東京大学「オータム・セミナー」 ―不法行為法から未来の法を考えるPart1― その1

 2013年11月2日(土)13:00~18:00、東京大学法学部大村敦志教授(民法)による高校生のための「オータム・セミナー」が東京大学で開かれました。法学に関心をもつ高校生で、やや立ち入った学習を経験したい方のための少人数セミナーです。内容は不法行為法から未来の法を考えるというもので、千葉県内から11名の生徒が参加しました。法学部教授が4時間以上にわたって高校生のために法教育授業を行う、という取組みをお伝えするのは初めてです。その1のレポートでは、下記のステップ1と2についてお伝えします。

〈プログラム〉

場所:法学部4号館461号室  (傍聴者 大学教員、高校教員など4名)
13:00~14:00 ステップ1「不法行為法(損害賠償法)と社会」について考える
   1-1)不法行為法の位置づけ、社会をつくる法
     1-2)空地での野球から福島の原発事故まで
   1-3)不法行為法の発展―四大公害訴訟、プライヴァシーとセクハラ
14:00~14:20 休憩(希望者は研究室見学可)
14:20~15:50 ステップ2「大阪アルカリ事件」から「社会と法」の関係を学ぶ
  教材 大村『不法行為判例に学ぶ―社会と法の接点』(有斐閣)第1部
     +高校日本史教科書
     2-1)大阪アルカリ事件の社会的背景
     2-2)大阪アルカリ事件の内容
     2-3)「因果関係」の証明
16:00~17:20 ステップ3「発熱教室」をどうすべきか
   3-1)風邪に感染させるのは不法行為か
     3-2)「発熱者外出禁止法」を立法すべきか
17:20~18:00 記念写真+(授業以外の)質問

ステップ1「不法行為法(損害賠償法)と社会」について考える

1-1)不法行為法の位置づけ、社会をつくる法

〈不法行為とは〉

教授:「サマースクールに出た人、不法行為の例はどういうものだったか覚えていますか?」
男子1:「サッカー少年が自転車にひかれた事故の話。どちらに過失があるかを考えました。」
教授:「そうでした。自動車事故が典型的な例ですが、車をぶつけて人を殺してしまった場合、その後はどんなことになりましたか?」
女子2:「過失の割合はどうだったか。」
教授:「そんな難しい話は後にして、ぶつけた人は責任を負いますよね。どんな責任ですか?」
女子2:「賠償。」→教授:「そう。それだけ?」
男子2:「慰謝料。」→教授:「それも賠償。他に何かあったけ?」
男子2:「車なら免許取り消しとか。」→教授:「そう。他に誰か?人が死んじゃったんですよ。」
男子3:「警察に逮捕される。」→教授:「なんで?」
男子3:「業務上過失致死とかになるから。業務上過失致死というのは、何かしていて、その結果として人を殺してしまったということです。」
教授:「何かしていてというのと、何かしていないのとはどう違いますか?」
男子3:「殺す意思があったかないか。」
教授:「そう。殺す意思があったら殺人ですね。普通の交通事故はわざとではないので、「故意」はなく、殺人ではありませんが、「過失」はあります。交通事故の場合は「故意」はなく「過失」があっただけだとしても、やっていることが犯罪になって、処罰されます。根拠は刑法。刑事事件になると刑務所に入れられたりしますね。免許を取り消されるのは、免許は公安委員会が発行しているから、公安委員会が取り消す。これは犯罪というわけではなくて行政処分です。その他に、被害者に対して損害賠償をしますね。行政上の責任はちょっと別にして、刑事の責任と民事の責任を負わねばならないことになります。」

〈民事と刑事〉

教授:「犯罪(刑事)の話と民事の話の違いは、わかりますか?」
男子4:「犯罪は国家と加害者が裁判をする。民事では国は関係なく、被害者と加害者の間で話し合います。」
教授:「刑事事件で加害者を訴えるのは?」→男子4:「国。」
教授:「警察が逮捕して、検察官が訴えますね。民事は?」
男子4:「被害者が加害者を訴えます。」→教授:「もし被害者が死んでしまったら?」
男子4:「遺族が訴える。」
教授:「そうですね。いずれにせよ、被害者側が加害者側を訴えます。国が訴えないのはなぜですか?」
男子4:「民事事件は、法律上問題を起こしたわけではない? だから、国が何かするわけにいかないのかな?」
教授:「交通事故については、ルールはありますよね。そのルールに反して事故を起こした。だから、法律上の問題は起きています。刑事事件は、社会の秩序が損なわれているので、社会の利益を国が代表します。民事事件は、被害を受けているのは個人で、その人の損害を回復するのが目的なので、その人が訴える、と仕分けできます。
 でも、民事と刑事の区別は実はもともとははっきりしません。殺人では、殺された人は損害も受けています。社会の秩序を乱している面と、個人が損害を受けている面があります。1つの事件に2つの面がある。今は2つを分けて、2つの裁判をするけれど、1つで済ませることもできます。戦前は刑事裁判とあわせて、ついでに民事もやっていました。いまも似たような制度がないわけではありません。
 誰かに自分の権利を侵害されたときに回復・救済してもらうという民事の損害賠償請求は、すごく重要です。しかし実は、権利が侵害されたと言えるかどうか、よくわからないこともあります。反対に言うと、裁判で損害賠償を認めてもらえたから、自分には権利があったといえる、ということがあるのです。」

1-2)空き地での野球から福島の原発事故まで 
1-3)不法行為法の発展―四大公害訴訟、プライヴァシーとセクハラ
(1-2、1-3をまとめて。1-3を先に)

教授:「順序を変えて先に話しますと、セクハラが裁判で争われるようになったのは1980年代の終わりのころからです。それまでは、日本でセクハラという考え方は認められていませんでした。プライヴァシーも、1960年代半ばからです。それまでは事実はあったけれど、考え方がないから、プライヴァシーという権利は認められていなかった。そもそも問題に気づいていなかった。不法行為法は新しい時代の新しい権利を作り出している。その話を、今からより具体的にしていきます。
最初は簡単な話から。誰かが外から石を投げて、この部屋のガラスが割れたら?それは不法行為です。石を投げた人が加害者、東大が被害者です。それを誰かが見ていれば、すぐに加害者がわかって話は済んでしまうので、裁判のなりようがない。(夏目漱石の家の窓ガラスのエピソード省略)
1403060101 「民法709条の構造」(右図参照)を説明しましょう。709条の中の「これ」とは、「その権利侵害」ということです。「その権利侵害によって他人に損害を加えた者は、その損害を賠償する責任を負う」ということになります。故意・過失と権利侵害、特に過失、それに損害、それから、その間の因果関係。責任を認めるにはこの3つのことが必要です。民事で、この709条が関係する裁判はかなり多いです。最近は民法に関係する事件の3.5件に1件。とても重要な条文です。
 民法がいつできたか知っている人はいますか?」→一同沈黙。
教授:「19世紀の終わりにできました。その頃、709条は重要ではありませんでした。公害はないし、交通事故もそんなに起きなかった。鉄道事故もかなり珍しかった。
 ガラス1枚割って裁判を起こす人がいないのは、なぜでしょうか?」
女子:「お金がかかるから。」
教授:「そうです。時間もお金もかかるから、やってられません。でも、ガラスを割った場合に責任があることははっきりしている。ところが、20世紀を通じて、だんだん複雑な事件が増えてきているということがあります。わかりやすいのが、福島の原発事故の例です。事故を起こした人に「過失」があって、それによって被害が生じた(つまり「因果関係」がある)ということが言えれば、損害賠償の責任を負うことになります。原発事故にはいろんな被害があって、わかりやすいのとわかりにくいのがありますね。健康被害は、今の段階ではまだわかりません。風評被害という言葉も聞いたことがあるでしょう?福島の食べ物は何となく嫌だよねとか。風評被害というのは、原発のせいですか?事故がなければ確かに風評被害はないのですが、その損害のすべてが原発事故が原因になっているといえるか?本当に「因果関係」はあるのかという問題があります。「因果関係」については、ほかにも例えば、事故の2週間後の演劇公演が中止になったというような話がありました。同じような条件で、公演を実施している劇場もあるのに、中止した劇場もある。この場合でも原発による被害と言えるかどうか。原発による損害に関するルールは特別な法律で定められていて、「過失」がなくても責任を負うことになっていますが、一般的に、「過失」による責任を考えると、どういう場合に過失責任を負うのか、この点もよくわからなくなってきています。
 『不法行為判例に学ぶ』のp.15の下の図を見てください注1。図の「因果関係」がわかりにくくなっており、加害者に「過失」があったかも判断が難しい事件が増えてきている、というのが不法行為法についての大きな流れです。
 民事裁判の役割とからめて、不法行為に基づく損害賠償訴訟には、次の2つの機能があることをおさえておいてください。個別の損害賠償(この損害は賠償しなければならない)と、社会的にルールを設定する(そんなことはやってはいけない)を示すことです。それともう1つ大事なことは、不法行為については、因果関係や過失の有無が判断しにくい事例が増えているということです。」

ステップ2「大阪アルカリ事件」から「社会と法」の関係を学ぶ

〈大阪アルカリ事件注2とは〉

 大阪府の安治川下流域の農地において、1906年(明治39年)度の稲・1907年度の麦に風水虫害ではない被害があり、ある場所は収穫が皆無、ある場所は激減しました。その被害の原因は、付近にあった大阪アルカリという会社の工場が排出する亜硫酸ガスその他の有害物質のためであるとし、会社に対して農作物の被害についての損害賠償請求訴訟が起こされた事件です。

2-1)大阪アルカリ事件の社会的背景注3
 1904~5年に日露戦争があったことを踏まえ、高校の日本史教科書を資料として、殖産興業政策が進んだ時代だったことをおさえました。大阪アルカリは、もともとは官営工場だったとのことでした。

2-2)大阪アルカリ事件の内容注4
 大阪アルカリ事件控訴審判決(大阪控判大正4年7月29日法律新聞1047号25頁 )、判決で言及されている鑑定資料(絵地図)のカラーコピーを資料として、原告と被告及びその代理人は誰か、双方の主張、農作物の被害程度は工場との距離が近いほど大きいことを確認しました。

2-3)「因果関係」の証明
教授:「さて、皆さんは大阪アルカリの弁護士になったつもりで反論するとして、どんなことを言いますか?S君、どうですか?」
S君:「他の要因もあったのではないか。」
教授:「他の人や物のせいにするのは1つの手ですね。具体的に、想像してみて?」
女子:「風向きによって、他の工場の影響かもしれない。」
教授:「他にも工場があるという主張はありますね。でもこの図を出されて、場所が近いと被害が多いことを示されたら、どうですか? これは、大阪アルカリのせいだといいやすい証拠ですよね。他に?」
A君:「もしこの地図の通りとしても、アルカリのせいで作物が枯れたことを証明してほしい。」
教授:「そうですね。まず他の原因をいう、たばこの煙のせいとか、他の工場のせいだとか。実際には、もともと土地が悪い、水が悪いといいました。そう言ってもダメだとなってくると、次に出てくるのは、A君の言ってくれたように、うちの煙が本当に原因なのかということですが、どういいますか?」
A君:「硫黄酸化物が原因で枯れたのかといいます。」
教授:「被害者側はその証明、つまり因果関係の証明をしないといけませんね。それともう1つは、この事件では、過失の有無が争われました。「過失がない。」と主張するとしたら、どういいますか?」
男子:「工場から硫黄酸化物が出て農作物が悪くなるのはしようがないといいます。」
教授:「それはいい考えです。本のp.45を見てください。大阪アルカリ側の弁護士は、工場が製造をするのは当然のことで、仕方ない、不法なことではないといいました。p.46では、周囲に被害を及ぼさないようにする方法があるなら、権利の濫用だけれど、方法がないから濫用でもないといっています。ここでいう「最善なる権利行使の方法」には何が考えられますか?」
(中略)
教授:「ベストを尽くすとは何か? 確かに工場をやめるということだとも考えられますね。周りに被害を出さないよう、畑のないところに行きなさいと。それを認めると、工場に過失があることになる。そこまで行かないで、何か方法はないですか?」
U君:「硫黄酸化物の排出量を減らす。」
教授:「どういうふうに?」
男子:「わからないけれど。極端に言うと操業を止めるになるけれど、何かしら硫黄酸化物を減らすようにしたらいい。」
教授:「いまの話には、2つの可能性がありそうです。1つは、操業時間をある程度短くする、あるいは生産量をある程度減らす。もう1つは、時間や生産量はそのままで、大気中に出ていく硫黄酸化物を減らすように工夫する。どちらかをすればいいでしょう。横道にそれますが、先ほど、大阪空港訴訟の話をしましたね。U君の考え方を空港訴訟に当てはめると、騒音を減らすことはどうやってできますか?」
男子:「飛行機を飛ばすのを減らす。」
教授:「そうですね。飛行時間制限をする。夜が一番困るので、ある時間以降はダメとしました。大阪アルカリについても、生産量を減らせばいい。(中略)でも、それよりもっといい案は、有害物質が出ていくのを減らす工夫をすることですね。工夫をしないと権利濫用で、過失があることになります。大阪アルカリの岩田弁護士の考え方に従っても、過失があることになります。実際には、当時、日立銅山で、大阪アルカリよりも高度な技術が使われていることがわかりました。日立銅山のような高い煙突を立てれば、こんな被害は出なかったと裁判所は判断しました。有害物質を出している総量は変わらないけれど、薄められて広がっていくので、少なくとも工場近くの被害は減る。これが当時はベストの技術でした。」

〈疫学的因果関係論の核心〉

教授:「ここで「疫学的因果関係論の核心」というプリントを見てください。例としてケースA~Cの3つの事件を挙げます。(当日のプリントより引用)

ケースA
=松下カラーテレビ事件(部屋の中で、強く焼けた部分とそうでない部分がある)
 →強く焼けた部分に「火元」がある
ケースB
=大阪アルカリ事件(ある地域の中で、農作物のほとんどが枯れた部分とそうでない部分がある)
 →農作物のほとんどが枯れた部分の近くに「汚染源」がある
ケースC
=四大公害事件(ある地域の中で、多数の患者が出た部分とそうでない部分がある)
 →多数の患者が出た部分の近くに「汚染源」がある

 

 ケースA~Cにおいて、火元や汚染源に近いところほど被害が大きいという共通の構造がありますが、違いもあります。その違いに気づいてもらうことが、法の考え方を理解してもらうことになります。ケースAでは、被害は部屋1つ、被害者は所有者1人。ケースB(大阪アルカリ事件)の被害は農作物、ケースC(四日市ぜんそく事件)は健康(人間)被害。BとCの違いは何ですか?」
男子:「Bの被害者は36人で、Cは多数。」
(中略)
教授:「Bについては農地を持っている人が1人なら、被害者は1人ですね。では、Cは1人にはなりませんか?」
男子:「ならない。Bは所有物に関することだけれど、Cは人への被害だから?」
女子:「Cでは、人間は何人もいるから、1人ひとりが被害を負うことになります。」
教授:「その話をさらに展開するために、A(松下カラーテレビ事件)とBの違いを見てみましょう。Aの所有者は1人。部屋が被害を受けている。1人の人の持つ1個の物が壊れています。Bは、1人の人の持ついくつの物?」
女子:「たくさんの物。」
教授:「稲や麦は、たくさんですね。このときに、煙が1つ1つの稲に達して枯れたことを証明するのは難しいが、全体として被害を受けている、と集合的に見ればいいならば証明しやすいですね。これに対して、Cは、1人1人の人が自分の受けた損害が工場のせいと言わねばなりません。この時に、全体について集合的に見て言えれば、1人ひとりについてもいえるといいたい。どういう状況なら、Bの農地と同じように考えていいでしょうか?」
男子:「稲が1人ひとりの所有物。」(?)
教授:「それは反対の方向ですね。BをCのように考えようとしている。反対に、CをBのように考えたい。だから、被害者全部が誰かの一人の所有物ならばいい。たとえば、四日市地方の領主が奴隷として所有しているとか。しかし、実際にはそうではないでしょう。だからCでは、集合的に起きることを自分の個別の被害に置き換えないといけません。個別の因果関係の証明は難しいので、集合的に被害があればいいとします。これが疫学的因果関係論の中心的な考え方です。疫学というのは、集合的に病気の原因をとらえる学問です。集合的な因果関係から出発して、個人の被害について因果関係を推定する。いいですか、これは、人間はモノでないので、1人ひとりが自分の権利を主張しないといけない、ということです。
 大阪アルカリ事件は、煤煙の排出と損害との間に因果関係を認めました。同じ考え方が四日市ぜんそく事件でも用いられています。しかし、大阪アルカリ事件で被害を受けているのは農作物、ところが、四日市ぜんそく事件では人体です。人間に対する被害を認めるには、単に広く被害が発生したというだけではダメで、各個人の損害につき、原因との因果関係があると言わなければならない。でも、実際には、集団的に見て因果関係を認めることができれば、各個人の損害についても因果関係を認めてよい。ここに四日市ぜんそく事件の核心があります。
 もっとも、このような個人主義では対処できない問題もある。環境に対する広い範囲の、しかし、薄い損害などがその例ですが、このような問題については個人ではなく集団を単位に考える方策が必要になります。
 原発事故の場合、直ちに健康被害が生じるような高濃度の汚染であれば誰か特定の人が被害を受けているということになりますが、濃度が薄い場合、自分が被害を受けているというのは難しい。しかしこれを言わないといけません。被害が薄く広がった場合、個人を単位にしていると、被害をつかみ出すことがなかなかできないのです。それならば、個々の被害は小さいが、全体としては大きな被害が出ているとき、損害賠償請求を認める仕組みが何か必要ではないか。これは、被害を個人単位ではなく、集団単位で考えるということです。」

〈ここまでの取材を終えて〉

 セミナー前半は、不法行為法の基本的な考え方を学習する時間でした。「不法行為に基づく損害賠償訴訟には、次の2つの機能があることをおさえておいてください。個別の損害賠償(この損害は賠償しなければならない)と、社会的にルールを設定する(そんなことはやってはいけない)を示すことです。」と、大村教授がまとめてくださっていました。不法行為の損害賠償訴訟は、「やってはいけないこと」(工場の操業でも他人の農作物に被害を与えてはいけない)について社会的にルールを設定することにつながることが、小人数のセミナー方式の授業で実感できました。
 後半のステップ3は、その考え方の応用編と言える時間です。レポートその2をどうぞお楽しみに。

 

大村敦志『不法行為判例に学ぶ』(有斐閣 2011年) 
 参加者は本を購入する必要はなく、該当箇所のプリントが配布されています。
 大村・前掲 p.7~13
 大村・前掲p.40~41
 大村・前掲p.42~46

 

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