教科書を見るシリーズ 小学校編「国語」(2)第3学年

 前回の「教科書を見るシリーズ 小学校編『国語』(1)」では学習指導要領を見て、国語科の目標と法教育の関係を検討しました。今回から、首都圏で比較的多く採択されている光村図書と教育出版の教科書について見ていきます。引き続き一緒に見て下さるのは、弁護士の塩川泰子先生です。まずは、第3学年上下巻を取り上げます。

〈『国語 三上 わかば』光村図書(2013年)より〉

【きちんと伝えるために】(p.34~35)
・4コマ漫画が示されており、犬を連れた少女が歩いている様子を見た女の子が二人、会話をしています。会話の内容が問題となり、女の子の一人が、「あっ、かわいい。」と言ったのは、犬についてだったのか、少女の洋服についてだったのかが問われるものです。次のような問いかけがされています。
「どうして、話が食いちがってしまったのでしょうか。」
「かおりさんと友だちは、それぞれどのように言えばよかったのでしょうか。」
・もう一つ4コマ漫画があり、2階の部屋で勉強をしているひろしさんを、階下のお母さんが呼ぶ設定です。お母さんは、「ひろし、ちょっとおいで。」ひろしさんは、もう少しで終わりそうと思いながら、「はあい、すぐ行くよ。」と返事をします。しかし行くまでに10分かかり、10分後、「お母さん、何の用事かなあ。」と思いながら階段を下りていくと、アイスクリームがとけているのです。
 「ひろしさんとお母さんは、それぞれどのように言えばよかったのでしょうか。」という問いかけがされています。さらに、「言いたいことがうまく伝わらなかった」自分の体験を振り返り、「どんなことがあったか、どう言えばよかったかを、友だちと話しましょう。」と続きます。

――この教材には、「相手にきちんと伝えるために、落としてはいけないことは何かを考える」という目的が示されています。国語の学習としては、主語を明確にすることや、伝えたいことの目的や理由を合わせて述べることが主眼だと思います。法教育の視点からは、この2つの漫画は共に「紛争」の元になりそうな場面であると見ることができると思います。国語で「自分の真意を正確に伝える」学習をすることが、そのまま「紛争の予防」につながると感じられます。45分間の授業全てを法教育に費やすのではなく、国語のような教科で10分でも法教育の視点に立つ時間を取ることを考えることはいかがですか?

塩川先生:そうですね。ご指摘のとおり、自分の真意を正確に伝える能力は、まさに紛争の予防につながりますし、紛争が生じた後でも、よりよい解決をするうえでも役立ちますね。ですから、自分の真意を正確に伝える学習をすることをもって、十分、法教育的側面をもっているといえるでしょう。「法教育をやるぞ」なんて肩ひじをはる必要はないかもしれません。
  あえていうとしたら、これが、紛争の予防など、社会に出て役立つということを生徒に意識させること、でしょうか。学校での勉強が社会に出て役立つことだと実感できた方が、生徒はやる気が出るでしょう。
  前回、法教育は、社会で起こるいろんな問題を主体的に解決する力を養うためのものという言い方をしましたが、法教育研究会報告書でも、そのための手法として、実感をもって理解するということが強調されています。

 

【わたしたちの学校行事】(p.108~115)
 ここでは「話し合って決めよう」というテーマで、「ちいきの人たちをしょうたいした交流会で、学校行事についてのせつめいをする」方法を話し合う内容です。

――問題解決のために話し合う法教育とは、性格が違うようですね。3年生という発達段階では、まずは話し合いのやり方を知ることに重点が置かれているのではないかと思います。初歩的な話し合い技能を身に付けるのに向いた法教育教材はあるでしょうか?

塩川先生:確かに、現存する法教育教材は、何らかの問題が生じているものが多いですね。それは単に、獲得目標に適切な問題の例を考えるのは大変で、事前に教材として準備しておく必要性が高いためではないでしょうか。話し合いのやり方を学ぶための教材は、それこそ学校の先生方がよくご存じのとおり、日常のそこここに落ちていると思いますよ。
 ご紹介いただいた教材は、「ちいき交流会」ということで、日ごろ、一緒に生活しているお友だち以外と話し合う場面を考えさせるもので、あえて「ちゃんとしなくちゃ」という意識をもたせる効果がありそうです。でも、校内での行事でも、基本は同じはずです。
 たとえば、リクリエーション係というものがあったとして、係の人が「次回のリクリエーションはこんなふうにやる予定です」と他の生徒に説明する場面。リクリエーション係は、係の人たち同士で話し合いをします。これ自体も話し合いの訓練ですね。それから、係以外の人たちに説明することになりますが、係の人たちは、それまでにいろんなことを話し合っているので、行事の内容をよく理解しています。これに対して、係以外の人たちは話し合いの経緯を知りませんから、経緯を知らない係以外の人たちに意図をよくわかってもらう努力が必要になります。これは、説明する訓練になりますよね。反対に、係以外の人たちは、リクリエーション係がいっている内容をよく理解しなければいけませんし、説明で分からないことがあったら質問する必要があります。さらにいえば、もっと良くする提案があったらその提案をすることもあり得ます。こう考えていくと、係の人以外も建設的な話し合いの仕方の訓練をすることになるわけです。これは、リクリエーション係以外でも同じですよね。

 

〈『国語 三下 あおぞら』光村図書(2012年)より〉

【ちいちゃんのかげおくり】(p.4~22)
 「かげおくり」は、ちいちゃんのお父さんが出征する前の日に教えてくれた遊びです。お父さんが戦争に行った後、ちいちゃんは兄とかげおくりをして遊ぶようになりました。
 夏のはじめのある夜の空襲で、ちいちゃんの家は焼け、お母さんと兄の行方が分からなくなり、ちいちゃんは独りぼっちになりました。壊れかかった防空壕の中で、ちいちゃんは誰にも助けてもらえないまま死んでしまいました。

――この単元の目的は、「場面の移り変わりをとらえて、物語の感想をまとめよう」と書かれています。感想を書くについては、戦争をどう考えるかが主題に関わる重要な点だと思います。3年生という段階では、戦争の意味を「父親が戦争に行く」「家が焼ける」「火から逃げる」「家族と離ればなれになる」「子どもが死ぬ」という、子どもにもわかりやすい身近な場面としてとらえさせようとしていると思います。国語の感想としては、それらについてどう感じたかを書くことになるのでしょう。
 ひるがえって、小学校社会科で戦争の学習をするのは、6年生の歴史においてです。歴史で戦争を扱う場合、この国語の教材のように身近な場面を想像する機会は少ないのではないかと思います。せっかく3年生が戦争の意味を身近に感じる機会なのですから、「紛争の解決」の手段としての戦争の意味についても、少し考えるというのはどうでしょうか?学習指導要領の範囲を超えるとは思いますが。

塩川先生:なるほど、これは考えさせるご提案ですね!
確かに、社会の授業では「戦争」が用語として扱われますが、国語ではその実態をリアルに想像させ、感じさせるという違いがあるように思います。この授業で感じたことは、そのときそれで終わるのではなく、今後、戦争というものを考えるときに思い出して、考える基礎になるんだということを一言添えるだけでも、非常に意味があるのではないでしょうか。
 先ほどもいいましたように、法教育では、実感というものを大切に考えています。実感し、主体的に考えられる市民に育成するためには、ある国語の授業で学んだことが社会につながっているんだよ、と伝えることが非常に大事だと思います。
これは、扱うテーマが戦争ではなく、別の社会問題だったとしても一緒ですね。

 

【しりょうから分かったことを発表しよう】(p.83~86)
 小学生に人気があるスポーツは何かについて、アンケートを資料として気がついたことや考えたことを発表する内容です。p.85には、「しりょうの名前と、いつ、だれが、なんのために作成したものかなどを明らかにする。」という注意書きがあります。

 

【本で調べて、ほうこくしよう】(p.88~95)
 p.93の〈ほうこく書の型〉という欄の最後に、使った本の「題名・筆者名・出版社・発行された年を書く。」と書かれています。

――資料や本から分かったことをもとに発表・報告する単元が2つ続いていますが、共通することとして、使った資料や本を明らかにすることが示されています。このことは、著作権保護や科学的なものの考え方などを身に付けるための、最初の重要な機会だと思います。法教育教材として、見過ごせないということはありませんか?

塩川先生:そうですね。ここまでは、伝える・話し合う・感じるというプロセスの学習でしたが、この単元では、より一層、技術として意識した学習になりますね。
 まず、科学的なものの考え方についてですが、科学的なものの考え方は、問題の予防・解決を目標とした話し合いにおいて、必要不可欠です。もう一方の著作権保護の観点も、鋭いご指摘ですね。
 なぜ、使った資料や本を明らかにするのかというと、まず、情報の正確さを検証できるようにという意味が考えられますね。これは、話し合いの技術として重要な意味をもちます。ただ、それだけではなく、人の言葉を拝借するときに、引用という形をとることで、著作権を害さないように配慮している面もあるわけですね。なぜ著作権を保護しなければならないのか、なぜ引用は許されるのか、ちょっと小学生には難しい内容が、その背後にはあるわけですが、一言、そのような視点を紹介しておくことには意味があるかもしれません。

 

〈『ひろがる言葉』小学国語3上 教育出版(2013年)より〉

【調べたことをほうこくしよう】(p.50~55)
 ここではスーパーマーケットを見学したことを報告文にまとめる学習をします。

――第3・4学年の社会科では、働く人やお店の人の仕事について学習する単元があり、スーパーマーケットもよく取り上げられる題材です。せっかく国語でこの題材が取り上げられているのですから、実施時期を考えながら社会科と国語で連携する機会になると思います。「知りたいこと」「質問したいこと」という項目を考える際、法教育の視点から先生がアドバイスするとしたら、どんなことが挙げられるでしょうか?

塩川先生:話し合いをするとき、自分の真意を伝えることも大事ですが、必要な情報を的確に得ることも、同じくらい重要ですよね。この授業では、自分が何を知りたいかを明確にして、その情報をいかにして獲得するかを訓練することになります。それは、やはり、上手な話し合いにつながっていきますし、何か物事を判断するときにも役立ちます。究極的には紛争の予防などにも役立つと思いますよ。
 言ってしまえば当たり前のことなんですが、ここでも、この授業がそういう意味をもつんだということを意識させてあげることは大事だと思います。

 

【インタビューをしよう】(p.56~57)
 これは【調べたことをほうこくしよう】の補足としてのページですが、ここには「写真をとったり、録音したりしてよいか。」相手の都合をきくようにと書かれています。「聞きとりメモをとろう」のところには、「自分の感想や考えも書いておく。」とあります。

――なぜ、写真を撮ったり録音したりするのに相手の許可が必要なのか、説明することは法教育につながりませんか?
  また、自分の感想などと相手の話したことを区別できるように書く注意は、大事ではないでしょうか。誰が言ったり考えたりしたことなのかは、事実は何かを考えなければならないときに重要になります。ちょっと脱線といって、専門家からのアドバイスをするとしたらいかがでしょうか?

塩川先生:自分の感想などと相手の話したことを区別することが大事というのは、まさにその通りです。
 自分の意見をインタビューした相手の話に混ぜて書いてしまったら、報告を聞く人からすると、インタビューした相手があなたと同意見のように聞こえるかもしれません。しかし、実際には、それは元からあなたの意見に過ぎず、インタビューした相手は何とも言っていないわけです。これは、聞き手の側からも警戒すべきことですが、このような形で、情報を誤って伝えてしまうと、判断を誤らされる危険があります。契約をするとき、選挙権を行使するとき、政策を決めるときなど、ありとあらゆる場面で、その判断の前提となる事実・情報が誤っているということは危険なことです。
 それから、写真を撮ったり録音したりするのに、相手の許可をとる必要があるかという点ですが、プライバシー権という権利を意識させるきっかけになると思います。実際には、オープンな場所での会話など、本人がプライバシー権の保護を求めていないと認められる場合もありますが、プライバシー権というものがあって、放棄されているかどうか、よくわからない場合には、確認した方がよいといえます。

 

【学校生活に生かす話し合いをしよう】(p.72~77)
 学級の日頃の係の仕事について、もっと楽しくなる活動を考えるために話し合いをする様子が紹介されています。

――光村図書の【わたしたちの学校行事】という話し合いの例と同様、初歩的な話し合いの方法を学ぶことが目的になっているようです。塩川先生には、【わたしたちの学校行事】のところで話し合い活動について詳しくコメントいただきました。そのまま当てはまるということでいいでしょうか?

塩川先生:はい、先ほど述べた通りです。

 

〈『ひろがる言葉』小学国語3下 教育出版(2013年)より〉

【くらしと絵文字】(p.12~19)
 横断歩道の歩行者用信号、お店の看板、電気製品の絵文字など、身の周りにある絵文字の例を挙げ、たくさんの絵文字が使われている理由を、その特徴から考えます。特徴は3つ挙げられ、見た瞬間に意味が分かること、伝える相手に親しみや楽しさを感じさせること、意味が言葉や年齢を超えてわかることです。これからの私たちの暮らしが、外国との交流を抜きにしては成り立たないことから、絵文字のデザインに関する国際協力の動きも進んでおり、絵文字が世界中の人々の相互理解と関係の深化に役立つという内容です。

――社会科3・4年の教科書に、絵地図の記号を作ってみる作業が紹介されているものがありました。地図記号も、まさに言葉や年齢を超えた「共通のコミュニケーションツールであり、絵文字や地図記号を作り出すことは、共通のルールをみんなでつくることにつながる」と考えられます注1。国際理解にまで広がりをもつテーマとして、興味深いと思いますが、いかがですか?

塩川先生:本当ですね。小学校の教科書は、これほどまでに奥深いものだったのかと、今更ながら思わされます。(笑)
 まず、このような共通のルールを作るのは何のためかと考えること自体が、とても大切です。この教材で取り上げられているルールは、地図記号ですが、この地図記号って、どう決めたっていいわけですよね。たとえば「止まれ」が黒字に赤であることに、必然性はありません。より直感的にわかりやすいものが望ましいですが、何が最も直感的にわかりやすいかは一義的に決まるものではありません。それでも、一定のルールがあるからこそ、誰でも記号を見て判断できるようになって、交通に混乱が生じない。ルールっていうのは、そんなふうに役立ったりするわけです。
 そして、国際化が進んできた現代では、そういったルールを共通化した方が便利な場面が増えてくるわけですよね。そのために、国際協力の動きが進んできたという教科書の指摘は、現代社会の動きを正確に表していると思います。

 

【のらねこ】(p.52~65)
 リョウは、庭に入ってきた野良猫をかわいがりたくて、猫の警戒心を解こうと工夫します。なぜ野良猫の警戒心が強いのか理由を推し量り、かわいがるとはどういうことか猫に説明します。それでも、近寄られるだけで怖がる野良猫に、お互いが前足だけ伸ばしてそっと触るという案を示し、ついに猫に触ることに成功します。

――この男の子と野良猫の場面は、いわば対立を合意へ持っていくためのプロセスを描いていると思いました。リョウが猫の立場になって考えているのは、自分の「手」を「前足」と言っていることからわかります。これは5分で法教育、という機会になりませんか?

塩川先生:いいですね。そう、法教育って、本当に5分、心を向けるだけで十分意味があると思うんですよね。
 この教材で、リョウと猫は、最初、希望がすれ違っています。リョウは猫をかわいがりたい、猫はリョウに近寄られたくない。最終的に猫はリョウにかわいがられて喜びますが、リョウが最初っから猫の気持ちを無視してかわいがろうとしていたら、猫はリョウをひっかいて終わりだったでしょう。
 最初に希望がすれ違っていることを察知して、真意を伝え、相手の気持ちを理解しようとしながら話し合いを続けたからこそ、ウィンウィンの関係で終われたわけですよね。これは、大人になっても難しいことですけどね。だからこそ、こどものときから繰り返し考えることが大事なのだと思います。

 

 

注1:

 

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