東京大学「オータム・セミナー」―不法行為法から未来の法を考えるPart2―

 2014年12月6日(土)13:00~18:00、東京大学法学部大村敦志教授(民法)による高校生のための「オータム・セミナー」が東京大学で開かれました。去年のパート1に続き、やや立ち入った法学学習を経験したい高校生のための少人数セミナーです。内容は不法行為法から未来の法を考えるというもので、サマー・スクール注1に参加した生徒のうち5名の生徒が参加しました。

〈プログラム〉

場所:法学部4号館461号室  
13:00~14:00 ステップ1「不法行為法(損害賠償法)と社会」について考える
1-0)オータム・セミナーの趣旨
  不法行為法を通じて、大学のセミナーとは、自己紹介
1-1)不法行為法の位置づけ、社会をつくる法
1-2)空地での野球から福島の原発事故まで
1-3)不法行為法の発展―四大公害訴訟、プライバシーとセクハラ
14:10~15:40 ステップ2「「宴のあと」事件」から「社会と法」の関係を学ぶ
教材:大村『不法行為判例に学ぶ―社会と法の接点』(有斐閣)注2第2部
     +高校政治経済教科書ほか
2-1)「宴のあと」事件の社会的背景
2-2)「宴のあと」事件の内容
2-3)「被侵害利益」の構成
16:00~17:20 ステップ3「無名社会」をどうすべきか
3-1)本名を知らせるのは不法行為か
3-2)「本名開示禁止法」を立法すべきか
17:20~18:00 質問など

ステップ1「不法行為法(損害賠償法)と社会」について考える

 ステップ1は、教授による講義で、オータム・セミナーPart1注3と内容がほぼ共通していました。不法行為法で一番大事な条文として紹介されたのは、民法709条注4です。今回特徴的だったのは、不法行為法に関する法律・判例と社会の動き、不法行為法の発展が歴史的に概観されたことでした。その流れを大まかにお伝えすると次のようになります。
【不法行為法に関する法律・判例と社会の動き】
・旧民法公布(1890年)以前には、「民法」という名前の法律はなかったけれど、「法」はあったこと。江戸時代にもすでに“裁判所”があり、貸金の返済が求められたりするなど、条文はなくても判決が出たりしていました。
・社会の変化に応じて法も変化すること。第1次世界大戦前後の産業の発展・化学工業の隆盛の結果が、日本初の公害裁判といわれる「大阪アルカリ事件」大審院判決(1916年)につながります。
・「人身への加害」と「人格への加害」の違い。第2次世界大戦後、自動車損害賠償法 、四大公害訴訟判決など、「人身への加害」に対する法が発展していきます。一方で不法行為法は、今日これから取り上げる「宴のあと」事件判決や「エホバの証人」事件判決のように、「人格への加害」に対応する方向へも発展していきます。
・民法の教科書の中の不法行為法の割合が大きくなっていること。債権(人に対する権利)法の中で不法行為法の社会的な重要性が増していることを示しています。

【不法行為法の発展】
・不法行為法の機能は、サマー・スクールで学習したように、1つは「権利を守る法、活動の外枠を画する法」であることです。責任がないことは自由にできるという意味になります。2つめは、「権利を創る法、活動の外枠を再編成する(社会を創り直す)法」という機能です。
・「社会を創り直す」ということには、「国家がある制度・政策を打ち出すこと」(たとえば国民年金・国民健康保険など)という意味と、「私的セクターから制度の原型を始めること」という2つの意味があります。もともとは、年金・保険制度は財閥系の福利厚生制度から始まりました。公害防止についても、個人間でしてはいけないことは国家も規制を強化するという方向で進んできました。
・近年ではプライバシーやセクハラについても、個人情報保護法やセクハラ防止法で規制する方向になりましたが、その前にまず不法行為責任が認められました。
・裁判には、紛争解決と政策・規範の形成という2つの働きがあるのです。

ステップ2「「宴のあと」事件」から「社会と法」の関係を学ぶ

 「宴のあと」事件とは何かについての解説の後は、セミナー終了まで教授と生徒の質疑応答方式で授業が進みました。その中から、プライバシーの権利に関する部分を中心にお伝えします。

【「宴のあと」事件とは】
教授:「1960年に発表された三島由紀夫の小説「宴のあと」の中で、プライバシーを侵害されたとして元外務大臣が作者を訴えた事件。一審でプライバシーの権利が認められ、原告が勝訴し、控訴審で和解が成立しました注5。原告(訴えた人)が提訴したのはなぜですか?」
生徒1:「プライバシーを侵害されているから。」
教授:「みんななら、ほかに誰を訴えますか?」
生徒2:「出版社。」
教授:「でも作家にも責任がありますよね。法律的には作家にも責任があるのですが、それとは別に、出版社を訴える理由は?」
生徒3:「損害賠償をいっぱいもらえた方がいいから。」
教授:「損害が1千万円なら、被告が何人いても取れるのは1千万円です。ただ、実際に出版社の方が個人からより取りやすいでしょうね。」


【名誉毀損とプライバシー侵害】

教授:「もし、プライバシーという言葉が知られていなかったら、何を理由にして訴えますか?」
生徒1:「名誉毀損で。」
教授:「そうですね。それを使わずに、「プライバシー」という知恵を授けた法学者がいたということです。名誉毀損とはどういうことですか?」
生徒1:「人の評価を下げるような決めつけをすること。」
教授:「他人の社会的評価を下げるような行為ということですね。名誉毀損は民法710条にでてきますし、さらに723条にもあります。709条だけでも、権利が害されれば賠償されることはわかりますが、710条があることで何が権利かがわかります。710条にはそれ自体に意味がありますが、ここでは、財産権と非財産的権利のどちらも、損害賠償の対象となる権利となることを表しているのが大事です。また、723条によって、名誉を回復するのに適当な処分、原状回復処分を命じることができます。
では、プライバシーとは何でしょうか?」
生徒1:「私生活に関するすべてのこと。」
教授:「『すべての』とは?」
生徒1:「この時間にここへ行ったとか。」
教授:「そうですね。フランス語では『私生活』の意味です。生徒3君、プライベートとはどういう意味でしょう?」→沈黙
教授:「では、反対語は?」
生徒3:「公の。」
教授:「そうですね。『私』道とかあるでしょう。持主以外の人は入ってはいけない。『公』園は誰でもそこに入っていい。人が立ち入ることができない、他人が入ってはいけないのがプライバシーの領域です。人にはプライバシーを保持する権利があるということです。
さて、法律家の大事な仕事は、ルールに事実をあてはめていくことです。プライバシーが侵害されたというためには、何が必要ですか?」
生徒2:「私生活上のことで人に知られたくないと思っていることがあること。」
教授:「そうです。他に?」
生徒1:「本人の承諾を得ていない?」
教授:「同意の有無ですね。それは大事です。ただ、要件の外です。本人の承諾は、違法性がなくなるということです。病院で手術するときに同意書を取りますよね。でないと、お医者さんが傷害罪になってしまう。もう一つは、今まで知られていないという条件です。プライバシーは、隠したいことが社会的に見て正当だから認められるもので、そういう観念が広がることになりました。」

【名誉毀損と表現の自由】
教授:「名誉毀損は、公共性、公益目的、真実性を言えれば、成立しません。これで助かる人は誰でしょう?」
生徒1:「記者。」
教授:「そうですね。これらの要件は、表現の自由が損なわれないよう、言論を守っているのです。プライバシーについては、真実性を証明したら余計よくないですね。(笑) もっとも、真実を指摘することだけがプライバシーの侵害ではありません。ほんとかな、と思わせることもプライバシーの侵害になります。この事件により、そういう権利があるという考え方になったのです。他にも、日照権や環境権はやはり裁判を通じて出てきた考え方です。」

【なぜプライバシーの権利という考え方ができたか】
教授:「なぜプライバシーや日照権などという考え方が出てきたのでしょうか?」
生徒1:「昔は近隣と密な関係が当たり前だったのに、そうでなくなったから。」
教授:「(資料の公団住宅分布図と間取りの図面を参照しながら)1950年代なかば、公私の区別をつけた生活形態が普及し始めたことがわかります。そういう空間ができないと、プライバシーの観念はできないのです。1960年頃から、人々がそういうことを求める風潮が出てきて、プライバシーを権利に押し上げていったのです。」

ステップ3「無名社会」をどうすべきか

 人の名前は人格権の一部をなすものですが、個人情報保護の考え方が進んだ今、私たちは名前をどう考えるか、話し合いました。
【氏名を正確に呼ばれる権利について】
教授:「氏名を正確に呼ばれる権利(利益)は本当にあるでしょうか?」
生徒2:「あると思いますが、 人によります。」
教授:「漢字の読み方で違う読み方がありますよね、音読みとか訓読みとか。自分の名前が間違われると嫌ですか?」→生徒2同意。
教授:「では我々は他人のファミリーネームをいつもちゃんと呼んでいますか?」
生徒1:「ニックネームの場合もあります。」
教授:「それは相手がOKしている場合?」
生徒1:「それもあるし、相手の本名をちゃんと知っていることも前提だと思います。」
教授:「外国人の名前がちゃんと読めないと、どうですか?難しい場合がありますよね。」
 → 一同、うなる。
生徒2:「無茶だと思います。」
教授:「実際のところ、外国では、人の名前はわりあい適当に呼んでいることもあります。中国人は日本人の名前を中国式発音で呼びますが、そのかわり日本人が中国人を日本式に呼んでも文句を言いません。にもかかわらず、NHKなどで日本式に呼ぶのがだめになってきたのはなぜですか?」
生徒1:「私は自分の先祖から伝わった大事な名前であることを考えると、ちゃんと呼んでほしいです。」
教授:「嫌と言われたら変えればいい、という話になりますね。生徒3君、NHKとして韓国式の呼び方を断ったとしたら、なぜですか?」
生徒3:「日本の視聴者にわかりやすいように。」
教授:「そうですね。字幕に漢字が出たのに日本式の呼び方とは違ったら、『これは今の人のことかな?』と思うかもしれません。でも、 嫌がる人のことを考えて対応する必要があるのではないか。」

【実名を呼ばれない権利について】

教授:「反対に、実名を呼ばれない権利はあるでしょうか?」
生徒1:「犯罪者とか?」
教授:「犯罪者は実名が出ても仕方ないと思われていますね。むしろ、容疑者についてですね。前科を報道するのはいいのか、という問題もあります。人に知られたくないことだけれど、すでに知っている人はいます。でも、保護される利益、忘れられる権利があるのではないかと考えられます。実名で呼ばれない権利、他にありますか?」
生徒1:「SNSとか、ツイッターとか、一部の人とつながるための名前。架空の人物になって話す唯一の場を確保するのは、その人の利益だと思います。」
教授:「実名を示さない利益ですね。使い分けたいのですね。SNSで『あいつ生徒1だぜ』などと書かれたらどうですか?」
生徒1:「ドキッとします。精神的ダメージがあります。」
教授:「保護されるべき利益があるとして、相手に故意・過失はありますか? ニックネームでやっているのに、実名を書いてはいけませんよね。不法行為にあたりますか?」
生徒1:「その人が広く発信し始めたら、不法行為につながると思います。」
教授:「みんなは名前が明らかにされない利益があると思いますか?」
生徒2:「利益があるべきだと思います。」

教授:「病院では?」
生徒2:「名前でいいです。行きつけのところだから。」
教授:「嫌な人はいますか?」
生徒4:「病気によっては、病院側がわざわざ違う名前で呼んでいる場合もあります。」
教授:「名前は便利なのでよく使われますが、でも呼ばれたら嫌なときもある。この間、免許センターに行ったら、名前を呼ばれたくない人は申し出てくださいと貼り紙がありました。有名タレントなどですね。(みんな、納得の声) 実名は人を特定するためにあるけれど、特定されると困る人がいる。だんだんそうなってきていませんか、クラス名簿など。」

【「実名開示禁止法」を立法すべきか】
教授:「「実名開示禁止法」を立法すべきでしょうか?」
生徒1:「法律までつくるのはどうかと思います。」
教授:「名前を呼ばれることは不利益だとは思いますか?」
生徒1:「思いません。」
教授:「一切開示できないのでは困る場合がありますね。クラス名簿は外に公開してもいいですか?」
生徒2:「外に出すのはダメです。不特定多数の人が見ると、売り込みに来たりするから。」
教授:「迷惑ですね。名前が知られて何かしら不利益が生ずることはありませんか? 知らない人に名前を教えないのは、不利益を恐れるからではありませんか?」
生徒1:「何でだろう? 生徒同士ならいいのに。」
生徒2:「生徒同士は団体意識があります。」
教授:「この人とこの先も付き合うから、知り合っておくことに利益があるかもしれないということではありませんか? まったく無関係の人には知られない利益があるのではないかな? 場合によっては名前を外に開示するのは具合が悪いというのが、みなさんの意見かな。でも、本当にそうか、もう一度ひっくり返すのが、法学部の授業なんです。」

【まとめ】

 実名とともに、顔(写真)、戸籍情報、不動産についても検討しました。

教授:「状況が変わると顔を見せたくない人も増えてくるかもしれない。ネット上の付き合いでは、何も見せないこともある。そういう情報の扱いを、この先みんながどう感じるようになるか。それが不法行為法に端的に表れるようになります。まず困ったら、それはおかしいと思ったら、損害賠償を請求することで、社会に問いかける、働きかけることになるのです。」

〈取材を終えて〉

 セミナーはこの後、法学一般・進路も含めた質疑応答になり、選択的夫婦別姓制度やアメリカの人種問題など、様々な質問が寄せられました。教授は率直に回答され、生徒は充実した午後になったと思います。「本当にそうか、もう一度ひっくり返すのが、法学部の授業」「この先みんながどう感じるようになるか。それが不法行為法に端的に表れるようになる。まず損害賠償を請求することで、社会に問いかける、働きかけることになる」という言葉が印象に残りました。
 プライバシーと個人情報について、いろいろ考えさせられました。江戸川区子ども未来館法律ゼミで、人格権について名前を例に考えました注6が、そこからのつながりも感じました。小学生には名前の大事さのこと、高校生には大事さばかりでなく、名前には社会的にどういう意味があるか、さらに顔・戸籍など個人情報について考えが広がり深まっていきました。

 

2014年8月2日、東京大学法科大学院の大村ゼミ生による高校生向けサマー・スクールが東京大学で開かれました。「大村ゼミ サマー・スクール2014―東大ロースクール生による民法講座」(2014年10月16日掲載)参照
『不法行為判例に学ぶ 社会と法の接点』大村敦志著(有斐閣,2011年)。
詳しくは「東京大学「オータム・セミナー」―不法行為法から未来の法を考えるPart1―」(2014年3月6日・13日掲載)をどうぞご覧下さい。
 民法709条「故意又または過失によって他人の権利又または法律上保護されるた利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」
『もういちど読む山川政治経済』山崎広明編(山川出版社,2010年)36頁
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