教科書を見るシリーズ 小学校編「道徳」(2)その1

〈『新しい道徳 6』東京書籍 2018年について〉

 今回は、東京書籍の小学6年生の道徳の教科書『新しい道徳 6』を見ていきます。
教科書を一緒に見ていただくのは、このシリーズでおなじみの弁護士の塩川泰子先生です。今回から、聞き手は、塩川先生と同じ第二東京弁護士会「法教育の普及・推進に関する委員会」の星野泰志先生にお願いしました。

 東京書籍の『新しい道徳 6』には、掲載されている題材の一覧として、目次のほかに、「これから一年間で学ぶこと」(p.2)というタイトルで、題材を学習指導要領にある4つのカテゴリー(「自分自身を見つめて」「人とつながって」「社会とつながって」「生命、自然、大いなるもの」)に分け、さらに、カテゴリー内でも、サブカテゴリーに分けた題材一覧を掲載しています。カテゴリーの順序、カテゴリーの中のサブカテゴリーの順序は学習指導要領に掲載された順序となっています。

星野先生:「これから一年間で学ぶこと」を見ると、題材と学習指導要領に挙げられているカテゴリーのどこにあてはまるかがよくわかりますね。「社会につながって」に法に関わる題材があるということですね。

塩川先生:そうですね。ただ、「社会とつながって」のカテゴリーには分類されていない題材でも「法」を考える題材があると思います。

星野先生:どの題材がそうでしょうか?

塩川先生:やはり、道徳というのは、ものの考え方の基本となる側面がありますから、「法」の前提となる価値観を考えさせるという意味ではすべて「法」を考えるということに通じるかなと思います。まず、最初に「道徳の学習を進めるために」という項目で「気づく」「考える・話し合う」「ふり返る・見つめる」「生かす」というステップを説明しているところにも注目したいところです。道徳というと、善悪をわきまえて正しく行動するために守り従わねばならない規範といった語義であるため、正しく「理解すること」「感じること」を想起しがちですが、道徳においても「気づく」というプロセスから始まって、「考え話し合う」ことでいろいろな見方、考え方、感じ方に触れ、「ふり返り」をして学びを「生かす」というサイクルが明記されているのは、前回の教科書を見るシリーズ「「道徳」(1)その1」でも触れた主体性を強調する新学習指導要領の特徴が意識されているように思います。

星野先生:確かに、話し合いによって、よりよい合意を探し出す練習である法教育は、気づくところから、気づいたものを生かすプロセスを体験してもらうわけですから、すべてにかかわってきますね。ただ、すべてを解説するのは現実的ではないので、いくつか重点的にピックアップしていきたいと思います。「社会につながって」以外の項目で気になったものはありますか?

塩川先生:「人とつながって」の項目にある「車いすでの経験から」(p.40)など、不自由なく歩けるということを当たり前のように考えている人が、それが当たり前ではないことを経験したエピソードを通して、立場の互換性を考えさせる文章ですが、これは人権感覚を育てる一つのきっかけなのではないかなと思います。

星野先生:確かにそうですね。「人権教育」と名の付くものだけではなく、いろいろな場面が人権教育・啓発推進法の目標としている人権感覚につながっていくわけですね。人権教育の指導方法等の在り方について[第三次とりまとめ]でも触れられている「隠れたカリキュラム」の考え方からすると、特定の単元や特定の科目だけではなく、学校生活全体を通じて身につけていける環境づくりが大切なのは、当然かもしれません。

塩川先生:そうそう。それから、よくある道徳の誤用ともいうべき言説としては、「人の迷惑になるから」と過度に抑制的になることがありますが、この教科書では「なりたい自分に」という小項目をもうけて「心をつなぐ音色~ピアニスト 辻井伸行」(p.84)、「夢」(p.156)という2種類の文章も載せています。このように、各人が「なりたい自分」になろうとすることも大切なのだというメッセージもあわせて読み込みたいですね。

星野先生:法律家的にいうと、幸福追求権ですね。

塩川先生:こういうふうに漢字でものをいうから嫌われてしまうのかもしれませんが(笑)

星野先生:それから「修学旅行の夜」(p.76)は「自分自身を見つめて」に分類されている題材ですが、消灯時間という「きまり」の意味を考える題材になっています。「きまり」も法の一つということで、われわれにコメントが求められるところかと思います。法教育的に、ここで考えるべきは、修学旅行のときの消灯時間のきまりがあるのは、なぜかということでしょうか。

塩川先生:はい。なぜだと思いますか?

星野先生:修学旅行の夜の消灯時間は、周りの人が眠るのを妨げたり、話に夢中になって自分が寝られなくなってしまったりして、翌日の旅行に支障が生じるのを防ぐためではないでしょうか。

塩川先生:大体そんなところだと思います。

星野先生:そうすると、周りの人が眠る邪魔にならない声の大きさで、話にも夢中にならずに話すのを切り上げれば、消灯時間の後に話しても、翌日の旅行に支障が出ないので、消灯時間を守らなくても良いということになりませんか。

塩川先生:いいですねぇ、法教育的まぜっかえし(笑)。ルールの趣旨から考えることで、逆に言い逃れを見つけられるのではないかというアプローチですね。しかし、大人はともかく、小学生が、修学旅行の夜に、声の大きさを考えたり、翌日のことを考えて、適度なところで話を切り上げたりするのは難しいのではないでしょうか。それに、自分の声が大きいか小さいかは、周りの人から判断されるべきではないでしょうか。

星野先生:なるほど。どんなに自分では気をつけていても、寝ている人にとっては、小さな話し声も騒音になりかねないということですね。このルールの意義を正しく理解していれば、その視点に気づけそうです。

塩川先生:消灯時間がある理由を考えると、自分以外の人のことを思いやり、きまりを守ろうという発想につながりますね。学習指導要領が「12 規則の尊重」において指摘する「法やきまりの意義を理解したうえで、それらを進んで守る」という内容項目にもつながってきます。

星野先生:きまりの意義を理解したうえで、主体的に守ることが大切だということですね。これが、たとえば具合が悪くて先生を呼んでほしいときに小さい声でまだ起きている友達に声をかけるというシチュエーションなら、例外は認められそうです。ルールの意義を理解したうえで、ルールの意義を没却してしまうような行為なのか、ルールの意義を超えた必要性があるのかという本質的な問いから考えられるようになるといいですね。

塩川先生:まさに。弁護士っぽく、固い表現をすれば、そういうことになります。

星野先生:同じくルールを取り扱っている「携帯電話とのつきあい方」(p.180)についてもざっとみてみましょうか。この題材は、「子どもの自宅での携帯電話の使用を制限するべきか」という問題について、賛成する保護者と、反対する保護者のそれぞれの意見が示され、次に、「子どもの携帯電話でのインターネットの利用を制限するべきか」という問題について、賛成する保護者と反対する保護者の意見が示されています。異なる立場の意見を示し、子どもたちに議論させることが明確にされていますね。

塩川先生:携帯電話をめぐる2つの意見について議論させようという、オーソドックスな法教育的教材ですね。

星野先生:親や教師の立場からすると、小学生の携帯電話の使用については、制限をかけて当然のようにも思えるのですが、いかがでしょうか。

塩川先生:まあ、結論を直感的に言ってしまうとそう感じる大人が多いと思うのですが、道徳の授業は、一つの価値観を押し付けるものではありません。だからこそ、このように違う意見とその理由に接してみることで、本質から考える練習をすることが必要なのではないでしょうか。実際、この教材をよく読んでみると、どちらの立場も、無制限に使うと弊害が生じるということは認めています。だからルールをつくるという意見と、だから問題が生じたときによく話し合って弊害が出ないように自分で律するようにするという意見に分かれているわけです。2人の意見の分かれ目は、自分で携帯電話の使用を律することができるかどうかですね。

星野先生:意見が分かれているときに、突き詰めるとどういった差なのかを整理するというのは、法教育授業において、常に意識されるべきところですね。ただ、小学生が自らを律して携帯電話を使用できるかというと、ちょっと疑問が…

塩川先生:そう感じる人が多数派かもしれませんね。でも、小学生が自らを律することができないという前提自体が、価値観の押し付けかもしれませんよ。ルールを決めることに反対派の保護者によると、使い過ぎで寝坊したり、成績が下がったりしたことはあったそうですが、そのときに話し合った結果、本人も失敗を深く反省してどうすればいいのかを考え、自分で生活を規則正しく守りながら携帯電話を使っているということだそうです。教科書の架空事例ではありますが、ありえないことではないでしょう。

星野先生:確かに授業者が先入観をもって議論をさせてしまってはいけないですね。リアリティがないと思ったとしても、じゃあ、どうしたらリアリティがある形にできるかとか、なんでもルールにして対応しきれるのかとか、具体的に想像していくことが大切ですね。

次回の<その2>につづきます。

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