「法学教育」をひらく(第2回) 青木人志先生 その1

〈対談シリーズお二人目の位置づけ〉              

大村:「この対談では、私の目から見て特徴があると感じられる「法学入門書」をお書きの先生方をお招きしています。前回は「概論型」「導入型」という表現を使いましたが、同じことを示すのに、昔から「法学入門」には「お子様ランチタイプ」と「オードブルタイプ」というたとえも使われてきました。お子様ランチは、「子どもに少しずつ大人の味を味見してもらうのはいいこと」という趣旨で、「みんな食べたことがある食材でしょう」という意味もあります。オードブルは「食欲を喚起するもの」という役割です。第1回の君塚正臣先生の本は前者の「知っているものと新しいものとをつなぐもの」にあたり、今回のゲストである青木人志先生の『グラフィック法学入門』は後者の「関心を呼び起こすもの」として優れたものだと思いました。」

〈著者の紹介〉

1312050101大村:「青木先生は1984年一橋大学ご卒業、1991年関東学院大学専任講師になられ、1995年一橋大学助教授、2002年より教授になられています。ご専攻は比較法学ということで、『動物の比較法文化―動物保護の日欧比較』(有斐閣 2002年)という研究書、『法と動物―ひとつの法学講義』(明石書店 2004年)という入門書、『「大岡裁き」の法意識―西洋法と日本人』(光文社新書 2005年)、『日本の動物法』(東京大学出版会 2009年)などがおありです。
何か補足があればお願いします。その上で、法学入門をお書きになったきっかけあたりから、お話をいただけますか。」

青木:「法学入門はわりと書いたほうだと思います。ご紹介いただいた『法と動物』のほか、松本恒雄さん他と書いた『日本法への招待』(有斐閣 2004年)という本もあります。今回取り上げていただいた『グラフィック法学入門』(新世社 2012年)は、自分にとって3冊目の法学入門です。」

〈構想のきっかけ〉

青木:「大学で入門講義を担当する機会が多いことが、執筆のきっかけです。ロースクールができたときに未修者クラスの導入ゼミを担当しました。実定法の先生が忙しくて、基礎法の講座に属する私がすることになり、4年ほど担当しました。学部1年生の選択必修科目「法と社会」や、東京女子大学の非常勤講師として3年ぐらい「法学」という講義もしました。教える機会が多かったので、必然的に関心が高くなりました。
 入門は、実際に担当してみると、難しいという感想を抱かれる先生方もおられると思います。既存の本を使おうとすると、全ての章が使い勝手が良いとはいえなかったり、本の値段が学生にとって高かったりで、どうも適切な教科書がありませんでした。自分で使いやすい教科書が欲しいと思ったのが大きな理由です。
 大学1年生は張り切って法学部に入って来るのに、いざ授業が始まると少なからぬ人が失望する経験をしているように見えました。自分自身も学生時代をふりかえると思い当たることがあり、初学者が本気で法律学を学びたいと思わせる本を書きたいと思いました。なぜ大学に入って法学が面白くないかというと、1つには、高校までの勉強と異質過ぎて連続性がなく、今までの勉強がゼロになる感じがあるのではないか。高校までの学習の延長線上に法学を位置付けることができるようにしたらいいのではないかと思いました。2つめは、法解釈学とは何をするのかがわかりづらいことです。ロースクールへ未修で入った理系学部出身の学生から、1コマ1コマの講義で何を学んだか実感がもてないので、そこをはっきりさせてほしいと言われたことが2回あります。さらに、現在はどんな小さなクラスにも留学生がいることも考慮しないといけません。たとえば彼らは六法をいきなりは引けません。小さなことのようですが、そういった障害はあんがい大きなネックなのではないかと思い、入門講義ではそこを思い切り易しく丁寧に教えた方がいいと思いました。」

大村:「法学は取っ付きにくいと思っている学生が多いということですね。この取っ付きにくさをどうやって乗り越え、学生に法学への関心を引き起こすか。実定法の場合は、教えるべきコアは定まっていますが、法学入門の場合は、何を教えるかについて共有されている理解がないと思います。」
青木:「ええ、そうですね。」
大村:「そこに、適切な教科書がないということがつながっていると思います。法学入門は専門家がいない。入門を教える経験を共有したら、どんな教科書を作ったらいいかわかるのではないかと思い、お話を伺っている次第です。」

〈『グラフィック法学入門』について―基本的なスタンス〉

大村:「法学への関心に関わることですが、若い学生には、法学とは自分にとって何なのかがわかりにくいと思います。『グラフィック法学入門』5章編成ですが、スタートは「法に向かう自分」に視点が置かれていると思います。法とはどういう領域かを説明するために、法と道徳や法と経済を比べる本もありますが、そうではなく、学習者の関心を惹起するには「自分」から出発することが大事だとお考えだと思いました。私は高校生向けの本で、『市民社会と〈私〉と法』(商事法務)というのを書きましたが、やはり「私」から出発しないとわかりにくいと思っています。法学入門にはそういう構えが必要だと思いますが、先生がこの本を書かれたご趣旨を伺えますか?」

青木:「今まとめていただいたことが私の考えたことの中心になると思います。どんな時代にも普遍的に若者を捉えるのは、「自分は何者か、私はどこにいるか」という根源的な問いだと思います。「自分と社会の関係は何なのだ」という問いです。『法と動物』という本の中で、「法学がわかるとはどういうことか」について書きましたが、「わかる」とは、法と自分が関係しているという実感をもつことではないか。自分について知る・考えることが、法について知る・考えることになるという、一種のつながりをつけたいという発想です。
 第1・2章は、オープン・キャンパスで高校生向けに話したことです。高校生の学んでいる歴史や政経の知識を散りばめ、高校の学習と大学で学ぶ法学がつながっているという感覚をもたせたいと思いました。私は大学に入った途端、いきなり民法総論の主物と従物とか、法人論とか、複雑な判例を教えられても、正直なところよくわかりませんでした。まずは若者を法学の世界に引っ張り込むために、血沸き肉躍る人間的な感覚を味わう、そういった跳躍台みたいなものを書いたつもりです。」

大村:「それはいわば道具立てを整えるということでしょうが、目指しておられるのは、法の世界で行われていることの面白さを伝えることだと思いました。」

〈本に対する反響〉

大村:「「法律は青春の学問」という見方を、学生はどう受け止めていますか?」
青木:「今日は3名の学生のコメントカードをもってきました。半年間の講義中、授業の最後に毎回出させているものです。それを読みますと法学は「青春の学問」なのだという私のメッセージに感銘を受けてくれたという印象をもちます。法学の本を書くについて、ケレン味のある書き方をすることは敬遠されるのが常ですが、私は若者を鼓舞するために、あえて書いてみました。その結果、たとえば1年生からは、「尊属殺重罰規定は高校で学習して知っていたが、人間ドラマがあることを今回知り、もっと知りたくなった。」という反応がありました。また、3年生からは、「弁護士が1つの事件についてあらゆる戦い方を考慮することがわかり、学習用の判例集で捨象された人間ドラマに気づいた」といった感想が寄せられました。そのほか「法学は青春の学問だ」というメッセージとは直接呼応しませんが、「大津事件は、日本史を学んだ時の自分の疑問が間違っていなかったとわかり、より理解が深まった。」「裁判員制度導入については、日本の法制史で江戸時代以前と現代の連続性をはじめて意識させられた」などの感想もあります。
 また、条文の読み方に関して、枝番号つきの条文は「おまけの条文」だと思っていた、という感想もありました。実は私も、大学入学後かなりたってから、枝番号つきの条文は単に後から挿入しただけで、枝番号のない条文と階層の上下関係はないのだということに気づいたという経験をもっています。こんなことは大学の先生にとっては当たり前ですが、高校を卒業したばかりの学生にとっては教えてもらわないとわからないのです。」

〈読者を主体的な関与に誘うには〉

大村:「六法を引けないとか、枝番のこととか、それに時間を取られて授業についてこられなくなるような段差をなくしてやる配慮は、意外と大事なことだというご指摘だと思います。他方、教育一般に関わることですが、学生の関心はどこから生まれるかというと、知的な落差が心地よいということがあると思います。」
青木:「そのとおりです。」

大村:「先生は、落差を味わわせることに、教育的な効果があるというお考えだと思いました。「権利能力平等」とはどんなにすごいことか感じさせることができれば教育効果が上がる、たとえば、そういうことだと伺いましたが、そういうことを考えられていたわけですか?」
1312050102青木:「はっきりそれを意図したわけではありませんが、当たり前と思われていることが、実はすごいことだったんだと実感させることは重要だと思います。たとえば刑法の歴史を取り上げた講義の後の学生の感想に、「昔は司法が人の行動の自由を奪うために使われていたとわかった。今の刑法の自由保障機能の素晴らしさを改めて感じた。」というものがありました。このように抽象的な言葉や概念が自分の中で血肉をもって躍動しだすような経験を味わってもらうのが、教育上大事だし、素敵なことだと感じます。」

〈法学入門とその後の実定法の学習の関係〉

大村:「一見すると無味乾燥かもしれないことの背後にあるものを理解できたという経験。それは入門にとって意味のあることで、それを出発点にして実定法学を学んでいくことになるわけですが、入門で面白いと思った経験がその先の実定法の学習とどう結びついていくのか、何か感じていることはありますか?」
青木:「法学入門の後の実定法の学習については、解釈論を教える先生方を全面的に信頼していますが、たとえば、本の61ページのコラム「創造的法解釈の例」は、学生たちに法解釈学のわくわくするようなおもしろさを伝えると同時に、実定法の先生方の教育意欲をも喚起したいと思って書きました。」

大村:「法学に取り組む際の基本的な構えを身に付けてほしい、それが法学入門の使命である。そうお考えだと理解しました。専門科目に進めば、それぞれに難しい問題がたくさんあります。基本的な考えにとどまればいいのかというと、そうでないこともあります。青木先生の本では、法の技術性、裁判のもつ意味にも注目するように促していますが、これらの点を早い段階で教えておくことについて、どうお考えでしょうか?
 他方、法学入門の方でも法の技術性も教えるとして、その後の各論では何を教えるかについて、法の出発点とはこういうものだということを、実定法を教える先生にも教えてほしい、という間接的メッセージであるのではないかとも思いました。そうすると、入門とその後の科目とがつながると思いました。実定法の講義でも、法の基本的な精神を前面に出して教えてください、と私も思っています。このように法学の魅力を見せてほしいというとき、法の中の「人間」をどう考えておられますか?」
青木:「難しい問ですが、機械工学をやったロースクール生に「学説って何ですか?」と問われたことがあります。ある問題を、法律の構造の中に位置づけ、自ら主体的に考えて、「これが良い法解釈だ」といえるような解決策を案出するのが、実定法解釈論のエッセンスだと思います。新しいクリエイティブな議論を考えることを、各法分野で教えてほしい。すると学生たちは法律学に魅力を感じると思います。
 法の人間的な側面を理解するには、具体的な訴訟を知らないといけませんし、それを知ることで理解の深さが違ってくるだろうと思います。
 少し話題がずれますが、「よく知っているけれど、よく知らなかった」と学生が思えるような話が、講義の題材としては面白いとおもいます。たとえば尊属殺重罰規定違憲判決は高校生にもよく知られています。しかし、この事件では最高裁判所が判例変更をしているということは、おそらく高校生にはほとんど知られていません。そういう問題については新しい知識が増える面白さがとくに大きいのです。私は以前、栃木県の宇都宮女子高校でこの判例について模擬講義をしたことがあり、われながら良い講義ができたと思っています。御存知のとおり、あの事件の第一審は宇都宮地裁ですが、被告人のために最高裁まで争って違憲判決を勝ち取った弁護士さんは、今でも宇都宮で弁護士登録をしていらっしゃるのです。君たちの町の弁護士さんが、このかわいそうな被告人のために、正義を求めて戦ったのだということを話すと、生徒の目が明らかに生き生きとしました。自分のいる、「いま、この場」から、法が生まれるのだ、ということを実感させることが、法学教育上重要だと思います。」

大村:「法学学習上、学説とは何かは、確かにわかりにくいと思います。この点はしっかり示しておいた方がいい。また、法のローカリティも大事な要素です。ローカリティを活用しないと、損ですね。
 話を法の技術性に戻しますが、お話を伺ってうらやましいところがあります。法とは何か理解し、法の人間的側面に興味を持ってください、それを自分が生きるときの力にしてくださいと教えたいが、それが専門科目の学習に進んだときに十分に実現するか、ということがあります。
 本に載っている「条理と信義則」の模式図はとてもいいと思います。確かに民法709条は、法技術が社会規範をくみ上げているという重要な例になります。しかし、法の世界は、709条だけでできているわけではありません。覚えるだけではだめだと私たちは言うけれど、訴訟で争うときに基準は何かと考えるとき、弁護士は最高裁判所がどういっているかをまず調べる。調べてわかればいいじゃないかという人に、どういうメッセージを送るべきか。何かお考えがありますか?」
青木:「ロースクールで教えるべき技術と、学部1年生で教えるべきことには大きな違いがあっていいと思います。ただ、ロースクールでも寄って立つ人間的な情熱がないと、やっていられないと思います。どうしてもそこにもう一度戻ってくるんですね。社会と自分との関係。自分はいったい何のために生きているんだという根源的な問いですよね。一見冷たい法技術の中にも人間性は含まれていると思います。たとえば、生命侵害についてのいわゆる「西原理論」は、損害賠償の定額化を主張するものですが、若者に非常に訴えますね。「生命の価値は同じ」だというメッセージは、間違いなく若者をとらえます。でも、その次には、「よくよく考えると、ことはそう簡単でないな」、という往復運動が生じます。そうやって、平均余命やその人の個別の年収を考慮しつつ死者の逸失利益を算定する基準もまた、それはそれで深い人間的な知恵に支えられているのだという認識に、らせん状にたどり着く。法学は大人の学問だといわれるのは、そういうことではないでしょうか。」

〈続きは、「その2」をご覧ください。〉

 

   

グラフィック法学入門

グラフィック法学入門 著  者
判  型
頁  数
発行年月
定  価
発  行
 青木人志 著
 A5判
 197頁
 2012年8月
 1,800円(税抜き)
 新世社

 

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