東葛白熱教室「これから自主・自律・自由の話をしよう」 

 2011年10月8日(土)14:00~16:30、千葉県立東葛飾高等学校の課外講座「東葛リベラルアーツ講座」の1つ、「東葛白熱教室」が視聴覚室において開かれました。ハーバード白熱教室のように自分たちも議論しよう、という初の試みです。生徒・保護者・教員が一緒になってスムーズに議論できるよう、いろいろな工夫がされていました。
(千葉県立東葛飾高校および東葛リベラルアーツ講座については、「第5回高校生模擬裁判選手権に出場した公立3高校比較」(2011年9月29日掲載) 参照)

「東葛白熱教室」の枠組み

日時:10月8日(土)14:00~16:00の予定 1回限り
場所:視聴覚室(校舎の端に位置し、非常階段を使ってその部屋だけに入ることができます。入り口には下足箱もあるので、学校が休業の土曜日も利用しやすくなっています。)
目的:普段なにげなく行使している“自由”について哲学的に考えること。「哲学的」とは、思想家や哲学者が深く思索した足跡をたどって、原点に戻って考えてみるといった意味。
校是「自主自律」(特に自律)について、考えを深めること。
講師:福島 毅(情報科)教諭=ファシリテーター、
長束倫夫(公民科)教諭・岡本由香子(国語科)教諭=議論に参加
ゲスト:田中沙織さん(midアカデミックプロモーション代表、哲学者を支援)
参加者:全校生徒・保護者・本校職員対象に希望を募りました。男子12名、女子6名、保護者1名、教員2名
事前宿題:「あなたが感じている自由・不自由とは何か?」「自立と自律はどこが違いますか?」について考えてくること。
道具:テーブルセットが6グループ分。テーブルの上には模造紙が敷かれ、ペン立てにサインペン・マジックペンなどが4~5本入っています。赤、青の付箋。
参考:ハーバード大学マイケル・サンデル教授の「NHKハーバード白熱教室」および東京工業大学宇佐美誠教授の「NHK白熱教室JAPAN」の授業内容

進行の仕方

オープニング 
校長挨拶
 討論の方法とルール説明
 グループ分け、自己紹介  
問1:なぜこの「東葛白熱教室」に参加しようと思ったのですか?(発表含め3分)
前半「自由」について
問2:今、あなたは自由ですか?何が自由だと感じるのですか?何が不自由だと感じるのですか?→自由=青の付箋、不自由=赤の付箋に、話しながら書く
 ↓
 自分の書いた付箋を持って、1人だけテーブルに残し席替え。テーブルホストが今までの議論を整理して、新メンバーと新たな議論を始めます。
 ↓
 壁の模造紙に、全ての付箋を貼る。(全員で)
 ↓
長束教諭が付箋をみながら内容概略をレポート。(20分)
 
問3:殺人や窃盗の自由が許されていないのはなぜですか?(10分)
問4:国家が法律などにより個人の自由を制限する場合、どのような基本的な考え(原理)に基づいて制限していると思いますか?(10分)
 講義 自由の限界について―ミルの「危害原理」(プリント配布)(5分)
 ↓
再席替え、新メンバーで議論
問5:ゴミを自宅にため込む老人がおり、住民からの要請で市がゴミ撤去に乗り出した。この自由は制限されるべき?制限されるとしたら、どのような根拠・理由が必要ですか?(8分)
講義 自由の限界をさらに考える―ファインバーグの「不快原理」(プリント配布)
   まとめ(6分)
休憩
ゲストトーク 「サンデル教授へのインタビューの様子」、質疑応答
後半「自律」について
問6:自律と自立はどこが違うのか?自律で連想されることは?(10分)
講義 カント「自律の定義」(プリント配布)(10分)
問7:あなたの行動あるいは内面(精神)において、自律できていると思うこと、できていないと思うことは?(10分)
振り返りとアンケート記入

討論の方法

 ファシリテーターが問いを出すので、3~4名のグループで考えます。自分のアイデアと違うことを聞くと、新たなアイデアが出ます。アイデアをみんなでシェアして発表します。ポイントは、話し合って終わりではなく、その後に関連した講義を聴くことです。話し合いの中にどんな意味があるか、講義します。

ルール

① 思いついたことは積極的に発言する。
② 自分とは違う多様な意見に耳を傾けよう。その意見も将来役に立つかもしれない。
③ ここで聞いたことはこの場限り、外では話さない。そうでないと、安心して話せないから。
④ 自由にメモを取り、今後の日常につなげる。テーブルに敷かれた模造紙や付箋に自由に書いてよい。
⑤ 座席はなるべく知っている人を避けて座り、年齢・性別などが様々な人とグループを組むこと。社会の問題を考える時は、多様性が大事だから。
⑥ グループ討論終了の合図は、ファシリテーターが手を挙げること。それに気づいた人から手を挙げていく。

〈問1 なぜこの「東葛白熱教室」に参加しようと思ったか〉

 「NHKテレビでサンデル教授の「白熱教室」を見て、面白そうだと思ったから。」「このように意見交換をすることは普段ないから、貴重な機会だと思うので。」という声が聞かれました。

〈問2 何が自由で、何が不自由か〉

 壁の模造紙に青と赤の付箋を貼った結果を見ると、赤=不自由なことの方が多数でした。不自由と感じるのは、お金関係と中学校の時の規則のこと、年齢制限、時間のことが多いようです。自由なことは、東葛飾高校に自由が多いなど、自分の身近なことが多数でした。
ファシリテーター:「時代や国により、自由は制限を受けたり、制限を外されたりします。みんなの感じる自由は、法律で制限されるものではありませんね。」

〈問3 殺人や窃盗の自由が許されていないのはなぜか〉

 「殺人や窃盗によって、それをされた人が不自由になるから許されない。殺人や窃盗を思うだけなら自由だが、行動すると他人の自由を奪うことになるから。報復はどこかで断ち切らないと、自由の奪い合いになるから、どこかで止めることを考える。」「誰も殺されたくない。自分がされたくないことを相手の人にしたらよくないから、許されない。」「他人を殺すことは戦争につながる。」などの意見が発表されました。

〈問4 個人の自由を制限する場合の原理とは〉

ファシリテーター:「自動車が制限速度をオーバーすると、違反切符を切られるというように、法律によるお咎めがあります。それはどういう理由、原理に基づくのか考えてください。」
 「未成年の飲酒などは、将来病気になる率が高くなるから。」「公共の福祉とは、みんなが平等ということで、不自由につながり、自由は無秩序につながる、その公共の福祉と自由の間で法律を決めているのではないか。」といった発表がありました。

〈講義:ミルの「危害原理」とは〉

 JSミルは19世紀のイギリスの哲学者。『自由論』の中で、自由が制限される条件、危害原理を示しました。どこの社会にも政府があり、政府が個人の自由を制限する権力を持っています。民主的統制=選挙を働かせれば、政府の判断が大きく揺らぐ危険性は少ないと考えました。ただし、政府だけが自由を制限するのではなく、市民の世論が個人の自由を制限する場合もあります。政府と世論=社会を両方見て、自由を守る必要があります。
 ミルは、「人類が個人的または集団的に誰かの行動の自由に正当に干渉しうる唯一の目的は自己防衛である」と主張しました。例えば、1人しかいない場所で喫煙する自由はふつう制限されませんが、レストランのように他者が関係する場所では制限されます。“行為の種類”ではなく、どんな“他者との関係性”がそこにあるかということが自由の制限と関わってくるのです。「他者関係的行為で他者に危害を与える場合は、自由を制限できる」とするのが「危害原理」です。ここで危害とは、単に見て不愉快でなく、物理的に実際に起こる不利益のことを指します。(身体の怪我、窃盗など)

(当日のプリントより適宜引用)

〈問5 “ゴミ屋敷”を制限する根拠は〉

 ゴミをため込む老人のニュースは知っている生徒が大多数で、「臭くて、虫が寄ってくるので、二次被害がある。他人が嫌な気分になり、景観も損なわれる。」などの意見が出ました。

〈講義:ファインバーグの「不快原理」とは〉

 “バスに乗り込んだ迷惑な客”4名を止めるとしたら、誰の行為を止めるか。その順番と、止める根拠は何か。A:大音量で音楽をかけている。B:弁当箱をあけて生きた昆虫を食べる。C:ナイフを出してもてあそんでいる。D:全裸である。
 この問題は、Cは危険だから止める。Bは、昆虫食の社会なら認められる。Dも社会背景によって認められる、と解説されました。ファインバーグは、危害原理を補充するものとして、「その行為が他者に深刻な不快を与える場合には制限できる。」と主張しました。これが「不快原理」です。バスの迷惑な乗客例はファインバーグ自身があげたもので、普遍的に制限される自由とは、文化・社会背景を問わずにそれはやめてほしいという線引きができるもの、と考えられます。

(プリントより適宜引用)

自由についてのまとめ

 法治国家であっても、どこまでの自由が制限されるかについて法解釈が分かれる場合もあるし、日常生活の中でもいざこざはあります。その場その場で直観で考えることは、判断がゆがんでいる場合、危険です。原理に基づく思考による判断や行動があることで、安全・安心な社会がつくられていくとも言えます。

(プリントより引用)

ゲストトーク

 田中沙織さんは若手の哲学者をサポートする仕事などをされており、ハーバード大学で実際にサンデル教授に直にインタビューした経験をお持ちです。今回は、NHKの白熱教室番組の舞台裏で実際にハーバード大学では何が行われているのか、またサンデル教授の人柄などについて語っていただきました。NHKテレビで放送されたのは講義のほんの一部で、大学院生がサポートする補講とテレビの本番がセットになっていたそうです。また、サンデル教授は「普段はとても人に気遣いをする方で、守衛さんとも気軽に声を掛け合うフレンドリーな人」ということでした。
生徒A:「哲学に対してどういう思いをもっていますか?」
田中先生:「とてもいい質問です。私もインタビューするときは、いつもその質問をします。今日の議論で、これまで「自由」だと思っていたものが、実は自由でなかったりして、新しい発見があったでしょう?私も哲学を学ぶ前は、わからない中で生きていくのが不安で、選べる手段が欲しかったのですが、学んでからは選択することができるようになりました。」
生徒B:「哲学をして、日常生活へのメリットはありますか?」
田中先生:「ニュースの一面的情報に敏感になりました。同じ情報ばかり流れていると、それとは違うことが隠されていないかと思うようになりました。」

〈問6 自律と自立の違い〉

 発表された意見は、「自律は、自分で自分を制御すること。自分でルールを決めて、判断して生活している人。自立は、周りの人から援助を受けないで生活している人。」といったものでした。発表されなかった意見に、「自分が正しいと思うルールというだけでなく、ある程度根拠があって制限するということだと思う。」というものもありました。

〈講義:カントの自律の定義〉

 自律は、辞書的一般的な意味では「自分自身で立てた規範に従って行動すること」を指しています。カントは、人が意思をもって普遍的な道徳律(道徳法則)に一致した「個人が設定する行為の仕方の原則(格率という)」に従うとき、それを自律と名づけました。自律“Autonomie”という言葉を生み出したカントの深い思想に思いを巡らせ、自分にとっての自律とは何なのかを改めて考える機会としてください。

(プリントより適宜引用)

〈問7 自分が自律できていると思うこと、自律できていないと思うこと〉

 議論に参加した教諭2名は、「自分で考えているつもりでも、他者の評判を気にしていたり、知らず知らず打算で生きていたりしていると改めて思いました。」と異口同音に発表しました。

〈振り返りはブッダの遺言〉

 集団(部活動、クラス、学校全体、市・県・日本など)の自律についても、どこが自律できていて、どこができていないか考えてみましょう。自律については、東洋でもブッダが「自灯明、法灯明」という言葉を残しています。「自分自身を島とし、自分自身を救いのよりどころとして暮らせ。ほかのものを救いのよりどころとしてはならない。法(教え)を島とし、法を救いの-(以下同文)。」考えてみてください。

(プリントより引用)

取材を終えて

 自由と自律について、じっくり考える中身の濃いひと時でした。終了後のアンケートには、「普段話さない人と、普段話さない話題を話すことができた。」「普段の授業では、議論しながらということがない。」と、話し合いの意義を実感する言葉が見られました。
 この取り組みは、話し合いのルールや道具立てに工夫がされていました。司会者が「はい、やめて。」と言うのではなく、黙って手を挙げて、気づいてくれるのを待つというスタイルは、実践の参考になるでしょう。発言内容についてはその場限り、というのも自由に発言するために必要なことと改めて気づかされました。あとあと、「あの人はこういうことを言った」と批判されるようでは、議論が活発にならないでしょう。
 議論して終わりではなく、関連する講義を聞いて思考を深めるという方法も素晴らしいと思いました。自由の制限の根拠を知ることは、まさに法の基礎となる原理を知ることでした。教科書でミルやカントの名前は見ても、彼らの生み出した概念の意味を深く考えるには努力を要します。今回のように自分たちで話し合って考えた後、哲学者たちの考えを知ると、理解しやすくその概念にも親しみがもてるのではないかと感じました。このような取り組みをするためには、ファシリテーターが相当な準備をしたことと推し量られます。参加した生徒たちはきっとまた次回を期待していることでしょう。東葛白熱教室が続いていくと素晴らしいと思いました。

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