法教育レポートの10年を振り返って

2009年10月1日に法教育レポートの連載が始まって、今年で10年になりました。そこで、毎年、締めくくりとして実施している年度まとめインタビューに替え、法教育レポートの10年間を振り返る座談会を設けました。お話しいただくのは、連載開始当初から、折に触れご指導いただいている大村敦志先生(学習院大学)です。

大村先生:「法教育レポート」が始まって10年になると伺って、月日が経つのは本当に早いと感じています。はじめに、このレポートの由来につき、少しお話をしておきたいと思います。
長らく商事法務研究会の専務理事を務められた松澤三男さんから、今後は法教育に力を入れたいという年賀状をいただいたのは、2000年代の半ばごろだったでしょうか。その後、松澤さんの肝入りで、関係者が集まっていろいろと相談をし、その過程で、「法と教育」学会設立の話が出てきました。他方、商事法務研究会でも法教育のためのプラットフォームとしたいということで「法教育フォーラム」というウェブサイトが開設されました。ここには教材などを掲載することが考えられていましたが、あわせて法教育の現状をレポートしてはどうかということで、「法教育レポート」が企画されました。主として学校で、どんなことが教えられているか伝えるという趣旨ですね。
「法教育レポート」のレポーターを務めた竹内弘枝さんは私の高校・大学の同級生です。教育学部を卒業した後、家庭に入られましたが、やはり2000年代の半ばに放送大学大学院で教育学のコースを修了されたところでした。そこで、2009年度から私のロースクールのゼミのサポートに来ていただくことになっていましたが、あわせて法教育レポートも担当していただいてはどうかと考えて、松澤さんにご紹介することにしたという次第です。
法律専門家として法教育の授業を見るとすると、内容が面白ければそれでいいと思ってしまいがちで、学校の先生方が授業をする際に、どんなところが参考になるかといった点はあまり考えません。ところが、竹内さんは法学については素人なので、法的に立ち入ったことはわからないけれど、教育現場のことは考えられる。法的なことはわかる範囲で書くということにして、教育関係者の視点から書いてもらった方が、法学の専門家でない教育関係の先生方にとって、わかりやすい報告になると思いました。

〈法教育レポートの始まり〉
――法教育レポートの取材は、掲載開始の4か月ほど前から始まりました。取材を始めるにあたって、「法教育レポートとはどんなものか」ということは曖昧だったと思います。当時の松澤専務理事の説明から、小中学校・高校の先生方のお役に立つような実践の記録を集めたい、と私は理解しました。前例も見本もなく、雲を掴むようなとはこのことかと思いましたが、とにかくやってみて、ダメ出しをしてもらいながら形を作っていけばいいのかと、おおように考えました。そんなスタートですから、取材の申込みをするにも、相手先にご覧いただけるような見本がなく、そもそも商事法務研究会という会が何をしている法人なのかも教育現場にはあまり知られておらず、説明にまごついていました。そんな頼りないレポーターの申込みを快くお受けくださり、お忙しい中、取材にご協力くださった多くの関係者の方々に、感謝の念は尽きません。レポーターが書いた原稿は、取材相手にお目通しをいただき、修正や加筆をしていただくことになります。ご本務でご多忙の上に、原稿チェックの仕事まで持ち込まれ、どんなにかご迷惑をおかけしたことかと申し訳ない思いです。この場をお借りして、お礼申し上げたいと思います。大変ありがとうございました。
お目通しいただいた原稿は、法教育フォーラム事務局の緑川へ送って、表記の調整などを経てウエブサイトにアップされます。メールマガジンによる広報などを含め、その辺りの作業はすべて緑川が行ってきました。

大村先生:先ほど、「法と教育」学会についても触れましたが、2010年の設立準備総会以来、学会事務も緑川さんが担当されて今日に至っています。私は2016年までは理事長を務めさせていただきましたので、緑川さんのご苦労の様子はよく知っています。「法教育レポート」と「法と教育」学会、商事法務研究会の法教育への支援事務の中心を担っていただいたことに対して、改めてお礼を申し上げます。
事務局:過分なお言葉をいただき、たいへん恐縮です。

〈授業実践のレポートについて〉
――法教育レポートは10年間で400本以上になりました。それらを細かく振り返るには及ばないと思いますので、レポーターが授業の現場やシンポジウム・学会・研究会などへ実際に取材に行ったものだけを年度順にざっと拾い出して、これに現場取材以外のシリーズを書き足したところ、別紙のようになりました。この表をご参照いただきながら、法教育レポートを古い順にたどってみたいと思います。
レポートの掲載が始まった2009年は、裁判員裁判制度が実際に運用開始になった年でした。初めての取材として、法務省の法教育推進協議会へ傍聴に行き、次に手近なところからという理由で、県立千葉高等学校のディベート授業の取材をしました。学校の夏休み期間に入ると、弁護士会のジュニアロースクールや日本弁護士連合会の高校生模擬裁判選手権といったイベントが目白押しなのがわかり、取材に追われました。
学校の授業や弁護士会のジュニアロースクールの授業を取材した場合、記事ではまず、授業のテーマや目的、時間や構成といった枠組みを明らかにします。次に、ほぼすべての授業は指導する側と教わる側の発話で進んでいくので、その臨場感をなるべく出せるように、会話のやりとりを書くスタイルにしました。その上で、その授業の法教育としてのポイントをわかりやすくお伝えしなければなりません。法教育のポイントを掴むというのは、新米レポーターにはなかなか難しいことでした。法教育の定義は、法教育研究会の『はじめての法教育』を頼りにしましたが、実際の授業と定義を引き比べる作業は、常に自分の判断が適切かどうか問われる厳しさを感じるものでした。
たとえば、初めての授業実践取材である県立千葉高校の授業は、ディベートでした。ディベートのテーマが法に関することなのですが、ディベートという方法も、講義式の一斉授業に比べ先進的なものでした。法教育は多面的な見方や議論の過程を重視するという特徴があるので、そういう授業方法にも着目してもらえるように書かねばならないと考えました。そういう素晴らしい法教育授業の特徴を、自分の稚拙な文章でお伝えできているのか、不安に感じることばかりでした。
県立千葉高校の次の学校現場として、大村先生から品川区の公立小中学校が「市民科」という特色ある教科を実施しているので、取材するといいと勧められました。まずは品川区教育委員会に取材のお願いをし、取材させていただける学校に話を通していただきました。「市民科」は、市民として行動する力を育てようとする先進的な取組みだと理解しました。その授業は法教育の基礎となる力を育むものと考えられます。法教育の定義を法教育レポートが狭く限定してしまうと、これから普及していくべき法教育の展開を妨げる恐れもあるのではないかと思われ、法教育という概念を広く捉えるということを知らされた取材でした。

大村先生:10年間で400本ですか。ちょっと想像しにくい数ですね。いつ、どこで、誰によって、何が行われたという客観的データとともに、現場でのやり取りが加わった資料が積み重なったわけですが、これは、この時期の法教育の様子を知るための資料として、今後もいろいろな形で利用できるのではないかと思います。
何と言っても、私自身がまず、2015年に『法教育への招待』という本を書く際に利用させていただきました。10年のうちのほぼ前半にあたる部分を使ったことになります。これは非常にありがたくて、「法教育フォーラム」の関係者としてはもちろん、資料を利用させていただいた一研究者としてもお礼を申し上げる次第です。

〈掲載第1回に関し〉
――そうした中、8月3日に第1回の裁判員裁判が開かれるからには、報道にどのように取り上げられるかレポート するよう、大村先生からアドバイスいただいたのでした。この裁判員裁判を取り上げたレポートが、連載の第1回として掲載されることになりました。
この記事の事前の目通しについては、テレビ報道から拾った記事だったので、放送局に原稿の修正をお願いするの?と悩みました。どうしたものか大村先生に相談したところ、先生ご自身が添削をして下さり、公共放送を要約した記事なので、著作権の心配もなかろうということだったと思います。この後も、大村先生には何度か原稿の添削をお願いしました。先生はご多忙の中、いつも快くご対応くださり、心より感謝申し上げます。先生から、「記事を書くときは、何も見たり聞いたりしていない読者の立場に立って、丁寧に説明するように。」とアドバイスをいただき、いつもそれを心掛けたつもりですが、舌足らずな部分、わかりにくい部分も多かったろうと、冷や汗が出ます。

大村先生:2009年8月3日の裁判員裁判のファースト・ケースは、メディアから異例の関心を向けられ、TVでは裁判進行の経過が刻々と報道されました。この様子をレポートするというのは、記録を残すという意味でも、レポートの読者の関心を引きつけるという意味でも、有益なのではないかと思い、これを対象とするようにお勧めしたように思います。
そのほか、先ほど、「ディベート」の話や「市民科」の話も出ましたが、私は「法教育」の範囲を広くとった方がよいと常々考えておりましたので、「法教育」と自称しないものであっても、「法教育」の試みとして受け止めることができるものは、何でも取材して記事を書いたらよいのではないか、と申し上げたように思います。
ところで、取材先の情報収集はどうしていたのですか?
事務局:関係先のサイトのイベント情報等をチェックしたり、法教育フォーラムのトピックスのイベント情報欄に寄せられる情報などです。レポーターの取材先での芋づる式はありましたか?
――残念ながらそれはほとんどなかったように思います。
大村先生:学会事務局から集まってくる情報もあったでしょう?
事務局:はい、それはありがたかったです。本当に、関係者の方々に恵まれました。

〈現場以外のネタ〉
――法教育のレポートは、学校やジュニアロースクールを取材すればいいのかなと思いかけていたところへ、大村先生から報道からも記事を書きなさいと言われたわけです。報道からのレポートは「報道から」というカテゴリーになりました。さらに先生から、本やドラマ、映画などにも法教育の素材があるから、それらも紹介しなさいと勧められて書いた記事が、「法教育素材シリーズ」 となりました。法教育素材に関しては、当時、県立千葉高校の教諭だった藤井剛先生(現在は明治大学)に、授業中に短時間で話せる「法教育小ネタ集」みたいなものがあるといい、と言われていたことにも背中を押されました。どちらも2010年から2012年ぐらいにかけて掲載されています。
そうした背景から、法教育のネタが教科書にあるなら、学校の先生にとって一番教えやすいのではないかと思いついたのが、「教科書を見るシリーズ」です。ちょうど学習指導要領の改訂があり、小学校から順次学年進行で教科書が新しくなる時期でした。大村先生に構想をお話ししたところ、それはぜひやりなさいと言っていただけたのに力を得て、小学校の「社会」の教科書から始めようと考えました。教科書から法教育になりそうな部分を拾い出そうという試みですが、私一人では荷が重い、どなたか法律専門家にお助け願えないかと思いめぐらしていた折、法務省の法教育懸賞論文で最優秀の表彰を受けられた春田久美子弁護士にお会いする機会がありました。春田先生はご本務でご多忙にもかかわらず、小学校の教科書について、メールでレポーターと原稿のやりとりをしてくださることをお引き受けくださいました。先生は「社会」の教科書から、様々な授業案をご提案下さり、シリーズを豊かなものにしてくださいました。
このシリーズは、小学校の「国語」では塩川泰子弁護士にご指導をいただきました。塩川先生には、その後も小学校の「道徳」教科書について、お世話になっています。
同じ頃、藤井剛先生から「憲法学者に高校の法教育授業に関するお尋ねをしたい。ついては、憲法学者が藤井先生と法教育レポート紙面で往復書簡をするのはどうだろう。」というお申出をいただきました。京都大学の土井真一先生が書簡のやり取りの相手をお引き受けくださり、「高校教諭と憲法学者の往復書簡」シリーズとなりました。(このシリーズは、書籍化準備に向けて調整中のため現在は公開されていません。)
藤井先生のこのアイデアから、2013年には広島市立基町高等学校教諭の河村新吾先生と東京大学の荒木尚志先生による「高校教諭と労働法学者の往復書簡」シリーズができました。「高校教諭の疑問や悩みに労働法学者はどう応えるのか。憲法編に続き、第2弾の労働編も、法教育を実践するうえでのヒント満載です。」
2013年は、大村敦志先生から法学研究者の先生方と法教育に関する対談をしたいというご提案もいただき、「対談『法学教育』をひらく」シリーズが始まった年でもありました。それまでは、法学研究がその成果を法教育に与えてくれるという方向が一般的だったと思いますが、大村先生は大学生に対する一般教養としての法学教育に、法教育と通ずるものがあるとお考えのようでした。法学研究者同士の高度な対談の連続になりましたが、必死に原稿を起こさせていただき、大変勉強になりました。
対談シリーズも、「「法学教育」をひらく」シリーズが終了した後、2017年には東京大学の宍戸常寿先生による「対談 法学部教育から見る法教育」シリーズが始まり、現在も続いています。
振り返ってみると、こんなに現場取材以外のシリーズがたくさんできるとは、当初は想像もしていませんでした。何もなかったところから、いろいろな先生方の思いが積み重なってこういうコンテンツができたのかと思うと、感慨深いものがあります。

大村先生:法教育には様々な人が関与しています。研究者に限っても、法学系の人もいれば教育系の人もいる。また、それぞれについて研究者だけでなく実務家(弁護士や現場の先生方)もいる。所属グループが違うと、「法教育」に対するイメージも違ってくるところがあります。
そうした中で、法学系の研究者(たとえば労働法学者)と教育系の実務家(たとえば高校の先生)との間で意見交換がなされるというのは、貴重な試みだったと思います。
また、実は、同じ法学系の教員の中でも、民法・刑法などの実定法科目を担当する者と法学入門を担当する者との間にはギャップがあります。このギャップを埋めよう。正面からあまり評価されることがない「法学入門」に光をあてることによって、(専門教育としての)実定法科目の教育と(導入教育としての)法学入門、そして法教育を連続的にとらえることができるのではないかと考えて、ご紹介いただいたような企画をしたこともあります。おかげさまで有力な先生方にお越しいただき、大きな刺激を受けましたが、同時にゲストとして来ていただいた方々も法教育に対する関心を持ってくださったようです。このような試みは、さらに法教育の方にウィングを伸ばす形で、宍戸先生が展開してくださっているものと理解しています。

〈レポートの隔週化以降〉
――現場取材のレポートは、2013年にピークを迎えた後、翌年からは徐々に減る傾向になりました。レポート掲載の隔週化は、この傾向を反映しています。現場取材の減少の理由はいくつかあります。1つは、同じような内容のレポートにならないようにするためです。模擬裁判は、イベントでも授業実践でも事例が多いので、すでに様々な角度から取り上げ、学年段階も小中高校の一通りのレポートが蓄積されたと思います。法教育授業は模擬裁判が多いというのが実感で、独創的な法教育授業を取材させていただきたいとなると、限られた学校などからの情報しかありませんでした。その限られた実践が取材可能かどうかも不確定なので、模擬裁判以外の先進的な授業例レポートはハードルが高かったと感じます。
2つ目は、法務省の法教育シンポジウムや東京都教育委員会の法教育シンポジウムが、この頃に一通り啓発としての役割を果たしたとして開催されなくなりました。そうなると、大学附属学校などで開かれていた法教育研究発表会のような会もめっきり少なくなりました。
3つ目には、小学校は英語教育のウェイトが高まる状況で、法教育に注意が向けられにくいと感じます。初期の頃の小学校のレポートには、特別活動 における法教育がありました。そういう情報が入ってこなくなったのは残念です。そんなこんなで、授業の取材がだんだん少なくなっているという実情です。

大村先生:2つ目の点について見方を変えると、法教育シンポジウムのようなオフィシャルなイベントも、法教育の普及に一定の効果があったということですね。

〈法教育の新しい支え手〉
――法教育レポートの取材が少し寂しいといっても、法教育の普及発展が寂しいわけではないことは、おことわりしておきたいと思います。小学校は法教育情報が少ないと申しましたが、高校に関しては、熱心な先生方が法教育研究を続けておられ、様々な実践をお伝えさせていただいています。法教育教材の作成についても、法教育推進協議会による教材作成をはじめとして、様々な関係者が法教育教材を豊富にしようという取組みを継続しています。2019年からは、法教育推進協議会教材作成部会作成の新しい教材を使った教員向け法教育セミナーが始まるそうです。
法科大学院生による法教育も、継続しているのが頼もしいと思います。國學院大學でも教えていらした弁護士の今井秀智先生の呼びかけで組織された日本学生法教育連合会(USLE)の学生・院生たちが中心になって、毎年「法教育祭」として渋谷区の公立中学校で授業を実践しています。若い担い手の中から、新しいものが育ってくるといいと思います。

大村先生:おっしゃるように、「法教育」というと、模擬裁判を考える人が多い。これは大事なことではありますが、法教育のすべてではありません。現場にはまだ十分に浸透していないのでしょうが、学会のプログラムなどを見ると、ずいぶんいろいろな試みがなされるようになったと感じます。
私自身は、「人と市民の法」としての民法の研究・教育を中心にしつつ、この20年ほどは、東アジア法の展開と法教育の普及に関心を広げてきました。いま、振り返って思うのは、「日本のロースクールで法学を教える」という限定を外して考える、すなわち、東アジアや法教育を視野に入れて考えると、民法や刑法といった実定法だけを教えているのでは不十分であり、民事訴訟・刑事訴訟だけを念頭においていては見逃してしまうことも少なくないと痛感しています。
こうした認識は、現代日本の法律家(法学者・実務家)にも実は不可欠であると私は思っていますが、制定法や裁判を超えて広く「法」に関心を向けた法律家を育てていくには、ロースクールで(もちろん学部でもかまいませんが)、学生自身に法教育を経験してもらうということだと思います。
ロースクールでの授業での後、竹内さんと東京駅までご一緒することが何度かありましたが、その際に、竹内さんが漏らされた感想―それは、やんわりとではありましたが、法律中心に考えがちな学生の思考様式に対する批判を含んでいたように思います―は、とても有益でした。こうした感想は、ロースクールでの私の授業だけでなく、広く様々な「法教育」の実践をレポートしてこられた竹内さんならではのもののように思います。
10年分の法教育レポートを通読していただけると、私が申し上げていることを実感していただくことができるのではないかと思います。特に学校の先生方はとても忙しいので、実際にはそんな余裕はほとんどないことでしょう。その意味では、10年分の蓄積がよりアクセスしやすい形で整理されるとよいと思っています。レポートの全体像がわかり、さらに個別のレポートに行けるといいですよね。
事務局:小学校・中学校・高校の授業レポートだけを集めマトリクスに整理して公開するようにいたします。
大村先生:さらに、ネット検索だと、自分の関心のあるところしか検索しません。紙ベースのいいところは、一覧性があって、関心がなかったけれどこんなのもあるんだと気づけることです。法教育レポートの対象は東京近辺で取材可能なものに限られているので、もちろん、ここに現れている以外にも興味深い試みはあったと思います。それでもこのようにまとまっている資料は他にはないので、一覧性の高い紙媒体もあっていいかと思います。法教育は当初はイベント性が高かったが、などというような10年間の変化がわかってもいいかなと思います。そのあたり、10年間で変化していますか?
――模擬裁判はあえて取材に行っていないだけで、学校の授業として行われることが増えているのではないかと感じます。おっしゃるように、最初はイベント的に行われていた模擬裁判が、授業として定着してきたといえるかもしれません。法と教育学会の教材作成イベントには、高校の先生方が主に参加されていますが、高校では様々な法教育授業が開発されていると思います。例えば、生物と社会科のコラボ授業や、自動運転を考える授業などをご紹介しました。法教育祭りも、中学生向け教材の作成が続いているという観点で見ることができます。レポートも、様々な教材が作成されるようになったという状況を反映しているかなと思います。
私自身は、法教育レポートを書くに当たり、常に「法的なものの考え方とはなんだろう?」と考えながら、授業を見てきました。模擬裁判授業には事実認定とバランスを重視する考え方、ルールづくり授業にはルールづくりに関する法的な考え方、暮らしをよくするための社会的制度や仕組みを創ることもルールづくりに通じる、立憲主義と民主主義の欠点の関係などというように、この10年間で「法的なものの考え方」にはいろいろあると思うようになりました。私の法的なものの考え方に関する認識の広がりは、法教育の取材のおかげですから、10年間で様々な法教育授業が広がってきているということにならないでしょうか。

大村先生:様々な試みを紹介してもらったわけですが、法教育にはいろいろな人がいろいろな立場で関わっているので、あるグループを超えて情報が伝わりにくいところがあるように思います。学校の授業は、モデルがあってもそれがそのまま個々の学校で使えるわけではなく、それぞれの学校の事情に合わせたものにしないといけない。法教育の更なる発展にはそういった難しさもありますが、継続することが重要です。続くことが自己目的になっては困りますが、法教育を狭く捉えないで、道徳や特別活動でも法やルールを教えていることになるといえれば、法教育が行われているといえるわけです。そう見るからそう見える。法は社会の基礎にあるという形で広く捉えたほうがいいと思います。フランスの法教育などはそうです。「法教育」という授業があるわけではありません。他方、大学の法学も、高大連携によって高校生を視野に入れると、実定法学の枠が広がっていくように思います。高校生向けのオープンキャンパスなども法教育実践の1つの場となっていることも大事かもしれません。創意工夫だけでは長続きしないことも、制度的枠組みがあると継続しやすいということですね。
ある意味では法教育レポートも、枠組みを作ったので続いてきたとも言えます。改めて、このように息の長い企画を実現して下さった竹内さんと緑川さん、そして、商事法務研究会の関係者の皆さまに、敬意を表する次第です。

――本日はお時間をいただき、大変ありがとうございました。

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