいですか?一般の約束と契約の間に法律家は線を引いているけれど、普通の人には難しい。わかったことにしてくれない人がいると、困りますよ。約束と契約と、どうやって区別するか、どこかで言わなくていいですか?あるいは、誰が見ても契約という例から始めるといいかもしれない。」
他の班:「不動産の売買とか。」
教授:「お金と物が交換されるとか。契約書がなくても成立するというのは、ある意味で非常識なことかもしれません。高校生の普段の感覚に沿う結論と意外なことを、という考え方は面白いと思います。でも、例えば心裡留保注1の事例は難しい。意外に見えることを経て、常識的な結論に帰ってくるのに、なぜこの事例が必要なのか、目的にふさわしい事例を選んでください。」
ゼミ後、教授は「契約とは、という授業をつくるのは学生にとって難しいが、自分たちが面白いと思うことを言語化できるのが、彼らのいいところ。」と言われていました。この後、約1か月のインターバルを経て、6月5日にB班2回めの授業案発表が行われました。
2 6/5 B班の第2回授業案発表
【第1回との異同】
・講義の間にグループワークで事例検討をする構成は同じ。
・変更点は、主に次の4点。
1)前半の講義で、「約束と契約の違い」「契約はどうやって成立するか(意思と意思表示)」「契約の拘束力」の説明を厚くしたこと。
2)前半の講義から民法のルール注2を紹介するようにしたこと。
3)グループワークで検討する事例をなるべく簡潔にしたこと。
グループワーク①「成立した売買契約が有効か無効か考え、無効とすべき場合は、ルールを条文のかたちで作成してみよう。」
事例1:表示に対応する意思はあるがその内容が不当なので“強制しえない”場合
事例2:勘違いで意思と異なる表示をしてしまった場合
事例3:売主が冗談で真意でない意思を表示していた場合―ⅰ)買い手が冗談であることに気づいていなかった場合
事例4:同上―ⅱ)買い手が冗談であることに気づいていた場
グループワーク②「事例5-1と6-1でルールを作り、それを使って5-2と6-2以降の事例を適切に解決できるか考える、できないとしたら、ルールをどのように変えるか、考えてみよう。」
事例5-1:だまされて意思表示した場合
事例5-2:善意の第三者が関わる場合
事例5-3:悪意の第三者が関わる場合
事例6-1:強制的に意思表示させられた場合
事例6-2:善意の第三者が関わる場合
事例6-3:悪意の第三者が関わる場合
4)「契約についてより深く知りたい皆さんへ」という、持ち帰り用の説明プリントを用意することにしたこと。
【約束と契約の違いについての工夫】
第1回発表のときに教授から助言された「約束と契約の違い」についての説明は、次のようにされました。
B班:「約束のうち、“当事者の一方がそれを守らなかった場合に、他の当事者が国に強制的に実現してもらうべきもの”が、契約です。概念をに描くと、右図のようになります。“国に強制的に実現してもらうべきもの”とは、どういうことでしょうか?例えば、友達と『明日夜7時に駅で会おう。』ということになったのに、当日相手が来なかったらどうですか?国に強制的に実現してもらったりしませんよね。」
〈B班発表についての意見交換から〉
教授が毎回アドバイスしていると、学生が委縮するのではないかとの心配から、第2回発表から、学生と年齢の近い助教2名(瀬戸口裕基先生、小峯庸平先生)にアドバイスをしてもらうことになりました。さらにこの日は、立教大学法学部で法教育を取り上げている山口敬介准教授のゼミが、授業の一環として見学に訪れました。以下は、参観者からのアドバイスの一部です。
立教大生:「なぜいきなり契約なのかと感じました。この授業で何を学んでほしいかを、まず言ってもらうといいと思います。」
助教:「事例検討において、生徒から出てきたルールに対して、実際の条文に照らして答え合わせするという視点はよくないと思います。両者を比べてみよう、というのが適切でしょう。」
「詐欺で第三者が出てくる事例で、どちらがかわいそうかということは必ずしも自明ではありません。また、今のままでは、『ルールはこうだから、こう考えて』というメッセージになってしまいそうです。より妥当なルールを考えるという視点をしっかり出すようにしないと。そもそも、契約に拘束力を与えるというのはどういう意味があるのか、と考えることにつなげてほしいと思います。」
山口准教授:「講義の冒頭、契約が拘束力を持つことには、どんなメリットがあるのかも、考えてもらう材料になると思います。また、情報量が多過ぎると思います。」
〈6/26実施打ち合わせより〉
3つの班の授業では、それぞれグループワークをするので、中高生のグループ分けについて詳細が決められました。B班「契約」の授業が1コマ目になり、生徒は学校毎に合計で7グループになるよう、学生側で予め名簿をもとにグループ分けしておきます。どのグループにも、基本的に2名の学生がファシリテーターとして入ることになりました。
3 7/3 B班最終リハーサル
【第2回との異同】
・授業の目的を最初に説明。事例1をカット。ルールの書き方にひな形を用意したこと。説明は2回に分けるのではなく1回にまとめたこと。
・「どちらがかわいそうか」についての説明を厚くしたこと。
・グループワークでは、各班の話し合いの結果は、ファシリテーターが紙に書いて、それらをホワイトボードに貼ります。講義者はそれを見て、生徒の意見を吸い上げます。
〈教授からのアドバイス〉
教授:「生徒の作るルールは、民法のルールと同じようなルールができればいいけれど、違うルールがでた場合にはファシリテーターはその方向で行っていいのですか?条文を作ることは、何のためなのか、確認してほしいと思います。まとめは、「みんながいいと思っていることが民法になっていること」でしたが、この点を、着地点にするのですか?それとも、ずれる発想が出てきたら、それも面白いよねという方向にするのか、どうするのか考えておいた方がいいと思います。」
〈教授からここまでのゼミの解説〉
学生たちは自分たちが教わっている前提知識から大きくずれる発言があると、それは「誤っている」ととらえて「正しい」見方に誘導しようとしてしまいがちです。しかし、一般の人々が提示する「別様の」考え方を受け止めることができるかどうかは、法律家にとってとても重要な資質だと言えます。教えるということは、そうした形で「心を開く」ということですが、少しでもこの感覚をつかむというのが、このゼミに参加している学生たちにとって、最も重要なことだと思います。その意味では、本番で意外な意見に直面して、学生たちが躊躇する場面があれば、彼らは自己教育の機会を得たことになるでしょう。
〈取材を終えて〉
小中高校で行われる法教育授業は、学習指導要領の目標や内容に沿うようにつくられる場合が多いと思います。この東大法科大学院の取組では、大学院生の自由な発想に基づいて、自分達が面白いと感じる授業づくりが行われている点にユニークさがあると思います。そのため、「契約とは」という基本的なことを考えることには重点が置かれていないのですが注3、基本を一通りマスターした生徒向けの応用的な授業づくりを考える事例になっていると思いました。
たとえば、教授によれば、難問を含んでいるとのことですが、「冗談」で契約をしてしまうという事例は、大学院生と年齢の近い中高生にとっては、身近な面白さが感じられるかもしれません。民法の条文をそのまま事例に当てはめるのではなく、自分達の言葉で表現したルールを当てはめて、解決できるか考えてみようという趣向も、身近さが感じられると思います。
意見交換で出された疑問や提案を受けて、B班は改善を重ねてきました。本番の授業では生徒がどのように取り組むことになるか、楽しみにしたいと思います。
その2(8/3実施サマー・スクール)につづく
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