教科書を見るシリーズ 小学校編「道徳」(1)(学習指導要領)その1

 2018(平成30)年度から小学校の道徳で教科書が使用されるようになりました。道徳と法の関係を考えることは難しそうなイメージがありますが、法律専門家は道徳の教科書を見てどのように考えられるでしょうか。国語の教科書を見るシリーズでお話を伺いました弁護士の塩川泰子先生に、小学校6年生の道徳教科書についてコメントをいただきます。取り上げるのは、学習指導要領と、東京都で比較的採択の多かった東京書籍と光村図書の教科書です。今回は、道徳の学習指導要領を見ていきます。

――教科書を見る前に、まず学習指導要領から見たいと思います。道徳が特別の教科になりましたね。

塩川先生:そうですね、2015(平成27)年3月学校教育法施行規則と学習指導要領が改正され、道徳が特別の教科になりました。小学校では、もう今年、2018(平成30)年から全面施行されていますし、中学校でも、来年、2019年から全面施行予定です。
 道徳の時間は、2008(平成20)年学習指導要領改訂時に、「道徳教育の要」とされたものの、今回、初めて教科とされるに至って、年間35授業時数が必要(ただし、小学校1年生は34)とされることになりました。変更のきっかけとしては、2011(平成23)年にあった大津市中2いじめ自殺事件などからいじめ問題が改めて社会問題化したことが挙げられています。
 道徳の特別教科化は大きな変化ですから、道徳科をどうしたらいいのか、関心をもっている方も多いのではないでしょうか。

 

――本当にそう思います。まずは、目標部分からみていきたいと思います。道徳性を「自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤」と位置づけ、育成することが目標とされています。

〈小学校学習指導要領(平成27年3月一部改正)の道徳の目標について〉

【第1章 総則 第1 教育課程編成の一般方針 2(道徳教育の目標に関する部分)】
 道徳教育は、教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき、自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる道徳性を養うことを目標とする。
 道徳教育を進めるに当たっては、人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭、学校、その他社会における具体的な生活の中に生かし、豊かな心をもち、伝統と文化を尊重し、それらを育んできた我が国と郷土を愛し、個性豊かな文化の創造を図るとともに、平和で民主的な国家及び社会の形成者として、公共の精神を尊び、社会及び国家の発展に努め、他国を尊重し、国際社会の平和と発展や環境の保全に貢献し未来を拓く主体性のある日本人の育成に資することとなるよう特に留意しなければならない。
塩川先生:そこは注目ポイントだと思います。この前の学習指導要領では、「主体的な判断のもとに行動し」「自立した人間として」「他者とともに」などの言葉が入っていませんでした。当時も、変化が激しく複雑化する社会を前提として、社会において自立的に生きるために必要な力(「生きる力」)を育むことの重要性は指摘されていましたが、あくまでも知識基盤社会という側面が強調されていました。
 これに対して、今回の一部改訂に先立つ中央教育審議会では「知識・情報・技術をめぐる変化の早さが加速度的となり、情報化やグローバル化といった社会的変化が、人間の予測を超えて進展するようになってきている」と指摘されています。このような社会では、予測困難な変化に受け身で対処するのではなく、自ら未来を切り拓いていく力が必要になるだろうという考えから、主体性が全面に押し出されることとなったのです。
 司法制度改革時、事前規制社会から事後チェック社会への転換を図るにあたって、一人ひとりに、社会の担い手として主体性をもって生きる力を育もうと説いてきた法教育推進組としては、まさに理念を共有するところであると思います。

 

――「他者と共によりよく生きるため」という言葉は、法の目的と同じだと感じました。

塩川先生:そうですね。人は、他者とともに生きる社会的な生き物ですが、法哲学者H.L.A.ハートは、「社会あるところに法あり」と言っています。人は、他者と生きるうえで、価値観や立場が違ったり、またその結果、認識している事実が違ったりして、対立も避けられません。そういうときに、線引きをしてくれる「法」がどうしても必要になるのですね。道徳は、違いを認識して、可能な限り対立による傷つけ合いを回避しようとする努力であるのに対して、法は、対立の存在を前提とした安全弁という言い方ができるかもしれません。いずれも、他者と共によりよく生きるための工夫ですね。

 

――「特別の教科 道徳」の項目では、さらに詳しく獲得目標を書いていますね。

【第3章 特別の教科 道徳 第1 目標】
第1章総則の第1の2に示す道徳教育の目標に基づき、よりよく生きるための基盤となる道徳性を養うため、道徳的諸価値についての理解を基に、自己を見つめ、物事を多面的・多角的に考え、自己の生き方についての考えを深める学習を通して、道徳的な判断力、心情、実践意欲と態度を育てる。
塩川先生:はい、これも前回の学習指導要領と比べると、特徴が浮かび上がってきます。
 前回の学習指導要領でも、「道徳の時間」は存在したので、「道徳」の目標についての記載はあります。前回では、道徳的な心情、判断力、実践意欲と態度は挙げられていたのですが、「道徳的諸価値についての理解を基に」というのと、「物事を多面的・多角的に考え、自己の生き方についての考えを深める」というのは、新しい記述です。後者は、先に述べた自主性のお話ですので、ここでは、「道徳的諸価値」について取り上げたいと思います。

 

――「道徳的諸価値」ですか。教育においては、価値中立性が強調されることが多い印象ですが、「道徳的諸価値」というのは、どういったものなのでしょう。

塩川先生:確かに、「特定の価値観を児童に押し付けたり、主体性をもたずに言われるままに行動するよう指導したりすることは、道徳教育の目指す方向の対極にある」と学習指導要領解説でも指摘されています。

 

――「特定の価値観」を押し付けてはいけないけれども、「道徳的諸価値」についての理解を基にしなければいけないわけですね。

塩川先生:そうです。文面だけをみると、矛盾しているようにも思えますが、私たちの一般常識で考えても、当然といえば当然のことをいっているだけです。特定の価値観を押し付けてはいけないとはいっても、社会で生きていくうえで、たとえば「人を殺してはいけない」とか「むやみに人を傷つけてはいけない」など、コンセンサスのある道徳的価値というのは、存在しますね。

 

――それは、確かにそうですね。道徳的諸価値をもう少し具体的に示していただけるでしょうか。

塩川先生:学習指導要領解説は、「道徳的価値とは、よりよく生きるために必要とされるものであり、人間としての在り方や生き方の礎となるもの」といっています。
 …でも、まだ、抽象的ですよね。続けて解説は、道徳的価値の意義について、「人間としてよりよく生きる上で大切なことであると理解すること」、「道徳的価値は大切であってもなかなか実現することができない人間の弱さなども理解すること」、「道徳的価値を実現したり、実現できなかったりする場合の感じ方、考え方は一つではない、多様であるということを前提として理解すること」を強調しています。
 価値を理解せよといっているわりには、価値がこれだということをはっきりいってくれないというフラストレーションを感じられる方も多いでしょう。

 

――そうですねえ。結局、道徳的価値も多様だということでしょうか。

塩川先生:そうですね。物事を多面的・多角的に考えるのは、とても大切です。報道されたことでご存知の方も多いかもしれませんが、「星野君の二塁打」という教材では、監督のバント指示に従わずに二塁打を打った星野君を断罪する監督が出てきます。結果オーライではなく、全体の規律を大切にすることが必要な場面も人生ではあると思いますが、それはあくまで一つの価値観であって、すべての場面に妥当するわけではないでしょう。この教材自体は、全体の規律を大切にすることを訴えかける内容のようにみえますが、いろんな読み方をして、いろんな考え方を共有するのも、道徳の在り方として大切であろうと思います。全体の規律を強調する価値観は、比較的、日本では受け入れられやすいと思われますが、そのような価値観があまり強調されない国・文化で育った子どももいます。この教材でいえば、全体の規律を大切にする価値観、すなわち、なぜ監督は指示に従わないことを叱ったのかなどを考えることに意味があるのであって、全体の規律を絶対的な価値ととらえるべきではありません。
 学習指導要領解説も、道徳性を養うには、「多様な価値観の存在を前提にして、他者と対話したり協働したりしながら、物事を多面的・多角的に考えることが求められる」としています。今回の学習指導要領改訂前夜の中教審答申でも、社会背景として、グローバル化による多様性が言及されています。そもそも、人には個性があり、多様な価値観や環境がありうるわけですが、グローバル化によって、多様性に拍車がかかっている現代で、多面的・多角的な考え方の大切さは、法教育が長年訴えてきた事柄でもあります。学習指導要領解説が例示する「二項対立の物事を取り扱う」ことで多面的・多角的考え方をできるようにする指導というのは、典型的な法教育の在り方です。
 せっかくですので指摘しておくと、「二項対立」というよりは、「議論のある物事」という表現の方がよいと思いますけどね。

 

――やはり、「価値」というのは難しいのですね。

塩川先生:一方で、教育の分野では珍しく「価値」というものに踏み込んでいるものがあります。人権とは、すべての人間が、人間の尊厳に基づいて持っている固有の権利を意味しますが、この人権については、価値というものに踏み込んでいるのです。
 1999(平成11)年人権擁護推進審議会答申で、学校教育では人権に関する知識だけでなく、「日常生活の中で人権上問題のあるような出来事に接した際に、直感的にその出来事はおかしいと思う感性」や、「日常生活において人権への配慮がその態度や行動に現れるような人権感覚」を育む必要があるとされ、人権教育・啓発法が制定されました。「直感的におかしい」とか、「感覚」という言葉を教育の分野で使うことは珍しい感じがしますよね。それでも、人権教育については、あえてこの言葉が使われているのです。
 この人権教育法を受けて作成された「人権教育の指導方法等の在り方について」は、第3次とりまとめまで存在しますが、第2次とりまとめ以降、人権感覚とは、「人権の価値やその重要性にかんがみ、人権が擁護され、実現されている状態を感知して、これを望ましいものと感じ、反対に、これが侵害されている状態を感知して、それを許せないとするような、価値志向的な感覚」だと明記されています。

 

――「価値志向的な感覚」ですか。

塩川先生:そうです。志向とは、広辞苑によれば、「心が一定の目標に向かって働くこと。こころざし向かうこと」とされています。人権というものに関しては、一定の目標にむかっていく感覚を養おうという目標がはっきり示されているのです。こういった方針の下、政府は、府省庁間の連携を図りながら、国民に対する人権教育・啓発活動を推進しています。

 

――いわれてみれば、人権については、「価値」としてコンセンサスがあるというのは自然な解釈ですね。人であれば当然に守られてしかるべき権利を尊重するということは、当然、道徳にもかないますもんね。

塩川先生:はい、学習指導要領の中にも「人間尊重の精神」であるとか、差別・偏見の排除などが出てきます。人権に引き直せば、基本的人権の尊重や法の下の平等の話といえます。
 学習指導要領では、解説も含めて道徳的価値の中身について単純な解を避けていることが読み取れ、そしてそれは価値観の多様性を理解するうえで非常に重要な努力ですが、こういった人権感覚というのは、直感的に共有されていかなければならない、最低限のコンセンサスとして取り扱ってよいでしょう。

 

――なるほど、何か一つの価値観を絶対的なものととらえるのは危険だけれども、人権という侵すべからざるものに対する信念がゆらいではいけないですものね。
 少し長くなりましたので、道徳教育の内容については、その2で検討したいと思います。

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