教科書を見るシリーズ 小学校編「国語」(4)第5学年 前半

 国語教科書を見る本編も第5学年まで進んできました。これまで同様、採択の多い2社の教科書についてとりあげます。光村図書の教科書は第5学年からは上下巻に分かれていませんので、今回はおおむね前半を、教育出版の教科書については上巻だけを取り上げます。引き続き、弁護士の塩川泰子先生に一緒に見ていただきます。

〈『国語 五 銀河』光村図書(2014年)前半(p.125まで)より〉

【のどがかわいた】(p.16~26)
 この学習の目的は、p.26の「たいせつ」というコラムに解説されていますが、人物像と人物同士の関わり合いに気をつけて読むこととされています。そして、物語の中の人間関係を理解することで、現実世界での人間理解を深め、自分の見方・考え方を作っていくと述べられています。

――「のどがかわいた」を読んで、人間理解についてどのような見方・考え方を作っていけばいいのかは、子ども自身に任されているように思えます。人物同士の関わりに目を向けると、前半のエルダッドと殴り合いをしてしまう場面について、どのように自分の見方・考え方を作るかに法教育の出番があるように思えますが、いかがでしょうか?

塩川先生:多くの先生は、「のどがかわいた」のように解釈の幅がある物語と法教育をつなげて考えないのではないでしょうか。実際、この授業をする上で「法教育をやるぞ」と意気込む必要はないと思います。
 が、ご指摘の「たいせつ」というコラムに「現実世界の人間と同じように、一人一人違う性格をもち、話したり行動したりする」と書いてあることがヒントになりますね。
 この物語の主人公は、わかりあえない相手・エルダッドと、殴り合いをして、不快感を解決しようとしてしまいます。しかし、後半、それまで何を考えているかわからなかったミッキーとは感覚を共有して、ミッキーとの関係性にちょっとした変化が起きるんですね。
 このように、ひとは、分かり合えない相手とはギザギザした関係をつくり、感覚を共有できた相手には好感をもつのだろうと思います。でも、現実世界では、一人一人違う性格をもち、話したり行動したりするもので、全員とわかりあえるとは限らない。この物語でいうと、主人公は、エルダッドとの関係について、特によい解決策をみつけたわけではない。でも、「こういうこと、あるなー」と思いをはせること自体が、法教育の観点からも役に立つと思います。
 弁護士をしていて痛感することですが、現実世界には本当にいろいろな感性をもつ人がいます。しかも、そのどれかが絶対的に正しいとか、絶対的に間違っているというようなことでもない。一人一人違う性格をもっているということを認識することは、何か決め事をする際、話し合いをする際、大前提になります。話し合いをする授業などで、これまで授業で扱った教材の登場人物を振り返って「一人一人性格は違ったりするから、みんながあなたと同じ考えとは限らないよ」と言って、他の人の意見を聞く姿勢づくりに役立てることができるかもしれませんね。
 こういった形で、法教育が、日ごろの授業に、自然に溶けこんでいくといいなあと思います。

 

――国語は、あらゆる教育の土台になるので、無理に法教育の授業としなくてもいいのかもしれませんね。この教材では、殴り合いと理解し合う場面が出てきたので、法教育とのつながりを感じましたが、まずは法教育の下地となる「他の人の意見を聞く姿勢づくり」に役立てばいいと考えると確かに自然です。

【百年後のふるさとを守る】(p.60~71)
 安政時代、広村出身の儀兵衛は大きな醤油屋の店主でした。広村が大津波に遭い、生計の道が失われたとき、村を捨てようとする人が続出しました。儀兵衛は村人に希望と気力を取り戻してもらうにはどうすればいいか考え、自費で堤防事業をおこすことにより、防災事業と住民の生活援助を合わせて行いました。事業は、村人の自助共助の意識をも培いました。それは、百年後の子孫のためになる長期計画の有効性も証明しました。

――p.71には伝記の特色が説明されていますが、「筆者がその人物の業績をどのように意味づけているか」を読み取ることも1つのポイントとされています。儀兵衛の業績からは、自助共助の意識やみんなの幸福、社会参加といったことについての考えが深められそうに思います。学習の目的は、「伝記を読んで、自分の生き方について考えよう」となっているので、国語の目的が法教育の目的と重なる部分が多い教材ではないかと感じました。

塩川先生:このお話も、「教科書を見るシリーズ 小学校編「国語」(3)第4学年 その2」で取り上げた光村図書の【谷間にかかったにじの橋】同様、「みんなのため」という視点を学べる教材ですね。
 法教育という言葉からすると、自分の権利を実現するための能力、たとえばディベートで自分の主張を通す能力の訓練などの方がイメージしやすいかもしれませんが、人は社会の中で生きる生き物ですから、助け合うこともまた暮らしやすい環境をつくることにつながります。教科書の中に「他のものにたよるのではない、自助の意識と共助の意識である。」という表現が出てきます。まさに、明日の社会の担い手として、噛みしめてもらいたい一言ではないでしょうか。

 

【インターネットを使って調べる】(p.97)
 インターネットを使って情報を検索することが紹介されています。「利用するときは、『だれが、いつ発信したものか』『信用できる情報か』ということを確認しましょう。」という注意が書かれています。文章や写真をコピーしたり引用したりするときの注意点も示されています。

――1ページだけの短い教材ですが、構成としてはp.91からの「自分の考えをまとめて、討論をしよう」という単元の一部をなしています。

塩川先生:「自分の考えをまとめて、討論をしよう」という単元全体が、法教育に関係しますね。自分の考えをまとめて討論するというのは、何か決め事をするときやもめ事を解決するときの基本です。
 「討論」というと、討論に勝つために子どもたちもがんばることでしょう。でも、この単元に出てくるとおり、「勝つ」と意識するより、豊かな言葉で自分の主張を相手の心に届けることが大切ではないでしょうか。そして、伝える前提としては、そのテーマについてきちんと調べて、説得力ある根拠をもつことも大切ですね。

 

――討論のテーマとして、インターネット使用の際の注意点を取り上げるというのは、法教育の教材としていかがですか?

塩川先生:インターネット使用の際の注意点を討論するというのは、意欲的な授業ですね!インターネットは、非常に便利な反面、接し方が難しいこともたくさんあります。便利な点と気を付けた方がいい点をみんなに発言してもらっていって、クラスの「インターネットの使い方ルール」みたいなものを作成できたら素晴らしいですね。

 

――p.97では、〔1〕だれが、いつ発信したものか、〔2〕信用できる情報か、〔3〕ホームページに公開されている文章や写真をコピーして使いたいときには、使用してよいものかどうかなどの注意点が書かれています。
 インターネットについては、先生方も教え方に苦慮するところだと思いますが、何かアドバイスはありますか?

塩川先生:確かに難しいポイントですよね。教科書は、多様な問題をすごく簡潔にまとめてくれているんだなーと感心します。〔1〕〔2〕がセット、〔3〕がちょっと違うお話ですね。

 

――確かに、分けて理解した方がよさそうですね。まず、〔1〕〔2〕セットはどうでしょうか?

塩川先生:〔2〕信用できる情報かというのは、とっても難しい問題ですよね。われわれ大人であっても、判断に迷うことなんてたくさんあります。どうやって判断したらいいかなんて、絶対解はない。
 後から出てくる教育出版p.133では、光村図書よりはっきり書かれていますが、「ホームページは、だれでも自由に作れるので誤った情報や不確実な情報が書き込まれていることもある」というのが、インターネットで特に注意すべき点ですね。
 〔2〕信用できる情報かというのは、とても難しい問題なのですが、その判断の1つのヒントとして、〔1〕「だれが」「いつ」発信したものかという視点が考えられます。
「だれが」という問題でいうと、インターネットの匿名掲示板に書き連ねられているものと、公官庁のホームページなどでは、どっちが信用できそうか、なんでそちらが信用できそうだと思ったかを聞いてみると面白いかもしれません。
 「いつ」という問題でいうと、古い情報は、今でも意味のある情報なのか、考える必要がありそうですね。
 それから、教育出版の方で書かれていますが、「複数のホームページを見たり、本などのほかの資料と比べたりして、内容を確かめ」るというのも、有効な方法でしょう。

 

――〔3〕ホームページに公開されている文章や写真をコピーして使いたいときには、使用してよいものかどうかという点は、どうでしょうか。

塩川先生:〔3〕は、〔1〕〔2〕セットみたいに情報の信頼性の話ではなく、著作権という他人の権利を害さないかという問題ですね。
 これは、本や新聞などでも同様に問題になりえますが、インターネットの場合、コピーが気軽にできて、意識が薄くなりがちかもしれません。

 

――確かに、インターネットに限った問題ではないですね。
ときどき、引用など著作権の話が出てきますが、学校の先生方は、著作権に苦手意識がある方もいらっしゃると思うので、簡単に解説してもらえますか?

塩川先生:まず、著作物には著作権というものがあります。大ざっぱにいうと、自分の書いたもの、作ったものを勝手にコピーされたり、書き換えられたりしない権利ですね。教科書で説明されている「文章」も「写真」も著作物になりえます。だから、使うときに注意しましょうというお話になるんですね。
 一切、ダメとなると窮屈ですので、法律では、純然たる私的使用など、いちいち著作権者に許可をとらなくてもいい場合を決めています。
 実は、授業で使う場合、著作権者の利益を不当に害する場合を除いて、必要な範囲で著作者の許諾を得なくてもコピーをしていいと法律で定められているんです注1。学校の先生方が、著作権に対して苦手意識を抱くのも、日ごろ、許可をとらなくていいことが多い立場だからかもしれません。そうはいっても、たとえばワークブックをコピーして配布するのは、著作者の利益を不当に侵害するものとして、許されないと考えられています注2。最近は、著作権に対する理解が広まってきましたが、先生方でも、どこまで著作者に断りなくできるか把握していないことが決して少なくないので、注意が必要です。

 

――先生が授業準備するにあたって、著作権のことでがんじがらめにならないように法律で例外を認めていたんですね!

塩川先生: そうなんです。でも、一般社会では、教科書にあるとおり、インターネットで公開されている文章や写真についても、著作物に当たりうるので、そのままコピーして使い放題、ということにはなりません。法律で許されている場合を除いて、使用してよいものかどうか、確かめる必要があります。
 教科書では、続いて「引用するときは、作った人の名前や連絡先を明記します」と書いてありますね。この「引用」注3というのは、これまた法律に定められているもので、「コピー」と違い、だれでも著作権者に断らずともできるものなんです。だからこそ、「引用」と認められる方法で使っているといえるかがとても重要です。「引用」というのは、あくまでも自分の文章の中で人の書いたものを紹介することをいうので、全体を見たら自分の作品になっていないといけませんし、どこからどこまでがどこから引用されてきたのか客観的にわからないといけません。たとえば、「引用」だと言い張って、延々と丸写しするなんていうことは許されないわけです。

 

――なるほど、この数行には、そんな意味が隠されていたのですね。

塩川先生: そうなんです。小学生に著作権の話をするにあたっては、「人が努力して書いたり作ったりしたものを勝手に使ったらダメだよー。自分がされたらイヤな気持ちになるでしょう?」「引用するんでも、ちゃんと引用だってわかるように、作った人の名前とかを書かなきゃダメだよー」くらいでよいと思うのですが、先生方は、法律がどうなっているのか、基本的な構造を知っていると、生徒のヘリクツにも自信をもって対応しやすくなると思いますよ。

 

〈『ひろがる言葉 小学国語5上』教育出版(2014年)より〉

【すいせんのスピーチをしよう】(p.12~15)
 「すいせんとは、自分がよいと思う物事や人を、ほかの人にすすめることです。」という定義に続けて、「『わが町の自慢ベスト・スリー』はこれだ。」「学年レクリエーション委員は、ぜひこの人にやってほしい。」「あの友達には、この本をすすめよう。」という3つの例が示されています。推薦する目的をはっきりさせ、理由をいくつかにまとめて効果的に伝える工夫を促します。

――法教育は、社会に参加することの重要性を意識付けることに特色がある注4とされています。この教材に取り上げられた3つの例のうち最初の2つは、それぞれ自分の町・学年の委員会という身近な社会の中の良さを見直すことにつながります。自分の見つけた社会の中の良さを、学校が交流している村の人や学級の仲間に伝えることは、社会参加の方法の1つになるのではないかと思いますが、どうでしょうか? 3つめの「友達にすすめる本」は、特定の人へ物の良さを伝えることなので、社会参加とは言えないように思いました。

塩川先生: 最初の2つは、ご指摘のとおり、社会参加を意識することができてよいですね。「わが町」は町という単位の社会、「学年レクリエーション委員」は学校という単位の社会の出来事ですが、これを自ら調べて推薦できる点を考えるというのは、社会参加意識を育てるよいきっかけになるでしょう。
 3つ目の本の推薦は、確かに社会と直接関係はしませんね。でも、自分が良いと思うものを説明して人に伝える訓練は、決め事をするときやもめ事を解決する話し合いでも役立つと思いますよ。

 

【言葉と事実】(p.38~43)
 筆者はp.38で、「言葉は、事実と結びついていれば、どんな言葉を使っても同じように受け取られるでしょうか。」と問題を提示しています。そして、同じ事実でもそれを伝える人により使う言葉が違うことがあり、言葉が違うと受け取る側の印象も違うことを述べます。結びでは、「話したり書いたりするときには、ある一つの事実を表すにも、それをどのようにとらえ、どのように表すかということに気を配る必要があります。」としています。「一方、話を聞いたり本を読んだりするときには、話し手や書き手が事実をどのような言葉で表しているか」や、「ものの見方」、「どのような目的で、何を伝えようとしているか」まで考えてみる必要があると述べています。

――言葉が事実をどのように表すかということについて、表現者の立場と受け手の立場、両方の視点を与えてくれる教材だと思います。この教材を使う授業なら、ちょっとしたアレンジでそのまま法教育にもなるような気がしますが、いかがですか?
 この教材に続けて【新聞を作ろう】(p.44~51)という教材があり、最後に「環境新聞」という例が掲載されています。私たちが新聞を読む際に、書き手の意図を考える視点をもつことを意識する構成になっていると思いました。また、【すいせんのスピーチをしよう】のところで社会参加の方法について述べましたが、新聞を作ることも社会参加の一つといえますね?

塩川先生: これは、弁護士としては、すごく伝えたい問題意識ですね。私の所属する第二東京弁護士会の法教育委員会でも、これに関連する教材を作成していたときは、弁護士間ですごく盛り上がってしまいました(笑)。簡単に一部紹介すると、架空の新聞記事を作って、同じ事実を報道するのに「後進のため勇退した」という書き方のものと「若手に押されて引退を余儀なくされた」という書き方のものを比べたりする授業です注5
 われわれ国民は、政治家を選ぶときでも、契約をするときでも、いろんな情報を受け取って「こうしよう」って決めていくわけですが、情報というものは、同じ事実でも、言葉によって受け取る印象を左右されがちです。情報の受け取り手としては、言葉のトーンを割り引いて事実を探っていく必要があります。
 小学校の授業ですので、教科書の教材は、何かの主張を通そうとしようとしていたり、何かを購入させようとしていたりというような露骨な意図をもった事例ではありませんが、新聞を作るという体験を通じて、書き手の意図を考えるというのは、良い訓練になると思います。また、子どもたちの中には、将来、マスコミにいきたいと考える子もいるかもしれませんが、情報の受け取り手としてはどういう情報が欲しいのか、情報発信者としてはどういう努力をするのかということを考えることができます。ですから、この授業は、受け取り手としても、発信者としても、社会参加を体験できる授業になるでしょう。

 

【討論会をしよう】(p.70~75)
 「根拠や理由を明らかにして話し合う」というテーマの学習です。討論会は、「対立する二つの事柄について、考え方のちがいをはっきりさせることができます。それぞれの考え方の長所や短所を知ることで、自分の考えを深めていくのに適しています。」と紹介されています。

――第3・4学年では、話し合いの学習の教材に学級会が取り上げられていましたが、第5学年では討論会が扱われています。討論会は考え方の長所・短所に着目する点に、学級会とは違う特徴があると思います。討論会のテーマに法に関することを選ぶとすると、どんなことがあるでしょうか。法教育レポートでは、「大人の方が得である」というテーマについての学級討論会注6をご紹介したことがあります。「大人が得か、子どもが得か」という、小学生でも興味を感じやすい対比を討論することにより、自由と自律や成人年齢についての考えを深めることができるように感じられました。

塩川先生: 出張授業の経験上、こどもたちは、討論が好きなように思います。学級会と違って、勝ち負けのようなゲーム的要素があるところが楽しいのだと思います。
 教科書には、討論会の準備や作戦の立て方と判定のめやすが書かれていますね。討論は、漢字の書き取りなどと違って、絶対的な答えはありません。だからこそ、どういった討論の姿勢が望ましいかを学校で伝えてほしいなと思います。政治家など大人も、必ずしも理想的にできていないからこそ、本当はどういう姿勢が望ましいのかをイメージさせてあげることが大切だと思います。どういった準備や討論が望ましいか、自分たちで考えさせてみるのも面白いかもしれません。そして、最後に、トピックのテーマと社会のつながりについて先生が言及してくれたらいいなと思います。たとえば、成人年齢について討論したなら、「いろんな意見が出たけど、成人年齢っていうのは、法律で決められているんだよ。みんなも成人したら、法律を決めるために政治家を選んだりするから、今日みたいに、一つのテーマにいろんな意見があるっていうことを知っておこうね。」とか。もっと身近なテーマだったら「みんなも大人になったら、政治家を選んだり、会社でルール決めたり、いろんなことを決めていかなきゃいけなくなるから、今日はその訓練ができたかな?」というくらいの投げかけでもいいと思います。

 

【電子メールで伝え合う】【インターネットで調べよう】(p.132~133)
 この20年ほどの間に、電子メールが日常的に使われるようになったことに伴い、「電子メールを送ったり受けたりするときの約束や礼儀なども必要になってきました。」としています。そして、手紙と同じ約束や、電子メールの長所・短所に即した約束・礼儀を挙げています。最後は「常に相手のことを考えて文章を書き、やりとりをしましょう。」と結ばれています。
 「インターネットで調べるときには」のところでは、「ホームページは、だれでも自由に作れるので、あやまった情報や不確実な情報が書きこまれていることもある。」とし、他の資料と比べたりして内容を確かめながら使うよう注意がされています。

――これらは巻末付録の教材ですが、「電子メール使用の際の約束を考えよう」という授業なら、そのまま法教育になりそうではないでしょうか?インターネットについては、光村図書の「インターネットを使って調べる」の項で取り上げたことの他に、「ホームページはだれでも自由に作れる」とはどういう意味をもつか考えることが大切に思えます。

塩川先生: 「電子メール使用の際の約束を考えよう」という授業は、そのまま法教育になりますね。こどもたち自身で電子メール使用の際の約束を考えること自体が法教育の一つといえるでしょう。みんなで問題点を考えて、人の意見を聞いて。話し合いの仕方を学ぶこともできますし、社会との関わり方を考えることもできます。討論の授業でコメントしたとおり、こういう授業では、一言、先生から社会に出たときのことを意識させる締めくくりの言葉がほしいですね。
また、「インターネットで調べよう」という教材も、光村図書のp.91からの教材と同じく、とても大切だと思います。情報収集は、決め事をするときや、もめ事を解決するときの大前提ですから、情報との接し方はこどもの頃から、何度も考えておきたいことがらです。光村図書の方に書いてあるとおり、インターネットは、「キーワードを入れて集まった情報の中に」「自分だけでは気が付かなかった、新しい着眼点をもつもの」がでてくることもあり、「知りたいことに対する答えをさがすためだけでなく、課題を見つけるための参考にもな」る便利なツールですよね。気をつけないといけないことはたくさんありますが、気をつけるポイントを少しずつ小学生のうちから学んでおくと心強いですね。

 

 

注1:
著作権法35条

注2:
学校その他の教育機関における著作物の複製に関する著作権法第35条ガイドライン

注3:
著作権法32条。「引用」として認められるには、〔1〕引用する資料等が既に公表されているものであること、〔2〕「公正な慣行」に合致すること、〔3〕「正当な範囲内」であること、〔4〕引用部分とそれ以外の部分の主従関係が明確であること、〔5〕どこからどこまでが引用であるかはっきり区別されていること、〔6〕引用を行う必然性があること、〔7〕出所の明示が必要なことという要件を満たすことが必要です。常識的な使用であれば、あとは〔5〕と〔7〕を注意すればいいかと思います。

注4:
法教育研究会著『はじめての法教育』ぎょうせい(2005年)2頁

注5:

注6:

 

ページトップへ